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[一言]
 魂はおいといて。

 生命の価値ってのは、客観的ではなく、主観的に付加されるものだと思っています。
 だから、それを恣意的に行われないために、客観的に留保できるように、道徳やら律法やらがある。

 それでも、われわれは、一般の死と、特別なひとの死をいっしょには考えられない。

 主観的なものと、客観的なもの。ダブルスタンダードを、それぞれの中にもっているのであろうし、それでいいのでしょう。
歌川 詩季様

主観と客観、どちらもあって良いと思いますし
歌川様の考えには
私個人としては共感する部分が多いです。

作品の語り手も
価値には主観的な価値と
客観的な価値があるなど
そういう点は分かっていると思います。

その上で、
この作品の語り手は、
相手に対して
己の価値を主観的に決めたところで
他者がそこに価値を見出すとは限らない
まして命の価値に貴賤などは関係ない
ということを皮肉のように伝えている感じです。

感想ありがとうございます
[一言]
死の瞬間を紅茶に溶かす角砂糖に喩えるなんて。
こんなロマンチックな描写あります?
すみません、作品の本質ではない所に食いついてしまって。でも、すごくすごく刺さったのです。

登場人物の心理描写なので、日浦さんの考える死生観そのものと一致しているのかはわからないのですが、死の瞬間は仰る通り貴賤の差なく平等に訪れますよね。
改めて命の価値ってなんだろうと考えさせられる作品でした。
日浦さん、ありがとうございました。
未来屋 環様

>死の瞬間を紅茶に溶かす角砂糖に喩えるなんて。
>こんなロマンチックな描写あります?

ありがとうございます。
人物の在り方を描写する、という意味では
この描写も重要だったりするので
反応していただけて嬉しいです。
私もこの表現、好きです。

仰るとおり、
この作品で述べられた死生観は
私の死生観と全く一致するわけではありませんが
死の瞬間は、誰にでも平等に訪れるというのは
私も同様にそう思います。

その命にどんな価値を見出すのかは
たくさんの主観の総和になるのかな、と思います。

感想ありがとうございます
[一言]
 ただ生物としての生死は、人も何も同じ意味しかないのだけれど。

 それでも同じに思えないのは、人には感情が絡むからなのだろうなと。
 そしてそれを左右するのは、やはり環境で。
 与えられたものと選んだもの。その両方の影響があって。

 その上で本人や周りがひとつの命としてどう扱おうと、『命』としては誰でも何でも同じで……。


 ぐるりと一周巡っても、どれもそうだと言い切れない。
 考える私自身が感情を切り離してものを思うことができないからなのかな、と。
 そんな風に思いました。

 だから人により扱いが違う。
 難解ですね。
小池ともか様

価値は相対的なもので
絶対的な価値があるとするなら
それは価値ではなく、
純然たる事実の羅列ではないか
と思います

相対的、
小池様の言うとおり
それが感情だったり
周囲の環境だったり

私自身、
命に価値はないと思いませんが
物事を広く普遍的に捉えなければならないなら
こんなふうに
全てを事実として捉えていかなければならないのかな
なんて思いながら描きました

差はあってもいいと思います。
誰にだって大事なものや大事なことは異なるのですから

感想ありがとうございます
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