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先進国全てに蔓延っている。
当事者意識の欠如
危機感の喪失
目先優先
なにより、国家というものが本来は幻想の上に成り立つ集団催眠だということを自覚した上で、公権力という実態のないものが、集団の意思によって外枠だけは綺麗に存在するかのように見えていて、実は中身などないのだということを理解していないものが多い。
この幻想に対して、国家というもの、民族というもの、もっと小集団で郷里、家族。
これら帰属する集団への「愛着」こそが、唯一この権力を肯定するものであり、愛国心とは詰まる所、愛する者のいる世界を守り慈しむ心でしかない。
この心を国への忠節へと変換したとき、そこに産まれる欺瞞を忘れてはいけないんですよね。
自らが自らの大義と向き合い、真に守るべき者に根差した思想を持つこと、そのために行動すること、国益という言葉で子々孫々に不利益をもたらす者に刃をつきつけることもまた「愛国心」なんですよね。
三島の自決には賛否ありますが、遥か未来に思いを馳せて、誇りと気概、何よりも「当事者である自覚」をもって、一兵卒にいたるまで「おのが国」を守る思いをもってほしい。
そんな訴えだったのかと思います。
先進国全てに蔓延っている。
当事者意識の欠如
危機感の喪失
目先優先
なにより、国家というものが本来は幻想の上に成り立つ集団催眠だということを自覚した上で、公権力という実態のないものが、集団の意思によって外枠だけは綺麗に存在するかのように見えていて、実は中身などないのだということを理解していないものが多い。
この幻想に対して、国家というもの、民族というもの、もっと小集団で郷里、家族。
これら帰属する集団への「愛着」こそが、唯一この権力を肯定するものであり、愛国心とは詰まる所、愛する者のいる世界を守り慈しむ心でしかない。
この心を国への忠節へと変換したとき、そこに産まれる欺瞞を忘れてはいけないんですよね。
自らが自らの大義と向き合い、真に守るべき者に根差した思想を持つこと、そのために行動すること、国益という言葉で子々孫々に不利益をもたらす者に刃をつきつけることもまた「愛国心」なんですよね。
三島の自決には賛否ありますが、遥か未来に思いを馳せて、誇りと気概、何よりも「当事者である自覚」をもって、一兵卒にいたるまで「おのが国」を守る思いをもってほしい。
そんな訴えだったのかと思います。
こんばんは!いつも、励ましのメッセージ、ありがとうございます。
私も、そう思います。
結局のところ、昭和後期以降、平成、令和の現在に至るまで、愛国心というものは、「形骸化した幻想」ともいうべきものに、成り下がっている、と私も感じます。
本来ならば、国民の代表たる政治家が、それこそ「粉骨砕身」「公平無私」「明鏡止水」の精神でもって、まつりごとに当たらねばならぬのに、あからさまな「自己保身」「付和雷同」「朝令暮改」のような、吹けば飛ぶような頼りない精神・姿勢で臨んできたから、国民に愛想をつかされ、「誰が政治をやっても同じだ」というあきらめの態度と将来への希望がまったく見えない、かわいそうな状況に私たち誰もが身を置かされているんですよね。
大昔の武士は、「いざ鎌倉」とか、「武士道とは死ぬことと見つけたり」とか、いざとなったら我が身を捨てて、主君のため、家族のため、そして、自分を育ててくれた、藩のため・・・いつでも死ぬ覚悟だったそうですね。
それは、もちろん、藩や城主などの指導者側が、真剣に家臣やその家族、地域の人々を守ろうという、気概を彼らに示していたからに他なりませんよね。
でなかったら、命をかけてまで、誰もついてくるはずがない。
ところが、明治維新後の「中央集権化」によって、藩閥政治が幅を利かせ、「廃刀令」「秩禄処分」によって武士の特権階級を奪い、「サムライ」を絶滅させ、士族を抹殺したことで、鎌倉時代以来の、本当の「武士道」というものは、跡形も無く消えてしまいました。
後世にこれは、「軍国主義」というゆがんだ形で息を吹き返しますが・・・今度は「敗戦」という憂き目を見て、粉々に粉砕されました。
三島さんは、ことあるごとに・・・特に晩年にかけて、この「武士」という単語を多く用いるようになります。
きっと、真の「もののふ」というものがひとりもいない寂しい現世を嘆き、そうした世界に生きる私たちの将来や国の未来を案じ、「憂国の士」として、せめて最期は、武士らしく華々しい散り際を私たちに見せて去りたかった・・・そんな悲しい覚悟が、また美しいですよね。 m(_ _)m
私も、そう思います。
結局のところ、昭和後期以降、平成、令和の現在に至るまで、愛国心というものは、「形骸化した幻想」ともいうべきものに、成り下がっている、と私も感じます。
本来ならば、国民の代表たる政治家が、それこそ「粉骨砕身」「公平無私」「明鏡止水」の精神でもって、まつりごとに当たらねばならぬのに、あからさまな「自己保身」「付和雷同」「朝令暮改」のような、吹けば飛ぶような頼りない精神・姿勢で臨んできたから、国民に愛想をつかされ、「誰が政治をやっても同じだ」というあきらめの態度と将来への希望がまったく見えない、かわいそうな状況に私たち誰もが身を置かされているんですよね。
大昔の武士は、「いざ鎌倉」とか、「武士道とは死ぬことと見つけたり」とか、いざとなったら我が身を捨てて、主君のため、家族のため、そして、自分を育ててくれた、藩のため・・・いつでも死ぬ覚悟だったそうですね。
それは、もちろん、藩や城主などの指導者側が、真剣に家臣やその家族、地域の人々を守ろうという、気概を彼らに示していたからに他なりませんよね。
でなかったら、命をかけてまで、誰もついてくるはずがない。
ところが、明治維新後の「中央集権化」によって、藩閥政治が幅を利かせ、「廃刀令」「秩禄処分」によって武士の特権階級を奪い、「サムライ」を絶滅させ、士族を抹殺したことで、鎌倉時代以来の、本当の「武士道」というものは、跡形も無く消えてしまいました。
後世にこれは、「軍国主義」というゆがんだ形で息を吹き返しますが・・・今度は「敗戦」という憂き目を見て、粉々に粉砕されました。
三島さんは、ことあるごとに・・・特に晩年にかけて、この「武士」という単語を多く用いるようになります。
きっと、真の「もののふ」というものがひとりもいない寂しい現世を嘆き、そうした世界に生きる私たちの将来や国の未来を案じ、「憂国の士」として、せめて最期は、武士らしく華々しい散り際を私たちに見せて去りたかった・・・そんな悲しい覚悟が、また美しいですよね。 m(_ _)m
- サファイアの涙
- 2022年 08月01日 20時53分
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