感想一覧

▽感想を書く
[良い点]
別に重箱の隅を楊枝でほじくるようなことではないと思う。
この文章のタイトルを見た時は、そういう内容の言いがかりまがいな内容かなと思ってみたけど、違いました。
[気になる点]
>>「地球には海がある」
>>「この地球には海がある」
>>「この」が付いているかどうかで文章から受ける印象がかなり違いませんか?

地球には海があるというのが第三者視点の地の文とかなら何の違和感もありませんが、例えば普段我々が生きていて、他の惑星との比較とかの宇宙の話題でもしてるわけでもないのに、地球には海があるなんて言ったり思うことがあるだろうか?
つまりこのがあろうがなかろうが、他と比較しない限り、この手の文章はまず浮かばないのではないだろうか?

だからこのがあろうがなかろうが、「世界には魔法がある」なんて異世界の住人が唐突に思ったり言い出すのは、おかしいと思う。
物理学の世界では4つの力でどうたら(弱い力、強い力、磁力、重力 詳しくないので適当なことを言ってたら知らない)らしいですが、世界には重力があるなんてことを、唐突に思うだろうか?
私は普段生きていてこんなことを突然思ったりはしない。
物理学者と中二病の人は別かもしれないが。
異世界の住人からしたら、生まれた時から当然のようにある魔法は、我々にとって重力とかと何ら変わらないと思うので。
昔は魔法なんてものがなかったが、のちに何らかの理由で魔法が発生したとかなら、魔法が無かった世界と比較ができるので、この手の発言も理解はできますけどね。
[一言]
某週刊少年ジャンプの人気作品の愚痴スレにあった
クラウドシンキングを思い出しました。

以下コピペ↓↓

仲間の事を心配しないのは「作者が仲間を無事だって決めたから」だよ
この漫画は作者が設定を決めた瞬間にキャラクター全員にその設定が共有されるクラウドシンキングシステムを採用してるから
無事だってわかってる人を心配しないだろ?

全く同じ理由で「作者が虎杖は二度と暴走しないって決めたから」乙骨と平気で別行動するし
「作者が呪力0は強いって決めたから」真依は突然姉の呪力を奪いに行ったんだよ
キャラクターの心情でおかしいなって思ったことの8割くらいはこれで説明がつく
この漫画に個人の思考なんてものは存在しない

↑↑コピペ終わり


個人的には素敵な世界の作りこそねの結果としての、その手の失敗ではなく、個人の思考の欠落からくる、失敗だと思う。現地人のそいつの個人の思考があるのなら、その手のことを言うことは絶対にありえないのだから。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2023年 07月16日 03時31分
管理
>>別に重箱の隅を楊枝でほじくるようなことではないと思う。

私としては違和感やモヤモヤが強いことだったのですが、他の人から見れば細かいことだったかな。と思ったため記載しました。なのでそう言っていただけると嬉しいです。

>>地球には海があるなんて言ったり思うことがあるだろうか?
>>つまりこのがあろうがなかろうが、他と比較しない限り、この手の文章はまず浮かばないのではないだろうか?

これは確かにその通りだと感じました。
不適格な例え話だったかもしれません。

空気と同様にあって当然で、宇宙や他の惑星が話題になっていない限りはまず思考にも上がらないようなことですね。

理科なんかの授業で他の惑星の話をした時に
「地球には海があるけど、月には海がない」
なら分かるけど唐突に「地球には海がある」と思うことはまずないですね。

>>だからこのがあろうがなかろうが、「世界には魔法がある」なんて異世界の住人が唐突に思ったり言い出すのは、おかしいと思う。
>>物理学者と中二病の人は別かもしれないが。
>>昔は魔法なんてものがなかったが、のちに何らかの理由で魔法が発生したとかなら、魔法が無かった世界と比較ができるので、この手の発言も理解はできますけどね。

仰る通りですね。魔法を研究しながら旅をしている学者や教師なら講義するという形で説明できるかもしれませんが、理由もなく説明しだすというのは「この世界は」と同じように違和感がありますね。
それか物心がついた主人公が両親か教師から魔法について初めて教えてもらい、魔法を極めようと思った。などの回想として説明するなら自然に描写できるかもしれません。
どのパターンにせよ、きちんとその思考になるような状況を整えなければ違和感に繋がってしまうということですね。

クラウドシンキングというのは初めて聞きましたが凄い内容ですね。興味深い内容でした。
作者は分かっていることでも物語の登場人物は分かっていないというものはあって当然ですし、そこを気をつけなければいけませんね。

>>個人的には素敵な世界の作りこそねの結果としての、その手の失敗ではなく、個人の思考の欠落からくる、失敗だと思う。現地人のそいつの個人の思考があるのなら、その手のことを言うことは絶対にありえないのだから。

確かに一人称視点で書いているにもかかわらず、その個人の思考をしっかりと考えきれていないのは致命的かもしれませんね。
私も重々気をつけないとと感じました。
[良い点]
なるほどと思いつつも、自分でもやりがちな事項ですね。
別世界の記憶のある転生者なら普通のことですが、現地人の一人称でやると変ですね。
[一言]
一人称の利点は『ウソが書ける』ことだと思います。
視点の人物が知らないことは書けないですし、勘違いしていることもあります。で、読者をミスリードさせる話も作れます。
三人称だと、地の文ではウソを書かないことが鉄則ですね。

 偉そうに今回のようなエッセイを書いていますが、私自身も気が付いていないだけということも考えられます。
 自分の作品だからこそ気が付けないということは往々にしてあると思うので、気づきのきっかけになれたのであれば幸いです。
 転生者であれば自分や読者とそう変わらない常識で書けるので便利ですよね。
 現地人には現地人の、私たちとはまた違った価値観や常識を語れるので面白い要素になりますが、今回のようなことに注意しないといけないので大変かもしれません。

 一人称の利点はまさにその通りだと思います。
 いかに高名な絵画であっても視点となった人物が知らないのであれば「風景の絵が描かれている」だけで良いですから。

 三人称であれば時と場合にはよりますが、「この絵画は有名な○○が晩年に描いた作品で××を使用し鮮やかな色彩を表現し~」ということまで書かなければならないかもしれませんね。
 三人称だとそれなりに細かく描写しなければならないという印象を持っています。
 ウソを書いてはいけないということももちろんですが。

 余談にはなりますが、小説を書く時に一人称が良いのか三人称が良いのかは良く悩みます。どちらにも良い点、悪い点がありますから。
[一言]
共感しました。
私もファンタジーの現地人が現地人の思考をしていない作品にモヤモヤすることがあります。
  • 投稿者: あま澪
  • 2023年 07月15日 09時10分
 共感していただけて嬉しいです!
 せっかく現地人が主人公なのですから、現地人らしい描写をして欲しいですよね。
 どの作品かまでは覚えていないのですが、「魔法が銃弾のように降り注ぐ」といった文章を読んだことがあります。その小説もファンタジーの現地人で銃なんてものも出てこなかったので、非常にモヤモヤしたことを覚えています。
 良い作品なのに勿体ないですよね。
↑ページトップへ