感想一覧
▽感想を書く[一言]
どうも。ちぇそなです。
夢はいくつになっても持っていたほうがいいですよ。
例えそれが非現実的な夢であったとしても、その思いから色々なものへと現実的に波及していきますから。
例えば、『鳥になりたい』これって非現実ですよね? でも、どうでしょう。今、飛行機と言うものがあって、空飛べますよね。『鳥になりたい』は非現実かもしれませんが、その夢を叶える為に努力した結果は、現実として形は違うにしろ叶った訳です。
現実的であろうと、非現実であろうと、夢は捨てない事。これ大切だと思います。
ただ、一つ言える事は、夢が叶うまでの間は、現実と言うものが自分を襲ってきます。
それは、逃れようがありません。
そこを、どうやってクリアしていくかが、夢へ近づく一歩だと私は考えます。
『夢』一番で結構。ただ二番には『現実』がついてまわります。都合の良い一番だけを主張しては、それは『夢』ではなく、厳しいかもしれませんが、それは『絵空事』になってしまいます。
いくつになっても、壮大な夢を持って、その夢を叶える為に頑張っていきましょう。そして、その夢が叶った時に、批判した人に、ざまぁみろ!と言ってやりましょう。
どうも。ちぇそなです。
夢はいくつになっても持っていたほうがいいですよ。
例えそれが非現実的な夢であったとしても、その思いから色々なものへと現実的に波及していきますから。
例えば、『鳥になりたい』これって非現実ですよね? でも、どうでしょう。今、飛行機と言うものがあって、空飛べますよね。『鳥になりたい』は非現実かもしれませんが、その夢を叶える為に努力した結果は、現実として形は違うにしろ叶った訳です。
現実的であろうと、非現実であろうと、夢は捨てない事。これ大切だと思います。
ただ、一つ言える事は、夢が叶うまでの間は、現実と言うものが自分を襲ってきます。
それは、逃れようがありません。
そこを、どうやってクリアしていくかが、夢へ近づく一歩だと私は考えます。
『夢』一番で結構。ただ二番には『現実』がついてまわります。都合の良い一番だけを主張しては、それは『夢』ではなく、厳しいかもしれませんが、それは『絵空事』になってしまいます。
いくつになっても、壮大な夢を持って、その夢を叶える為に頑張っていきましょう。そして、その夢が叶った時に、批判した人に、ざまぁみろ!と言ってやりましょう。
[一言]
はじめまして。こんばんは。
感想とは少し(だいぶ?)違いますが、書かせていただきます。調子に乗って書きすぎました。長くなった上に勝手なことを書いてすいません。適当に読み流してください。
僕の私見ですが、「姫様」や「スーパーマン」になりたいというのは、「夢」というよりはただの「憧れ」であるように思っています。
幼い子供が「お姫様になりたい」と言うときには、「高価な服をたくさん持ち、豪邸に住み、おいしいものを食べ、なんでも言うことを聞いてくれる従者を持つ。そんな贅沢で楽な生活がしたい」という程度のものでしょう。
しかし、実際のお姫様というのは、そんな優雅で楽なだけの生活をしているわけではありません。皇室の生活を考えればわかりますが、そういう高貴な身分には大変な束縛が科せられます。時には、この時間には何をする、どこへ行く、ということが決まっていて自由な時間はほとんど持てなかったり、立ち振舞いや喋り方(あの特徴的なゆっくりした喋り方は強制らしいですよ。……嘘だったらごめんなさい)さえもこうしなさいと決められたりします。これはかなり窮屈なことでしょう。現代人の感覚を持ったままで実際にこんな生活をさせられたら、すぐに嫌になってしまいます。
また、将来何になるかの選択肢が狭いです。将来仕事がなかったりお金がなかったりして困るといった不安はないでしょうが、自分で将来の仕事を選ぶことができないという欠点もあります。歌手になりたい、と思ったとしても、まずそれが実現することはありません。この不自由さにも、耐えがたいものがあります。
幼い子供は、本当にお姫様になりたいわけではなく、「お姫様になって、豪勢で楽な暮らしをしたい、ちやほやされたい」といったように、お姫様的な生活に漠然とした憧れを持っているだけ。こういうのは、きっと「夢を見る」とは違うのだと思います。
では「夢を見る」というのがどういうことをさすのかというと、漠然と良い面だけを見るのではなく、夢の実現に伴う様々な苦労を背負うことまでも視野に入れた上で、なおかつ夢を叶えたいと思うことなのだと思います。
たとえば、プロ野球選手。野球選手になれば、毎日(正確には毎日ではないにせよ)練習に明け暮れなければならなくなり、試合で結果を残さなければいけないというプレッシャーを背負う上、成績によっては戦力外とされて無職になる心配もあります。プロになったら人生大成功などではありません。
作家でも歌手でも女優でも、どんなものになるにしても、それは同じでしょう。
そうだとしても、その苦労を背負うことを視野に入れた上で、夢を実現したいと思うのが、僕の考える「夢を見る」です。
夢を見るのは酷く大変なことです。決して楽な生活などできません。
しかし、人生で一番楽しいと思える瞬間というのは、様々な困難を乗り越え、何かを成し遂げられたときではないでしょうか。
野球選手なら、強敵に打ち勝ったときやチームが優勝した時。作家なら、苦労の末に一作を書き終えた時やそれが読み手に楽しんでもらえたり評価されたりした時。
夢の実現、そしてその先を生きるには苦痛が伴うにしても、それがむしろ喜ばしい。そう感じるのが、本当に夢を見ているというにふさわしいでしょう。
「夢を持」ち「夢を実現する」というのは、「その領域で挑戦していく資格を得る」というくらいの意味だと思っています。
中高生になると、だんだん現実と向き合う必要がでてきます。全然思い通りにいかなくて、矛盾だらけで理不尽な現実です。甘く考えていると、すぐに壁にぶつかってくじけそうになるでしょう。
しかし、そういう現実を前にしたからこそ成長できることや得られるものがあります。現実を直視するのは苦しいことですが、考え方を変えると、中高生になることで、ようやく現実に相対するだけの良識や知性や心構えを手に入れることができるともいえます。
そういった現実に向き合うのを、嫌だなと意気消沈するのか、望むところだとむしろ高揚するのか。後者の立場になれるなら、それは尊いことだと思います。そして、「夢を見る」には必要な要素だとも。
中高生に対してとは限りませんが、「現実を見ろ」といったことを大人はよく言います。なかなかうんざりさせられますが、その言葉は、案外頭ごなしの軽いものではありません。
大人は、子供より少しだけ広い世界を知り、警戒心を強めています。漫画やドラマに出てくるサクセスストーリーではなく、現実に周りではどんなことが起こっているのかを、見せつけられているからです。
中高生には、まだそれぞれの人生の差が見えづらい。みんな同じ学生で、収入があるにしてもせいぜいバイトで稼いだ月々数万円。成績に振りまわされながらも、それが現実の生活に直結してどれだけの違いが出るわけでもありません。
しかし、例えばそれが三十代くらいになると(僕はまだ二十代なので、こんな話をするのも変ですが)、同世代の人間が中学校や高校を卒業した後、どうなったのかを知ることになります。
高校時代は才能豊かに見え、プロの絵描きを目指すのも当然と思っていた友人が、才能が及ばなかったか運に恵まれなかったか、今では将来何の保証もないフリーターとして暮らしている、といったこと。歌手になれたはいいものの、ほんの一時だけ流行っただけでその後は売れず、これまたフリーターとして暮らしている、といったこと。さらには、そんな厳しい状況で、「愛が一番大切」という発想の結果、子供までいる。しかしお金は全然ないから子供をきちんと養うこともできずに、毎日ひもじい思いをさせている。こういったことが、なんの誇張でもなく起きているでしょう。
さらに言えば、学生時代は全然ぱっとしなかったけれど、地道に頑張ってきた子が、少なくとも一家が安心して暮らせるだけの収入を得、安定した暮らしをしている。そんな現実を前に、「夢に向かってひた走れ」というのは、流石に無責任すぎるでしょう。たとえ中には成功した者がいたとしても、「夢がどうとうか言ってないで堅実な生き方をしてくれ、そうすれば少なくともまともに食っていけるから」と言いたくなるのも無理はありません。
夢を追いかけて欲しい気持ちはもちろんありつつも、堅実に生きて欲しい。そういう気持ちを、無条件に否定していいものではありません。真剣に「夢を見る」のであれば、そういった気持ちにも配慮した上で行動するべきでしょう。
子供の頃の夢は、冷静に考えるとやはり稚拙なものです。「お姫様」に実際になってしまえば、むしろその生活に辟易することでしょう。それに、もし子供の夢見たとおりの「お姫様」になったとしたら、その子供は我儘で傲慢で一人では何もできない、幼稚すぎる人物になってしまいそうです。本人はいいかもしれませんが、客観的に見ればそれは悲劇。そんな人物は、誰からも好かれません。
では、幼い子供の頃の夢は全くの無意味かというと、僕は全然そうは思いません。それはそれで、必ず意味があります。
たとえば、幼い子供の頃の夢は、その時期を意欲的に過ごすための活力にもなるでしょう。大人から見れば荒唐無稽なものであったとしても、それを夢想している子供は希望に満ちていて、わくわくした気持ちでいられます。毎日が楽しくて、明日が来るのが楽しみで、そんな日々を過ごせそうです。現実だけを見ていては、幼少時代を過ごすことがただの苦痛になってしまうのではないでしょうか。夢想は心の栄養源、みたいな感じかなと思います。
また、全く夢を見ない子供は、成長しにくい気がします。夢を見ないで、ただ堅実に生きようとすると、「このくらいでいいや」と思って、いつも適当な努力しかしないことになりそうです。高校や大学の入試なんかでも、始めから自分はこのくらいが分相応だと思って選んだものを目標にすると、そこに届くことさえ危うい努力しかしなくなることがあります。しかし、始めだけでもいくらか高い目標を持っていれば、もしかしたらそこに届くかもしれないし、そうでなかったとしても、相応だと思っていたところにすんなりいけることもあります。
なので、幼い子供の頃の夢も、それを大事にしていたおかげで、そうでない場合よりも高みに辿り着けることがあるでしょう。子供の夢想は、決して無駄ではありません。
(ついでのようで恐縮ですが、子供の無邪気な夢想が、夢のきっかけになることもあります。よくある例ですが、飛行機を作ったライト兄弟も、そういった無邪気な夢想が夢の実現に関わった人ですよね。)
大人になっても、無邪気に「お姫様になりたい」などと言っていては、傍から見れば痛々しく、笑われても無理はないでしょう。大人の良識を持って、その夢がいったい何を意味するのか想像しないのは、ただの考えなしです。
しかし、大人になり、その夢の実現に伴う様々な苦労を視野に入れた上で、なおかつその夢を叶えたいと願うのは、とても素晴らしく、誇るべきことです。厳しい現実に立ち向かい、挑戦していく人は、かっこいいです。
ただし、残念ながら本来はかっこいいはずの人達を笑う者もいます。が、その人と真剣に向き合うのは得策ではない気がします。
夢を叶えようとする人達を笑うのは、そもそも夢を叶えるための努力すらできなかった、十分な成長を果たせなかった人。あるいは、努力はしたけれど失敗し、卑屈になってしまった人だと思います。そういう人は、そういったかっこいい人に嫉妬し、また自分がみじめに思えてしまうものです。笑って相手を貶めなければ、自己の尊厳を保てないのではないでしょうか。
精神的にも十分に成熟し、何かの夢に真剣に向き合い、努力した経験のある人は、同じことをしている人を笑うことはありません。そんなことはできません。それは、自分の人生さえも否定することですから。
つまらない大人になりたくない、という気持ち、よくわかります。周りの大人の対応にうんざりすることもあるでしょうが、卑屈になるのではなく、かっこいい大人になって欲しいなぁと、勝手に思っています。
偉そうに長々と書いてしまいました。しかもまとまりに欠けているようです。ごめんなさい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。少しでも何か意味のあることを書けていたら幸いです。
では、これからも執筆その他の生活、がんばってください。
はじめまして。こんばんは。
感想とは少し(だいぶ?)違いますが、書かせていただきます。調子に乗って書きすぎました。長くなった上に勝手なことを書いてすいません。適当に読み流してください。
僕の私見ですが、「姫様」や「スーパーマン」になりたいというのは、「夢」というよりはただの「憧れ」であるように思っています。
幼い子供が「お姫様になりたい」と言うときには、「高価な服をたくさん持ち、豪邸に住み、おいしいものを食べ、なんでも言うことを聞いてくれる従者を持つ。そんな贅沢で楽な生活がしたい」という程度のものでしょう。
しかし、実際のお姫様というのは、そんな優雅で楽なだけの生活をしているわけではありません。皇室の生活を考えればわかりますが、そういう高貴な身分には大変な束縛が科せられます。時には、この時間には何をする、どこへ行く、ということが決まっていて自由な時間はほとんど持てなかったり、立ち振舞いや喋り方(あの特徴的なゆっくりした喋り方は強制らしいですよ。……嘘だったらごめんなさい)さえもこうしなさいと決められたりします。これはかなり窮屈なことでしょう。現代人の感覚を持ったままで実際にこんな生活をさせられたら、すぐに嫌になってしまいます。
また、将来何になるかの選択肢が狭いです。将来仕事がなかったりお金がなかったりして困るといった不安はないでしょうが、自分で将来の仕事を選ぶことができないという欠点もあります。歌手になりたい、と思ったとしても、まずそれが実現することはありません。この不自由さにも、耐えがたいものがあります。
幼い子供は、本当にお姫様になりたいわけではなく、「お姫様になって、豪勢で楽な暮らしをしたい、ちやほやされたい」といったように、お姫様的な生活に漠然とした憧れを持っているだけ。こういうのは、きっと「夢を見る」とは違うのだと思います。
では「夢を見る」というのがどういうことをさすのかというと、漠然と良い面だけを見るのではなく、夢の実現に伴う様々な苦労を背負うことまでも視野に入れた上で、なおかつ夢を叶えたいと思うことなのだと思います。
たとえば、プロ野球選手。野球選手になれば、毎日(正確には毎日ではないにせよ)練習に明け暮れなければならなくなり、試合で結果を残さなければいけないというプレッシャーを背負う上、成績によっては戦力外とされて無職になる心配もあります。プロになったら人生大成功などではありません。
作家でも歌手でも女優でも、どんなものになるにしても、それは同じでしょう。
そうだとしても、その苦労を背負うことを視野に入れた上で、夢を実現したいと思うのが、僕の考える「夢を見る」です。
夢を見るのは酷く大変なことです。決して楽な生活などできません。
しかし、人生で一番楽しいと思える瞬間というのは、様々な困難を乗り越え、何かを成し遂げられたときではないでしょうか。
野球選手なら、強敵に打ち勝ったときやチームが優勝した時。作家なら、苦労の末に一作を書き終えた時やそれが読み手に楽しんでもらえたり評価されたりした時。
夢の実現、そしてその先を生きるには苦痛が伴うにしても、それがむしろ喜ばしい。そう感じるのが、本当に夢を見ているというにふさわしいでしょう。
「夢を持」ち「夢を実現する」というのは、「その領域で挑戦していく資格を得る」というくらいの意味だと思っています。
中高生になると、だんだん現実と向き合う必要がでてきます。全然思い通りにいかなくて、矛盾だらけで理不尽な現実です。甘く考えていると、すぐに壁にぶつかってくじけそうになるでしょう。
しかし、そういう現実を前にしたからこそ成長できることや得られるものがあります。現実を直視するのは苦しいことですが、考え方を変えると、中高生になることで、ようやく現実に相対するだけの良識や知性や心構えを手に入れることができるともいえます。
そういった現実に向き合うのを、嫌だなと意気消沈するのか、望むところだとむしろ高揚するのか。後者の立場になれるなら、それは尊いことだと思います。そして、「夢を見る」には必要な要素だとも。
中高生に対してとは限りませんが、「現実を見ろ」といったことを大人はよく言います。なかなかうんざりさせられますが、その言葉は、案外頭ごなしの軽いものではありません。
大人は、子供より少しだけ広い世界を知り、警戒心を強めています。漫画やドラマに出てくるサクセスストーリーではなく、現実に周りではどんなことが起こっているのかを、見せつけられているからです。
中高生には、まだそれぞれの人生の差が見えづらい。みんな同じ学生で、収入があるにしてもせいぜいバイトで稼いだ月々数万円。成績に振りまわされながらも、それが現実の生活に直結してどれだけの違いが出るわけでもありません。
しかし、例えばそれが三十代くらいになると(僕はまだ二十代なので、こんな話をするのも変ですが)、同世代の人間が中学校や高校を卒業した後、どうなったのかを知ることになります。
高校時代は才能豊かに見え、プロの絵描きを目指すのも当然と思っていた友人が、才能が及ばなかったか運に恵まれなかったか、今では将来何の保証もないフリーターとして暮らしている、といったこと。歌手になれたはいいものの、ほんの一時だけ流行っただけでその後は売れず、これまたフリーターとして暮らしている、といったこと。さらには、そんな厳しい状況で、「愛が一番大切」という発想の結果、子供までいる。しかしお金は全然ないから子供をきちんと養うこともできずに、毎日ひもじい思いをさせている。こういったことが、なんの誇張でもなく起きているでしょう。
さらに言えば、学生時代は全然ぱっとしなかったけれど、地道に頑張ってきた子が、少なくとも一家が安心して暮らせるだけの収入を得、安定した暮らしをしている。そんな現実を前に、「夢に向かってひた走れ」というのは、流石に無責任すぎるでしょう。たとえ中には成功した者がいたとしても、「夢がどうとうか言ってないで堅実な生き方をしてくれ、そうすれば少なくともまともに食っていけるから」と言いたくなるのも無理はありません。
夢を追いかけて欲しい気持ちはもちろんありつつも、堅実に生きて欲しい。そういう気持ちを、無条件に否定していいものではありません。真剣に「夢を見る」のであれば、そういった気持ちにも配慮した上で行動するべきでしょう。
子供の頃の夢は、冷静に考えるとやはり稚拙なものです。「お姫様」に実際になってしまえば、むしろその生活に辟易することでしょう。それに、もし子供の夢見たとおりの「お姫様」になったとしたら、その子供は我儘で傲慢で一人では何もできない、幼稚すぎる人物になってしまいそうです。本人はいいかもしれませんが、客観的に見ればそれは悲劇。そんな人物は、誰からも好かれません。
では、幼い子供の頃の夢は全くの無意味かというと、僕は全然そうは思いません。それはそれで、必ず意味があります。
たとえば、幼い子供の頃の夢は、その時期を意欲的に過ごすための活力にもなるでしょう。大人から見れば荒唐無稽なものであったとしても、それを夢想している子供は希望に満ちていて、わくわくした気持ちでいられます。毎日が楽しくて、明日が来るのが楽しみで、そんな日々を過ごせそうです。現実だけを見ていては、幼少時代を過ごすことがただの苦痛になってしまうのではないでしょうか。夢想は心の栄養源、みたいな感じかなと思います。
また、全く夢を見ない子供は、成長しにくい気がします。夢を見ないで、ただ堅実に生きようとすると、「このくらいでいいや」と思って、いつも適当な努力しかしないことになりそうです。高校や大学の入試なんかでも、始めから自分はこのくらいが分相応だと思って選んだものを目標にすると、そこに届くことさえ危うい努力しかしなくなることがあります。しかし、始めだけでもいくらか高い目標を持っていれば、もしかしたらそこに届くかもしれないし、そうでなかったとしても、相応だと思っていたところにすんなりいけることもあります。
なので、幼い子供の頃の夢も、それを大事にしていたおかげで、そうでない場合よりも高みに辿り着けることがあるでしょう。子供の夢想は、決して無駄ではありません。
(ついでのようで恐縮ですが、子供の無邪気な夢想が、夢のきっかけになることもあります。よくある例ですが、飛行機を作ったライト兄弟も、そういった無邪気な夢想が夢の実現に関わった人ですよね。)
大人になっても、無邪気に「お姫様になりたい」などと言っていては、傍から見れば痛々しく、笑われても無理はないでしょう。大人の良識を持って、その夢がいったい何を意味するのか想像しないのは、ただの考えなしです。
しかし、大人になり、その夢の実現に伴う様々な苦労を視野に入れた上で、なおかつその夢を叶えたいと願うのは、とても素晴らしく、誇るべきことです。厳しい現実に立ち向かい、挑戦していく人は、かっこいいです。
ただし、残念ながら本来はかっこいいはずの人達を笑う者もいます。が、その人と真剣に向き合うのは得策ではない気がします。
夢を叶えようとする人達を笑うのは、そもそも夢を叶えるための努力すらできなかった、十分な成長を果たせなかった人。あるいは、努力はしたけれど失敗し、卑屈になってしまった人だと思います。そういう人は、そういったかっこいい人に嫉妬し、また自分がみじめに思えてしまうものです。笑って相手を貶めなければ、自己の尊厳を保てないのではないでしょうか。
精神的にも十分に成熟し、何かの夢に真剣に向き合い、努力した経験のある人は、同じことをしている人を笑うことはありません。そんなことはできません。それは、自分の人生さえも否定することですから。
つまらない大人になりたくない、という気持ち、よくわかります。周りの大人の対応にうんざりすることもあるでしょうが、卑屈になるのではなく、かっこいい大人になって欲しいなぁと、勝手に思っています。
偉そうに長々と書いてしまいました。しかもまとまりに欠けているようです。ごめんなさい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。少しでも何か意味のあることを書けていたら幸いです。
では、これからも執筆その他の生活、がんばってください。
- 投稿者: 退会済み
- 23歳~29歳 男性
- 2012年 03月04日 22時48分
管理
[一言]
僕にも夢があります。おそらく、大人や友達に言ったら鼻で笑われるような夢が。ただ、現実を直視しながら夢を追い続けるのはとても難しい事だと思います。でも、自分の夢を成し遂げられる場所はその現実以外には無いわけですから、僕はもっと頑張ろうと思います。
僕にも夢があります。おそらく、大人や友達に言ったら鼻で笑われるような夢が。ただ、現実を直視しながら夢を追い続けるのはとても難しい事だと思います。でも、自分の夢を成し遂げられる場所はその現実以外には無いわけですから、僕はもっと頑張ろうと思います。
[良い点]
夢は見るものじゃない!叶えるものさ!
そう、自分の手で!
と言いたくなります。
[一言]
夢の内容にもよりますが、おそらく実際に夢が叶う人は少ないでしょう。
でも、何もしないで後悔するより、頑張ってから失敗に終わるほうがいいと思いますよ。
若いなら、なおさらね!
まあ、生きているだけでも十分だと思いますけどね。
あれこれ勝手に呟いて、すみませんでした。
夢は見るものじゃない!叶えるものさ!
そう、自分の手で!
と言いたくなります。
[一言]
夢の内容にもよりますが、おそらく実際に夢が叶う人は少ないでしょう。
でも、何もしないで後悔するより、頑張ってから失敗に終わるほうがいいと思いますよ。
若いなら、なおさらね!
まあ、生きているだけでも十分だと思いますけどね。
あれこれ勝手に呟いて、すみませんでした。
- 投稿者: 退会済み
- 男性
- 2012年 03月03日 21時34分
管理
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