エピソード48の感想一覧

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昨日、この作品を見つけてとても楽しく読ませて頂いております!素敵な作品ありがとうございます!

一つ気になったのは、作中に腰掛けると言う言葉が散見しますが、当時は板張りか畳で、胡座や立膝で座っていたと、思います。腰掛けるは椅子に腰掛けるとかに使い、座敷等に座る時に用いられるとは余り思えないのですが?勿論、床几でしたら腰掛けるで良いのですが。

これからも頑張って下さい!楽しみにしています♪
  • 投稿者: 夢の中
  • 2024年 10月19日 22時54分
感想ありがとうございます。
ご指摘ごもっともでございます。
言い訳の余地なく作者のミスです。
あまり同じ表現や言い回しを繰り返したくないという意向もあるにはあったのですが、それ以前に自分が普段からイスに『腰掛け』ているのが当たり前だったため、戦国時代の描写にも使ってしまいました。
拙作に一区切りがついた頃合いを見計らって、修正を行って参ります。
応援ありがとうございます。
[気になる点]
 一方北条は初代早雲様以来坂東の食文化にどっぷりだった。

今川家の京風の食生活は納得ですが北条家の場合、早雲は生れこそ岡山だそうですが京生活も長く初期は料理の好みもそちら寄りだったように思います。一方、武士なのでそれなりに濃い食事を好む可能性がありますが少し表現が違うように感じました。

今川家の場合、京から正室をとっていたりしていた事、義元は幼少時出家して坊主として一般的な寺社の食事になれていたなどの点もありそうですね。

坂東の食文化というくくりでなく普通に地方の体を動かす武士の標準的な濃い食事のように感じます。
  • 投稿者: ジント
  • 2023年 07月22日 10時35分
感想ありがとうございます。
ご指摘の通り、北条早雲の出身は関西で、前半生を京周辺で過ごしています。
しかしながら、30歳ごろに駿河に下向して以降、東は相模、西は三河、北は甲斐、南は伊豆と、およそ三十年間、ほぼ休みなく転戦しています。
となると、館での日常生活ではともかく、陣中ではミネラルやカロリー重視の食生活を送っていたのではないかと思われます。
ただ、これを『坂東の』食文化と呼ぶのは確かに語弊がありそうです。
関西の地方武士も塩気の強い料理を摂取していたはずなので。
当時の人々の食生活については、今後も注意して執筆して参ります。
[気になる点]
>必然的に日々の食事も、味噌や醬油を極力使わないものになる。

味噌は既に大量生産されていますが、醤油はまだ普及してないと思います
  • 投稿者: かず
  • 2023年 06月06日 10時57分
ご指摘ありがとうございます。
仰る通り、醬油の普及は味噌より遅れていたようです。
しかしながら、16世紀後半から関西で醬油の大量生産が始まり、主に海上輸送で大都市圏へと運ばれ、消費されていたようです。
(参考文献:日本の食文化史―旧石器時代から現代まで 石毛直道、岩波書店)
そこから考えると、関東有数の城下町だった駿府や小田原でも、醬油が流通していた可能性は高いと思われます。
ただ、味噌と醬油が共に気軽に使える調味料であったかのような書き方に、語弊があった事は否めません。
今後も時代考証に気を付けながら執筆して参りますので、また気になる点などございましたらご指摘をお願い致します。
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