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 利己的視点(アルファ)から世界規模な視点(オメガ)へ、そして再び利他的視点(アルファ)といったところでしょうか。
 自分も他人も同じ世界を構築する一人の人間であり、故にその価値は同じと気づけぬ愚かさ。人体に譬えるならば右手を庇って左手を傷つける行為に等しいと嗤っているのかな……。この場合どちらが傷付いても等しく痛みは襲ってきますしね。(笑)
 自己欺瞞という麻酔を投与して行う排他的利己行為。
 なるほど、それは世界を蝕む自虐的行為だ。

 ……でも、東洋思想における相生のサイクルはどうなるんだろう。
 盛者必衰、諸行無常。何かが失われることで何かが生まれる。これもまた神の定めた真理の一つだと思うんだけどなぁ……。
 不条理という名の神の試練。これも人の生み出した自己欺瞞なのか……。
 神の否定も肯定も、それを意識した時点で結局は欺瞞。そんな気もします。神は善であれ悪であれ、具体的人や物であれ抽象的概念であれ、偶像崇拝を否定していますしね。きっと信仰さえも偶像であり欺瞞に過ぎないのかも。
  • 投稿者: 戯言士
  • 2025年 06月21日 06時25分
 戯言士様、ご感想ありがとうございます。

 そうやって価値や意味を究極的に相対化していくことは必ずしも賢いことではなく、相対主義やニヒリズムなどと呼ばれて批判される場合もあります。
 東洋思想には、現代においてむしろ重要な価値があると思っています。そもそも個人主義や理性主義に陥っておらず、そもそも調和的ですしね。
 人間や動物の自然な相愛が、技術という装置に飲み込まれ分解されていく。その時代を甘受することも生でしょう。しかし、抗って見せることもやはり命なのでしょう。
 確かマネー(money)の語源は警告(monere)だったとか。だとすると全く倫理意識が無かったってわけじゃないような気がします。
 まあ、理解することと実践することはまた別問題ではありますけど……。
  • 投稿者: 戯言士
  • 2025年 06月21日 00時04分
 戯言士様、ご感想ありがとうございます。

 そうだったんですね。知りませんでした。たぶん他の多くの人も知らないので、実践できるどころか、現代ではその「理解」も消えてしまっているのでしょう。
 私としては利己的行為が利他に繋がることが理想なんですけど、そんな都合の良い話ってのは無いですよね……。
  • 投稿者: 戯言士
  • 2025年 06月20日 23時45分
 戯言士様、ご感想ありがとうございます。

 あるでしょうね。他人の笑顔が自分事として嬉しかったり。ただそれは、本文が言う、「利を逸脱しない利他」とも呼べるものですよね。その一方で、他者のために損失や痛みを引き受けるような「利を逸脱した部分」も考えられますよね。後者を実践できなくてもいいのですが、後者のほうが「より尊い」と思うことをやめることには、波及的な深刻な有害性があるという考えです。
 利己的行為を通した利他、実践的であり、それはそれで結構なことだと思います。ただし本文は区別します。
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