感想一覧
▽感想を書く作者を消せ、と見た時、なろう系作者粛正法案でも可決された話かと思った。
終末アイドルの読みすぎですよ❀.(*´▽`*)❀.
- しいな ここみ
- 2025年 06月01日 20時30分
一見、方法論の話のようだけど、実際にはその巧拙や、作者の主張にまで踏み込んだ話ですね。
社長のホンネが読者にとって面白いかどうか。社長の言うことなんて普通つまらないんだから、作品中にホンネは見えない方がいい。でも、面白ければ意図的に見せるのはあり。だから「作者(の下手な押し付けがましさ)を消せ!」ということかも知れません。
書き手の立場では、たとえ三人称であっても、作品内で語っているのは「作者自身」ではなく「語り手というキャラクター」だと思えばあまり変な語り方はしなくなるかな、と思ったことがあります。少し古い本格ミステリーなんかは、そういう書き方になってるのかなと。きちんとやろうとすると難しいですけど。
社長のホンネが読者にとって面白いかどうか。社長の言うことなんて普通つまらないんだから、作品中にホンネは見えない方がいい。でも、面白ければ意図的に見せるのはあり。だから「作者(の下手な押し付けがましさ)を消せ!」ということかも知れません。
書き手の立場では、たとえ三人称であっても、作品内で語っているのは「作者自身」ではなく「語り手というキャラクター」だと思えばあまり変な語り方はしなくなるかな、と思ったことがあります。少し古い本格ミステリーなんかは、そういう書き方になってるのかなと。きちんとやろうとすると難しいですけど。
私があまのじゃくなだけなんです(^.^;
物語の中に好きに入り込みたいのに、語ってるひとの顔が見えちゃうと『引き込まれてたまるか!』みたいに反抗してしまいますm(_ _;)m
でも語ってるのがキャラやナレーターだったら抵抗ない(^o^)『おわかりいただけただろうか?』とか言われるとむしろ手を叩いて嬉しくなっちゃう
物語の中に好きに入り込みたいのに、語ってるひとの顔が見えちゃうと『引き込まれてたまるか!』みたいに反抗してしまいますm(_ _;)m
でも語ってるのがキャラやナレーターだったら抵抗ない(^o^)『おわかりいただけただろうか?』とか言われるとむしろ手を叩いて嬉しくなっちゃう
- しいな ここみ
- 2025年 03月05日 12時03分
興味深く読ませていただきました。
その発想はなかったです。と、言うよりどうしても自分が出てきます。無意識に。三人称で書きたいとは思っているのですが、地の文で色々出てきてしまいます。未だ未熟者です。
他の方の作品では、1人称以外ではナレーター、解説と思って読んでます。
あとちびまる子ちゃんとかのナレーター、いい味だしてるので少し真似したいと思っている今日この頃です。
その発想はなかったです。と、言うよりどうしても自分が出てきます。無意識に。三人称で書きたいとは思っているのですが、地の文で色々出てきてしまいます。未だ未熟者です。
他の方の作品では、1人称以外ではナレーター、解説と思って読んでます。
あとちびまる子ちゃんとかのナレーター、いい味だしてるので少し真似したいと思っている今日この頃です。
べつに悪いというわけではなく、私がそれを好きじゃないという話ですので、お気になさらず(*´ω`*)
また、たとえばチェコの文豪ミラン・クンデラさんなんかはそれこそずーーっと作者が語ってるような文体ですが、それでも私は好んで読んでました。まぁ、あの方の知識と教養のたまものなのでしょうけど……。
ナレーターと作者歯また違いますよね(*´∀`*)
私は『おわかりいただけただろうか』のひとが好きです。
また、たとえばチェコの文豪ミラン・クンデラさんなんかはそれこそずーーっと作者が語ってるような文体ですが、それでも私は好んで読んでました。まぁ、あの方の知識と教養のたまものなのでしょうけど……。
ナレーターと作者歯また違いますよね(*´∀`*)
私は『おわかりいただけただろうか』のひとが好きです。
- しいな ここみ
- 2025年 03月03日 09時09分
三人称1元視点叙述のススメかな
(゜゜)
(゜゜)
それって一人称みたいなものですよね(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾
- しいな ここみ
- 2025年 03月02日 10時11分
それって作者の言葉なのでしょうか?
私はそのように感じた小説に出会ったことはありません。
というのも、そもそもこれは状況にもよるのではないでしょうか?
しいなさんは二つの例を出していますが、たとえばどちらも
『(タカシは、道路脇に目がいった。)
女が立っている。痩せた女だ。その姿は寂しそうで、まるで誰かを待ち続けているように見えた。』
『(タカシは、いじめを止めようともしない録嗚未に腹が立った。)
いじめはいけないことである。いじめる側が100%悪いのだ。そんなことは誰でもわかっているのだと信じたい。しかし、録嗚未は言った。「いじめられる側にも原因はある」と。なんと慈悲の心のない人間がいたものであろうか。』
と、例文の前に()内の言葉が加わっていた、あるいは行間にそういうニュアンスが隠れているというのであれば、むしろ自然に見えます。主人公が感じたこと、あるいは主人公の心の声が代弁されているだけだと思うだけです。
もちろん、主人公がその場にいることが大前提ですが。
この使われ方、臨場感が感じられて、私は好きです。
三人称小説でもキャラクターと私(読者)とのシンクロ率が一時的に高まったような感じがして、混じりっ気のない主人公の心が届きますからね。
また、仮にその場に主人公がいない場合であっても、
前者のパターンは〝物語に参加していない何者かが見たなら、100人中99人がそのように見えるだろう〟といった表現方法であると私は解釈しています。
ポイントは、あえて断言させていない、という点です。これには、先ほどと逆の効果が出てくると私は思います。
つまり、『わざとキャラと読者とのシンクロを切る』こと。
シンクロを切ることの何がいいのか?
私が好きなパターンは二つありまして、
①キャラが何を考えているかわからない、という不気味さが演出されること
ミステリー小説で、一時的な犯人視点などでよく見るあれです。
徹底的に『はたから見れば』といった書き方を貫く。キャラの心境を隠し通し、この犯人が何を狙っているのかわからなくて不気味だ、といった雰囲気が出てきます。
これもまた、緊迫感が感じられるので私好みです。
②キャラの心のプライバシーを守っていること
これは、しいなさんが以前に上げた『説明が長いほうがわかりやすくて面白い小説になるのか』というエッセイで、私が感想で書いた『余白』の件と本質的には同じです。
そもそも人の心境なんて、現実でだって様子から推測するくらいしかできませんよね?
たとえば私は、友人が落ち込んでいて〝何が起こったのか話すのすら辛い〟といった様子を見せた時、
「大丈夫、何も言わなくていいよ。わかってるよ」
と、あえて聞かずにただ傍にいてあげたり、場合によっては
「(今はそっとしておいてあげよう)」
と、そっとその場を離れ、敢えて友人を一人にしてあげたりすることがあります。
それと同じで、あえて読者とキャラが別人であるということを明確にさせているのではないでしょうか。
キャラを慰める役目を、物語中の別のキャラ(タカシ)でも、ましてやナレーターでもなく、『読者に譲る』ために。
もっともこれらの場合、しいなさんは『寂しそうに見えた』よりも、『肩を落としながら、きょろきょろと時折周囲を見回していた』等の表現の方がお好みでしょうか?
私としては、
・〝その姿は寂しそうで、まるで誰かを待ち続けているように見えた〟
→私「待ち合わせの人が出遅れているのかな? いや、そもそも本当に寂しいのかな?」
(一番気になるのは〝なぜ〟)
・〝肩を落としながら、きょろきょろと時折周囲を見回していた〟
→私「誰かを待ってる? 落ち込んでるのかな、それとも寂しがっている? 道に迷ってるだけなのかな?」
(一番気になるのは〝なに〟)
と、いずれの場合も興味が集中するポイントが違うので、それぞれに良い所があると今では考えているのですが。
しいなさんが感じた『作者の主張がそのまんま作者の主張となっている作品』と、上記のような表現法の「境界線」は何でしょうか?
というのも、最初に書いた通り、私は明確に作者が出しゃばっているような小説に出会ったことがないので……
私はそのように感じた小説に出会ったことはありません。
というのも、そもそもこれは状況にもよるのではないでしょうか?
しいなさんは二つの例を出していますが、たとえばどちらも
『(タカシは、道路脇に目がいった。)
女が立っている。痩せた女だ。その姿は寂しそうで、まるで誰かを待ち続けているように見えた。』
『(タカシは、いじめを止めようともしない録嗚未に腹が立った。)
いじめはいけないことである。いじめる側が100%悪いのだ。そんなことは誰でもわかっているのだと信じたい。しかし、録嗚未は言った。「いじめられる側にも原因はある」と。なんと慈悲の心のない人間がいたものであろうか。』
と、例文の前に()内の言葉が加わっていた、あるいは行間にそういうニュアンスが隠れているというのであれば、むしろ自然に見えます。主人公が感じたこと、あるいは主人公の心の声が代弁されているだけだと思うだけです。
もちろん、主人公がその場にいることが大前提ですが。
この使われ方、臨場感が感じられて、私は好きです。
三人称小説でもキャラクターと私(読者)とのシンクロ率が一時的に高まったような感じがして、混じりっ気のない主人公の心が届きますからね。
また、仮にその場に主人公がいない場合であっても、
前者のパターンは〝物語に参加していない何者かが見たなら、100人中99人がそのように見えるだろう〟といった表現方法であると私は解釈しています。
ポイントは、あえて断言させていない、という点です。これには、先ほどと逆の効果が出てくると私は思います。
つまり、『わざとキャラと読者とのシンクロを切る』こと。
シンクロを切ることの何がいいのか?
私が好きなパターンは二つありまして、
①キャラが何を考えているかわからない、という不気味さが演出されること
ミステリー小説で、一時的な犯人視点などでよく見るあれです。
徹底的に『はたから見れば』といった書き方を貫く。キャラの心境を隠し通し、この犯人が何を狙っているのかわからなくて不気味だ、といった雰囲気が出てきます。
これもまた、緊迫感が感じられるので私好みです。
②キャラの心のプライバシーを守っていること
これは、しいなさんが以前に上げた『説明が長いほうがわかりやすくて面白い小説になるのか』というエッセイで、私が感想で書いた『余白』の件と本質的には同じです。
そもそも人の心境なんて、現実でだって様子から推測するくらいしかできませんよね?
たとえば私は、友人が落ち込んでいて〝何が起こったのか話すのすら辛い〟といった様子を見せた時、
「大丈夫、何も言わなくていいよ。わかってるよ」
と、あえて聞かずにただ傍にいてあげたり、場合によっては
「(今はそっとしておいてあげよう)」
と、そっとその場を離れ、敢えて友人を一人にしてあげたりすることがあります。
それと同じで、あえて読者とキャラが別人であるということを明確にさせているのではないでしょうか。
キャラを慰める役目を、物語中の別のキャラ(タカシ)でも、ましてやナレーターでもなく、『読者に譲る』ために。
もっともこれらの場合、しいなさんは『寂しそうに見えた』よりも、『肩を落としながら、きょろきょろと時折周囲を見回していた』等の表現の方がお好みでしょうか?
私としては、
・〝その姿は寂しそうで、まるで誰かを待ち続けているように見えた〟
→私「待ち合わせの人が出遅れているのかな? いや、そもそも本当に寂しいのかな?」
(一番気になるのは〝なぜ〟)
・〝肩を落としながら、きょろきょろと時折周囲を見回していた〟
→私「誰かを待ってる? 落ち込んでるのかな、それとも寂しがっている? 道に迷ってるだけなのかな?」
(一番気になるのは〝なに〟)
と、いずれの場合も興味が集中するポイントが違うので、それぞれに良い所があると今では考えているのですが。
しいなさんが感じた『作者の主張がそのまんま作者の主張となっている作品』と、上記のような表現法の「境界線」は何でしょうか?
というのも、最初に書いた通り、私は明確に作者が出しゃばっているような小説に出会ったことがないので……
もちろんレベルというか、そういうものはありますよね。
『蟹工船』みたいなプロパガンダ小説や『明王伝レイ』みたいな布教漫画、あるいはレフ・トルストイさんの作品群のように作者の思想が強く書かれた作品などが『明確に作者が出しゃばっているような小説(漫画)』の極みだと考えますが、私がそれらを楽しめないかというと、外野から眺めるようにニヤニヤ楽しめてしまいます。後期の『明王伝レイ』なんて池田○作様のお言葉を広めるために描かれてるような作品ですけど、私はあれをギャグのように楽しめて、むしろ好きでした。
なろうではよく見ます。
作品世界に没入したいのに、主人公が動いてるというより作者が語ってる感じが強くしてしまうというもの。
『いじめ』の話は有名な『無職転生』の中から引用したみたいなものです。あれは一人称形式ですが、明らかに語り手の思想=作者の思想でした。
もちろんそれが悪いということではなく、単に私の好みの話で、私はそういうのをやらないぞと心がけているという話ですが。
『寂しそうに見えた』の例は最近読んだなろう作家さんの作品の中で感じたことで、そこにタカシはいませんでした。
なろうで一人称視点が推奨されてるのは、こういう『神による共感の押しつけ』というか、ブラック企業の社長が社員の自発性を奪いがちになるからだと私は解釈しています。
ここで長文の感想返信がすべて消えかけました。・゜・(ノ∀`)・゜・。
急ぎで送信いたしますm(_ _)m
『蟹工船』みたいなプロパガンダ小説や『明王伝レイ』みたいな布教漫画、あるいはレフ・トルストイさんの作品群のように作者の思想が強く書かれた作品などが『明確に作者が出しゃばっているような小説(漫画)』の極みだと考えますが、私がそれらを楽しめないかというと、外野から眺めるようにニヤニヤ楽しめてしまいます。後期の『明王伝レイ』なんて池田○作様のお言葉を広めるために描かれてるような作品ですけど、私はあれをギャグのように楽しめて、むしろ好きでした。
なろうではよく見ます。
作品世界に没入したいのに、主人公が動いてるというより作者が語ってる感じが強くしてしまうというもの。
『いじめ』の話は有名な『無職転生』の中から引用したみたいなものです。あれは一人称形式ですが、明らかに語り手の思想=作者の思想でした。
もちろんそれが悪いということではなく、単に私の好みの話で、私はそういうのをやらないぞと心がけているという話ですが。
『寂しそうに見えた』の例は最近読んだなろう作家さんの作品の中で感じたことで、そこにタカシはいませんでした。
なろうで一人称視点が推奨されてるのは、こういう『神による共感の押しつけ』というか、ブラック企業の社長が社員の自発性を奪いがちになるからだと私は解釈しています。
ここで長文の感想返信がすべて消えかけました。・゜・(ノ∀`)・゜・。
急ぎで送信いたしますm(_ _)m
- しいな ここみ
- 2025年 03月02日 08時27分
自身はギャグ書こうとする時に地の文ツッコミみたいな感じでそれを利用することがあります……。
たしかにシリアスな場面で使われていたら「へ??」となりますよね……。
後は主人公書く時にめっちゃ作者の憧れと言うかそういうのを投影しちゃうので耳が痛かったです!!
たしかにシリアスな場面で使われていたら「へ??」となりますよね……。
後は主人公書く時にめっちゃ作者の憧れと言うかそういうのを投影しちゃうので耳が痛かったです!!
>主人公書く時にめっちゃ作者の憧れと言うかそういうのを投影しちゃう
私もよくやりますよ(๑•̀ㅂ•́)و✧
だってそれは作者じゃないですからね!
『こういうキャラって、よくない?』みたいなのは作者による押しつけじゃないです\(^o^)/
そしてもちろんここに書いたのは『私の考え方』であり、色んな考え方があっていい!(๑•̀ㅂ•́)و✧
私もよくやりますよ(๑•̀ㅂ•́)و✧
だってそれは作者じゃないですからね!
『こういうキャラって、よくない?』みたいなのは作者による押しつけじゃないです\(^o^)/
そしてもちろんここに書いたのは『私の考え方』であり、色んな考え方があっていい!(๑•̀ㅂ•́)و✧
- しいな ここみ
- 2025年 03月01日 21時38分
読んでて(やっべー。。。)と思いました。
おっしゃる通りだと思います。
そして、私はあまり消せてないタイプだなぁと自覚あります。。
気を付けよっと!
おっしゃる通りだと思います。
そして、私はあまり消せてないタイプだなぁと自覚あります。。
気を付けよっと!
これはあくまで私の考え方であり、色んな考え方があっていいと思います。
ただ、私は『作者』はいい社長さんであってほしいみたいなことを思うのです。
ワンマン社長はブラック企業だけに存在しとけ(๑•̀ㅂ•́)و✧
ただ、私は『作者』はいい社長さんであってほしいみたいなことを思うのです。
ワンマン社長はブラック企業だけに存在しとけ(๑•̀ㅂ•́)و✧
- しいな ここみ
- 2025年 03月01日 21時34分
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