エピソード8の感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
[一言]
面白く興味深く読ませていただいてます。 

頼朝助命については熱田神宮との関わりを指摘する説(頼朝の生母は熱田神宮大宮司の娘)もあったかと。
  • 投稿者: 漉緒
  • 2023年 10月30日 20時25分
 ご感想をありがとうございます。

 私自身も熱田大宮司家の影響から、頼朝助命に至った気がしなくも無いのですが。
 私が調べる限り、この当時の熱田大宮司家にどれだけの力があったのか。
 実際に熱田大宮司家の官位は、それなりではありますが、公卿には程遠く、言葉は悪いですが、地方の武家の中では有力者に過ぎなかった気がして、そうしたことから、このエッセイでは触れませんでした。
  • 山家
  • 2023年 10月31日 19時37分
[良い点]
 六波羅合戦早々に捕らえた信頼や義朝•義平親子までは乱の首謀者だからと忖度なくバッサバッサと首を狩り晒し上げていた勝者たちが事件をつぶさに調べたら『これは本来ミカドのやらかしで信頼も義朝もあくまでミカドの意向で動いていただけなのでは?』と清盛たちが気がつき『政治情勢次第では俺たちの首だってどうなったかわからん事を思うと族滅するのは気がひける』とか冷や水を浴びせられた心持ちになり偶然そのあたりで頼朝が京都に引き出されたから死一等を減ぜられたって流れは「二条天皇こそ主犯」であるとわかっていれば大いに頷ける、しかし悲しいかな実際は「信西•清盛に嫉妬した信頼•義朝の企てた逆心である」ってのが現代でも大勢になってるぐらいだから平家物語にこの事件を落とし込んだ時に「女たちの優しい情け心で救われた頼朝」と言う筋立てにして「何故か敵である清盛に救われた頼朝」とイミフな事に整合性を持たせたんだなーと納得。
[気になる点]
 だけどこーなると後に頼朝が執拗なまでの猜疑心と保身のかたまりになったのはこの平治の乱における理不尽すぎる流れを最初(三条殿襲撃前のミカドの御前)から最後(六波羅合戦後の裁きの場)まで体験したってのもあるんだなーとなんか金具素屯の中にあった歴史のモヤモヤがひとつ消えた気がしました(´Д` )『せっかく助命してくれたのにいっさいそれを恩に思わないとか頼朝のここんとこ嫌やなー』などとこのエッセイが始まるまでは冷血動物のようにすら思ってたのが『あーこれは親父がやられた都の理不尽で命を奪われた事を死んでも忘れないし、もしもやり返せるならとことんやり返した結果が都の住人である公家にとっては理不尽ながら歴史的には必然の武家政権を生み出す原動力になったんだなぁ』とかなり好意的な見る目に変わりました、まさに目から鱗( ^ω^ )これだから歴史は面白い♫
[一言]
 週末複数更新ありがとうございます山家先生♪(^ ^)しかし近年の「関ヶ原合戦は無かった」とかセンセーションなだけのキワモノみたいな論説(直江状も小山評定も無く、関ヶ原での堂々たる決戦は大したもんでなくアレは逃げる西軍を追う東軍による山中での追討戦でしか無かった、だから“関ヶ原合戦”は後世の物語だったのだ!。現在多くの学者たちから「んなワケねーだろ!」とばかりに各論が丁寧に否定されフルぼっこされてるけどネタが面白いのか歴史系YouTubeの間ではまだ持ち上げられてる)と違って「平治の乱の主犯は二条天皇、信頼•義朝はそれに従っていただけだったが周囲の状況で乱勃発の汚名を着て死なねばならなくなった」はなかなか納得のいく話で頷く事しきりでした、そして余談の破壊力(´⊙ω⊙`)いやー歴史上の人物を完全に見直す事になるとか久々のコペルニクス的体験でした、生き残った頼朝には平治の乱はどれだけの復讐心へのエネルギーになったんだと思うと案外ココこそ歴史の転回点だったのかなーと秋の夜長にふつふつと想いを巡らせております。
 ご感想をありがとうございます。

 言われてみて私自身が気付きましたが、ここまでの流れからすれば、源頼朝が猜疑心の塊と言われても仕方のない人生を送ったのも当然の気がしてきました。

 そして、源頼朝の観点からすれば、
「今上陛下の命に従って行動しただけなのに、逆賊扱いされるとは」
と極めて理不尽だという考えに駆られるのも当然な訳で。
 後から顧みれば、本当に歴史の転換点になった気が私もします。
  • 山家
  • 2023年 10月30日 19時38分
↑ページトップへ