感想一覧

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[良い点]
熱量すごいなあ。昔はSF凄く好きで、よくよんでたんてすけどね。
[気になる点]
色々言うときりがない。でも最近のSFは三体くらいしか知らないし。色々好みのやつは古いものばかりなんですよね。ブラッドミュージックとか。ガニメデの優しい巨人とか。クローム襲撃とか。タイムスリップ大戦争とか。今の流行りについていけないw
ありがとうございます(*^▽^*)
さうざんと様の題名を上げられた作品、全部読んだことないです。こんなエッセイを書いているくせに恥ずかしい( ;∀;)

私も最近の作品は全然読んでいません。
サイバーパンクですらおいていかれ。究極のアナログ人間です。SF好きを名乗って良いのでしょうか!?

三体、有名なんですね。レビューでも絶賛されているし、やはり読むべきか……
豆腐メンタルなので、気力が……

ガニメデの優しい巨人。星を継ぐものシリーズは名作と呼び声高いですよね!
豊田有恒氏も懐かしいです。

感想下さる方、皆さん詳しいのでおススメ知れて本当に嬉しいです。
( *´艸`)

[一言]
どうも済みません。

>全く知らず、申し訳ないです。
>知らない事とは言えお騒がせしました。

こんな文章まで書かせることになってしまって……。ただいまこちらのほうこそ 猛省 しているところであります。

>あんどこいぢ様の話題とはたぶん、無関係かと(;'∀')

その点も了解していたつもりだったのですが、私の文章の拙さのせいか、私自身、お伝えしようとしていたことをしっかり把握していなかったせいか、いずれにせよ私のせいで色々ご迷惑をおかけてしまったようで、本当に済みませんでした。

そのうえで、

>もしよろしければ、どんな話題なのか教えて頂けると嬉しいです。SFの話題が大好きです。

というお言葉も頂戴しておりますので、ここに投稿していいものかどうか悩みますし、また、連投にもなってしまいますが、どうかその点について説明させてください。

といってもおそらくあまりレヴェルの高い話にはならないかと思います。

まず私自身この話の相手側から、“お前にSFファンを名乗る資格はない”、“もし名乗るなら『○○』や『△△』ぐらい当然読んでおけ”、などと言われ続けている人間ですし、その相手側も他のひとたちに対してはそこまでのことは言っていないようですので、ひょっとすると私のほうの気の弱さか何かが原因なのかもしれませんが、多分彼らのほうも、他のひとに同様の大口を叩いて反論された場合、さらに反論するということができないレヴェルのひとたちなのではないか? などという風に邪推しています。

そんな感じのまぁ括弧つきSFファンたちのあいだで交わされた会話ですので、どこまで普遍性がある会話なのかどうか良く解らないのですが、少なくとも三人、乃至四人、多分SFファン且つトレッキーを自認しているひとたちとのあいだで、似たような会話に常になったな、といった記憶があります(人数を明言できないのは身バレを防ぐという意味もありますが、それよりなによりこうした場合、本人は中立だ、或いはジャッジ役だと言っている癖にどう考えたってコイツ、中立って感じじゃないよな? という人物が横に座っていたりするからです)。

──────────

まず大抵この話題は、トレッキーたちの『スター・トレック』語りから始まります(……と、私のほうでは認識しているわけなのですが、この後私が“もう解っている癖に”、「でも僕、『スペース 1999』のほうが好きなんですよね」という禁句を言ってしまいますので、彼らのほうではその時点でなんだか会話が荒れてきたな、という風に感じるみたいです。曰く、“またその話かよ”。“そもそもあれはSFじゃない”)。

因みに『スタトレ』が舞台を宇宙に置き換えただけの西部開拓史だといったような理解は他方である程度一般的なものだと思うのですが、彼らはなぜか、その点は無視しています。
そのうえで同作が、文化的多元主義の理解をいかに推進しているか、ですとか、ヴァルカン人(ミスター・スポックがそのヴァルカン人です)、クリンゴン(戦闘民族なので決闘だとか、怪我などで戦えなくなったひとたちの扱いだとかに関し、独特の習慣を持っています。またファンたちによってクリンゴン語というものが実際に作られたりもしています)、ボーグ(身体に機械を埋め込み意識を共有している全体主義的種族)など、異文化に対する想像力をいかに展開しているか、ですとかといったようなことを熱弁します(まぁその態度自体はどんな作品のファンにだってあり勝ちな話なのですが……)。

実際に私が交わした会話の時点からはずっとあとの話になってしまいますし、文脈的にもだいぶズレた話になってしまうのですが、彼らの『スタトレ』語りを活字で確認できるものから例示するとするなら、こんな感じでしょうか?

>わたしの有利な点は、自分自身が文化人類学専攻だったということだ。
>都の西北のバカな大学、一年生の頃。スチュアート・ヘンリ(本多俊和)というスコットランド系カナダ系(?)日本人の学者が指導する演習(授業)でわたしはイヌイットの暮らしについて学ぶことになる。それが文化人類学とのファースト・コンタクトだった。
>そこで徹底的に叩き込まれたこと。
>それは「絶対に他文化を蔑むな」「他民族を自文化の価値観で判断するな」、つまり、エスノセントリズム(自文化中心主義)の排除だ。
>理性的に考えれば当たり前のことなのだが、「ダイヴァーシティ」が(曲がりなりにも)唱えられることすらない時代に育った十代には、かなりの衝撃だった。
>多様性を「許容する」のではなく、それを尊ぶ、そんな文化多元主義。わたしにとってラッキーだったのは、それが《スター・トレック》の立脚点でもあることだ。

公平を期すため付言するとこの直後に一行空け、「しかし《スター・トレック》とて、最初から多文化主義全開だったわけではない。時代を考えれば超進歩的とはいえ、『宇宙大作戦』はまだまだ偏っていた……今の目で見ると」、などとも書かれているのですが、とはいえ、それは結局、

>最新シリーズ『スター・トレック ディスカバリー』のブリリアントな点は、主人公マイケル・バーナムの職業が xenoanthropologist と設定されていることだ。Xeno は「異なる」を意味する接頭辞、anthropologist は(文化)人類学者だから……「火星の人類学者」ならぬ「異星の人類学者」か。まだ若い惑星連邦と宇宙艦隊が、異星人の文化各種を理解していくためのガイドとしての役割も担っている。
>「多様性を尊ぶ」どころか、それを許容することすら困難になっている現代社会にあって、しぶとく文化多元主義を唱え続ける《スター・トレック》。それを象徴する設定となっていることに、心からの敬意を表したい。

といった形で、最初に引用した文章に回収されていくことになりますから、『スタトレ』こそ現在の多様性を尊ぶSFマインドの先駆けだ! などといったようなプライドは、私が言い合いになったひとたちも共有していたように思います。
(ただこの文化人類学というのが私にはそもそも不信感でして……。例えば文化人類学関連の著作で多様な文化が列挙される際、その並び方は本当に価値自由なものなのか? 実は進歩史観的なものになってしまっているのではないか? などとといったような疑問はしばしば提示されるものですし、確かウォーラスティンなどというひとがやはりその点に関し、文化人類学に罪がないとは言えない、などと言っていたように思います)

もっとも私が言い合いになった最初のトレッキーとの会話ではまだまだ文化人類学の話など出てきていなかったですし、クリンゴンは物語の時間内では当然登場していましたが現在のような形で取りあげられるようなことはなかったですし、ボーグに関してはもっとのちのシリーズで登場することになったのだろうと思います。

しかし、ミスター・スポックがいました。

実はこのミスター・スポックさえいれば上述したような多様性を巡る議論は成立可能ですし、言葉自体は多少違ったものになってはいましたが、そういった会話を実際していました。

例えばこのミスター・スポックというキャラクターは「それは論理的ではありませんね」というのが決め台詞のようになってしまっているキャラクターなのですが、論理というのは突き詰めていくとその限界が見えてくるようなものでもありますし、すると当然、私たちが現在使用している論理とは全く異なった論理もまた存在するのではないか? などといった疑問も出てくることになるわけです。
そして実際二〇世紀の哲学はそうした疑問の周囲を巡り続けることになりましたし、文化人類学などが拾ってくる“非西欧的暮らしをしているひとたち”の文化のなかに、そうした異質の論理が息づいているのではないか? などといった疑問もしばしば提示されるようになりました。
また『スタトレ』作中でも問題のミスター・スポックが突然パニックを起こしたような暴挙にでるシーンがあるのですが、そのシーンのあと彼は、“論理的に考えて完全に詰んでしまっているようなときには、敢えて非論理的行動に出てみることが、かえって論理的なのだ”といったような趣旨のことを言っていたような記憶があります(どの回だったのか、さらに全体としてどんなエピソードだったのかということさえ忘れてしまっている状態ですので、あまり自信を持っては言えないのですが……)。

そしてこのミスター・スポックが正にそうであるところのヴァルカン人には“ポンファー”という発情期があるそうなのですが、それが女性の生理の隠喩にもなっているそうで、“『スタトレ』は 1960 年代にあって早くもジェンダー問題を先取りしていた”、などといった話にもしばしばなっていました。
(ただその反面、先の「感想」の投稿で触れた女性通信士官=ウフーラの話などはまだ私たちの議論には出てきていなかったような気がします……。やっぱり私たち、レヴェルが低かったのでしょうか?)

そうしてこの辺りまでのやり取りのあとトレッキーたちとの会話が荒れたものになっていくわけですが、ジェンダー問題などを論じるひとたちにはあり勝ちな話で、“しかるに日本の戦隊ものなどはこの点で遥かに遅れていて、リーダーのレッドは常に男性、女性メンバーのカラーはピンクがイエロー、……で、イエローってのは女性でないときはキレンジャーなどデブが嵌まっているポジションで……”などといった話になっていくわけです。
そこで私が発言し、槍玉に挙がっている作品を多少擁護したところでそれでジェンダー平等を否定したことにはならないだろうとも思うのですが、議論というのはなかなか理想通りにはいかないもので……。

さらに『スペース 1999』第2シーズン登場のマヤというキャラクターがそうした視点で観た場合ファン自身にとってもちょっとな、と認めないわけにはいかないようなキャラクターで、しかし名作としての地位が確立していると言っていいだろう『ウルトラ・セヴン』の友里アンヌにだって同様の問題があるとも言えそうで、またそもそも話の発端になった『スタトレ』のヴァルカン人自体がネイティブ・アメリカンを理想化したものだという解釈もあり、もしそうした解釈が妥当ならそういう一方的理想化とか和解の押しつけとかってどうなの? といったような疑問も湧いてきて、「でも『スペース 1999』、やっぱ僕、好きなんですよね……」、という発言にも“解ってる癖に”なってしまったりもするわけです。

すると話は一時科学考証のほうに移っていき……。

──────────

『スペース 1999』というのは月に埋めた核廃棄物が爆発してしまい、結果軌道を離れ彷徨いだした月が宇宙を巡っていき、その月の基地=ムーンベース・アルファのひとたちが様々な冒険や異星人との出会いを繰り返していく、……といった話なのですが、“ただ慣性で漂っているだけの月が地球外知的生命に偶然出会う確率なんて一体何パーセントだと思ってるんだ? 第一話が始まる前にアルファのメンバー全員、とっくに塵に還っちゃってるよ”、“あんなもん、マトモなSFファンなら相手にしないね。悪いけど君、もうSFファンとは名乗らないでね”、などといったことまで言われてしまいます。

私の周囲だけだったのでしょうか?
SFファンの口の悪さというのは本当に相当なもので、どこからかわざわざ idiot などという言葉まで探し出してきて……。いや、ただの英語なのですが……。

なんか告げ口のようになってしまって恐縮なのですが(まぁ実際そうなのですが……)、いかすみこ様が好きだという新井素子氏に関しても私にはヒデェなと思える物言いがありまして、曰く──。
“素子ちゃんのあれはSFとは言えないんだけど、そう言うと彼女が喜ぶから、SFだということにしてあげてます”
私の周囲だけなのでしょうか?
1990 年代、複数のSFファンから何度も聞かされた慣用句のような言葉だったのですが……。

そうして私のほうもドレイクの方程式などを使って彼らに反論することになるわけですが、こちらは残念ながら低レヴェル・ヲタ決定状態ですので、“ドレイクの方程式によると~”などとカッコ良く反論し始めるわけではなく、“ほらほらあれあれ、『COSMOS』の何回目かのエピソードで紹介されてたろ? この銀河系に電波での通信技術を持った文明が同時に幾つ存在できるかって推定するような式があって、あれによりゃ確かそんなもん九個か十個で、そうなりゃ宇宙船に乗って探しにいったってどうせ出会えるわきゃないんで、『スタトレ』だって『スペース 1999』だってどっちもどっち、五十歩百歩だろ”などといった発言のあと、いつもいつも不毛な泥仕合になっていくという結果になってしまうのでした……。
(私の世代では 1980 年放送の科学ドキュメンタリー番組『コスモス(宇宙)』で上記の式を識る人が多かったのですが、例えばその頃アニメと並行して刊行されていた 1979 年版『サイボーグ 009』でも、001 に、その式を解説させているシーンがあったように記憶しています。もっとも現在では「文明の数 銀河」で検索したら『Wikiepdia』の記事にすぐ辿り着くことができまして、Net 切られちゃったらホント、困ります……)

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ひと様の「感想」欄に長文投稿してしまい、誠に申し訳ありませんでした。

失礼しました。

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引用参照文献
丸屋九兵衛「(They call me)TREK DADDY[第 109 回]」『S-F マガジン(2018 年 4 月号)』早川書房、2018 年、258-259 ページ(因みにこの号では菅浩江氏の作品が良かったなと思いました)。
「スペース 1999」『ja.Wikipedia』2023/07/29 閲覧。
「ドレイクの方程式」『ja.Wikipedia』2023/07/29 閲覧。
「バルカン人」『ja.Wikipedia』2023/07/29 閲覧。
ご丁寧な返信ありがとうございます。

とても詳しく書いてあり、軽い気持ちで質問してしまったことに申し訳なさを感じております。

お詫びをもう一つ。

すみません。
とても詳細に説明していただいているのですが、話題に上がっている作品の内容を知らないものでほとんど状況がわかりません。
勉強不足でお恥ずかしい限りです。(@_@)

とりあえず、SFファンは昔も今も熱いなという事だけは伝わりました(笑)

○○はSFじゃない、というのはSFファンのじゃれ合いというか問答合戦みたいなものですから寧ろ様式美だと思っています。
いかに自説を通すかに皆さん力を入れてるみたいですね。

私はネット上のディベートにどうしても興味がわかないので、あまり参加はしませんが。

みんな違ってみんないい。
全てのSF好きにマイベストSFがあると思っています。

ありがとうございます。
[良い点]
そうした話題(『ヤマト』、『ガンダム』ばかりがSFじゃない)に関しては私自身は微妙な立場なのですが、とはいえ、その話題自体は、SF好き同士の話題としてはまさに“華”とも言えるような話題だと思いましたので、良いと思いました。
[気になる点]
>先ほどの作品以外では、スタートレックや銀河英雄伝説などが有名です。SFのなかでも人気のジャンルです。

この点の前者のほうがまさに私の立場を微妙なものにさせてしまっている理由の一つでして、確か他のひとへの「感想」でも愚痴ってしまったことがあるのですが、スタトレ好きに「(TVのSFドラマでは)僕、『スペース 1999』のほうが好きなんですよね」などと失言(?)してしまったがために、“あんなもんSFじゃない”式の大勘気をこうむる破目になってしまったということが多々ありまして、オマケに『SF-マガジン』のスタトレ関連の記事などがいまもPC関連のアナウンスを繰り返し押し出してきていたりもするのですが、以前からキング牧師がウフーラ押しだったという事実(「スタートレックのファンだったキング牧師は、「ウフーラは黒人の子供たちにとって目標である」と語った。後に『新スタートレック』でガイナンを演じたウーピー・ゴールドバーグも、ニコルズが演じるウフーラを見て女優を志した。黒人女性として初めてスペースシャトルで宇宙に行ったメイ・ジェミソンもまた、ウフーラの活躍を見てその職業を志した人物の一人である。」*)などもあり、その話題の終了時にはこっちがレイシスト扱いされてしまっていて、……などということ多々もありました。
『スペース 1999』にだってカノやサンドラといったキャラが出ていましたし、ヤスコ・ヌガミという日本人キャラだって出ていたのですが……。まぁそれ自体オリエンタリズムだという批判もあり得るかもしれませんが、だったら、ウフーラだって?

>バトルを否定する内容に受け取られるかもしれませんが、宇宙物も大好きです。ただ、範囲はもっと広いと布教したかっただけです。ちなみにガンダムや宇宙戦艦ヤマトの作者さんたちもSF小説大好きだそうです。

いかすみこ様もこう書かれていますように“○○だけがSFじゃない”という主張と“○○はSFじゃない”という主張とは本来別モノなのですが、むしろSFファンのほうにこそ、それら両者を混同してしまっているひとが多いような気がします。
というわけで私はSFは好きですがSFファンは大嫌いです。また自分がSF好きだと発言すること自体に関しても、ある種の覚悟を強いられてしまっているような気がします(しかし、勇を鼓して“私はSFが好きだ”と発言する場合、言葉自体は“私はSFファンだ”ということにもなってしまったりもするのですが……)。

* 「ウフーラ」『ja.Wikipedia』2023/07/27 閲覧。
[一言]
なんかオッサンの愚痴になってしまって、どうも済みません。

当方現在ネット環境が不安定で、本来なら自分の書きかけの文書を完結させるのを最優先しなければならないのですが(最終章末尾に引用参照文献表をつけるつもりだったのにその連載が途中になってしまっていて、……などというエッセイまであるといった状態でして……)、今回は常に関心を持っている記事が上がってきていましたので、ついつい余計なことを書いてしまいました(とはいえ投稿自体は五月なのですね? そのときにも読んだのかもしれませんが、「感想」の投稿のほうは自粛したのかもしれません)。

大変失礼しました。
追記

同じくメンタル面での問題ですが、私は映画やテレビが刺激が多くて子どもの頃よりほとんど視聴したことがありません。
※『ドラえもん』でのび太が殴られるシーンで泣いてしまう小学生でした。

特撮やドラマにも浅学です。

小説や漫画以外の事には本当に疎いです。よろしくお願いいたします。
すみません。
もしかしてなろう界隈でSFに関する話題が盛り上がっていたのでしょうか?
全く知らず、申し訳ないです。

実はこのエッセイは大好きななろう作家さんの『え? SFって、スペース・ファンタジーの略じゃないの?』というエッセイを読んで、ファン以外の方との認識の違いに驚いて書いた物です。

あんどこいぢ様の話題とはたぶん、無関係かと(;'∀')

思いっきりぼかして書きましたが、私はスペース・オペラに全然詳しくありません。
実は戦記物はメンタルに負担がかかり辛いので、あまり読めないのです。


SFでも、星新一氏や新井素子氏、眉村卓氏、海外ではレイ・ブラッドベリやジュール・ベルヌなどが好きです。
ただアーサー・C・クラークの2001年宇宙の旅やアイザック・アシモフの銀河帝国の興亡シリーズやその他も好きなので、宇宙物が好きというのも本当です。


SF界では長年スペキュレーティブ・フィクション(思索的小説)派とサイ・ファイ小説派で長年論争が繰り広げられていた経緯を知っており、両者の有名作を書いておいた方が無難かと考えスペース・オペラの題名も書きました。
という訳で、スタートレックのキャラクターもDr・スランプに出てきたスコップくんのモデルのミスター・スポック氏しかわかりません。m(__)m
そのため配慮の無い文章になってしまったかもしれません。意図したものではありませんのでご容赦ください。

知らない事とは言えお騒がせしました。

もしよろしければ、どんな話題なのか教えて頂けると嬉しいです。SFの話題が大好きです。
イチSFファンより。(*^▽^*)
[良い点]
おお、言いたいこと言ってくれた気がします!sfは科学を添えることで実現可能な余地を残したという説はわたしも支持します。
自分の1番好きなSFは「地球の長い午後」、「たった一つの冴えたやりかた」、「三体」です。もし読んでなかったら是非〜!
  • 投稿者: iridium
  • 18歳~22歳 男性
  • 2023年 05月30日 13時57分
ありがとうございます(*^^*)

「三体」と「地球の長い午後」未読です。地球の長い午後は名作として有名ですよね。
若いころ、文章の難解さで最初の方で挫折してしまって。もう一度チャレンジしたら読み通せるかな?(;^ω^)
三体、初めて知りました。人気作なんですね!最近、長編から逃げまくっているので時間をかける読書をしてみたいです。

たった一つの冴えたやりかた、大好きです!!表紙が可愛くてジャケ買いしましたが初読でボロ泣きしました。
ヒロインの最後のセリフのタイトル伏線回収は圧巻ですよね!
作者のジェイムズ・ティプトリー・ジュニア氏の他の小説も買いあさりました。
短編集の星ぼしの荒野からに収録されている「たおやかな狂える手に」がお気に入りです。
[良い点]
元ネタ探し楽しいですよね~。私も宇宙の戦士とか履修済みです。
[一言]
SFと認識されてるか怪しいんですがポ○モンの設定周りはガチのSFですよね。化石から復活させたり、人工的に作ったりなどなど。
子供時代から身近に触れてきているので改めてSFとおだしされてもそうだとは認識できてない人も結構いそうです。
  • 投稿者: 通りすがり
  • 2023年 05月28日 22時29分
感想ありがとうございます!
宇宙の戦士、ガンダムのモデルになった作品ですよね!安彦先生はハイラインがお好きと読んだことがあります。元ネタ探し、楽しいですよね〜♪ハイラインのバトル小説だと人形使いが印象に残ってます。ナメクジが怖かったです…
チキンハートなので、夏への扉とかジョナサン•ホーグ氏の不愉快な職業など、牧歌的な小説に惹かれてしまいます。

ポケモンが、ガチSFとは知りませんでした!
化石から復活させると言えばジェラシック•パークのオマージュでしょうか?
ググりたくなりました。
ジェラシック•パークで思い出したこと。
佐々木淳子氏の青い竜の谷という漫画も化石から恐竜を復活させた、パークが舞台です。
ジェラシック•パークより前の作品です。
ハリウッドがパクるということはなさそうなので、たまたまアイデアが被ったのでしょうか?

アイデアの共通点探しも楽しいです(≧∀≦)
※SFの話になると、急に饒舌になります
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