感想一覧
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[良い点]
戦国の特異点。商人出身大名、宇喜多氏・黒田氏・小西氏は全て備前福岡近傍で草創。面白い、興味深い。
[気になる点]
歴史上のその他、主な特異点。
斎藤道三、松永久秀は、山城国西岡の同郷人。(「国盗り物語」等による。確証はない。)戦国の梟雄は同郷人?
尾張出身の織田信長・豊臣秀吉、三河出身の徳川家康。三人とも現在の愛知県出身。「愛知三英傑」(単に織田信長の引きがあったから、豊臣秀吉・徳川家康が伸し上がれた、という事かもしれない。)
ちなみに、源頼朝は熱田大宮司家の娘(由良御前)の子。幼少時は尾張で育った可能性がある。
近代だが浜松市付近は異常な程、人材を輩出。
ヤマハ創業者:山葉寅楠。
トヨタ創業者:豊田佐吉。
河合楽器創業者:河合小市。
スズキ創業者:鈴木道雄。
テレビ開発者:高柳健次郎。
本田技研創業者:本田宗一郎。
ちょっと異常な技術人材輩出地。
首相の出身地。岩手県が異常値。(出身地は数え方で変わる。)
東京1位:14人(ほぼ移住者で先祖代々ではない。)
山口県2位:8人(長州藩閥の引き。実力より過大。)
岩手県3位:4人(え?佐幕側なのに?ちょっと異常。)
なお、同率4位の3人は、群馬県、石川県、京都府、鹿児島県。
徳川氏(松平氏)草創の地、松平郷は、現在、豊田市松平町。
「世界のトヨタ」と「徳川260年の平和」双方とも、極めて日本的組織の典型。同じ場所には似た性格の組織が出来るんだな、と痛感。(私はどちらも務まりそうに無いです。もっと緩い組織の方が嬉しい。)
戦国の特異点。商人出身大名、宇喜多氏・黒田氏・小西氏は全て備前福岡近傍で草創。面白い、興味深い。
[気になる点]
歴史上のその他、主な特異点。
斎藤道三、松永久秀は、山城国西岡の同郷人。(「国盗り物語」等による。確証はない。)戦国の梟雄は同郷人?
尾張出身の織田信長・豊臣秀吉、三河出身の徳川家康。三人とも現在の愛知県出身。「愛知三英傑」(単に織田信長の引きがあったから、豊臣秀吉・徳川家康が伸し上がれた、という事かもしれない。)
ちなみに、源頼朝は熱田大宮司家の娘(由良御前)の子。幼少時は尾張で育った可能性がある。
近代だが浜松市付近は異常な程、人材を輩出。
ヤマハ創業者:山葉寅楠。
トヨタ創業者:豊田佐吉。
河合楽器創業者:河合小市。
スズキ創業者:鈴木道雄。
テレビ開発者:高柳健次郎。
本田技研創業者:本田宗一郎。
ちょっと異常な技術人材輩出地。
首相の出身地。岩手県が異常値。(出身地は数え方で変わる。)
東京1位:14人(ほぼ移住者で先祖代々ではない。)
山口県2位:8人(長州藩閥の引き。実力より過大。)
岩手県3位:4人(え?佐幕側なのに?ちょっと異常。)
なお、同率4位の3人は、群馬県、石川県、京都府、鹿児島県。
徳川氏(松平氏)草創の地、松平郷は、現在、豊田市松平町。
「世界のトヨタ」と「徳川260年の平和」双方とも、極めて日本的組織の典型。同じ場所には似た性格の組織が出来るんだな、と痛感。(私はどちらも務まりそうに無いです。もっと緩い組織の方が嬉しい。)
- 投稿者: 北原
- 2023年 07月17日 19時20分
エピソード3
ご感想をありがとうございます。
本当に世間は狭いというか、調べてみると実は、ということが結構あります。
そして、調べてみる程に歴史上の特異点というか、そういえる程に著名人が輩出される土地というのがあるものだ、と考えさせられます。
本当に世間は狭いというか、調べてみると実は、ということが結構あります。
そして、調べてみる程に歴史上の特異点というか、そういえる程に著名人が輩出される土地というのがあるものだ、と考えさせられます。
- 山家
- 2023年 07月18日 20時29分
[良い点]
宇喜多直家さん、事実よりも悪人にされている説。納得。
[気になる点]
戦国大名や戦国武将は、子孫縁者が江戸時代に栄えていると、美化され、子孫縁者が寂れていると悪人にされ易い疑い濃厚。
美化の例:前田利家、上杉謙信、伊達政宗、徳川家康。
ボロクソ例:松永久秀、斎藤道三、宇喜多直家。
ちなみに、武田信玄は、子孫は栄えていないが、家臣が幕府で羽振りが良く(例:柳沢氏など)、それなりに美化側。
豊臣秀吉は上方の町人に判官贔屓され美化側。加藤清正、真田幸村も同じ。
宇喜多直家さん、事実よりも悪人にされている説。納得。
[気になる点]
戦国大名や戦国武将は、子孫縁者が江戸時代に栄えていると、美化され、子孫縁者が寂れていると悪人にされ易い疑い濃厚。
美化の例:前田利家、上杉謙信、伊達政宗、徳川家康。
ボロクソ例:松永久秀、斎藤道三、宇喜多直家。
ちなみに、武田信玄は、子孫は栄えていないが、家臣が幕府で羽振りが良く(例:柳沢氏など)、それなりに美化側。
豊臣秀吉は上方の町人に判官贔屓され美化側。加藤清正、真田幸村も同じ。
- 投稿者: 北原
- 2023年 07月17日 13時31分
エピソード2
ご感想をありがとうございます。
実際、戦国大名や戦国武将の事績ですが、子孫が続いているかどうか、でかなり評価が違っている気がします。
子孫が続いていない戦国大名や戦国武将は、本当に不遇な評価が多いですね。
実際、戦国大名や戦国武将の事績ですが、子孫が続いているかどうか、でかなり評価が違っている気がします。
子孫が続いていない戦国大名や戦国武将は、本当に不遇な評価が多いですね。
- 山家
- 2023年 07月17日 18時07分
[良い点]
ここから伝わるのは今や然程の都市では無い備前を本貫とする商人たちから国取りの才を持つ者が2人3人と次々と湧き出でて来た戦国の奇妙な風景ですな、それなのに備前商人は江戸時代には振るわず近江や伊勢の大商人たちの看板に飲み込まれて行くのもまた面白い歴史の流れ(´Д` )しかし戦国備前の地は少年時代の三英傑が尾張の狭い地域に存在したのと同じぐらいの特異点だったとは言い過ぎでもないように思えますよね。
ここから伝わるのは今や然程の都市では無い備前を本貫とする商人たちから国取りの才を持つ者が2人3人と次々と湧き出でて来た戦国の奇妙な風景ですな、それなのに備前商人は江戸時代には振るわず近江や伊勢の大商人たちの看板に飲み込まれて行くのもまた面白い歴史の流れ(´Д` )しかし戦国備前の地は少年時代の三英傑が尾張の狭い地域に存在したのと同じぐらいの特異点だったとは言い過ぎでもないように思えますよね。
エピソード3
ご感想をありがとうございます。
江戸時代以降に備前商人が余り振るわなかった原因は、私にとっては謎ですが、戦国時代のこの一点期においては、本当に特異点レベルの話になっていた気がします。
江戸時代以降に備前商人が余り振るわなかった原因は、私にとっては謎ですが、戦国時代のこの一点期においては、本当に特異点レベルの話になっていた気がします。
- 山家
- 2023年 07月16日 18時58分
[良い点]
うわー「暗黒下剋上男」の物語としてはサイコーに外道でそれゆえにファンの多い宇喜多直家像が揺らぐ「実は江戸時代の史学者気取りの小説家」の書物が根本史料になっている疑惑がここで立ち上がるー!(^皿^;)しかし後胤の血筋が大名家になって無いとこってどこも江戸時代の大名家を持ち上げるためのオモチャみたいにされてるのも事実なんだよなー、松永久秀なんかが極悪人とされてんのもそーゆー事だったりしてそして毛利家がらみなのか宇喜多と並び大友宗麟なんかも後世遺されてる史料ではすんごくワリを食わされてますよね。
うわー「暗黒下剋上男」の物語としてはサイコーに外道でそれゆえにファンの多い宇喜多直家像が揺らぐ「実は江戸時代の史学者気取りの小説家」の書物が根本史料になっている疑惑がここで立ち上がるー!(^皿^;)しかし後胤の血筋が大名家になって無いとこってどこも江戸時代の大名家を持ち上げるためのオモチャみたいにされてるのも事実なんだよなー、松永久秀なんかが極悪人とされてんのもそーゆー事だったりしてそして毛利家がらみなのか宇喜多と並び大友宗麟なんかも後世遺されてる史料ではすんごくワリを食わされてますよね。
エピソード2
ご感想をありがとうございます。
実際問題として、江戸時代に備前を統治していた備前池田家にしてみれば、宇喜多家は色々な意味で貶めたい存在だったのは間違いない話なのです。
何しろ切支丹と同様に、江戸時代を通じて弾圧された法華宗不受不施派が本拠としたのは備前で、その基を辿れば宇喜多家の法華信仰(この辺り、細かく言いだすと西備前国人の松田家の法華信仰が、宇喜多家の備前統治等によって宇喜多家中でも受け入れられたという事情があり、それこそエッセイが1つ書ける話になります)にあるという事情が。
何しろ「宇喜多騒動」の背景が、宇喜多家臣の多くが法華信仰なのに対して、秀家の正室の豪姫近臣が切支丹信仰だったことから、宇喜多騒動が起きたとされる程の話でもあります。
そして、幕府から度々、法華宗不受不施派弾圧指示を備前池田家が受けていては、宇喜多家を貶めたくなるのも当然の気がします。
実際問題として、江戸時代に備前を統治していた備前池田家にしてみれば、宇喜多家は色々な意味で貶めたい存在だったのは間違いない話なのです。
何しろ切支丹と同様に、江戸時代を通じて弾圧された法華宗不受不施派が本拠としたのは備前で、その基を辿れば宇喜多家の法華信仰(この辺り、細かく言いだすと西備前国人の松田家の法華信仰が、宇喜多家の備前統治等によって宇喜多家中でも受け入れられたという事情があり、それこそエッセイが1つ書ける話になります)にあるという事情が。
何しろ「宇喜多騒動」の背景が、宇喜多家臣の多くが法華信仰なのに対して、秀家の正室の豪姫近臣が切支丹信仰だったことから、宇喜多騒動が起きたとされる程の話でもあります。
そして、幕府から度々、法華宗不受不施派弾圧指示を備前池田家が受けていては、宇喜多家を貶めたくなるのも当然の気がします。
- 山家
- 2023年 07月16日 18時21分
[良い点]
(・Д・)ホント山家先生は真摯に歴史に取り組むなー感想欄の小さな疑問に「俺の戦国時代はこーなってんだよ」と切り捨てないでそこから一歩踏み込んで「こーゆー見方もありますよ」と細密に思考してエッセイを執筆するとかその熱量に読者もたじたじですワ♪
[気になる点]
商人上がりと言えば有名なのは旗指物が薬問屋を意味する薬の布袋の小西行長だけど戦国末期で百姓上がりを自慢してた秀吉の配下だから気にしなかったのもあるんだろーなー、それより1世紀も前ともなればそれなり以上に自分の出身家門とか尾鰭腹鰭つけまくりなのは宇喜多家の出自がとっ散らかっているのからも浮かび上がりますよね(逆に門前町からの出自なのに安易に西大寺の寺ざむらいを自称して無いところとかいろいろ裏がありそーで妄想が捗る)
(・Д・)ホント山家先生は真摯に歴史に取り組むなー感想欄の小さな疑問に「俺の戦国時代はこーなってんだよ」と切り捨てないでそこから一歩踏み込んで「こーゆー見方もありますよ」と細密に思考してエッセイを執筆するとかその熱量に読者もたじたじですワ♪
[気になる点]
商人上がりと言えば有名なのは旗指物が薬問屋を意味する薬の布袋の小西行長だけど戦国末期で百姓上がりを自慢してた秀吉の配下だから気にしなかったのもあるんだろーなー、それより1世紀も前ともなればそれなり以上に自分の出身家門とか尾鰭腹鰭つけまくりなのは宇喜多家の出自がとっ散らかっているのからも浮かび上がりますよね(逆に門前町からの出自なのに安易に西大寺の寺ざむらいを自称して無いところとかいろいろ裏がありそーで妄想が捗る)
エピソード1
ご感想をありがとうございます。
調べ出すとのめり込む性質なので、私自身、出来る限り控えてはいますが、やり出すと止まりません。
そんなことから、余談も1話の予定が2話になりました。
宇喜多氏の先祖、出身は、本当のところは不明ですが、今の私の考えとしては商人出身と考えるのが、一番しっくりすると考えています。
そして、小西行長ですが「余談ー2」に書きましたが、元は宇喜多直家の部下で、豊臣秀吉に引き抜かれたようです。
調べ出すとのめり込む性質なので、私自身、出来る限り控えてはいますが、やり出すと止まりません。
そんなことから、余談も1話の予定が2話になりました。
宇喜多氏の先祖、出身は、本当のところは不明ですが、今の私の考えとしては商人出身と考えるのが、一番しっくりすると考えています。
そして、小西行長ですが「余談ー2」に書きましたが、元は宇喜多直家の部下で、豊臣秀吉に引き抜かれたようです。
- 山家
- 2023年 07月16日 08時30分
[良い点]
興味深い宇喜多氏起源が商人説。
そういえば、大河ドラマの「軍師官兵衛」では、官兵衛祖父の黒田重隆は、近江から播磨に流れてきた浪人で、目薬を大々的に売り捌いて財を成した人物と描かれていましたね。
と、言う事は、皇軍来訪世界の初代及び二代目秘密情報部長官は、商人の末裔。
先祖代々の武家よりも商人から武家になった家の出身の方が柔軟な発想ができるという事でしょうか。
[一言]
全然時代が違いますが、幕末に活躍した幕臣には金で旗本御家人の株を買った金上侍の子や孫といった人がいます。また、本人の才覚や技能で幕臣になった人もいます。
勝海舟、川路聖謨、井上清直、斎藤一(父親の山口右助が庶民から御家人になったという説がある)、 箕作阮甫、大鳥圭介、高島秋帆、渋沢栄一、渋沢成一朗、等。
興味深い宇喜多氏起源が商人説。
そういえば、大河ドラマの「軍師官兵衛」では、官兵衛祖父の黒田重隆は、近江から播磨に流れてきた浪人で、目薬を大々的に売り捌いて財を成した人物と描かれていましたね。
と、言う事は、皇軍来訪世界の初代及び二代目秘密情報部長官は、商人の末裔。
先祖代々の武家よりも商人から武家になった家の出身の方が柔軟な発想ができるという事でしょうか。
[一言]
全然時代が違いますが、幕末に活躍した幕臣には金で旗本御家人の株を買った金上侍の子や孫といった人がいます。また、本人の才覚や技能で幕臣になった人もいます。
勝海舟、川路聖謨、井上清直、斎藤一(父親の山口右助が庶民から御家人になったという説がある)、 箕作阮甫、大鳥圭介、高島秋帆、渋沢栄一、渋沢成一朗、等。
- 投稿者: 北原
- 2023年 07月15日 23時04分
エピソード1
ご感想をありがとうございます。
「余談ー2」に書きましたが、黒田重隆は17歳の頃まで備前福岡に住んでおり、その後で播磨に移ったようで、更にそういったことから墓も備前福岡にあるそうです。
本当に思わぬ縁が備前にあるものだ、と驚きました。
又、言われてみれば、時代が違いますが、幕末頃になると金で旗本や御家人になって、幕臣になった事例が結構ありますね。
「余談ー2」に書きましたが、黒田重隆は17歳の頃まで備前福岡に住んでおり、その後で播磨に移ったようで、更にそういったことから墓も備前福岡にあるそうです。
本当に思わぬ縁が備前にあるものだ、と驚きました。
又、言われてみれば、時代が違いますが、幕末頃になると金で旗本や御家人になって、幕臣になった事例が結構ありますね。
- 山家
- 2023年 07月16日 08時27分
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