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[良い点]
 言葉通りに考えたなら、愛する者の全てを受け容れる為には必要なデバイスかも知れませんね。けれどその中に受け容れられない何かが有ればそれは偽りの愛となるのでしょうか? そお問われているかにも思える、愛の求めに対する答えを持つお話は、人の全てを知る事の出来る究極の接近にもかかわらず何処か客観的に人を知る、皮肉にも感じる程の全てを求め知ろうとする者の愛を疑似体験する事が出来たように感じました。
  • 投稿者: 静夏夜
  • 2024年 07月13日 12時04分
 静夏夜様、ご感想ありがとうございます。

 確かに、いかに深く愛し合う人々であっても、そこに受け容れられない何かがあるというのが現実かもしれませんね。
 例えば、相手が誰かを騙したり傷つけた過去を見たなら、その攻撃性が自分に向くことを恐れるかもしれない。しかし例えば、親であれば子の容姿の個性について短所と感じるよりむしろ愛着を持つことも自然でしょう。
 もしも神様だったら、人間をどんな短所も含めて否定せず愛してくれるかもしれませんが、それは、相手が自分に反撃などできない微々たる存在だという現実を条件としているのかもしれない。そのような立場の絶対的な格差は、どんな軽蔑よりもタチの悪い軽蔑かもしれない。
 しかし、仮に夫婦であっても、相手の心の苦しみに寄りそうことをやめてしまったならば、どうでしょうか。稀なほどひどい場合においては、深く苦しめられている人もいます。ですから、愛とは、夫婦や親子であるといった形式によって定められるものではなく、共感によって定められると考えざるをえないと私は考えました。
 しかし、他者の心の痛みとはいっても、正確に推測することはもちろんできません。あるいは私達は、目で見た昨日の風景すら共有することはできない。
 例えば自分について、どうしても勝ちたかった試合の決勝戦で負けてしまったことは、「受け容れられない何か」かもしれない。しかし誰かから見ればそれは、自分なりに頑張った末の味わい深いエピソードかもしれない。
 極論や理想論の果てにはそんな、「受け容れられない何か」のない世界があって、それはとても綺麗で美しい気がしたので、お話にまとめてみました。
 何度もご感想ありがとうございます。お元気で暮らしてくださいませ。
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