エピソード59の感想一覧

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[良い点]
ここらあたりで、まったくなろうものと違う時代小説として一定の水準になり、かなりうまく状況が分かる描写に。
[良い点]
登場人物の設定や性格がしっかりしてて違和感なく読みすすめれました。
[気になる点]
一向衆が当時の密教や南都北嶺とかなりごっちゃになっているように感じました。

一向衆は加持祈祷や疫病祓いはしなくて、江戸時代の太宰春台も「門徒物忌みを知らず」と書いたほど祟りをお祓いしたり占いはしなかったそうです。

あと着るものにしても、色のついた衣をきるようになったのは室町時代末期で、当時の一向衆は高位の者でも墨衣を着るのが嗜みだったようです。

その当時の一向衆は僧兵というより地侍が戦力で僧兵はあまり居なかったと記録で読んだような。
加賀の一向一揆も三河の一向一揆も地侍が門徒を率いての戦になります。


ただそうしちゃうと設定そのものが壊れちゃうので、このままで仕方ないかなあと
気になりますよね。わかります。

如章は「祈祷をしよう」と言っているだけで、実際しているわけではありません。死者を弔ったり疫病を鎮めるためのお経を唱えたりして、それっぽく振舞っているのでしょう。
それをネタにお金を集めているのです。はっきりいって詐欺師です。
今でも正式に祈祷の作法があるのは、真言密教や陰陽師や山伏でしょうか。神職もそうですね。

本人も、そういう危ないことをやっている自覚があるので、身辺を警護する意味で手勢を「僧兵」として集めています。
頭をまるめたら僧兵だろう、的な感じ。
乱暴者な彼らが本当に僧籍にあるとは思えません。


ここからは歴史のお話になります。
私の知識はウン十年前の大学時代でほぼ止まっているので、にわかに過ぎない、というのはご了承ください。(民俗学真言密教寄りのゼミでした)

この時代のこの地域では、下部組織の勢力が増してきていて、本願寺派の上層部は頭を悩ませていたといいます。
本来の仏の道ではなく、その土地の有力者を追い出してまで自分たちの国を作ろう、という風潮が強まっていたからです。
各地の寺は、仰る通り地侍を中心とした自警団をつくっていきました。
とはいえ主持ちの武士が完全にそこから離脱してまで寺につくほどの風潮はまだなかったので、武士の次男三男、あるいは食いはぐれた農民たちがその中心になっていたと思います。
如章みたいに勝手に勢力を伸ばそうとしたものがたくさんいた、という事です。
その力が最大限になったのは、今勝千代がいる時代から50年ほど後の事、信長の時代ですね。

後に一向宗と呼ばれる彼らですが、まだごく黎明期の出来事ですので、その動きがどのようなものであったのか、正確な事はわかっていません。
ですが、利に聡い人間はどこにでもいるもの、本当に仏の道を説く者もいたでしょうが、がめつく権勢を求める者もいたでしょう。
上のほうが大谷派と揉めていますから、下も大分ごたごたしていたかと思います。

如章の法衣については、あれは第一種正装です。七条袈裟ですね。
張り切って一番見栄えのする装束なわけです。
彼の位は中僧正。現代だと法衣の色は黄色まで?
実際当時がどうだったのか、詳しい事はわかりませんので、現代に寄せています。
当時の一種正装、中僧正の服装がどうだったのか、資料などあれば教えていただきたいと思います。
ちなみに現在地は田舎も田舎、中規模のあまり知名度の高くない町なので、そういう所に赴任している如章の組織内での立場は……お察しですw


自身の記憶を頼りに書くのではなく、ちゃんとリサーチしなくてはいけませんね。
歴史ものは雰囲気が大切ですが、知識がある方は「ここが違う!」と引っかかってしまいますので。

長々と失礼しました。
  • 2022年 05月18日 14時30分
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