感想一覧
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>相手をむやみに傷つけないよう配慮することは忘れるべきではないと私は思う。
本当にそうですね!
そんなつもりはなくても知らず知らずに相手を傷つけている場合もあったりして、実践は難しいですがそういう意識は持ちたいものです。
>相手をむやみに傷つけないよう配慮することは忘れるべきではないと私は思う。
本当にそうですね!
そんなつもりはなくても知らず知らずに相手を傷つけている場合もあったりして、実践は難しいですがそういう意識は持ちたいものです。
- 投稿者: 退会済み
- 2022年 07月16日 20時55分
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感想ありがとうございます(*^^*)
椎名ユヅキ様は大丈夫では……?
堀田はあります。やはり、自分自身が何かでショックを受けていたり、精神的に余裕をなくしている場合が危険ですね( ̄▽ ̄;)。
美味しいものをいただいてお腹いっぱい、大満足で寛いでいるようなとき、あるいは、堀田はそういうのなくて残念ですが、好きな相手と一緒にいて幸せいっぱいの気持ちのとき、
人をあえて攻撃しようとするとか、攻撃的になるとかってあんまりないような気がするんですよね(^_^;)
あるいは、大成功をおさめていい気分のとき、細々ことしたことにいちいち腹を立てることもない気がする。(たぶん、多くの まともな人は――堀田の想像不能領域のかたはわかりかねますが)
攻撃は、メリットもゼロじゃないですよね。
確実に反感も買うけど、やっぱり目立つから、無難なことしかしない場合よりも好まれて評価される場合すらあるんですよね。
もちろん、やり過ぎたり極端に流れたりすれば、やがて健全な人は離れてゆくでしょうし、ネガティブ感情は人と人との絆を深める側面もある(敵の敵は味方という感じで)けど
そういう仲間ってなにかが壊れたらずれていくと思うし。やはり、心地よい関係に勝るものはない気がします。
人間の脳は、他人への悪口と自分への悪口をごちゃ混ぜにしやすいそうで、他人を攻撃したり批判したりしてばかりいると、自分が悪口を言われている聞かされているのと同じようにストレスになるし、
一時的にはスカッとした気持ちになっても長期的には確実にイライラ街道まっしぐら のようですし(^_^;)
人に優しく自分にも優しく(笑)が
良さそうだな、と思います。
椎名ユヅキ様は大丈夫では……?
堀田はあります。やはり、自分自身が何かでショックを受けていたり、精神的に余裕をなくしている場合が危険ですね( ̄▽ ̄;)。
美味しいものをいただいてお腹いっぱい、大満足で寛いでいるようなとき、あるいは、堀田はそういうのなくて残念ですが、好きな相手と一緒にいて幸せいっぱいの気持ちのとき、
人をあえて攻撃しようとするとか、攻撃的になるとかってあんまりないような気がするんですよね(^_^;)
あるいは、大成功をおさめていい気分のとき、細々ことしたことにいちいち腹を立てることもない気がする。(たぶん、多くの まともな人は――堀田の想像不能領域のかたはわかりかねますが)
攻撃は、メリットもゼロじゃないですよね。
確実に反感も買うけど、やっぱり目立つから、無難なことしかしない場合よりも好まれて評価される場合すらあるんですよね。
もちろん、やり過ぎたり極端に流れたりすれば、やがて健全な人は離れてゆくでしょうし、ネガティブ感情は人と人との絆を深める側面もある(敵の敵は味方という感じで)けど
そういう仲間ってなにかが壊れたらずれていくと思うし。やはり、心地よい関係に勝るものはない気がします。
人間の脳は、他人への悪口と自分への悪口をごちゃ混ぜにしやすいそうで、他人を攻撃したり批判したりしてばかりいると、自分が悪口を言われている聞かされているのと同じようにストレスになるし、
一時的にはスカッとした気持ちになっても長期的には確実にイライラ街道まっしぐら のようですし(^_^;)
人に優しく自分にも優しく(笑)が
良さそうだな、と思います。
- 堀田真裏
- 2022年 07月17日 15時02分
[良い点]
>けれども、相手をむやみに傷つけないよう配慮することは忘れるべきではないと私は思う。
[一言]
感想ってかならずしも作者の為にだけある訳ではないです。
というか、一般的に言われている感想というのは、むしろ読者の為にあります。
その作品を鑑賞して感じたことを表明することが感想だからです(読者の立場の表明)。
最低限のマナーを守っているかぎり、むしろ自由に述べた方が、感想として正しいといえます。
なろうの感想欄における問題は、感想が作者に向けて届けられる点にあります。
この場合の感想は『作者に向けて作品の感想をする』ということになり、一般的に言われている感想よりもデリケートなものになります。
ここで、「ネガティブな内容を本人に伝えることへの是非」という問題が生まれます。
結論から言えば、『作者次第』としかいいようがないです。辛口な感想を求めている作者なら、率直にネガティブな部分を指摘しても問題ないでしょうから。
じゃあ『ネガティブな内容を求めない作者には、ネガティブな感想を書いてはいけないのか?』というと、そうでもありません。
あくまでそれは読者側からの気遣いであって、その作品に大きな誤りがあった場合とか、その作品を読んで非常に心を傷つけたとか、そうした場合は、それを作者に意見することは感想としてまっとうだからです。
◆結論
作家に直接感想を述べる場合、友人間での感想のやりとりとは違って、より気遣いや良識が求められるのだと思います。
>けれども、相手をむやみに傷つけないよう配慮することは忘れるべきではないと私は思う。
[一言]
感想ってかならずしも作者の為にだけある訳ではないです。
というか、一般的に言われている感想というのは、むしろ読者の為にあります。
その作品を鑑賞して感じたことを表明することが感想だからです(読者の立場の表明)。
最低限のマナーを守っているかぎり、むしろ自由に述べた方が、感想として正しいといえます。
なろうの感想欄における問題は、感想が作者に向けて届けられる点にあります。
この場合の感想は『作者に向けて作品の感想をする』ということになり、一般的に言われている感想よりもデリケートなものになります。
ここで、「ネガティブな内容を本人に伝えることへの是非」という問題が生まれます。
結論から言えば、『作者次第』としかいいようがないです。辛口な感想を求めている作者なら、率直にネガティブな部分を指摘しても問題ないでしょうから。
じゃあ『ネガティブな内容を求めない作者には、ネガティブな感想を書いてはいけないのか?』というと、そうでもありません。
あくまでそれは読者側からの気遣いであって、その作品に大きな誤りがあった場合とか、その作品を読んで非常に心を傷つけたとか、そうした場合は、それを作者に意見することは感想としてまっとうだからです。
◆結論
作家に直接感想を述べる場合、友人間での感想のやりとりとは違って、より気遣いや良識が求められるのだと思います。
もちろん、私も“自分の立場を明確にして、逃げも隠れもしない人”“自分よりも強い立場の人間にも同じように言える人”については、“人を傷つける感想を率直に言う場合”であっても、ある程度、認めてはいます。
そこでスカッとして気持ちよくなってる自分自身を冷静に振り返ったら?と批判しているのは――あくまでも、“匿名だから”という立場を利用して“感想なんだから何でも素直に言っていい”と勘違いしている人のことです。
“表現の自由”が認められているのだから、相手を深く傷つけたり社会的な立場を悪化させたりするようなことを主張するのも“自由”として認められるはずだ
というのは許されていないのと同じ
配慮するのは当たり前ですが、ネットではできていない人がたまにいますから。
※ネガティブなこと、批判を書き込んではいけないという意味ではありません。相手をむやみに傷つけない配慮が必要ではないか、というだけです。
そこでスカッとして気持ちよくなってる自分自身を冷静に振り返ったら?と批判しているのは――あくまでも、“匿名だから”という立場を利用して“感想なんだから何でも素直に言っていい”と勘違いしている人のことです。
“表現の自由”が認められているのだから、相手を深く傷つけたり社会的な立場を悪化させたりするようなことを主張するのも“自由”として認められるはずだ
というのは許されていないのと同じ
配慮するのは当たり前ですが、ネットではできていない人がたまにいますから。
※ネガティブなこと、批判を書き込んではいけないという意味ではありません。相手をむやみに傷つけない配慮が必要ではないか、というだけです。
- 堀田真裏
- 2022年 05月07日 07時03分
感想ありがとうございます。
どういう感想を書くのか。それは結局、感想書く側に委ねられている。その事実が変わることはなく、現状においては当人の良識やモラルに任せるしかない――というのは理解しています。
感想は誰のためにあるか、というよりも、感想とはそういうものだ、という現実があるのかなと思っています。
いっぽうで、“匿名であるのをいいことに、平気で己のカタルシスの場にする。悪質なコメント”が問題化してきていることもまた事実です。
読者のため、を認めてしまうと、こういった一部を増長させてしまうという問題があるように思うのです。
そして残念ですが、ネットという場では、ごく一部の攻撃的な書き込みをしたがる連中のほうが、実際には少数派であるにもかかわらず声高になりやすく、異常に目立つ。という問題があるように思うのです。
これは法律の話になるのですが――“表現の自由”は、個人の自由として無制限に認められるものではありません。“内心の自由”とは別のものです。あくまでも“公共の福祉”に反しない限度、社会的に妥当な範囲内で認められるものです。極端なものは“名誉毀損”に該当したり、そこまではなくても“侮辱罪”になったり、罪とまではならなくても民事訴訟対象になることもあるのは、
表現の自由が認められるといっても、何を言っても許されるわけではないからです。
むやみに人を傷つけたり、社会的立場を害したりしてまで、表現の自由を認めることはできない。許されていないのです。
ネットの危険性は、匿名であることです。少しずつ法整備など、“モラルに任せていても、手に負えない。やりたい放題になる輩が後を立たず問題化している”ことで進んできてはいますが、
これも弊害がありますよね。
何はともあれ、日常生活のストレスをネットの書き込みで発散させている人も少なくありませんね。私もそういう部分はあります。作品のなかで発散させています。
問題は、それを他人に攻撃的な批判として向ける人がいることです。
作品の感想に関しては、人に向けたものではないぶん、解釈は難しいですが――、
感想なんだから、相手を傷つけようが素直に何でも言っていい、を認めてしまうと問題は出てくるでしょうね。顔が見える関係でないからこそ配慮が必要です。でも実際には、顔が見える関係でないからこそ、顔が見える関係では決して伝えない言葉を書き込む人が出てしまうのも現実ですよね。
“サイレントマジョリティ”という言われかたをすることが多いのですが、そういう人は全体で見るとごく一部の少数派だったりしますが、そういう攻撃的な人は、自分の攻撃的なコメントを書き込むことが好きで、そこで“カタルシス”を得て“スカッとしている、気持ちよくなっている”ため、
多くの良識人よりも頻繁に書き込みますし、感情のコントロールが不得手で感情の起伏も激しいタイプが多いのでしょう、書き方は過激になりやすいので、さらに異様に目立ちます。
落書きされてしまうと、落書きは一部であるはずなのに、やたら存在感があって目立つのと似ています。
ネガティブな放言というのは“目立つ”んです!
これは人にそういう本能があるから仕方ありません。多くの人は、生存本能から“危険なもの”“有害なもの”に注意が向きやすいです。ネガティブなものに意識をむけるほうが自然界では生き残りに有利なため、何十万年もの自然淘汰を経て――その子孫としてDNAを引き継ぐ我々も必然的に 世の中にはそういうタイプが多いのです。
ネガティブなこと、いやなこと、不安にさせられることに注意が向いてしまうのですね。そしてストレスを感じます。見なくていいものに目が行きます。
で、耐性がある人はいいけれど、そういう人ばかりではないのですよね。
――面白くないものを面白くないと言ってなにが悪いんだ!と感じる人は、たぶん、自分自身がそういう感想を書き込んだことがあるか、そういう書き込みをすることを否定されなくないんだろうなとは思います。
禁止は出来ないと思います。でも伝え方は考えようよ、と思います。
少なくとも、“だって感想なんでしょ?”と――
相手を傷つけようが、相手の立場にたって配慮する義務なんかないし、自由に言っていいはずだからと、そういう態度で――言葉を選びもせずに、
匿名であることに図に乗ったような態度で、感想を寄せる人に関しては、
そういう態度をとることを“自分自身を振り返ってみたら?”と批判されることもまた、仕方ないと受け入れるべきではないのでしょうか。とは思います。
どういう感想を書くのか。それは結局、感想書く側に委ねられている。その事実が変わることはなく、現状においては当人の良識やモラルに任せるしかない――というのは理解しています。
感想は誰のためにあるか、というよりも、感想とはそういうものだ、という現実があるのかなと思っています。
いっぽうで、“匿名であるのをいいことに、平気で己のカタルシスの場にする。悪質なコメント”が問題化してきていることもまた事実です。
読者のため、を認めてしまうと、こういった一部を増長させてしまうという問題があるように思うのです。
そして残念ですが、ネットという場では、ごく一部の攻撃的な書き込みをしたがる連中のほうが、実際には少数派であるにもかかわらず声高になりやすく、異常に目立つ。という問題があるように思うのです。
これは法律の話になるのですが――“表現の自由”は、個人の自由として無制限に認められるものではありません。“内心の自由”とは別のものです。あくまでも“公共の福祉”に反しない限度、社会的に妥当な範囲内で認められるものです。極端なものは“名誉毀損”に該当したり、そこまではなくても“侮辱罪”になったり、罪とまではならなくても民事訴訟対象になることもあるのは、
表現の自由が認められるといっても、何を言っても許されるわけではないからです。
むやみに人を傷つけたり、社会的立場を害したりしてまで、表現の自由を認めることはできない。許されていないのです。
ネットの危険性は、匿名であることです。少しずつ法整備など、“モラルに任せていても、手に負えない。やりたい放題になる輩が後を立たず問題化している”ことで進んできてはいますが、
これも弊害がありますよね。
何はともあれ、日常生活のストレスをネットの書き込みで発散させている人も少なくありませんね。私もそういう部分はあります。作品のなかで発散させています。
問題は、それを他人に攻撃的な批判として向ける人がいることです。
作品の感想に関しては、人に向けたものではないぶん、解釈は難しいですが――、
感想なんだから、相手を傷つけようが素直に何でも言っていい、を認めてしまうと問題は出てくるでしょうね。顔が見える関係でないからこそ配慮が必要です。でも実際には、顔が見える関係でないからこそ、顔が見える関係では決して伝えない言葉を書き込む人が出てしまうのも現実ですよね。
“サイレントマジョリティ”という言われかたをすることが多いのですが、そういう人は全体で見るとごく一部の少数派だったりしますが、そういう攻撃的な人は、自分の攻撃的なコメントを書き込むことが好きで、そこで“カタルシス”を得て“スカッとしている、気持ちよくなっている”ため、
多くの良識人よりも頻繁に書き込みますし、感情のコントロールが不得手で感情の起伏も激しいタイプが多いのでしょう、書き方は過激になりやすいので、さらに異様に目立ちます。
落書きされてしまうと、落書きは一部であるはずなのに、やたら存在感があって目立つのと似ています。
ネガティブな放言というのは“目立つ”んです!
これは人にそういう本能があるから仕方ありません。多くの人は、生存本能から“危険なもの”“有害なもの”に注意が向きやすいです。ネガティブなものに意識をむけるほうが自然界では生き残りに有利なため、何十万年もの自然淘汰を経て――その子孫としてDNAを引き継ぐ我々も必然的に 世の中にはそういうタイプが多いのです。
ネガティブなこと、いやなこと、不安にさせられることに注意が向いてしまうのですね。そしてストレスを感じます。見なくていいものに目が行きます。
で、耐性がある人はいいけれど、そういう人ばかりではないのですよね。
――面白くないものを面白くないと言ってなにが悪いんだ!と感じる人は、たぶん、自分自身がそういう感想を書き込んだことがあるか、そういう書き込みをすることを否定されなくないんだろうなとは思います。
禁止は出来ないと思います。でも伝え方は考えようよ、と思います。
少なくとも、“だって感想なんでしょ?”と――
相手を傷つけようが、相手の立場にたって配慮する義務なんかないし、自由に言っていいはずだからと、そういう態度で――言葉を選びもせずに、
匿名であることに図に乗ったような態度で、感想を寄せる人に関しては、
そういう態度をとることを“自分自身を振り返ってみたら?”と批判されることもまた、仕方ないと受け入れるべきではないのでしょうか。とは思います。
- 堀田真裏
- 2022年 05月07日 06時33分
[良い点]
そうですね。
貶すのは良くないと思います。
[気になる点]
面白くない小説や、
わかりづらい小説、
短編と言いながら、プロットだけの詐欺みたいな小説
とかありますが、
そういうのも素直な感想は貶すになるんでしょうか。
[一言]
感想が気に入らない人は感想書けなくすればいいのにとか思います。
批判?の感想は消して、肯定の感想しか残さない作者もいたりして、そういうこは、どうかと思います。
まあ、人格否定みたいな感想入れる人は論外でしょうが。
そうですね。
貶すのは良くないと思います。
[気になる点]
面白くない小説や、
わかりづらい小説、
短編と言いながら、プロットだけの詐欺みたいな小説
とかありますが、
そういうのも素直な感想は貶すになるんでしょうか。
[一言]
感想が気に入らない人は感想書けなくすればいいのにとか思います。
批判?の感想は消して、肯定の感想しか残さない作者もいたりして、そういうこは、どうかと思います。
まあ、人格否定みたいな感想入れる人は論外でしょうが。
感想ありがとうございます。
はじめに返信しようと考えたことと、現時点で考えていることに(私の中で)若干の食い違いがあります。
はじめは、「わかりづらい」はいいとして、「面白くない」と書き込むのは――。と考えていたんですよね。
感想なのだから、別に作者への応援をしなければならない義務などないはずだ、という読者目線の立場は分かるんですよね。
いっぽうで、「面白くない」は、たぶん――作品を描く作者にとっては、もっとも大きなダメージとなるコメントでもあるとは思うんですよ。
(※相手によります。ここでイラッときて(この糞が!)と内心でキレたり、あるいはスルーできるようなタイプや、(まあいろんな価値観がありますよね。この人にとっては合わなかったってことでしょ?)と、理論武装で突き放して考えられるタイプなどは、不快な刺激でもダメージはほとんどない、か、限定的だと思われます。
社会経験が多い、揉まれてきたが、潜り抜けてきたような経験が多いほうがタフであるのは間違いないと思われます。いわば体育会系や、そのなかで生き抜いてきたような人ですね。)
うん、これはたぶん、自分がその立場にたてば分かるとは思います。でももちろん、その立場であっても有益な批判であることもあるんですよ。
(作者に受けとめる余裕がある場合に限ります。なお私自身は揉まれてきているので、大丈夫なほうですが)
ダメージを与えるだけか、有益な情報になる場合もあるか。作者目線でみたとき、ただ貶されたような気持ちになるか、学びの要素がある感想となり得るか。
それを分けるのは、具体的な要素があるかどうかです(まあこれも作者次第ですね……。プライドが高すぎて批判を受け入れられないとか、自分の作品のイメージやこだわりが強くて違う意見を受け入れられないタイプはわかりません。 私は具体的な話は受け入れられるし、貶したいだけかどうか、悪意的なものかそうでないかの区別はつくので。攻撃的だろうが悪意だろうが有益だと判断したら考慮しますが(笑))。
キャラクターのこんなところが嫌だった。違和感があった。作品のこの部分が合わなかった。この展開がないと思った。キーワードだけでもいいから入ると参考になることもあります。
私などはブクマが減ると新しく書いた内容で「うーん、もしかしたら、この部分かなぁ……展開としてナイと感じた人がいたかな」などといちいち考察していたりします。
凹むこともあるけれど、作者次第では、考察のネタになることもあるんですよね。
読んでくれたかたにとってはただのコメントでも、
場合によっては、それも作品を作り上げていく要素に絡んでいることもあるんですよ。
(これも、相手の感想などをどの程度汲み上げていくか、真剣に読んでいるか、作者次第でもあるとは思います。あとは、感想なども寄せられる母数が大きくなると対応は無理でしょうから、あまり人気のない作者に限られるとは思いますが)
意外と力があるんですよね。感想。
はじめに返信しようと考えたことと、現時点で考えていることに(私の中で)若干の食い違いがあります。
はじめは、「わかりづらい」はいいとして、「面白くない」と書き込むのは――。と考えていたんですよね。
感想なのだから、別に作者への応援をしなければならない義務などないはずだ、という読者目線の立場は分かるんですよね。
いっぽうで、「面白くない」は、たぶん――作品を描く作者にとっては、もっとも大きなダメージとなるコメントでもあるとは思うんですよ。
(※相手によります。ここでイラッときて(この糞が!)と内心でキレたり、あるいはスルーできるようなタイプや、(まあいろんな価値観がありますよね。この人にとっては合わなかったってことでしょ?)と、理論武装で突き放して考えられるタイプなどは、不快な刺激でもダメージはほとんどない、か、限定的だと思われます。
社会経験が多い、揉まれてきたが、潜り抜けてきたような経験が多いほうがタフであるのは間違いないと思われます。いわば体育会系や、そのなかで生き抜いてきたような人ですね。)
うん、これはたぶん、自分がその立場にたてば分かるとは思います。でももちろん、その立場であっても有益な批判であることもあるんですよ。
(作者に受けとめる余裕がある場合に限ります。なお私自身は揉まれてきているので、大丈夫なほうですが)
ダメージを与えるだけか、有益な情報になる場合もあるか。作者目線でみたとき、ただ貶されたような気持ちになるか、学びの要素がある感想となり得るか。
それを分けるのは、具体的な要素があるかどうかです(まあこれも作者次第ですね……。プライドが高すぎて批判を受け入れられないとか、自分の作品のイメージやこだわりが強くて違う意見を受け入れられないタイプはわかりません。 私は具体的な話は受け入れられるし、貶したいだけかどうか、悪意的なものかそうでないかの区別はつくので。攻撃的だろうが悪意だろうが有益だと判断したら考慮しますが(笑))。
キャラクターのこんなところが嫌だった。違和感があった。作品のこの部分が合わなかった。この展開がないと思った。キーワードだけでもいいから入ると参考になることもあります。
私などはブクマが減ると新しく書いた内容で「うーん、もしかしたら、この部分かなぁ……展開としてナイと感じた人がいたかな」などといちいち考察していたりします。
凹むこともあるけれど、作者次第では、考察のネタになることもあるんですよね。
読んでくれたかたにとってはただのコメントでも、
場合によっては、それも作品を作り上げていく要素に絡んでいることもあるんですよ。
(これも、相手の感想などをどの程度汲み上げていくか、真剣に読んでいるか、作者次第でもあるとは思います。あとは、感想なども寄せられる母数が大きくなると対応は無理でしょうから、あまり人気のない作者に限られるとは思いますが)
意外と力があるんですよね。感想。
- 堀田真裏
- 2022年 05月11日 05時10分
[一言]
なろうの感想欄はとても勿体ないと思うんですよね。
褒めて伸びる人も叩かれて伸びる人も褒められると増長する人も貶されるとやる気を無くす人もいる。
それぞれに合わせて感想欄の表示を作者が設定出来る機能があればと思います。
かつては創作物を世に出すにはコストもリスクも大きかったので厳しい意見に晒されても平気な強さが必要でしたが、今は色々な個性を持つ人が創造の世界で活躍出来る可能性があるインターネットという世界が産まれました。
繊細な個性を持つ人もそのままに作品を出せるようになって欲しいと思います。
なろうの感想欄はとても勿体ないと思うんですよね。
褒めて伸びる人も叩かれて伸びる人も褒められると増長する人も貶されるとやる気を無くす人もいる。
それぞれに合わせて感想欄の表示を作者が設定出来る機能があればと思います。
かつては創作物を世に出すにはコストもリスクも大きかったので厳しい意見に晒されても平気な強さが必要でしたが、今は色々な個性を持つ人が創造の世界で活躍出来る可能性があるインターネットという世界が産まれました。
繊細な個性を持つ人もそのままに作品を出せるようになって欲しいと思います。
感想ありがとうございます。
システム上の難しさはあると思いますが、そうできたら理想だなと、深く共感しました。
個人的には、その時々で使い分けたい気がします。
システム上の難しさはあると思いますが、そうできたら理想だなと、深く共感しました。
個人的には、その時々で使い分けたい気がします。
- 堀田真裏
- 2022年 05月11日 04時38分
感想ありがとうございます。
見る・見ないについての設定については機能的には難しいかもしれませんが、そうできたら理想かなとは思います。
ネット社会の問題点は、“表現の自由”を無制限のものであるかのように勘違いした、悪質なものを、己のカタルシス目的で書き込むやからが多いこと。
その対応が法整備など含め含め追いついておらず、(昨今、少しずつですが訴訟が増えたりコメント書き込みについて是非が論じられ対応強化がされるようになってきたように思います)
”良識やマナー”に委ねられている。といっても、実際には、匿名であるのをいいことに、顔が見える関係(対等か、相手が自分よりも立場的に強い場合)では決して言わないような言葉を平気で書き込み、スカッとしているのだろうなと感じる感想が散見されることが気になるんですよね。
私は……批判は腹は立ちますが、見る価値もないとまでは思いません。むしろそれも磨くためには必要なものにしてやろう、という気持ちもなくもないです。
でもそれを見るとそのせいで、半日くらいすっごくイヤな気分になる、不快な気持ちは相当期間続いてしまうことも事実ですね。場合によっては相手を調べ始めるのもそういう部分は大きいかもしれません。
(※エッセイ感想に関しては、批判的なご意見を読んでもそういうことはありません。これは考え方の違いですから)
いっぽうで、私が猛烈に不快になりつつも潰されにくい理由は私が本質的には自分の知識や判断などの部分にけっこう自信があるからだろうなとも思っています。なかには、潰されるかたもいらっしゃるだろうな、と……思います。
見る・見ないについての設定については機能的には難しいかもしれませんが、そうできたら理想かなとは思います。
ネット社会の問題点は、“表現の自由”を無制限のものであるかのように勘違いした、悪質なものを、己のカタルシス目的で書き込むやからが多いこと。
その対応が法整備など含め含め追いついておらず、(昨今、少しずつですが訴訟が増えたりコメント書き込みについて是非が論じられ対応強化がされるようになってきたように思います)
”良識やマナー”に委ねられている。といっても、実際には、匿名であるのをいいことに、顔が見える関係(対等か、相手が自分よりも立場的に強い場合)では決して言わないような言葉を平気で書き込み、スカッとしているのだろうなと感じる感想が散見されることが気になるんですよね。
私は……批判は腹は立ちますが、見る価値もないとまでは思いません。むしろそれも磨くためには必要なものにしてやろう、という気持ちもなくもないです。
でもそれを見るとそのせいで、半日くらいすっごくイヤな気分になる、不快な気持ちは相当期間続いてしまうことも事実ですね。場合によっては相手を調べ始めるのもそういう部分は大きいかもしれません。
(※エッセイ感想に関しては、批判的なご意見を読んでもそういうことはありません。これは考え方の違いですから)
いっぽうで、私が猛烈に不快になりつつも潰されにくい理由は私が本質的には自分の知識や判断などの部分にけっこう自信があるからだろうなとも思っています。なかには、潰されるかたもいらっしゃるだろうな、と……思います。
- 堀田真裏
- 2022年 05月07日 05時07分
[良い点]
『ディスる』と言った場合、『貶すのが主目的の暴言』と『成長を促すアドバイス』があるかと思います。
前者は言葉の暴力を振るうことで、欲求不満をぶつける行為のことです。
似て異なるのが『作品をよくするためのアドバイス』。
読んだ作品に『このへんがわかりづらいから、こうすればよくなるよ』とか『この文言は誤用です。こう変えた方がいい』という指摘はアリかと。
ほめるだけでなく、適切なアドバイスってのも大事だと考えます。
まぁ、『アドバイス目的の辛口コメント』がどっちになるかは意見がわかれそうですけど。
インターネットでは顔の見えない人同士でコミュニケーションをするものです。
なろうの感想欄や活動報告のコメント欄と同様、Web掲示板やWebチャットでも、古くからマナーについて議論されてきたものです。
『ネチケット千夜一夜』でググれば、日本でインターネットができたばかりの頃の様子がうかがえて、参考になるかも。
『ディスる』と言った場合、『貶すのが主目的の暴言』と『成長を促すアドバイス』があるかと思います。
前者は言葉の暴力を振るうことで、欲求不満をぶつける行為のことです。
似て異なるのが『作品をよくするためのアドバイス』。
読んだ作品に『このへんがわかりづらいから、こうすればよくなるよ』とか『この文言は誤用です。こう変えた方がいい』という指摘はアリかと。
ほめるだけでなく、適切なアドバイスってのも大事だと考えます。
まぁ、『アドバイス目的の辛口コメント』がどっちになるかは意見がわかれそうですけど。
インターネットでは顔の見えない人同士でコミュニケーションをするものです。
なろうの感想欄や活動報告のコメント欄と同様、Web掲示板やWebチャットでも、古くからマナーについて議論されてきたものです。
『ネチケット千夜一夜』でググれば、日本でインターネットができたばかりの頃の様子がうかがえて、参考になるかも。
感想ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。私が問題視したのは前者や、それに等しい感情をぶつける類いのものです。
後者は相手をむやみに否定しないように言葉を選び優しい伝え方をする限り、いいかと思います。
アドバイス目的の辛口コメントは――個人的には気持ちは分かるんです。私自身、自分では辛口コメントのつもりじゃなかったつもりなのに、相手には辛辣なこととして伝わっていたこともありますし。
まったく貶すつもりなどなかったはずなのに、無自覚に相手をえぐっていたこともあります。キツく伝わることがあるのですよね――。
だからこそ(自分自身の反省もこめて)、顔が見えない関係だからこそ、出来る限り優しく伝える努力はしたほうがいいだろうなとは思っています。
どんな相手のための言葉も、相手を傷つけすぎて、相手が自分の心を守ろうとして殻を閉ざしてしまったら結局は届かない。傷つけただけになってしまいますから。
おっしゃる通りだと思います。私が問題視したのは前者や、それに等しい感情をぶつける類いのものです。
後者は相手をむやみに否定しないように言葉を選び優しい伝え方をする限り、いいかと思います。
アドバイス目的の辛口コメントは――個人的には気持ちは分かるんです。私自身、自分では辛口コメントのつもりじゃなかったつもりなのに、相手には辛辣なこととして伝わっていたこともありますし。
まったく貶すつもりなどなかったはずなのに、無自覚に相手をえぐっていたこともあります。キツく伝わることがあるのですよね――。
だからこそ(自分自身の反省もこめて)、顔が見えない関係だからこそ、出来る限り優しく伝える努力はしたほうがいいだろうなとは思っています。
どんな相手のための言葉も、相手を傷つけすぎて、相手が自分の心を守ろうとして殻を閉ざしてしまったら結局は届かない。傷つけただけになってしまいますから。
- 堀田真裏
- 2022年 05月06日 00時01分
[一言]
なろうにおいては作者を一番潰してるのはある意味褒めの感想ですけどね。素人として褒められてランキング載ったら書籍化されていきなりプロの戦場に放り出されて当然ズタボロに。出版社は最初から使い捨て前提だから補助してくれないしプロの戦場だから褒めの言葉もなぐさめもほとんど無し。売上という残酷な数字を叩きつけられて折れて投稿停止というのは今めちゃくちゃ多いですね。ランキングの移り変わりがまさにこれ。割と冗談抜きでなろう内での感想が今までの編集がしてきた褒めと酷評どちらもやる必要があるとは思ってる。限度はありますけどね
なろうにおいては作者を一番潰してるのはある意味褒めの感想ですけどね。素人として褒められてランキング載ったら書籍化されていきなりプロの戦場に放り出されて当然ズタボロに。出版社は最初から使い捨て前提だから補助してくれないしプロの戦場だから褒めの言葉もなぐさめもほとんど無し。売上という残酷な数字を叩きつけられて折れて投稿停止というのは今めちゃくちゃ多いですね。ランキングの移り変わりがまさにこれ。割と冗談抜きでなろう内での感想が今までの編集がしてきた褒めと酷評どちらもやる必要があるとは思ってる。限度はありますけどね
感想ありがとうございます。
編集がやっていた、ブラシュアップするための褒めと批判を、なろうの感想が担うという考えは面白いなと感じました。
書籍化される可能性が見込まれるポイント数を獲得している作品で、いくつかの賞に応募している作品に、“プロになってから叩かれて潰されないために批判耐性をつけてほしくて”と一筆沿えた上で、適切な批評をするのならいいかもしれませんね。
(あくまでも、現実味を帯びてからでいいと思いますし、プロになってから潰されないために耐性をつけてほしいという意図が伝わる表現をすること。適切であることは前提だと思います。でないと、受け手にとってはただのこき下ろしと判別がつかないと思います)
使い捨てが前提、というのは、ある面では事実かもしれませんが、ちょっと不安を刺激することで強烈な印象づけを狙ったような表現かなぁという気がしました。
需要に対して供給が多いのです。替えはいくらでもいる。そして、出版社側は利益が出せるからその出版社から書籍として売り出すのです。思うように売れなければ、損益ですから、その先はないとするのは致し方ないこと。
“使い捨てが前提”というのは、なんだか少し前に読んだマンガにそういう表現があったなぁと思い出しました。広告と無料版しか読んでいません(タイトル失念しました)が、漫画家を応援するために不倫までしてネタを提供する担当者と漫画家のことを話にした青年向け漫画でした。
――私自身は、それなりの年齢ですし、社会というものの厳しさ――というよりも、なぜ厳しいのか、背景も含めて(そりゃそうだよな)と思っていますし、若干、違和感を感じてしまい――無料版と試し読みだけでもういいかな、とやめてしまいましたが。
ともあれ、個人的には「本として出せなくなっても、このご時世、小説そのものを書き続けて発表する場所はあるでしょう」と思うんですよね。
その人が本を出すことや、それで稼いでいくことだけに価値を見いだすなら、絶望するのかもしれませんが、作品作りに喜びを見いだすことが出来るなら、仕事は別に探して、趣味は趣味として書き続けて行けばいい
と――私は思うんですよね。
世間に揉まれて、ある意味では社会の厳しさも当然のものとして流せるほど、タフになってるから、というのもあるのかもしれません。
ともかく、なろうから消えて行くのは、「権利」の帰属先を○○出版社に……という前置きをたてに、「なろうから消してほしい」というような要請をされたのかもしれないな……と思ってしまいます。
なろうに先が載っていたら、そっち読んじゃいますよね。そちらに読者が流れれば、そのぶん書籍もコミックも売りあげが落ちるわけですから。出版社としては、そうしてほしい――圧力はあるだろうなと思いますから。
出版社サイド⏩担当者に圧力がかかり、担当者によっては、我が身かわいさもあり(そりゃあ、彼らも雇用されている、立場の弱い労働者ですから――)
だから、強く出れる相手には強く要請するかもしれない。売るために必要だから、とか。みんなそうしているとか、そういうことがあっても不思議じゃないなと思っています。
作者目線にたてば、振り回されたあげく、それでも売り上げが伸びなければ作品まで出版打ちきりとなり、
使い捨てられたとズタズタになってしまう人も出てしまうかもしれませんね。そして、権利も譲り渡してしまった――と絶望したまま、筆を折るのかも
(たぶん、無視して書けばいいと思いますよ――。その契約がどこまで有効かも疑問挟む余地があります。
(契約すれば、なんでも有効だと認められるわけではありません。少なくとも法律実務上は、現実として妥当な結論に収まるように処理されるはずです。
その作品をもって他の出版社で売り出しますとなると色々問題が出てくる可能性もありますが、個人で発表する場合まで言われないと思います。少なくとも打ち切った作品について、裁判とか起こさないでしょう。ただじゃないし手間もかかるしリスクもあるんですから。)
―――
ともあれ、現実はそういうものでしょう、と最初から頭にあれば少しは違うのでしょうが。
社会経験が浅い段階でその道に入ってしまうと、自分ごと棄てられたような気持ちになるのかもしれませんね。
もし、そういったことを心配されるというなら、
作品を酷評するよりも、社会の厳しさそのものを伝えてあげるのがより親切なのかなと個人的には思います。
(その上で、気になった具体的なことがらを、優しい言葉で伝えたほうが適切に伝わるのでは)
なぜ私がこんなことを書くのか――それは
うまい作品ほど売れているようにも、私には思えないからです。
明らかに成功している作品でも、個人的には「うーん……まあ面白いとは思うけど(ワカラナイ)」と思ってしまうこともありますし、逆もあります。
もちろん、私の感覚が正しいというわけでもないでしょう。感じかたは人それぞれ。そして、ストーリーや文章の出来不出来以上に、運の要素がかなり大きい気がするんですよ。
なろう小説はまだしも、マンガなどでは、ストーリーが破綻しているのに連載勝ち取っているものもたまにありますよね。あるいは後付け設定のオンパレードだったり。そこまではないにしても、
コミカライズされた場合、絵がよくて、小説内容をじょうずに表現してもらえたら――たぶん、それだけで売り上げには圧倒的に有利になると思うんです。その漫画がまた呼び水になる。
それこそヒロインが可愛いとかヒーローがかっこいいと思わせられたらそれだけで強力な宣伝効果が発生すると思います。絵が魅力的なら、本を手に取ろうとする人は物理的に増えるでしょう。
もちろんそれだけではダメでしょうが――でもそれは、必ずしも、作者の執筆能力の問題とは言えない気がするんですよね――
編集がやっていた、ブラシュアップするための褒めと批判を、なろうの感想が担うという考えは面白いなと感じました。
書籍化される可能性が見込まれるポイント数を獲得している作品で、いくつかの賞に応募している作品に、“プロになってから叩かれて潰されないために批判耐性をつけてほしくて”と一筆沿えた上で、適切な批評をするのならいいかもしれませんね。
(あくまでも、現実味を帯びてからでいいと思いますし、プロになってから潰されないために耐性をつけてほしいという意図が伝わる表現をすること。適切であることは前提だと思います。でないと、受け手にとってはただのこき下ろしと判別がつかないと思います)
使い捨てが前提、というのは、ある面では事実かもしれませんが、ちょっと不安を刺激することで強烈な印象づけを狙ったような表現かなぁという気がしました。
需要に対して供給が多いのです。替えはいくらでもいる。そして、出版社側は利益が出せるからその出版社から書籍として売り出すのです。思うように売れなければ、損益ですから、その先はないとするのは致し方ないこと。
“使い捨てが前提”というのは、なんだか少し前に読んだマンガにそういう表現があったなぁと思い出しました。広告と無料版しか読んでいません(タイトル失念しました)が、漫画家を応援するために不倫までしてネタを提供する担当者と漫画家のことを話にした青年向け漫画でした。
――私自身は、それなりの年齢ですし、社会というものの厳しさ――というよりも、なぜ厳しいのか、背景も含めて(そりゃそうだよな)と思っていますし、若干、違和感を感じてしまい――無料版と試し読みだけでもういいかな、とやめてしまいましたが。
ともあれ、個人的には「本として出せなくなっても、このご時世、小説そのものを書き続けて発表する場所はあるでしょう」と思うんですよね。
その人が本を出すことや、それで稼いでいくことだけに価値を見いだすなら、絶望するのかもしれませんが、作品作りに喜びを見いだすことが出来るなら、仕事は別に探して、趣味は趣味として書き続けて行けばいい
と――私は思うんですよね。
世間に揉まれて、ある意味では社会の厳しさも当然のものとして流せるほど、タフになってるから、というのもあるのかもしれません。
ともかく、なろうから消えて行くのは、「権利」の帰属先を○○出版社に……という前置きをたてに、「なろうから消してほしい」というような要請をされたのかもしれないな……と思ってしまいます。
なろうに先が載っていたら、そっち読んじゃいますよね。そちらに読者が流れれば、そのぶん書籍もコミックも売りあげが落ちるわけですから。出版社としては、そうしてほしい――圧力はあるだろうなと思いますから。
出版社サイド⏩担当者に圧力がかかり、担当者によっては、我が身かわいさもあり(そりゃあ、彼らも雇用されている、立場の弱い労働者ですから――)
だから、強く出れる相手には強く要請するかもしれない。売るために必要だから、とか。みんなそうしているとか、そういうことがあっても不思議じゃないなと思っています。
作者目線にたてば、振り回されたあげく、それでも売り上げが伸びなければ作品まで出版打ちきりとなり、
使い捨てられたとズタズタになってしまう人も出てしまうかもしれませんね。そして、権利も譲り渡してしまった――と絶望したまま、筆を折るのかも
(たぶん、無視して書けばいいと思いますよ――。その契約がどこまで有効かも疑問挟む余地があります。
(契約すれば、なんでも有効だと認められるわけではありません。少なくとも法律実務上は、現実として妥当な結論に収まるように処理されるはずです。
その作品をもって他の出版社で売り出しますとなると色々問題が出てくる可能性もありますが、個人で発表する場合まで言われないと思います。少なくとも打ち切った作品について、裁判とか起こさないでしょう。ただじゃないし手間もかかるしリスクもあるんですから。)
―――
ともあれ、現実はそういうものでしょう、と最初から頭にあれば少しは違うのでしょうが。
社会経験が浅い段階でその道に入ってしまうと、自分ごと棄てられたような気持ちになるのかもしれませんね。
もし、そういったことを心配されるというなら、
作品を酷評するよりも、社会の厳しさそのものを伝えてあげるのがより親切なのかなと個人的には思います。
(その上で、気になった具体的なことがらを、優しい言葉で伝えたほうが適切に伝わるのでは)
なぜ私がこんなことを書くのか――それは
うまい作品ほど売れているようにも、私には思えないからです。
明らかに成功している作品でも、個人的には「うーん……まあ面白いとは思うけど(ワカラナイ)」と思ってしまうこともありますし、逆もあります。
もちろん、私の感覚が正しいというわけでもないでしょう。感じかたは人それぞれ。そして、ストーリーや文章の出来不出来以上に、運の要素がかなり大きい気がするんですよ。
なろう小説はまだしも、マンガなどでは、ストーリーが破綻しているのに連載勝ち取っているものもたまにありますよね。あるいは後付け設定のオンパレードだったり。そこまではないにしても、
コミカライズされた場合、絵がよくて、小説内容をじょうずに表現してもらえたら――たぶん、それだけで売り上げには圧倒的に有利になると思うんです。その漫画がまた呼び水になる。
それこそヒロインが可愛いとかヒーローがかっこいいと思わせられたらそれだけで強力な宣伝効果が発生すると思います。絵が魅力的なら、本を手に取ろうとする人は物理的に増えるでしょう。
もちろんそれだけではダメでしょうが――でもそれは、必ずしも、作者の執筆能力の問題とは言えない気がするんですよね――
- 堀田真裏
- 2022年 05月05日 22時51分
[良い点]
……美しいですね。……何度もお言葉読み返しました。
[一言]
……個人的に、……本当に個人的な欲求を……どなたか教育者の方に……訴える機会が生まれたなら、是非言いたい言葉があり……作者様のお言葉、私が昔出会いたかった教える方の心に思えて嬉しくてたまらなくなったので……、作者様はそういった方ではないと理解しつつも、聞いて頂けるでしょうか……?
**
……私個人的には、教育とは、『引く教育が一番よいと思考しています』
……寄り添うというよりも、……拒否をしないのに、べったりと張り付きもしない、まるで、ジャズのような関係性です ……その状態こそが、……憧れを加速させる……と思考し続けてきました。
(……昨夜そのイメージにぴったりの雰囲気のジェイコブさんのピアノを見つけたので……、もし宜しければ雰囲気はこんな感じとクッキーをつまむ感覚で聴いて頂ければ……)
#ストリートピアノ #超絶技巧ジャズ #ピンクパンサー
【ストリートピアノ】ピンク色のピアノで「ピンク・パンサー(超絶技巧ジャズ」を弾いたら、道の駅が大喝采になった!by Jacob Koller
https://youtu.be/U3qEXJJSrRc
……そう、……私個人的には、……教育も、恋愛の関係性と非常に似通っている……と思考しています。
追いかけたくなる存在というのは、……近すぎては生まれない……と考えるから です ね
……けれど、離れすぎてしまえば、それを追いかけることそのものを諦めてしまう。……だからこそ、もう諦めそうになった時に初めてそっと手を差し伸べて頂けると最高ですね。……そういった無意識下での関心の心配りや言語外の対話って、……ひどく温かいから、言葉を必要としなかったりもする。
……興味関心は完全に失われてはいないけれども、自由に表現をさせてくださり、危ない時には寄り添って下さる そういった安心を提供する関係性は、必要だと……私個人的には思います。……理想論と切り捨てられればそれまでのお話ですけれ ど……
**
……自立した個と個で信頼関係が結ばれていれば、自然と生まれる関係性なのかもしれず、……それを、教育する側とそれを享受する側で当て嵌めること自体おかしなお話かし ら……?……けれど、私は、その形が理想に思えてならないです。
**
……長々とあまり面白くもないお話を 申し訳御座いません。
返信は気になさらないで下さいませ。
**
……失礼致します。
……美しいですね。……何度もお言葉読み返しました。
[一言]
……個人的に、……本当に個人的な欲求を……どなたか教育者の方に……訴える機会が生まれたなら、是非言いたい言葉があり……作者様のお言葉、私が昔出会いたかった教える方の心に思えて嬉しくてたまらなくなったので……、作者様はそういった方ではないと理解しつつも、聞いて頂けるでしょうか……?
**
……私個人的には、教育とは、『引く教育が一番よいと思考しています』
……寄り添うというよりも、……拒否をしないのに、べったりと張り付きもしない、まるで、ジャズのような関係性です ……その状態こそが、……憧れを加速させる……と思考し続けてきました。
(……昨夜そのイメージにぴったりの雰囲気のジェイコブさんのピアノを見つけたので……、もし宜しければ雰囲気はこんな感じとクッキーをつまむ感覚で聴いて頂ければ……)
#ストリートピアノ #超絶技巧ジャズ #ピンクパンサー
【ストリートピアノ】ピンク色のピアノで「ピンク・パンサー(超絶技巧ジャズ」を弾いたら、道の駅が大喝采になった!by Jacob Koller
https://youtu.be/U3qEXJJSrRc
……そう、……私個人的には、……教育も、恋愛の関係性と非常に似通っている……と思考しています。
追いかけたくなる存在というのは、……近すぎては生まれない……と考えるから です ね
……けれど、離れすぎてしまえば、それを追いかけることそのものを諦めてしまう。……だからこそ、もう諦めそうになった時に初めてそっと手を差し伸べて頂けると最高ですね。……そういった無意識下での関心の心配りや言語外の対話って、……ひどく温かいから、言葉を必要としなかったりもする。
……興味関心は完全に失われてはいないけれども、自由に表現をさせてくださり、危ない時には寄り添って下さる そういった安心を提供する関係性は、必要だと……私個人的には思います。……理想論と切り捨てられればそれまでのお話ですけれ ど……
**
……自立した個と個で信頼関係が結ばれていれば、自然と生まれる関係性なのかもしれず、……それを、教育する側とそれを享受する側で当て嵌めること自体おかしなお話かし ら……?……けれど、私は、その形が理想に思えてならないです。
**
……長々とあまり面白くもないお話を 申し訳御座いません。
返信は気になさらないで下さいませ。
**
……失礼致します。
感想ありがとうございます。
感性で言葉を紡がれたお話は、この世に1つのものだなと特別感があり嬉しくなりました。
私本人の性格的な問題で、語り口が俗っぽいものになってしまうのはご容赦ください。ピアノは動画検索して聴いてみますね!
教員は立場上、全体を見なければならないのですよね。そうなると、特に個別の配慮が必要なかたへの対応が薄くなるか、全体が滞るか、になりやすいと思うんです。勉強1つとっても、理解度合いもバラバラなのに、どこかに合わせて進めるしかないんですよね。
私が無理だと感じてしまったのは、この辺りもあるんです。両親が教員でその話を聞きながら――なまじ、見えてしまうからこそ、自分には手に負えない気がしてしまったのですね。
もしかしたら、そんな私だからこそ、救えた才能もあったのかもしれないなという気持ちもあるのですが――(私は、“飲み込みに時間がかかり、ある時点までは成長がゆっくり。でもその人のなかに設計図のようにパターンが出来上がれば、羽根が生えたかのように急激に成長できることもある。”そんなパターンがあることを知っていますし。 競争での序列ばかりで、できるできないを決めつけてはならないという程度のことは知っていたので。)
繊細な感性をお持ちのかた、その神経が過剰に刺激されないように少しだけ離れた場所から見守りながら、必要なとき手を差しのべたり、あるいはヒントになりそうなことを伝えたり。自信回復できるように計らったり――。損をしているようならば、間を取り持ったり。
そういう援助をすることで、金の卵がすくすく育つことはあるだろうな、と思っています。
音楽については、申し訳ありませんが、私は詳しくないのです。たとえば絵について、ここはこういう色で塗らなければおかしいというような人は、たぶん、絵の指導に向いていないことはわかります。
美大の受験指導についてはどうか知りません。
それが「試験」として「採点する」ものである以上、ある程度、はっきりとした評価基準はあるでしょうね。
でも、芸術という枠組みのなかでは、真の正解というのは――たぶん、どこにもないと思うんですよね。
あるいは、それぞれの扉の向こうに、無限に世界が開けて果てしなく続いていくように、その人だからこそ追求できるものがあるのかもしれない、とも思うのです。
その人のなかに、とりわけ特別な世界があるなら、なおのこと、それは伸ばして、その人だからこそできる表現を認めてより良いものにしていけたら、と――
私は思うほうです。巨匠と呼ばれるようなかたにこういったかたは少なくないように思えますし。
より良いものにするために、こういうやり方はどうかと、違う案を呈示することはいいと思うんですよね。
それでも、決めるのは本人だし、その人が感じたことを大切にしてほしい。
型にはめた批判は、ほんとうのその人らしさや、感性を否定してしまうような気がします。優しい天才気質は大事に育てないと、と。
競争に揉まれるのには向いていないタイプもいるように私には思えるから。
私みたいにカチンときたら、理屈っぽく言い返せるタイプなら、まぁあんまり問題ないんですけどね~(苦笑) 深く傷つけられるタイプが言われていたら、腹立ってきて、やり返したくなってしまいますね(笑)
感性で言葉を紡がれたお話は、この世に1つのものだなと特別感があり嬉しくなりました。
私本人の性格的な問題で、語り口が俗っぽいものになってしまうのはご容赦ください。ピアノは動画検索して聴いてみますね!
教員は立場上、全体を見なければならないのですよね。そうなると、特に個別の配慮が必要なかたへの対応が薄くなるか、全体が滞るか、になりやすいと思うんです。勉強1つとっても、理解度合いもバラバラなのに、どこかに合わせて進めるしかないんですよね。
私が無理だと感じてしまったのは、この辺りもあるんです。両親が教員でその話を聞きながら――なまじ、見えてしまうからこそ、自分には手に負えない気がしてしまったのですね。
もしかしたら、そんな私だからこそ、救えた才能もあったのかもしれないなという気持ちもあるのですが――(私は、“飲み込みに時間がかかり、ある時点までは成長がゆっくり。でもその人のなかに設計図のようにパターンが出来上がれば、羽根が生えたかのように急激に成長できることもある。”そんなパターンがあることを知っていますし。 競争での序列ばかりで、できるできないを決めつけてはならないという程度のことは知っていたので。)
繊細な感性をお持ちのかた、その神経が過剰に刺激されないように少しだけ離れた場所から見守りながら、必要なとき手を差しのべたり、あるいはヒントになりそうなことを伝えたり。自信回復できるように計らったり――。損をしているようならば、間を取り持ったり。
そういう援助をすることで、金の卵がすくすく育つことはあるだろうな、と思っています。
音楽については、申し訳ありませんが、私は詳しくないのです。たとえば絵について、ここはこういう色で塗らなければおかしいというような人は、たぶん、絵の指導に向いていないことはわかります。
美大の受験指導についてはどうか知りません。
それが「試験」として「採点する」ものである以上、ある程度、はっきりとした評価基準はあるでしょうね。
でも、芸術という枠組みのなかでは、真の正解というのは――たぶん、どこにもないと思うんですよね。
あるいは、それぞれの扉の向こうに、無限に世界が開けて果てしなく続いていくように、その人だからこそ追求できるものがあるのかもしれない、とも思うのです。
その人のなかに、とりわけ特別な世界があるなら、なおのこと、それは伸ばして、その人だからこそできる表現を認めてより良いものにしていけたら、と――
私は思うほうです。巨匠と呼ばれるようなかたにこういったかたは少なくないように思えますし。
より良いものにするために、こういうやり方はどうかと、違う案を呈示することはいいと思うんですよね。
それでも、決めるのは本人だし、その人が感じたことを大切にしてほしい。
型にはめた批判は、ほんとうのその人らしさや、感性を否定してしまうような気がします。優しい天才気質は大事に育てないと、と。
競争に揉まれるのには向いていないタイプもいるように私には思えるから。
私みたいにカチンときたら、理屈っぽく言い返せるタイプなら、まぁあんまり問題ないんですけどね~(苦笑) 深く傷つけられるタイプが言われていたら、腹立ってきて、やり返したくなってしまいますね(笑)
- 堀田真裏
- 2022年 05月05日 20時37分
[良い点]
自分も同感です!
自分も同感です!
感想ありがとうございます。
私のエッセイに批判的――酷評も必要だというご意見と、七生様はじめエッセイを肯定されるご意見を拝読していて、感じるのは――
視点の違いです。
もっとも、シンプルに内面的なことや楽しみを応援するという観点では、ディスることにメリットはないでしょうから当然と言えば当然なのでしょうが。
批判的なご意見のかた(ディスることに意義を感じる派というべきでしょうか)は、“商業作品として出して成功すること”をかなり重視している傾向が強く
私を含め、ディスることを疑問視するかたは、
“いや、そもそも相手の心を折ったら元も子もないでしょう”
“書く楽しみを奪ってどうするの”
と、商業作品として軌道に乗るかどうかよりも、表現する喜びや、作品作りへの意欲など、内面性にウェイトを置いている傾向が強い気がします。あるいは未来への可能性など――物質的なことよりも精神的なことにより重きを置いている気がします。
ここには、それぞれのかたが、何に最も関心があるのかが関係しているような気もします。
アーティストでもそうですよね。
「売れなきゃ意味がないじゃない!」という人。
「自分が好きな音楽を捨てたら意味がないじゃない」という人。
「まあまあ、みんなで仲良く音楽をやっていこうよ。」と和を大事にしたい人。
それは誰だって、自分が好きな音楽で成功したいだろうし、気の合う仲間とうまくやっていきたいのだろうけど、大事にするもののウェイトは、たぶん個人差が大きいでしょう。
是非はともかく、ディスるにしても、誰に対してでも同じようにしているなら、まだ分かるんですよ。でも、明らかに――それは自分にとってよい関係を保ちたい相手には絶対に言わないよね?
というような発言をするのは、どんなに言い訳を尽くしても、正当化できない気はしています。
批判をしてはならないというわけではなくて、
本気で相手を思うなら、むやみに傷つけず、自信をへし折らないように言葉を選ぶ配慮は必要だと言っているだけですし……
私のエッセイに批判的――酷評も必要だというご意見と、七生様はじめエッセイを肯定されるご意見を拝読していて、感じるのは――
視点の違いです。
もっとも、シンプルに内面的なことや楽しみを応援するという観点では、ディスることにメリットはないでしょうから当然と言えば当然なのでしょうが。
批判的なご意見のかた(ディスることに意義を感じる派というべきでしょうか)は、“商業作品として出して成功すること”をかなり重視している傾向が強く
私を含め、ディスることを疑問視するかたは、
“いや、そもそも相手の心を折ったら元も子もないでしょう”
“書く楽しみを奪ってどうするの”
と、商業作品として軌道に乗るかどうかよりも、表現する喜びや、作品作りへの意欲など、内面性にウェイトを置いている傾向が強い気がします。あるいは未来への可能性など――物質的なことよりも精神的なことにより重きを置いている気がします。
ここには、それぞれのかたが、何に最も関心があるのかが関係しているような気もします。
アーティストでもそうですよね。
「売れなきゃ意味がないじゃない!」という人。
「自分が好きな音楽を捨てたら意味がないじゃない」という人。
「まあまあ、みんなで仲良く音楽をやっていこうよ。」と和を大事にしたい人。
それは誰だって、自分が好きな音楽で成功したいだろうし、気の合う仲間とうまくやっていきたいのだろうけど、大事にするもののウェイトは、たぶん個人差が大きいでしょう。
是非はともかく、ディスるにしても、誰に対してでも同じようにしているなら、まだ分かるんですよ。でも、明らかに――それは自分にとってよい関係を保ちたい相手には絶対に言わないよね?
というような発言をするのは、どんなに言い訳を尽くしても、正当化できない気はしています。
批判をしてはならないというわけではなくて、
本気で相手を思うなら、むやみに傷つけず、自信をへし折らないように言葉を選ぶ配慮は必要だと言っているだけですし……
- 堀田真裏
- 2022年 05月05日 19時57分
[一言]
>>その批評をする人が「その作品を書籍化するかどうかを左右するような立場の人物」ならば、確かに酷評も有益な場合はあるかもしれないが、実際はそうではないだろう。
私の恥の話になりますけど
昔、ここでイラストとか描いてたことがありまして、
それを某所にてこきおろされ(しかも匿名で)
ひでーと泣いてたことがありました
しかしながらその事を専門家の娘に言ったら
こき下ろされた以上のことを言われまして( ̄∇ ̄;)
つまり
「自信があるのに素人から貶された」と泣いていたら
専門家からそれ以上にこき下ろされたってことです。
泣いたなんてもんじゃない。
しばらくボーゼンとなりましたよ
しかも娘からは
今まで描いたのはゴミとまで言われ
今までやって来たことはすべて忘れようかとまで。
これが、私が、専門家とやらから受けたアドバイスです( ̄∇ ̄;)
>>その批評をする人が「その作品を書籍化するかどうかを左右するような立場の人物」ならば、確かに酷評も有益な場合はあるかもしれないが、実際はそうではないだろう。
私の恥の話になりますけど
昔、ここでイラストとか描いてたことがありまして、
それを某所にてこきおろされ(しかも匿名で)
ひでーと泣いてたことがありました
しかしながらその事を専門家の娘に言ったら
こき下ろされた以上のことを言われまして( ̄∇ ̄;)
つまり
「自信があるのに素人から貶された」と泣いていたら
専門家からそれ以上にこき下ろされたってことです。
泣いたなんてもんじゃない。
しばらくボーゼンとなりましたよ
しかも娘からは
今まで描いたのはゴミとまで言われ
今までやって来たことはすべて忘れようかとまで。
これが、私が、専門家とやらから受けたアドバイスです( ̄∇ ̄;)
- 投稿者: 退会済み
- 2022年 05月04日 14時53分
管理
感想ありがとうございます。
私がお伝えしているのは、それを生業としている職業小説家のかたに酷評されるかということではなく、
“書籍化するか否かを左右する立場の人間”ということです。あくまでも、「書籍化できるのか」と望んでいることが前提でもありますが、
この話を挟んだことで、かえって余計な論点が増えたかな?混乱させてしまったかもしれませんね。申し訳ありません。
(まあ現実に、国語便覧に載っているような俳人のなかにはそれまでのその界隈のセオリーを全部ひっくり返すような独自路線で出し、けれども大手出版社のトップにいたく気に入られた結果、ブームになるまでになり、結果的にその作風は世論に押される形で認められてしまった!というケースまであるようですので、判断基準評価基準というのも、実際には曖昧なのかなと思っています)
もちろん、プロとして活動されているかたは、それが商業ラインに乗れるだけのレベルに達しているか否かを見極める目は、素人よりも確かでしょうし、それは役立つ面もあるでしょうが――
いずれにせよ、それは、「私の作品は、プロとして通用するでしょうか。厳しいご意見もください!」と頼まれた段階で答えれば良いことではないでしょうか。
それをわざわざ書き込む、伝えるのは何になるのか理解に苦しい面はあります。
まあ、顔が見える関係、しかも肉親という特殊な立ち位置のかたからかけられる言葉と、
見ず知らずの誰かもわからない相手からかけられる言葉というのでは、やはり比較するには前提条件が、ずいぶん異なりますから、お話をどう受けとめれば良いのかは判断に苦しい面があるのですが……
もし、「素人に酷評されるといっても、プロに言わせたらもっと酷いこと言われるはずなのだから、」
⏩そこまで酷いことでもないし、現実を知ればいいんじゃないの?
という意味で書き込まれたのであれば、それは少し違うかなとは思います。
批判をしてはいけないとは思っていません。相手のためを思うなら、むやみに傷つけないよう言葉を選ぶ、自信をへし折らない、相手が楽しみにしている場所でわざわざ傷つけることをしない、そういう気遣いは大事ではないかとお伝えしているのです。
相手によってはほんとうに傷つきますし、必要ないと思うんですよね……
(私自身はけっこう、やられるとカチンときて、“この野郎覚えていろよ……”と、燃えるほうですけどね(笑))
私がお伝えしているのは、それを生業としている職業小説家のかたに酷評されるかということではなく、
“書籍化するか否かを左右する立場の人間”ということです。あくまでも、「書籍化できるのか」と望んでいることが前提でもありますが、
この話を挟んだことで、かえって余計な論点が増えたかな?混乱させてしまったかもしれませんね。申し訳ありません。
(まあ現実に、国語便覧に載っているような俳人のなかにはそれまでのその界隈のセオリーを全部ひっくり返すような独自路線で出し、けれども大手出版社のトップにいたく気に入られた結果、ブームになるまでになり、結果的にその作風は世論に押される形で認められてしまった!というケースまであるようですので、判断基準評価基準というのも、実際には曖昧なのかなと思っています)
もちろん、プロとして活動されているかたは、それが商業ラインに乗れるだけのレベルに達しているか否かを見極める目は、素人よりも確かでしょうし、それは役立つ面もあるでしょうが――
いずれにせよ、それは、「私の作品は、プロとして通用するでしょうか。厳しいご意見もください!」と頼まれた段階で答えれば良いことではないでしょうか。
それをわざわざ書き込む、伝えるのは何になるのか理解に苦しい面はあります。
まあ、顔が見える関係、しかも肉親という特殊な立ち位置のかたからかけられる言葉と、
見ず知らずの誰かもわからない相手からかけられる言葉というのでは、やはり比較するには前提条件が、ずいぶん異なりますから、お話をどう受けとめれば良いのかは判断に苦しい面があるのですが……
もし、「素人に酷評されるといっても、プロに言わせたらもっと酷いこと言われるはずなのだから、」
⏩そこまで酷いことでもないし、現実を知ればいいんじゃないの?
という意味で書き込まれたのであれば、それは少し違うかなとは思います。
批判をしてはいけないとは思っていません。相手のためを思うなら、むやみに傷つけないよう言葉を選ぶ、自信をへし折らない、相手が楽しみにしている場所でわざわざ傷つけることをしない、そういう気遣いは大事ではないかとお伝えしているのです。
相手によってはほんとうに傷つきますし、必要ないと思うんですよね……
(私自身はけっこう、やられるとカチンときて、“この野郎覚えていろよ……”と、燃えるほうですけどね(笑))
- 堀田真裏
- 2022年 05月04日 20時02分
[良い点]
私はめちゃめちゃ辛辣なコミュニティーの中で詩を勉強して来ました。
それこそ『クソだな』『やめちまえ』『超駄作』『こういう書き方をするのは詩人ではない』等、その一言に具体的な指摘を加えたものをさんざん浴びて来ました。
そんな中で『なんだとコノヤロー!』とやって来たことで、結構自信がついたようには思っています。
ただ、元々バカなんで、バカがましなバカになった程度ですが(^o^;
むしろ小学生の時、あまりにバカなのを母が心配して児童相談所に私を連れて行ったら、何やら「この子は天才ですよ、お母さん」と言われたらしくて(注:うちの母には虚言癖あり)、
その『天才』という言葉を鵜呑みにして、私はそれからしばらくまったく努力をしなくなり、ずんずんとドロップアウトして行きました。
要は褒められて伸びる子もいれば、叩かれて伸びる子もいる、みたいな?
ドSな子もいればドMな子もいる、みたいな?
人それぞれだと私は思っています。
私はめちゃめちゃ辛辣なコミュニティーの中で詩を勉強して来ました。
それこそ『クソだな』『やめちまえ』『超駄作』『こういう書き方をするのは詩人ではない』等、その一言に具体的な指摘を加えたものをさんざん浴びて来ました。
そんな中で『なんだとコノヤロー!』とやって来たことで、結構自信がついたようには思っています。
ただ、元々バカなんで、バカがましなバカになった程度ですが(^o^;
むしろ小学生の時、あまりにバカなのを母が心配して児童相談所に私を連れて行ったら、何やら「この子は天才ですよ、お母さん」と言われたらしくて(注:うちの母には虚言癖あり)、
その『天才』という言葉を鵜呑みにして、私はそれからしばらくまったく努力をしなくなり、ずんずんとドロップアウトして行きました。
要は褒められて伸びる子もいれば、叩かれて伸びる子もいる、みたいな?
ドSな子もいればドMな子もいる、みたいな?
人それぞれだと私は思っています。
感想ありがとうございます。
申し訳ありません、育たれた環境であったり、ご経験や、コミュニティの状況がわからないので――どのように受けとめるのが適切なのか、判断できずにいます。
ひとつ言えることがあるとすれば、あえて誉める必要はないとしても、貶されたととられる批判的な書き込みには注意をしたほうが、多くの場合無難だろうということです。
天狗になって大成しなくなるかどうかは、もう放っておくしかないと思います。ただ、人の不安を助長して苦しめるリスクに関しては、避けるべき。
辛辣な言葉を投げ掛けられて、反骨精神で立ち上がれる人間ばかりではありません。私の社会経験は豊かというほどではありませんが、それなりの年齢ですから、それなりの人と接してきています。
大学や職場も複数経験しています。
そうして見てきた限り、どちらかと言えば、そういうタフなかたは少数派です。
相手の顔が見えない状況です。少なくとも、「厳しくしないせいで相手が大成しないかもしれない」ことよりも、「相手を傷つけ、落ち込ませる、未来の芽を摘むかもしれない」ことを配慮するほうが優先度合いは高い。
社会的にみても、むやみに辛辣な言葉を伝えることは妥当とは言いがたい、と私は考えています。
申し訳ありません、育たれた環境であったり、ご経験や、コミュニティの状況がわからないので――どのように受けとめるのが適切なのか、判断できずにいます。
ひとつ言えることがあるとすれば、あえて誉める必要はないとしても、貶されたととられる批判的な書き込みには注意をしたほうが、多くの場合無難だろうということです。
天狗になって大成しなくなるかどうかは、もう放っておくしかないと思います。ただ、人の不安を助長して苦しめるリスクに関しては、避けるべき。
辛辣な言葉を投げ掛けられて、反骨精神で立ち上がれる人間ばかりではありません。私の社会経験は豊かというほどではありませんが、それなりの年齢ですから、それなりの人と接してきています。
大学や職場も複数経験しています。
そうして見てきた限り、どちらかと言えば、そういうタフなかたは少数派です。
相手の顔が見えない状況です。少なくとも、「厳しくしないせいで相手が大成しないかもしれない」ことよりも、「相手を傷つけ、落ち込ませる、未来の芽を摘むかもしれない」ことを配慮するほうが優先度合いは高い。
社会的にみても、むやみに辛辣な言葉を伝えることは妥当とは言いがたい、と私は考えています。
- 堀田真裏
- 2022年 05月04日 19時19分
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