感想一覧

▽感想を書く
[良い点]
論理的かつ網羅的で、完成度が高いエッセイですね。すごい。
[一言]
あちら界隈の本質(感情)として、「クマがかわいそう」「メルヘン麻酔銃信仰」以外で語られていない部分に歪んだ平和主義(軍事アレルギー)もあるのではと疑っています。
銃は絶対悪、撃たれるクマは事情が何であろうと被害者認定しているという仮説。

枕詞のように「銃で」殺す必要はない! と言ってばかりいるので……。
  • 投稿者: +1
  • 2023年 10月27日 19時11分
感想、ありがとうございます。
「あー? ……ちょっと徹底的に武装してみるかなあ」ってしたらこうなりました。
思考力と知識での武装は点と点を線にするパズルみたいなとこもあって好きなせいか、気付いたらガッチガチになってます。

銃は結局「脅威」となる「武器という道具」でしかない、なんとかとハサミと同じく使いよう次第なので、善悪はそれ自体に付随しないのになあってなっちゃいます。
かつては郵便配達員が銃を携帯していた(対強盗用)ように、時として、脅威には脅威をぶつけて制圧することを視野に入れなければ、平和も成り立たないんですけどねえ。
勿論使わないことに越したことはないですが、正しく使われるべき時に使われなければならない手段、ラテン語でもSi vis pacem, para bellum.(もし平和を望むならば、戦争の備えをせよ)などとも言います。ぶつけ合う脅威のスケール感が違うだけで、本質は同じ。
二項対立というのは物事を見極める材料としてはいいんですけど、下手に完全に重ね合わせるのはカテゴライズというレッテル貼りに毒された思考停止でしかなくて、最低でも四象限マトリクスでの配置とか、あるいは適切/不適切の二項対立で「常に」考えなきゃダメなんですよね、自戒もこめて。

しかし、逆に熊って銃以外何で殺せるんでしょう……適切なリーチを取らなければ、多くが熊の爪の露にしかならぬのですが……
去年だかに某自治体職員が猪に対してやったみたいに手製の槍で、とか……?(でもそれで一対一するなら、槍ごと熊の爪の露と化すに100ジンバブエドル)
[良い点]
ちょっと難しい言葉が組み込まれていたものの、全体的に読みやすくまとめられている点。
[気になる点]
熊が人間より索敵能力が劣るタイミング。

雨の日と霧の日。

熊の嗅覚や方向感覚とかバグって人里にうっかり出てきたり、山でばったり出くわすケースの一つだそうですね。
[一言]
相互理解を諦めている人には対話が成立しないと思いました。

でもかわいそう。
その言葉が延々とループするそうですね。

感想、ありがとうございます。
何書いても一文が長くなるという悪癖(でも主語はぶれないという字書きの面目)があるので、わかりやすいとおっしゃってもらえてほっとしてます。

熊側の察知能力は純粋に位置と風向きだけでもだいぶ変わりそうだなあ、とは思います。
そして、あげて頂いた雨の日や霧の日も空気の質が変わるわけですから、さもありなん……問題は雨や霧は人間にとってもバッドコンディションな環境ではあるので、アドバンテージ取れるタイミングは先に熊の存在を察知して、風下に回り込むぐらいしかないんじゃないですかね……

「かわいそう」という感情を袋小路にしてしまうのがダメなんですよねー。
その感情に従った先には結果があるのに、その結果のメリットもデメリットも考えず、責任も負わない立場の、外野の人間が騒いでるだけだから無責任に過ぎる。
安全圏からならなんだって言えますが、投石するぐらいなら、何かしらのエールを言いたいものです。
[良い点]
そもそも自然環境においてですら熊多すぎて人間が駆除しないと環境壊れるんじゃないかって言われるぐらいですしね
[一言]
関係ない話ですけど実はそこら辺の石とある程度の人数さえあれば人間って熊ですらやれますよ。原始人って猛獣から洞窟とか奪って生活してましたからね。石器が誕生すると猛獣達は邪魔になって絶滅させられましたし。高精度高威力な投げがあまりにも理不尽。1種族だけファンタジー生物の遠距離攻撃してるようなものですからね。
人間は科学文明なんてなくてもあらゆる動物を絶滅させれるほどのオーバースペックな存在。
  • 投稿者: RIVUXA
  • 2023年 10月26日 15時45分
感想ありがとうございます。
熊胆なんてめっちゃ高価な漢方薬になるのに、江戸時代で絶滅とかさせられてませんし、そもそも人が狩ってるのと同時進行で生存してきた食物連鎖の上の方の存在なので、そりゃ狩らないとバランスが取れなくなりますわね、ツキノワグマ。

正確無比な精密投擲ができるのは、遠近感に特化した視覚の賜物ですよねえ。世界のどこかにナウマン象だかマンモスだかを沼にはめて狩った形跡が有るんでしたっけ。
とはいえ、個体単位だと特に打たれ弱いんで(怪我の治りは基本動物の方が早いし、やつらの毛皮は時として鎧)、群体としての強さが頭抜けてる感じですよね……の割に内部崩壊も起こすところが皮肉ですけども。

まあ、その群体としての強さを発揮する条件的には

①数の確保が必要(そしてそれを賄えるだけの繁栄をしなきゃいけない)
②同一目的に進む群体として成立しなきゃいけない(足並み揃わなきゃダメ)
③総体を第一として個体を見捨てる(犠牲を惜しまない)覚悟が必要

という前提があるので、現代においては①はまだしも②と③を、特に倫理とか心理の面でクリアするのが問題ですかねえ。
あるいは我々は古代から比べて優しくなりすぎた、賢くなりすぎたのかもしれません。
[良い点]
件のエッセイを読んで、かなりモヤモヤしていましたのですっとしました。ありがとうございました。
感想、ありがとうございます。

「人間が必ず先に認識できて避けられる熊って、どんな世界線の熊、あるいは人間なんだ……?」ってなって、ちょっといろいろ中途半端に覚えてた事を引っ張り出して調べつつまとめたところに、「それは傲慢なんだよ、傲慢なんだ」というドレッシングをたーっぷりかけました。地獄への道を舗装する傲慢な善意、余りに程度が甚だしいのは最早怖いというより、不気味に私は感じます。

彼の人がどのような世界線にいようと、この世界線の人間は確実に視覚のごく一部機能以外は熊に劣っていて、そして熊側はその気になったら確実に人間(しかも一固体辺り多数の)をしとめられるだけの脅威があるので、適切な距離感という互いの安全のために、どんな小さな芽に対しても打てる手はすべて打たねばなりません。
[一言]
このエッセイを読むと、もう少し自分も論理的に考えてみればよかったかなと思っています。
「熊が人間を避けるように誘導する」ことが確かに重要ですね。
エッセイ、ありがとうございました!
  • 投稿者: はせ
  • 2023年 10月25日 06時07分
感想ありがとうございます。
某エッセイの当事者でもないのに「〜だと思ってた」論を元に理想論展開するのは、それは虫が良すぎるし、当事者に失礼だな、君は、となって書いてしまいました。

嗅覚や聴覚を考えると、絶対人間が「熊がいるな」と思うより、熊が「人間がいるな」を検知する方が早いんですよね。人間の感覚の中では、視覚が一番優位ですから。風向きとかはありますけど。
そして緩衝地帯で互いに避ける努力をする、緩衝地帯から出てきた個体は危険として処分する、だったのが「人里で避ける努力する」に変わるのは違うだろ、と思ってしまった+丁度Twitter(頑な)で猟師もされてる方の投稿された「人馴れせずに逃げる熊はいい熊」という漫画を見た直後だったのでこんな感じになりました。
↑ページトップへ