感想一覧
▽感想を書くその手のことを真面目に考えたことあるけど
私は丸くなったみたいに、中年とかが寝言をいうのが、嫌いである。
この丸くなったってのが、長所は そ の ま ま に短所が向上をして、何か能力値六角形チャートみたいなのが、尖っていたのが全体的に丸くなったってのなら、成長だと思うのでいいでしょう。
だが実際の大半は長所が落ちて、短所が少しマシになっての丸くなり、酷いと長所だけ落ちて、短所は変わっていなくて丸くなっている始末である。
アインシュタインの相対性理論なんて大げさなものではないのだけど、大体のことって、50を60にするよりも、90を100にするほうが、はるかにエネルギーが必要なものである
つまり、
長所80 短所30の人が、 長所75 短所40になったとしたら、表面上の数値は向上しているが75から80にするほうが、30から40にするよりも、大変なことだとしたら、完全に劣化である。
この先どう生きるか知らないけど、自分の良い面を伸ばしてとことん尖るも良し、さすがにそこまでしたくないってのならそれはそれでいいんだが、現実との折り合いとかなんとか寝言を言って長所を削る生き方だけはしないほうがいい。
長所を 維 持 したまま、短所を向上させる努力ができれば
いい意味で丸くなれると思う。
私は丸くなったみたいに、中年とかが寝言をいうのが、嫌いである。
この丸くなったってのが、長所は そ の ま ま に短所が向上をして、何か能力値六角形チャートみたいなのが、尖っていたのが全体的に丸くなったってのなら、成長だと思うのでいいでしょう。
だが実際の大半は長所が落ちて、短所が少しマシになっての丸くなり、酷いと長所だけ落ちて、短所は変わっていなくて丸くなっている始末である。
アインシュタインの相対性理論なんて大げさなものではないのだけど、大体のことって、50を60にするよりも、90を100にするほうが、はるかにエネルギーが必要なものである
つまり、
長所80 短所30の人が、 長所75 短所40になったとしたら、表面上の数値は向上しているが75から80にするほうが、30から40にするよりも、大変なことだとしたら、完全に劣化である。
この先どう生きるか知らないけど、自分の良い面を伸ばしてとことん尖るも良し、さすがにそこまでしたくないってのならそれはそれでいいんだが、現実との折り合いとかなんとか寝言を言って長所を削る生き方だけはしないほうがいい。
長所を 維 持 したまま、短所を向上させる努力ができれば
いい意味で丸くなれると思う。
- 投稿者: ハッサン
- 2024年 11月07日 09時27分
中学生の戯れ言と言いましょうか……。
エッセイとも言えないものでありましたが、感想を頂きありがとうございます。
私自身も、こう六角形の能力チャートを、全て伸ばすみたいなことには憧れます。
しかし、その成長の内に、結局欠点を増やすことになるでしょうし、そもそもその成長を成長と言えるのかが分からないな、というのがあると思います。
それに、全ての能力を伸ばすというのは、時間も足りなければ、現実的な才能でも無理な話があります。
加えて、成長するというのは経験でしょう。
その経験の内に、私はきっと失敗を恐れるようになると思います。
そうすれば、衰退と短所を増加させることに繋がるでしょう。
経験を積むという事は、即ち無鉄砲であることと同義であると私は思うからです。
表面上は、その無鉄砲さを演じることは容易でしょう。
しかし、その内面ではきっと恐れを消せないし、きっと嫌気が差します。
ですから、それは何時しか私の長所を食っていって、結局私という人間を殺すのだと思います。
一般的にそれを老成であるとか、成長であるとか言うのかも知れません。
しかしね、私は恐ろしいと思うのです。
私という人間は、この無鉄砲な感性があり、そうして私として存在すると言えるでしょう。
それを失ったら、きっと私は私ではなくなる。
なのだから、それが本当に恐ろしい。
だからこそ、私はきっとその時の自分の感情、無鉄砲なガキの感性を優先して、私の長所を優先するのかな、と思います。
それを未来に後悔することになろうとも。
自身の良いところを削って、短所を多少伸ばしたところで、結局それは忌むべき衰退だと私は思いますからね。
まあ、勿論私なりに短所を直しつつ、長所と対立するところでは、間違いなく長所を優先するつもりであります。
私が私であることをやめずに、尖って生きていくと言いましょうかね……。
色々と長く書きましたが、感想をありがとうございます!
このエッセイを含め、返答すら感情的になってしまい、申し訳ない気持ちで一杯です。
また、この返答自体が相応しいものかと言えば、その限りではないでしょうし、結局の所普遍的な解答とは言えず、超個人的な解答であることも否定できません。誠に申し訳ございませんでした。
しかし、こちらが一方的に利を得ているようで大変に嫌ではありますが、人生のうえで良い考えを知れました。ありがとうございました!
エッセイとも言えないものでありましたが、感想を頂きありがとうございます。
私自身も、こう六角形の能力チャートを、全て伸ばすみたいなことには憧れます。
しかし、その成長の内に、結局欠点を増やすことになるでしょうし、そもそもその成長を成長と言えるのかが分からないな、というのがあると思います。
それに、全ての能力を伸ばすというのは、時間も足りなければ、現実的な才能でも無理な話があります。
加えて、成長するというのは経験でしょう。
その経験の内に、私はきっと失敗を恐れるようになると思います。
そうすれば、衰退と短所を増加させることに繋がるでしょう。
経験を積むという事は、即ち無鉄砲であることと同義であると私は思うからです。
表面上は、その無鉄砲さを演じることは容易でしょう。
しかし、その内面ではきっと恐れを消せないし、きっと嫌気が差します。
ですから、それは何時しか私の長所を食っていって、結局私という人間を殺すのだと思います。
一般的にそれを老成であるとか、成長であるとか言うのかも知れません。
しかしね、私は恐ろしいと思うのです。
私という人間は、この無鉄砲な感性があり、そうして私として存在すると言えるでしょう。
それを失ったら、きっと私は私ではなくなる。
なのだから、それが本当に恐ろしい。
だからこそ、私はきっとその時の自分の感情、無鉄砲なガキの感性を優先して、私の長所を優先するのかな、と思います。
それを未来に後悔することになろうとも。
自身の良いところを削って、短所を多少伸ばしたところで、結局それは忌むべき衰退だと私は思いますからね。
まあ、勿論私なりに短所を直しつつ、長所と対立するところでは、間違いなく長所を優先するつもりであります。
私が私であることをやめずに、尖って生きていくと言いましょうかね……。
色々と長く書きましたが、感想をありがとうございます!
このエッセイを含め、返答すら感情的になってしまい、申し訳ない気持ちで一杯です。
また、この返答自体が相応しいものかと言えば、その限りではないでしょうし、結局の所普遍的な解答とは言えず、超個人的な解答であることも否定できません。誠に申し訳ございませんでした。
しかし、こちらが一方的に利を得ているようで大変に嫌ではありますが、人生のうえで良い考えを知れました。ありがとうございました!
- 朝日 橋立
- 2024年 11月07日 16時22分
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