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道央・道北・道南・道東に分けない、テレビ番組が悪いべさ……というのが、道産子の感想。
ちなみに、うちのとーちゃん・かーちゃんは、240キロ離れた漁港まで、仕事ついでに買い物に行く。150〜270キロ離れた場所へ釣りに行く猛者です。
移動は全部車。汽車で移動は、あまりプランに組み込まず。
150キロなら、現在関東住みの私でも「遠くないな」って思っちゃうくらいには、道産子の距離感はぶっ壊れてます。(わりと最近、自分の距離感がぶっ壊れてる事を自覚した)
1キロ1分で移動する感覚なのです。
なので、場所によっては、近いねって思うレベルです。
道産子からすると、エリア分けもせずに、北海道単位で紹介されるのはすんごい迷惑なんですよね。
出身というだけで、離れた地域の良いところを聞かれるとか。
釧路に住んでいた人に、札幌の観光名所教えてとか。
旭川に住んでいた人に、函館の外せない観光スポット訊ねるとか。
ってのは、知るかー! という感じです。
北海道で一括りにされて迷惑してるのは、道産子も一緒ですぜ! という事を伝えたい。
道央・道北・道南・道東に分けない、テレビ番組が悪いべさ……というのが、道産子の感想。
ちなみに、うちのとーちゃん・かーちゃんは、240キロ離れた漁港まで、仕事ついでに買い物に行く。150〜270キロ離れた場所へ釣りに行く猛者です。
移動は全部車。汽車で移動は、あまりプランに組み込まず。
150キロなら、現在関東住みの私でも「遠くないな」って思っちゃうくらいには、道産子の距離感はぶっ壊れてます。(わりと最近、自分の距離感がぶっ壊れてる事を自覚した)
1キロ1分で移動する感覚なのです。
なので、場所によっては、近いねって思うレベルです。
道産子からすると、エリア分けもせずに、北海道単位で紹介されるのはすんごい迷惑なんですよね。
出身というだけで、離れた地域の良いところを聞かれるとか。
釧路に住んでいた人に、札幌の観光名所教えてとか。
旭川に住んでいた人に、函館の外せない観光スポット訊ねるとか。
ってのは、知るかー! という感じです。
北海道で一括りにされて迷惑してるのは、道産子も一緒ですぜ! という事を伝えたい。
幻邏さま、ご感想ありがとうございます!
「150㎞くらいなら遠くない」
やはり広大な大地に生まれ育つと、感覚のスケール感もBigになるんですね。羨ましい。
「子供をスケールの大きな人間に育てたかったら、天井は高い方が良い」というCMを、ふと思い出してしまいました。
ちなみに私は九州 福岡の生まれなのですが、福岡からの自動車移動だと
●福岡→長崎 大浦天主堂
●福岡→熊本 阿蘇カルデラ
●福岡→平戸 宮之浦漁港
がそれぞれ100㎞くらい。
●福岡→山口 角島大橋
で150㎞くらいの走行距離になります。
途中、最低二回はサービスエリアに寄ってコーヒーブレイクもしくはウドンブレイクを挟まないとヨレヨレになってしまう距離であり、めちゃくちゃ遠出した! と感じてしまいます。
なんてチッチャな人間なんだ!
それはさておき、このエッセイは(たぶんお気づきのこととは存じますが)近頃の世相やなんやかや、イライラが募り過ぎて爆発しそうになったので「ここはひとつ、デッカイ存在に甘えてみるか!」としたためてみた文章です。
頭の中に有ったのは太宰治の短編『富嶽百景』。
その中のエピソードの一つに、太宰が富士山の見える村に逗留していたとき、遊女たちが慰安旅行に連れて来られていたのを目撃する話があります。
太宰は侘し気な遊女たちの姿を見て、切なさに胸苦しくなるのですが何もできない。
いたたまれなくなった太宰は、富士の山を見上げて「そうだ! この遊女たちは富士に託そう」と思い付きます。
懐手をしてうっそりと立っている大親分のように頼もし気な富士山。
その富士山に心の中で手を合わせ「この女の人たちのことを、どうか宜しくお願いします」と祈ったことで太宰は胸の閊えから解放された、という話です。
実際には何の解決にもなってはいないのだけれど、胸中の悶々を吐露するのには、それを受け止めてくれるに相応しい大自然が必要なのだ、と曲解しても良いのでしょう。
だから私の胸の閊えを吐き出す先は、例えば北アルプスでも阿蘇カルデラでも、人間の手に負えない巨大な存在なら何でも良かったのですが、今回選択したのが新千歳から札幌へと向かう列車の中で眺め続けた石狩平野であった、という次第です。
殊更に念を押す必要も、もはや蛇足でしかありませんが、たかだかノイズのような物でしかないバラエティ番組やネットアンケート記事に、本気で腹を立てているわけではないので、どうかご安心下さいませ。
イトウの潜む湿原が、今後も健やかでありますように。
「150㎞くらいなら遠くない」
やはり広大な大地に生まれ育つと、感覚のスケール感もBigになるんですね。羨ましい。
「子供をスケールの大きな人間に育てたかったら、天井は高い方が良い」というCMを、ふと思い出してしまいました。
ちなみに私は九州 福岡の生まれなのですが、福岡からの自動車移動だと
●福岡→長崎 大浦天主堂
●福岡→熊本 阿蘇カルデラ
●福岡→平戸 宮之浦漁港
がそれぞれ100㎞くらい。
●福岡→山口 角島大橋
で150㎞くらいの走行距離になります。
途中、最低二回はサービスエリアに寄ってコーヒーブレイクもしくはウドンブレイクを挟まないとヨレヨレになってしまう距離であり、めちゃくちゃ遠出した! と感じてしまいます。
なんてチッチャな人間なんだ!
それはさておき、このエッセイは(たぶんお気づきのこととは存じますが)近頃の世相やなんやかや、イライラが募り過ぎて爆発しそうになったので「ここはひとつ、デッカイ存在に甘えてみるか!」としたためてみた文章です。
頭の中に有ったのは太宰治の短編『富嶽百景』。
その中のエピソードの一つに、太宰が富士山の見える村に逗留していたとき、遊女たちが慰安旅行に連れて来られていたのを目撃する話があります。
太宰は侘し気な遊女たちの姿を見て、切なさに胸苦しくなるのですが何もできない。
いたたまれなくなった太宰は、富士の山を見上げて「そうだ! この遊女たちは富士に託そう」と思い付きます。
懐手をしてうっそりと立っている大親分のように頼もし気な富士山。
その富士山に心の中で手を合わせ「この女の人たちのことを、どうか宜しくお願いします」と祈ったことで太宰は胸の閊えから解放された、という話です。
実際には何の解決にもなってはいないのだけれど、胸中の悶々を吐露するのには、それを受け止めてくれるに相応しい大自然が必要なのだ、と曲解しても良いのでしょう。
だから私の胸の閊えを吐き出す先は、例えば北アルプスでも阿蘇カルデラでも、人間の手に負えない巨大な存在なら何でも良かったのですが、今回選択したのが新千歳から札幌へと向かう列車の中で眺め続けた石狩平野であった、という次第です。
殊更に念を押す必要も、もはや蛇足でしかありませんが、たかだかノイズのような物でしかないバラエティ番組やネットアンケート記事に、本気で腹を立てているわけではないので、どうかご安心下さいませ。
イトウの潜む湿原が、今後も健やかでありますように。
- みなみのうお
- 2022年 07月22日 23時59分
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