感想一覧

▽感想を書く
原始仏教から小乗仏教を経ての大乗仏教の興隆の流れを連想させて頂きました。
煩悩を捨て、輪廻転生の輪を抜けて神すら凌駕した『涅槃の境地』を他者との討論ではなく自己対峙から目指すという原点からいかに逸脱していったか。
結局は著者様の語られているように『垂直的思考』よりも『水平的思考』というものに私も含めて縛られてしまうのが人間の本質なのかもしれませんね。
自己との対峙にはどうしても『克己』が伴いますので宗教、哲学問わずに本質的に苦痛だと私は思います。
やはり人の本質は『水平的に救われたい』のでしょうね。
  • 投稿者: waterwolf
  • 2024年 10月21日 23時18分
感想ありがとうございます。こんな文章誰も読まないだろうと思ってアップしましたが、感想ありがたいです。
自己というのは明らかに存在しているトートロジーで、完成され矛盾していない。自己は内部で延々と堂々巡りをするだけで何も生み出すことはない。何かが生み出される事があるとしたら自己が外部に触れて共鳴し自己が失われた時(我を忘れた時)で、彼は外部の実体や精神を信じ、あるいは信じたいと乞い願い、その為に自己は矛盾を取り戻しトートロジーでなくなり、逆説的に自己が取り戻される。

とか、そんなことを考えさせられました。
感想ありがとうございます。こんな文章誰も読まないだろうと思ってアップしましたが、感想くれる人もいたんだとありがたいです。
↑ページトップへ