感想一覧
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大衆は弱者ではなく、その反逆は地下に潜り、薄く広く「権力者が押し付ける不都合の無視」が広がります。ニートが多くなったのは最も安易な反逆手段だからです。日本も中国やイタリアのような価値観になるかもしれません。
[一言]
日本は本音と建前の社会ですので建前にいかにもなファンタジーを流し子供を騙していました。しかしながらその弊害で弱者は従順なれのような話にはならなくなっています。ニート、ナマポ、オレオレ詐欺、給付金詐欺、日々の犯罪、法と秩序が自分たちの利益にならないなら大衆という人々はあっさりそれを無視するようになるでしょう。日本は中国やフランスが経験した状況にやっと追いつくようになるでしょう。
この国の上の人たちは国民が漠然とした無政府主義になり、犯罪や不正が政府が押し付ける権利義務よりメリットがあるという認識が過半数にせまることにいつ気づくのでしょうか?
大衆は弱者ではなく、その反逆は地下に潜り、薄く広く「権力者が押し付ける不都合の無視」が広がります。ニートが多くなったのは最も安易な反逆手段だからです。日本も中国やイタリアのような価値観になるかもしれません。
[一言]
日本は本音と建前の社会ですので建前にいかにもなファンタジーを流し子供を騙していました。しかしながらその弊害で弱者は従順なれのような話にはならなくなっています。ニート、ナマポ、オレオレ詐欺、給付金詐欺、日々の犯罪、法と秩序が自分たちの利益にならないなら大衆という人々はあっさりそれを無視するようになるでしょう。日本は中国やフランスが経験した状況にやっと追いつくようになるでしょう。
この国の上の人たちは国民が漠然とした無政府主義になり、犯罪や不正が政府が押し付ける権利義務よりメリットがあるという認識が過半数にせまることにいつ気づくのでしょうか?
乃木坂佑一様、ご感想ありがとうございます。
そうですね。
日本は治安の良い国だと言われてきましたし、実際にそうでしょう。外国にはより大きな格差があるし、民族や階級に関するむき出しの侮辱もある。外国の最下層はそもそも、中央政府さらには一般市民をまったく信任していない。それらが言うモラルを、自身のためにすぎないプロパガンダだと思い込んでいる。歩いている老人を殺して財布を取ることが悪徳だと一応は共有されてきた日本は、ある意味で恵まれていました。
しかしまた、権力は何千年も昔からそんな反権威勢力の存在を織り込んでもきました。その解はもちろん、力でした。石斧の時代には人々の実力は頭数に等しく、誰かを侮辱して憎しみを買うことはためらわれました。中央でどんなプロパガンダを書き上げても、コミュニケーションがインターネットを経由していない時代には噂が自由でした。そして今では、上位数パーセントの人々が資産の大半を所有しています。
権力は、情報統制によって弱者同士を戦わせるし、それが破られれば核を落として十万単位で庶民を殺します。権力への信任が過半を割るような時代の到来はむしろ、過半を割ったとしても権力が揺るがないという自信の表明なのかもしれません。であれば、無職や生活保護や犯罪によって反逆するとはいえ、大衆はなお弱者なのかもしれません。
残念なのは、弱者が貧しさをあざ笑うなら、連帯は生じないということです。例えば女性が富裕な男性を強い男性と思って肯定し股を開くことによって、反逆は絶え間なく分断される。それゆえ、利己主義以上のものが必要です。大衆と権力が対立しているというモデルこそが、大衆自身を否定しない意味で甘すぎるファンタジーなのだと思います。
実際、東京大学やハーバード大学の学生のほとんどは自分を中流家庭の出身だと考えていて、環境の格差を捨象して学歴を個人の資質に言い換えます。自分を弱者だと思うことはかくもたやすく、その意味でこそ大衆は弱者ではない。誰もが誰かを踏み潰している。ファンタジーとの闘争が理解されれば、初めてそれを乗り越えられます。
本当に悪いのは不平等ではなくファンタジーだと思います。無政府が外圧に対して無力である以上は、信任に値する良き政府を願う以外に道はありません。
そうですね。
日本は治安の良い国だと言われてきましたし、実際にそうでしょう。外国にはより大きな格差があるし、民族や階級に関するむき出しの侮辱もある。外国の最下層はそもそも、中央政府さらには一般市民をまったく信任していない。それらが言うモラルを、自身のためにすぎないプロパガンダだと思い込んでいる。歩いている老人を殺して財布を取ることが悪徳だと一応は共有されてきた日本は、ある意味で恵まれていました。
しかしまた、権力は何千年も昔からそんな反権威勢力の存在を織り込んでもきました。その解はもちろん、力でした。石斧の時代には人々の実力は頭数に等しく、誰かを侮辱して憎しみを買うことはためらわれました。中央でどんなプロパガンダを書き上げても、コミュニケーションがインターネットを経由していない時代には噂が自由でした。そして今では、上位数パーセントの人々が資産の大半を所有しています。
権力は、情報統制によって弱者同士を戦わせるし、それが破られれば核を落として十万単位で庶民を殺します。権力への信任が過半を割るような時代の到来はむしろ、過半を割ったとしても権力が揺るがないという自信の表明なのかもしれません。であれば、無職や生活保護や犯罪によって反逆するとはいえ、大衆はなお弱者なのかもしれません。
残念なのは、弱者が貧しさをあざ笑うなら、連帯は生じないということです。例えば女性が富裕な男性を強い男性と思って肯定し股を開くことによって、反逆は絶え間なく分断される。それゆえ、利己主義以上のものが必要です。大衆と権力が対立しているというモデルこそが、大衆自身を否定しない意味で甘すぎるファンタジーなのだと思います。
実際、東京大学やハーバード大学の学生のほとんどは自分を中流家庭の出身だと考えていて、環境の格差を捨象して学歴を個人の資質に言い換えます。自分を弱者だと思うことはかくもたやすく、その意味でこそ大衆は弱者ではない。誰もが誰かを踏み潰している。ファンタジーとの闘争が理解されれば、初めてそれを乗り越えられます。
本当に悪いのは不平等ではなくファンタジーだと思います。無政府が外圧に対して無力である以上は、信任に値する良き政府を願う以外に道はありません。
- 鈴木美脳
- 2022年 06月30日 06時08分
[良い点]
権力の旨味を覚えた政治屋が、政に法を決めるのですから権利擁護に平然と噓を吐き権力者に都合のいいマナーを叫び、弱者を装った権力者の犬が徒党を組み税金から何からを奪っているハイエナ行為を行なう者達も、庶民の金や身体や趣味嗜好を奪って困窮させて、国民の大半が貧困になれば政権者にとってこれほど都合のいい社会はありません。
貧困社会を望む権利擁護の政治屋が恐れるものこそが【権力の無い老人が持つ貯金】であって、国家予算を減らして生活を人質に金で民を動かす上で、老人の持つ貯金はその権力を邪魔するものだからこそに老人の持つ金を国庫で動かせる金へと奪おうとし老人の貯金を悪としているのであって、年金を減らし詐欺に搾取されることを知りつつもスマホやネットでの金の管理を進めているのを、目先の金に思考が向けられ本来権力に対抗する折頼るべき最後の砦に向けた悪意は若者やビジネスマンを始め国民の殆どがそれが利便性の為ではない事をすら理解出来なくなっている事実も恐ろしく感じます。
昨今の選挙戦においても庶民の生活困窮が著しい現状も見えていないのか憲法改正の話に権力闘争を繰り返していた明治政府を称え、見ているのは権力と金ばかりの政治屋を散見する中、挙句の果てに維新を掲げておいて「江戸城を再建しましょう」等と言って政策に掲げ続けている金と権力に溺れ中身も腐った馬鹿が居る程です。当選するようなら選挙権を持つ弱者も弱者のようにすら感じ、そう思えてしまえば話の中の自業自得の件に繋がりそうです。
[気になる点]
私は広く言われている「努力をしない者は認めない」この考えこそが権力を持つ者が持たない者に平然と努力を強いる為の文言であり、才能ある者を潰すそもそもの思考である事を若い時分から今に至るまで思い知らされ、潰された才ある他人も見て来ましたので、努力をしないで実を結ぶ権力者という部分は印象が強く、鈴木美能様の言われている事がそれに注視した話ではない事は解るだけに、出来れば「権力を持たぬ者でも、努力せずとも才を持つ者が実を結ばれる社会こそが望まれる」と書かれていればなと思ってしまいました。
[一言]
この国が米国によって変えられてしまった社会と政治であるのにも関わらず、権力に対するカウンター的権力を設置しない事には違和感だらけです。
三権分立を三権分流と言った政治家もいましたが、警察を監視する機関を設置する事もなく制度もない、法の執行を監視する制度もなければ、政治家が三権分立を侵す事に罰する監視機関もない。
当の米国だって権力に対しては慎重です。
だからこそに警察機構にしたって保安官やFBIだけでなくCIAや軍の中にも捜査権を有する機関が多々在る訳で、なのにこの国はせいぜい警察と検察が持つ得体のしれない公安部のみでは権力の増大に歯止めが効かなくなるのは当然かと思います。
権力に対して監視する機関を監視する機関を監視する機関。
それでも権力は暴走するからこそに……
挑戦の物語に終わりは無さそうですね。
権力の旨味を覚えた政治屋が、政に法を決めるのですから権利擁護に平然と噓を吐き権力者に都合のいいマナーを叫び、弱者を装った権力者の犬が徒党を組み税金から何からを奪っているハイエナ行為を行なう者達も、庶民の金や身体や趣味嗜好を奪って困窮させて、国民の大半が貧困になれば政権者にとってこれほど都合のいい社会はありません。
貧困社会を望む権利擁護の政治屋が恐れるものこそが【権力の無い老人が持つ貯金】であって、国家予算を減らして生活を人質に金で民を動かす上で、老人の持つ貯金はその権力を邪魔するものだからこそに老人の持つ金を国庫で動かせる金へと奪おうとし老人の貯金を悪としているのであって、年金を減らし詐欺に搾取されることを知りつつもスマホやネットでの金の管理を進めているのを、目先の金に思考が向けられ本来権力に対抗する折頼るべき最後の砦に向けた悪意は若者やビジネスマンを始め国民の殆どがそれが利便性の為ではない事をすら理解出来なくなっている事実も恐ろしく感じます。
昨今の選挙戦においても庶民の生活困窮が著しい現状も見えていないのか憲法改正の話に権力闘争を繰り返していた明治政府を称え、見ているのは権力と金ばかりの政治屋を散見する中、挙句の果てに維新を掲げておいて「江戸城を再建しましょう」等と言って政策に掲げ続けている金と権力に溺れ中身も腐った馬鹿が居る程です。当選するようなら選挙権を持つ弱者も弱者のようにすら感じ、そう思えてしまえば話の中の自業自得の件に繋がりそうです。
[気になる点]
私は広く言われている「努力をしない者は認めない」この考えこそが権力を持つ者が持たない者に平然と努力を強いる為の文言であり、才能ある者を潰すそもそもの思考である事を若い時分から今に至るまで思い知らされ、潰された才ある他人も見て来ましたので、努力をしないで実を結ぶ権力者という部分は印象が強く、鈴木美能様の言われている事がそれに注視した話ではない事は解るだけに、出来れば「権力を持たぬ者でも、努力せずとも才を持つ者が実を結ばれる社会こそが望まれる」と書かれていればなと思ってしまいました。
[一言]
この国が米国によって変えられてしまった社会と政治であるのにも関わらず、権力に対するカウンター的権力を設置しない事には違和感だらけです。
三権分立を三権分流と言った政治家もいましたが、警察を監視する機関を設置する事もなく制度もない、法の執行を監視する制度もなければ、政治家が三権分立を侵す事に罰する監視機関もない。
当の米国だって権力に対しては慎重です。
だからこそに警察機構にしたって保安官やFBIだけでなくCIAや軍の中にも捜査権を有する機関が多々在る訳で、なのにこの国はせいぜい警察と検察が持つ得体のしれない公安部のみでは権力の増大に歯止めが効かなくなるのは当然かと思います。
権力に対して監視する機関を監視する機関を監視する機関。
それでも権力は暴走するからこそに……
挑戦の物語に終わりは無さそうですね。
静夏夜様、ご感想ありがとうございます。
腐敗した階級社会の上層は、実にハイエナ行為の集まりですね。
江戸城再建なんてあるんですね。
本文で私が努力主義を挙げたのは、世間で実際に、能力主義や才能主義よりもそれが挙げられることに倣っています。つまり、企業が学生を学歴でフィルタリングするとして、学歴はその学生が行ってきた努力の程度を示しているのだから、それによってフィルタリングされることは妥当だとか、良かれ悪しかれ当然だという意見は多く見られます。
このとき、努力主義という論理は、能力主義より穏健であり、能力主義はまた才能主義よりも穏健です。何はともあれ、階級社会において何かを持つ人達は、自分より立場の低い人達については、環境の格差を個人の資質に言い換える。具体的には、努力に言い換える人も、能力に言い換える人も、才能に言い換える人もいます。
では実際に、努力や能力や才能のある人が社会に出たときに称賛されるかというと、嫉妬を集め潰されやすい。家柄もなく努力もせずに才能で成果を出す者などさらに潰される。なぜなら現代では、大衆が拝金的な利己主義に染まっているからでしょう。利己主義に染まっているから、才能ある人が社会に貢献して自分を助けてくれるとまで思い至らないし、金になる才能しか才能に見えないから自分にも才能があることに気づかない。
監査のために用いるべきは結局、国民の目だろうと思います。情報を可能なかぎりオープンにしていけば、どこでどの程度の非道が行われているか自明になると思います。例えば、どの会社がいつ何人雇用して何人離職しているか。怪我人や鬱病を何人出していて、どう結婚し何歳まで生きているか。子供達はどう進学したか。会社や病院や人間の実名を挙げて、最小の黒塗りで批判できる掲示板などもあっていい気がする。まあ、政府はやる気ないでしょうが。
腐敗した階級社会の上層は、実にハイエナ行為の集まりですね。
江戸城再建なんてあるんですね。
本文で私が努力主義を挙げたのは、世間で実際に、能力主義や才能主義よりもそれが挙げられることに倣っています。つまり、企業が学生を学歴でフィルタリングするとして、学歴はその学生が行ってきた努力の程度を示しているのだから、それによってフィルタリングされることは妥当だとか、良かれ悪しかれ当然だという意見は多く見られます。
このとき、努力主義という論理は、能力主義より穏健であり、能力主義はまた才能主義よりも穏健です。何はともあれ、階級社会において何かを持つ人達は、自分より立場の低い人達については、環境の格差を個人の資質に言い換える。具体的には、努力に言い換える人も、能力に言い換える人も、才能に言い換える人もいます。
では実際に、努力や能力や才能のある人が社会に出たときに称賛されるかというと、嫉妬を集め潰されやすい。家柄もなく努力もせずに才能で成果を出す者などさらに潰される。なぜなら現代では、大衆が拝金的な利己主義に染まっているからでしょう。利己主義に染まっているから、才能ある人が社会に貢献して自分を助けてくれるとまで思い至らないし、金になる才能しか才能に見えないから自分にも才能があることに気づかない。
監査のために用いるべきは結局、国民の目だろうと思います。情報を可能なかぎりオープンにしていけば、どこでどの程度の非道が行われているか自明になると思います。例えば、どの会社がいつ何人雇用して何人離職しているか。怪我人や鬱病を何人出していて、どう結婚し何歳まで生きているか。子供達はどう進学したか。会社や病院や人間の実名を挙げて、最小の黒塗りで批判できる掲示板などもあっていい気がする。まあ、政府はやる気ないでしょうが。
- 鈴木美脳
- 2022年 06月29日 07時10分
[良い点]
めっちゃ面白かったです。非常に共感しました。自己責任論が蔓延り、利他の心が摩滅して、経済格差が階級格差に直結し、力あるものは自らのその特権的立場の維持に汲々とする。これが自由を標榜する現代社会の姿ですね。
めっちゃ面白かったです。非常に共感しました。自己責任論が蔓延り、利他の心が摩滅して、経済格差が階級格差に直結し、力あるものは自らのその特権的立場の維持に汲々とする。これが自由を標榜する現代社会の姿ですね。
大宰権帥様、ご感想ありがとうございます。
楽しんでいただけて良かったです。
自由主義のかなめは、選挙制度が健全に実現されていることだろうと思います。その選挙制度が、単なる利益の分配の道具と見なされるのではなく、環境の格差を資質の格差に言い換える本能を掣肘すべきものと見なされれば、世の中には改善の希望もある気がします。そこにおける悪しき本能は、力あるものにも力なきものにも等しくあることが知られる必要があるだろうとも思っています。
楽しんでいただけて良かったです。
自由主義のかなめは、選挙制度が健全に実現されていることだろうと思います。その選挙制度が、単なる利益の分配の道具と見なされるのではなく、環境の格差を資質の格差に言い換える本能を掣肘すべきものと見なされれば、世の中には改善の希望もある気がします。そこにおける悪しき本能は、力あるものにも力なきものにも等しくあることが知られる必要があるだろうとも思っています。
- 鈴木美脳
- 2022年 06月29日 06時26分
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