エピソード21の感想一覧

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 短歌からは希望に向かう感じを受けるのですが。
 詩からはもっとギリギリの。絶望の中にかろうじて絶望ではないものが少しだけ見えるような。

 決して後ろ向きではないその言葉は、現状に嘆くだけではどうしようもないだろう、と言われているようです。

 自分以外はいない、ではなくて。
 自分がいる、と思えること。
 事実は変わらず、ただほんの少しの認識の差だけ。その大きな違いに気付かされました。
 
小池ともか様

短歌と比べると、詩の方は確かにぎりぎりな感じがありますね。

同じ事象でも捉え方の違いで感じ方は全然異なる。
本当にそうだと思います。

だから、出来る限り、
嫌なことがあったときほど、
もしかしたらこうなのかも、って考えたいです。

感想ありがとうございます。
世の中に居ると、様々に色々な人や物があったりするので、とかく“周りのせい”にしがちなんすよね。 そんで、色々他人事に思いがち。

でも、そうなのよね。
【自分で自分の手を握りしめる】←これ、温もり感じるし、脈、鼓動、感じる。
だから、生きてるし、そもそも自分次第だし
【自分で自分の手を握りしめる】
最近思いついた事で、精神が肉体に優しくしてあげもいいんじゃない?って。自分に優しくって、甘えとか怠けじゃなくて、セルフコントロール・セルフコーチング・セルフケア、そうやって目指す自分、在るべき自分に成ればよいのかな。とかね。

もう一人の自分 って表現は世の作品にあるけど、それってなんか特別な人っぽいし。だから、我々には【自分で自分の手を握りしめる】が、凄くシックリ来るです (๑•̀ㅂ•́)و✧

気になったから活動報告から飛んで来ました
(前のエピソードも飛ばしてちゃった)
  • 投稿者: 海堂直也
  • 男性
  • 2024年 11月24日 14時50分
海堂直也様

感想ありがとうございます

『【自分で自分の手を握りしめる】が、凄くシックリ来るです』
そう言っていただき嬉しいです。
自分もこんな風に踏ん張らなきゃなって思います。

本作は短歌先行で出来た作品で
この時点では二種類の意味合いを詠んでいました。

取り巻くものは闇ばかりでも
この手にはまだ守らなきゃいけないものがある

という意味合いと

どこにも光は見えなくても
まだ生きている

そんな意味合い。
カクヨム版は前者のイメージが強い詩の作りになっていて
なろう版は後者のイメージが強い詩の作りになっています。

なろう版は全般的に暗い感じが多いんですよね。
こちらではつい本性が出てしまうのかもしれません(笑)

感想ありがとうございました。
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