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すごい物語でした!
高温多湿なベトナムの空気にあっという間に飲み込まれ(といいつつ、ベトナムの地を踏んだことはありません……タイならなんとか……)、あっと驚くようなドラマティックな展開に、息を詰めて拝読しておりました。
そして読み終えてから、ずっと余韻に浸っております。
最終話で描かれた景色、木々がうっそうと生い茂る山奥の濃い緑と、そこに息づくひっそりと、でも明るく希望に満ちた集落が脳裏に浮かび上がり、透き通るような歌声がこちらまで聞こえてくるようです。
冒頭からして、その情景描写やひとびとの描写がとても鮮やかで臨場感があり、ずっと映画だったりドラマだったり、そういった色彩豊かな映像を見ているような心地でした。

そしてそういった優れた視覚(?)描写だけでなく、さまざまなひとの思惑や政治的状況が複雑に絡み合っていて。
大龍将軍や仙人のお話などは、民話らしいおもしろさがあって、きっとベトナムについて造詣があれば、もっと楽しめたのだろうなあ、と悔やまれます。
とはいえ、そういった異国情緒溢れる雰囲気がいっそう深みを増しているように感じられ、王姉妹のエピソードを含め、宮廷軍の将軍たちのお話も、とてもおもしろかったです。

ベトナム史をまったく知らないことから、反乱軍の結末がわからなかったので、「この反乱は成功するのかも!!!!」と、めちゃめちゃ興奮しておりました。
そういった中で、だんだんと暗雲が立ち込めていく様子に不穏さを感じ、そのあたりである程度覚悟をしてはいたのですが、黎文懐の最期はとてつもなく衝撃的でした。
黎文懐を好人物だと感じていたから、ということもありますし、うやむやに逃げることなくしっかりと描かれた展開にひたすら圧倒されたからです。

順化への道のりだったり、入城してからの描写にも、息を詰めて拝読しました。
訓をあまり好かないというカテキスタの気持ちも、すごくよくわかります。
皆、自分の事情しかわかりませんし、表面上に浮かび上がってくる情報を自分という、ごく狭いフィルターを通じてしか判断できないものですから、彼がそのように感じることには、ものすごく理解できます。

そしてまた、第6章 10で明命帝が語った言葉も、とてもよく理解できます。
虐殺を肯定する、というわけではなく、彼の立場としてこういう見解になるのはわかる、というのと、過去に鎖国を選択した日本の歴史を鑑みると、というような。
それに明命帝は、言動に筋が通っているように思えました。

一方でマルシャン。
彼のやり口は、感情的には反発心がありますが、頭では理解できます。
キリストから始まったのであろう自己犠牲を尊ぶ思想もわかります。
ただし、「そんなに聖戦がやりたいのなら、マルシャンが自己犠牲を捧げればいいのに」と思ってしまいましたが。
キリスト教の尊ぶ自己犠牲について、ナザレのイエスは彼自身が納得し受け入れていたものですけれど、訓の自己犠牲は外部が押しつけたものであり、自己犠牲の性質が異なるように思うので。
とはいえ、昔のカトリック教徒がこういうやり口をとることには、すごく納得してしまうなあ~という偏見が……。
聖戦といえばの十字軍もそうなんですが、昔のローマ教皇って、神を騙ってやりたい放題なひどいやつ多かったよなーとか。
三枚舌外交といえばイギリスですが、今回のような二枚舌外交ならフランスも枚挙にいとまがないというか。
神の使命として戦ったジャンヌ・ダルクをあっさり見捨てたフランス王シャルル7世とか、「いともキリスト教的なる」王とか言われながら、宿敵カール5世を倒すためならイスラム勢力と手を組んじゃうフランス王フランソワ1世とか。
付け焼刃な知識しかない上に偏見まみれですが、マルシャンを始めとしたフランス側の動きには、めちゃめちゃ納得してしまいました。

話は変わって、訓の出生の秘密にはとても驚きました。
そして訓の自己問答にはとても考えさせられました。
軽い言葉でしか書き表せないのが悔しいのですが、こちらの心の奥深くまで触れられて、考え込むような。
深い自己問答の様子や、臨場感ある描写、拝読しているこちらにも問題を投げかけられるかんじなど、昔に読んだ遠藤周作著「沈黙」を思い出しました。

しかしながらこちらを読み終えたあとの温かな心地は別物で、、訓が逃した子供たちが自力で立ち上がり、訓を救い出し(こちらのシーンにはめちゃくちゃ高揚しました!!!!)、そして最後にはまるで楽園そのものような場所で、幸せに暮らしている様子など、本当に本当に嬉しかったです。

高文司祭も、途中ちょっぴり疑ってしまったんですが、本当に本当に、素晴らしい方で!
信仰を広め、神の愛を広めよ、というキリスト教的正義からは、もしかしたら外れてしまっているのかもしれませんが、俗世界に身を置き、いずれか来る「より崇高なるよき未来」より、生きている今、目の前のひとの苦しみを除きたいと思ってしまう俗人の私には、高文司祭は本当に素晴らしい方だと感じました。

要領を得ない、とんでもない長さの感想をおしつけてしまってすみません……。
本当に本当にすごいお話でした!
心揺さぶられました。
素晴らしい大作を読ませていただき、ありがとうございました。
  • 投稿者: 空原海
  • 2025年 02月12日 02時45分
空原様

お返事が大変遅くなり申し訳ありません。

最後までお読みくださり、本当に本当にありがとうございます。「聖蹟は遥か遠し」は私の中でも特別な話で、誰かと「聖蹟」についてのお話をするのは夢の一つでした。空原様のおかげで叶ってとても幸せです。

今になって思い返すと、良い意味でも悪い意味でも「よくこんな話を書いたもんだ」という気がします。物語として破綻している部分やこの上なく雑に流した部分が多々あり、とても全て読み返すことは恥ずかしくてできないのですが、好きな要素をこれでもかとぶちこみ、書いてみたかったことを全部書いた特別な経験でした。

先日は、私が「魔女の恋」に書かせていただいた感想に対して、とてもお心のこもった返信をくださりありがとうございます。拝読した時、私も「自分は今夢見てんのかな」と思いました。「魔術師とオオヤマネコ」とかまで読んでくださっているなんて、信じられないほど嬉しいです。(趣味が完全にバレてしまったみたいですが……。)

空原様が書かれる小説には、私の小説には決してない文章の美しさ、会話の軽妙さ、設定の緻密さ、読み手の感情を揺さぶる見事な盛り上がりなど挙げきれないほどの素晴らしさがあり、とても憧れます! これからもたくさん、空原様の小説を楽しませていただけたら嬉しいです。

「聖蹟」の中身についてですが、実はベトナムに行ったことはまだなく、風景描写はほとんど想像でした。たしか南部の方はマングローブ林があったはず! とか、竹林に囲まれた社(村)についての文献を見たことがある気がするから、クレティアンテは森の中だな、とか、嘉定はめっちゃ暑いだろう、とか。(空原様はタイに行かれたことがあるんですね! 羨ましい! いつか東南アジアを旅行してみたいです)るるぶを読んで、どんなものを食べているのか想像したこともありました。

黎文懷は私も好きでしたが、実在の人物なので史実と違う結末にしたくないと思い、ああいう結末を迎えることになりました。実際の彼がどんな人となりだったかはあまり本に書かれていないのですが、卓越したリーダーシップの持ち主で、義理の父を愛する情が深い人物だったのだろうと思っています。

マルシャンに関しては、ピニョーの一人息子という訓の立場に嫉妬していて、目障りだと常々思っていたのでしょうね。訓の死をフランス軍介入のきっかけにしようと企みながらも、本当のフランス人ではない彼の命を犠牲にすることに何の良心の呵責もなかったのだと思います。ざまあ見ろとほくそ笑んでいたかもしれません。ただ、マルシャンがあの後どうなったかについては史実準拠としますので、十分過ぎる報いを受けることになります。(史実のマルシャン神父はさすがにもっと高尚な理念を持っていたのだと思います)

この話を考えた当初は、訓が死んで終わるのが物語的にきれいだと思っていました。でもあまりに悲惨すぎて嫌だったので、結構早い段階で象に乗って子どもたちが助けに来るエンドになりました。明命帝や訓の母親やマルシャンたちがどうなったのかは、訓たちはもう何も知らなくて良いと思います。
 
高文司祭、最初に書いたのは訓が嘉定から文懷たちと帰ってくる時のシーンだったのですが、あんなにキーパーソンみたいになるとは思いませんでした。でも、よく見たら彼はいつも訓のことしか心配してないんですよね。彼にとっては訓はいつまでも小さな坊やなのだと思います。(どうでもいい話ですが、象に乗って救出された後の訓を高文司祭が看病していて、ピニョーの亡霊にお礼を言われる話を妄想したことがあります)

私も完全に俗人なので、キリスト教的な正しさにはいまいち共感できず、また、かなり偏見のある書き方をしてしまいました。また、結末がキリスト教の否定という形になってしまったので、いつかキリスト教を全肯定する話も書いてみたいです。当時のベトナムにもキリスト教に救われた人がたくさんいたからこそ、黎文懷の反乱が躍進したのだと思います。私はつい露悪的な話に走りがちなので、もっとこう、きらきらした…明るい話とか、優しい話とか笑える話とかをいろいろ書けるようになりたいです。

私の方こそまとまりのないお返事になり申し訳ありません。長々と失礼しました。

改めまして、「聖蹟は遥か遠し」をお読みくださり、ありがとうございました!!!

随龍……!
この人、アヘン扱ってるのか!!!!!!
武器だけじゃなかったんですね。
子供にアヘン……うさんくさい人だなあとは思っていましたが、まさか子供にアヘンまで。
アヘンはだめで、戦争に加担させるのはいいのか、とか、そういうわけじゃないんですけれども。

ピエトロのエピソードは拝読したとき、衝撃だったのと、それから涙がこらえきれませんでした。
それから訓の過去があまりに苦しく、華の傷ついた様子も痛ましく。
また、王姉妹(徴姉妹はギリギリ名前を聞いたことがあったので、ぜんぜん時代が違うのに、てっきりこの方々だと途中まで思っていました)についても、ピエトロのことを思えば憎い敵であるにも関わらず、彼女たちもまた、どうしたって自由には生きられない悲劇に苦しんでいて。
みんな必死に生きているだけなのに、と、せつなくなりました。

ていねいに描かれるそれぞれの心情と、絡み合う物語に、その都度感情がゆすぶられます。
彼らはこれからどんな選択をして、どんなふうに生きていくのだろう。どんな結末を迎えるのだろう、と、早くこの先を読み進めたい一方で、一文字ひともじを味わい、浮かび上がる景色をじっくりと想像したり、長考したりしながら拝読したい気持ちとで揺れております。
読み進めるたび、すごいお話だ……! という新鮮な感動でいっぱいになります!
  • 投稿者: 空原海
  • 2025年 02月09日 04時36分
お読みくださりありがとうございます! もうそんなところまで……! とても嬉しいです。

莫随龍は手広く商売をしていたので、アヘンも扱っていました。子供に吸わせようとするのは本当に良くないことですね。おそらく英和をアヘン中毒にして、なんでも言うことを聞く手下にしようと企んでいたのでしょう。

空原様のおっしゃる通り、訓も子供たちも華僑の一団も、宮廷軍の皆やマルシャンたちでさえも、生きている「今」をなんとかしようと、あるいは自分の信念の為に必死なのだと思います。私の拙い文章から彼らの頑張りを読み取ってくださり、本当にありがとうございます。

お察しの通り、王姉妹のモチーフの一つは徴姉妹です。また、彼女たちの悲劇的な人生は、阮朝時代の代表的な字喃文学「金雲翹」(キム・バン・キエウ)をイメージしました。徴姉妹のような、悲劇的な人生でありながらも力強く戦った女性たちを手強い敵として出したかったのです。(反乱軍はキリスト教徒といういわば外部勢力の集まりだったので、敵対する宮廷軍はこれぞベトナム!という面子にしたいなとも思っていました)

自分で思い返すと恥ずかしい部分や破綻している部分もいっぱいなのですが、最後までお読みくださりますと嬉しいです!
ピリピリと緊迫したやりとりから、明命帝の頭の回転の速さと、同時に皇帝ならではの威圧感を感じていたのですが、「宮廷料理の食材表」にさしかかったところで、思わず笑ってしまいました。
そこから続く近習のとぼけ具合にほっこりして、そして、皇帝と太利との気の置けないやりとりに胸がじんわりしました。
皇帝にとって信頼のおける幼馴染太利と、ぬけてる近習だけが、張りつめた宮廷にいて心安らげる相手なのかなあと思うと、なんだかせつなくて。
でもこの方、きっと訓たちの敵になっちゃうんですよね……。

だれが間違っていてだれが正しいとか、誰が悪で誰が善、と一概に裁くことはできず、それぞれがそれぞれの信念だったり覚悟だったり、さまざまな背景を背負っているんだろうな、ということがしみじみと感じられます。

もうちょっと前のエピソードで、訓が怜の法的な夫へ与えた説教であったり、なるべく誰にとっても苦しみの少ない道へと促したことには、とても感嘆しました。
でも訓は自分自身の問題は抱えたままなのですよね。
こんなにも人にたいして誠実に向き合っているように見えるのに、というより、誠実だからこそなのか、「他人の葛藤に対して真剣に同情できない」だなんて考えている。
彼がこれからどのように感じ、どのように動くのか、とても興味深いです。

聖歌隊のこどもたちのエピソードは微笑ましくて、生き生きとしていて、躍動感があって、とっても素敵でした!
それぞれの個性も際立っていて、それぞれの顔つきが見えてくるようでした。

そして先日はていねいなお返事をありがとうございます。
さきばしった誤字報告について、ご不快にさせていなければいいのですが……そのせつは大変失礼いたしました。

また「登場人物が女性蔑視的な発言をすることや、残酷な描写が入ってくる」とのことですが、時代背景も含め、生きている人間の姿が感じられる描写に、とてもひきつけられております。
童話とはまた違う六福亭さまのつむがれる物語、こちらもまた夢中になって拝読しております。

残酷な現実がありつつも、ことさら露悪的に強調して描かれるのではなく、ドライに描写されていることだったり、さしはさまれる軽快なユーモアであったり、人の心の温かさ、あるいは苦悩といったものが、本当に魅力的です!

特別な信仰心を持たない身であり、かつベトナムを含む歴史に無知なことから、感想を書かせていただくにあたって、おかしな解釈をしてしまうかもしれません。
そのときはご指摘いただけますと幸いです。
  • 投稿者: 空原海
  • 2025年 02月04日 16時28分
ありがとうございます!
誤字報告、すごくありがたいです! 誤字や名前間違いがあるとすごく恥ずかしいので……。

お読みくださりとても嬉しいです。今読むと恥ずかしさが勝ってしまいあまり読み返すことがなかったのですが、書いていた当時すごく楽しくて、この小説のためにカトリックのミサの見学をしたりカテキズムを読んだりしたのが懐かしい思い出です(笑)

私自身キリスト教徒ではないので、間違った教義の認識をしているかもしれません。卒論でピニョー司教を題材に取り上げたので、彼に息子がいたらどんな人生を送っただろうと思ったのがこの話を書いたきっかけでした。楽しんでいただけたら何より嬉しいです。

ベトナム史は中国史などに比べると先行研究や歴史小説が少なく、いろいろ勝手に想像できてとても楽しい分野です。私の拙い小説で、ベトナム史に少しでも興味を持っていただけたら良いなと思います!
とても興味深く拝読しております。
ベトナム史に詳しくないどころか、さまざまな固有名詞もさっぱり状態ということもあり、調べながらで、とてもゆっくりではあるのですが。

そして無知のため、前ページで「アンリ」なる固有名詞をマルシャンであると誤字報告してしまいました。大変失礼いたしました。
そうしましたら、こちらのページでもところどころアンリが出てくる……ということは、ジョセフ・マルシャン司教はアンリなる名も持っておられるということでしょうか。
それともアンリというのはお名前ではなく、なにか違う固有名詞だったり役職名だったりするのでしょうか……?
一応ググってみたのですがわからず、たいへん恐縮ながら質問させていただきました。
とんちんかんなことを言っていると思います。すみません。
お手数をおかけしてしまうのですが、ご教授いただけますと幸いです。
  • 投稿者: 空原海
  • 2025年 02月02日 18時26分
お読みくださりありがとうございます……!

マルシャン司祭の名前がアンリだったのですが、別のところでジョセフ・マルシャンになっているのでしょうか?だとしたら、とんでもない間違いですね、ごめんなさい(涙)

固有名詞の説明がなく、かなり不親切な小説だと思います。申し訳ありません。引き続きお読みくださるのであれば、何でもここで聞いていただけたら…と思います。

また、この先、登場人物が女性蔑視的な発言をすることや、残酷な描写が入ってくることがあり、不愉快な思いをさせてしまうと思います。その場合は読むのを中断していただいた方が良いかもしれません。小説は楽く読んでくださるのが何よりと思いますので、ご無理はなさらないようお願い申し上げます。
[良い点]
申し訳ないことにベトナムの歴史や文化には明るくないため、この時代のお話か!と史実と比較をしながら楽しむというような読み方はできなかったのですが、未知のものに触れる感覚が凄く新鮮でした。
それと同時に平易な文で書かれているので、親しみやすいのもまたよかったです。
何よりも訓の父親に対するコンプレックス、周囲の人たちの思惑や感情に振り回されてしまう苦しみなどが悲しいほどに伝わってきて、彼の苦悩に胸が痛くなりますね。
終盤の文懐と彼が話をしてからの展開では、やっぱり駄目だという諦めが最終的に希望になったため、心の底からホッとしました。
それでは引き続き、コンテストをお楽しみください。
ありがとうございます。感想いただけてものすごく嬉しいです。
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