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[一言]
使われている漢字の意味的に言うと、おっしゃる通り、
『了解』は『言われたことを理解して受け入れ(了)たよ』で『承知』は『知ったよ。話を聞いたよ(『その話、知り申した』の単語化)』止まりなわけです。同じように使えるけど、その根幹やアプローチの仕方は全く異なる言葉。

例でおっしゃってるように「上司はこの話承知してないぞ」は「いやそもそもこの話を聞いてるかどうかすら分かんねぇ」ってニュアンスですし、「これを承知しろ」と上司に言われた場合は、理解しろって意味だけど、そもそも「(法律と建前とかで強制したり明示できないけど、わざわざ上役である俺が言った意味は分かってるよな?)」って括弧書きが隠れてますよね。だから、実際の場面だと「承知しろ(裏の意味も読み取れてるよな?)」→「了解しました(言葉の裏も含めて受け入れますよ)」って流れが本来正しいと思うんですよね(逆に「承知しました」は「承知したけど受け入れた(それを守る)とは言ってない」と主人公がやらかす展開になりやすい)。

maybeとperhapsの違いに近いですかね?
canを入れたいけど「1構文中に助動詞は一つだけ」って制約からbe able toを使うけど、canとbe able to は本来全く違う意味です」とか。

多分、承知の助が死語で、若者言葉で了解をさらに略した「りょ」だけで使われるから、「了解」の言葉の軽薄化はすすんでるんでしょうが(そして〇〇屋のように、言葉狩りの対象になる)
 感想ありがとうございます。

 母国語を一旦、外国語に翻訳するとその理解が進むと夏目漱石が主張していた記憶があります。
 最近は居酒屋で「畏まり」と省略する傾向もありますからその内、「畏まりました」も軽薄とのレッテルが貼られるかもしれません。
 言葉狩りはイヤなものです。
[一言]
こちらを読んでふと思い立ち、岩波新漢語辞典(1996年第四刷。古本屋で昔買い、ほとんど使っていないのでキレイ)を引いたところ面白いことが分かりました。

了解は「相手の言い分を良しとして納得する」で昔は諒解。
諒解は「なるほどそうだと理解する」。

了と諒は違う漢字ですが、了の字義で諒の代わりに現代表記に用いられるのは「はっきりと分かる」。
諒の字義で現代表記で了とされるのは「もっともだと思う」で違うんですね。
了はどちらかと言えば客観的な状態を表し、諒は心情的な様態というか…、とにかくニュアンスが違うみたいです。

そして「承知」ですが、承は「相手の意を受け入れる」であり、解字では”「人」+左右の「手」+「手」。ひざまずいた人が両手をささげて、物を受け取る意。”とあるんですね。
「承知」の意味としては 
①聞いて知(ってい)る 「御――の通り」 ②聞き入れる。「――しました」
の2つで、受け身?というか謙譲の場合や相手に対してでも御を付ける場合は、丁寧な言い方かもしれません。

つまるところ、どちらも正しいけれど、使う場面が少し分かれるかも的な感じに思えます。

現代では漢字の意味自体が希薄化している(謎の上から目線)ので、普段の典型的な使う場面のイメージに引っ張られるのやもしれませぬ。

長文失礼しました。
 感想ありがとうございます。

 「諒」と「了」の字義は、「おもいやる」と「さとる」ですので、「諒解」の方が優しい雰囲気があります。
 なお「承知」を漢和辞典で調べますと、「聞き入れる」「納得する」との意味になりますので、随分と上から目線でした。
 いずれにしても曖昧な雰囲気を持つ「承知」を目上に対して用いるのは誤解を招くと思います。
[良い点]
とても面白かったです。理論的でなるほどぉとうなる所がありました。

私はそれでも、了解は軽薄に感じがちです。そう感じる人が多いうちは使いづらいかな。日本中が直ればよいのですが。
いずれにせよ、了解が敬語とは受け取られないが、敬語と思って使う人がいるという齟齬があるのが現状ではないでしょうか。敬語じゃなくていいはずですが。

私が多用するのは、分かりました、です。最もシンプルで誤解が少ないと思っています。

日本語は難しいですね。権威と市井や業界、組織ごとにぐちゃぐちゃなんでしょうね。
 感想ありがとうございます。

 日本語が乱れていると言われて久しいのですが、現在はインターネットを通じて集合知が発揮されて、誤りが訂正される速度も上がっていると感じます。
 その中で、いつまでも誤用がまかり通るのは不思議です。
 「分かりました」は確かに誤解も少ないですね。
 大切なことは正しく伝わることですから。
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