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[一言]
1pbって大きいように思うのですが… うちにあるHDDだけで多分150TBぐらいはあるので、まあ実現は可能な程度なんですよね… でも、これに100MB/sでデータ転送しようとすると、数か月もかかってしまう。
知識のトランスファーって、大変なんだなあ… と。
こんばんは!ご感想、ありがとうございます。


そうですね・・・人間の「脳データ」って、とんでもない容量だってことは分かってるんですが、愛猫家様もおっしゃっていましたように、むしろ問題なのは、これだけの大容量のデータを動かすためには、ものすごい計算速度のCPUが必要で・・・それこそ「富岳」「京(けい)」「セコイア」クラスのスーパー・コンピューターが必要なのではないか・・・なんて、素人の私は考えちゃいます。

ちなみにですね・・・「なろうサイト」で打ち込んでいます私の今のノートPCですが・・・HDD500GB、コアi3のウインドウズ7ホームエディッション、メーカーは「エイサー」です。2014年購入の、オンボロラップトップで日々戦っています(笑)。ときどき「フリーズ」もします。

そろそろ、クアッドコアのi7がほしいなぁ・・・。

では、「アニソンなど」に頂きましたレスに、このあと返信させていただきますね。 m(_ _)m

[良い点]
技術の進歩は留まるところを知りませんからどうなるんでしょうね。
何かそういう計画も無かったっけ?ただ、その先が何か怖かったりしますけど……

  • 投稿者: HOT-T
  • 2022年 06月28日 03時43分
こんばんは!いつもあたたかいご感想、ありがとうございます。


私も、技術革新の進歩の早さには、歓迎する一方、どこか「うすら寒い」感覚も覚えますね・・・。

映画「ターミネーター」シリーズじゃありませんが、「スカイネット」のようなコンピューター・システムに遠からぬ将来、人間社会が乗っ取られる時が来てしまうのではないか・・・そんな危機も、ないとはいえません。

AIの著しい進歩にも、警鐘を鳴らす専門家も少なからずいると聞きます。

常に眼を光らせていないと、気がついたときには「手遅れ」:という事態にもなりかねませんよね・・・。

『「AI画家」が描いた肖像画、4800万円超で落札』という記事をご覧ください。

・・・ついにここまで来てしまったか・・・という印象ですよね。

「すごい!」「素晴らしい!」という読者の方も多いと思いますが・・・私には、不気味に忍び寄る、「AIによる乗っ取り」という怖い未来が、ちらりと顔を出しはじめたかな・・・そんな感じでしたね。

「チェス」では、もう世界チャンピオンですら、AIには勝てなくなっていますし、将棋もそうなりつつあります。

AIの作曲した曲が、耳の肥えた音楽の専門家たちから絶賛されるというニュースも、HOT-T様も何度か耳にされたことと思います。

もう、すでに「手遅れ」なのかもしれません・・・。

でも、私たちには、技術革新の大波を止めるすべはありません。

おとなしく、受け入れていくしかないんでしょうか・・・?

未来のことは、残念ながら、まだ誰にも分かりませんもんね。

あ、長くなりましたが、エッセイをお読みくださって、うれしかったです。

また何か書きますので、よろしくお願いします。では・・・。

m(_ _)m
[良い点]
さて、これは別にエッセイにすべきかと悩みつつ、感想じゃない長文を書きますm(_ _)m

先ずは脳の記憶容量について、
私は専門家では無いので間違いかも知れませんが、この容量については賛否あったと思います。
簡単に言えばパソコンのドライブに空き容量がなければ動作が重くなるのの反対で、記憶容量と思われる大半は全身管理と精密動作、各種ホルモン管理、感情の制御といったことを行うための演算を高速化させるスペースではないかとの考えですね。
あとは記憶の劣化、凡そ100年が限界だと考えられていますね。

次にパーソナリティーとは何か。本人の肉体、本人の意志、そして記憶、これが揃って個人が決まるとして、外部に写した(移したではなく)記憶は、あくまでも投射された映像のようなものでしかない。
どれ程、精巧につくられたコピーも、本人とは言えませんからね。
脳をデバイスで繋ぎ、デジタル空間にそのデータをコピーしたとして、それが本人と呼べるのかは難しいですな。
ただ、そこら辺を書いた作品として、二瓶勉先生のブラムはお勧めです。

脳の記憶容量の大きさの議論は私が小学生の頃にとある宗教団体が、「永遠の命」の実現可能性と、だからこそ、「神は人間を永遠の生命体として創造された」という話から知りました。
そして、その話をあっさり上記のような説明で論破してくれたのは当時小学生5年の私の同級生で、まあ、こいつは天才だなー、と思ったもんです(笑)
こんばんは!ご感想、ありがとうございます。


さすが、 愛猫家 奴隷乙様の見解は、いつも感じるのですが・・・やはり鋭く、そして深遠ですね・・・。

私も、このエッセイを書きながら、「デジタルデータ」に変換できたとして、はたして、それが「俺」なんだろうか・・・?とは、疑問に感じる部分もありました。

「脳データ」そのものを、データベース化することは、もしかしたら、予想以上に早い時期に実現可能なのかもしれません。

しかし・・・私たちが、今、この生身の肉体でリアルタイムで感じるような「肌をつまんだ感覚」「TVのニュースを聴きながら、エアコンの風を感じ、パンの味を味わいながら、今朝の失礼な車を思い出して激怒する」・・・こういった感覚を、同時処理して、生身の人間の感覚のように、機械人間時代に突入したあとでも、同様に感じられるのか・・・はなはだ疑問に感じる問題ではありました・・・。

以前の私の返信の中で、「見えざる手・・・」や「創造主」についての記述をさせていただきましたが・・・やはり、この生身の肉体の複雑怪奇なメカニズムと言うものは・・・人工的には作成できず、科学における「永遠のタブー」なのかもしれませんね。

ただ、私個人としましては・・・これも以前に明言しましたように、「永遠の命」というものは欲しません。

「銀河鉄道999」の最終回前回で、「永遠の命」を手に入れたはずの機械人間のひとりが、鉄郎の眼前で、ビルの屋上から飛び降り自殺するシーンがあります。

鉄郎が、体からオイルを流し、地面に倒れこんだその機会人間に「しっかりして!でも、どうして自殺なんか・・・」と問いかけると、死に臨んだ彼は、「永遠に生きられることは・・・たまらなく退屈でつらいことだ。死んだほうが・・・マシだ。君はまだ・・・生身の体らしいな・・・」と答えました。

これは・・・とてもデリケートで深遠で難しいテーマなので、なかなか勇気がいる発言なのですが・・・

私は、「死ねる」ということは、「喜び」なんだと思っています。

楽しいこともいつまでもは続かないけれど・・・どんなに悲しいことでも、どんなに苦しいことでも、永遠には続かない・・・それは、人間、いや、生命全体にとっての、「最後の救い」であると、私は考えます。

これも返信で以前に書かせていただきましたが・・・「限りある命だからこそ、美しい」のだと。

鉄郎は、堕落しきって、明日への希望も夢もなくした、みにくい機械人間の姿を見て、自問自答していました。

「時間があるからこそ、やることがたくさんあるんじゃないのか。これでいいんだろうか?永遠の命を手に入れたからには、そのチカラでやるべきことがあるはずなのに・・・。これでいいのか・・・人間の命は、もっと尊くて、美しいものじゃなかったのか・・・」と。

いろいろな考えがあると思います。

私は、この深遠なテーマについて、軽々しく結論を出すことはできません。

「精巧につくられたコピーも、本人とは言えません」・・・まさにしかり!

それはあくまでも「データ」であり、「幻」にすぎないと思います。

もしかしたら、超高速のAI技術とからめて、亡くなった「本人」データと、かなりの精度で「擬似会話」することあたりは近い将来可能になるでしょう。

でも、どこまでいっても、それは「本人」である、とはいえないと思います。

やはり、神様から預かった、この「一時の仮の宿り」を、命ある限り慈しみ、愛し、最後の瞬間まで「生命」をまっとうして差し上げる・・・これが一番の「有り様」なのかなと、私個人は考えます。

長くなりましたが・・・貴重で深い深いご見解に、感謝申し上げます。

ありがとうございました。 m(_ _)m
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