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こんにちは。
お久しぶりです、牝牡蠣です。
八雲さんはいかがお過ごしでしょうか。

もしかしたらあんまり関わるのは悪いかなあ。と思いつつ、好奇心と自己中心で絡んでしまいます。お許しください。
私大分病んでおり(常設的なもの)今年は暗剣殺で調子が良くないと言い訳をしてダラダラと過ごしておりました。ほぼ全く動けていないのはこのためです。

挨拶はこれぐらいにして。
今回は八雲さんが書いた企画短編「愚者の贈り物」に感ずることがあったので書いてみようと思いました。毎度のことですが、煮るなり焼くなり捨てるなり、ご自由にお使いください。では。


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私は最近、神田橋條治という元九州大学精神科医の「精神科講義」という本を読んでいました。その中に、こんなことが書いていました。

「だいたい不登校のような精神的に不安定な患者さんは周りに『言葉』が多すぎる。お母さんが子供に『言葉』を浴びせ過ぎるから口篭ってしまう。母は子と同じ量の『言葉』で、そして子は『言葉』を生み出すための【実体験、そしてイメージ】を育まなければならない」

私はまあこんな「なろう」をウロウロしている人間ですから、
「では言葉で構成された小説。は、『言葉』か? 【実体験、イメージ】か? 私は後者だと思う」
と考えるわけです。

つまりはどうゆうことかというと、まず『りんご』という『言葉』が紙に書かれていたとします。すると、それを見た人々は、赤く、甘く、みずみずしい、シャキッとした、国内青森県で一番生産されているあの『りんご』を思い浮かべるはずです。それは言語学よろしく、記号=シニフィアンとイメージ=シニフィエが合一したシーニュの関係といえるでしょう。ここは、疑いはないかな、と思います。では今度は、ちょっと生々しいですが、

【経血のように赤いりんご】

と書きます。すると、人々は何をイメージするでしょうか。嫌悪する人もいるでしょう。もしくは、ちょっと強いにおいがするかもしれない。禁忌の果実をイメージするかもしれないし、何か生命力を、神秘を感じる人もいるかもしれない。

『記号』である『言葉』が積み重ねられた【文章】は『記号』以上の【実体験、イメージ】を持っているんじゃないか、と私は考えます。

だって、100人が同じ小説を読んで100人とも同じイメージを持つはずがない。でもそれは、『記号としての言葉』として見たならばダメなのかもしれない。『記号』とイメージが各々の勝手バラバラに接続されていることになるから。

【文章】は、それを読む読者の【実体験、イメージ。を、触発する所の背理ようの身体的接触】なんじゃあないか。と、思うのです。



長くなりましたが、何故私が八雲さんにこんな話をしたかというと、貴方の作品は

『記号としての言葉』
の意味合いよりも
【イメージとしての文章】
の志向性が強いのではないか、と嗅覚的に感じたからです。
それは、今作の様々な書き手様との比較の中でやはり八雲さんの文章の独特の食味、を感じたからです。
そして、自分も【イメージとしての文章】への志向性が強い、つまりはシンパシーを感じてもいるかもしれません。ここからは私事ですが、こういった【イメージとしての文章】は、多分、この先受け入れづらい土壌になっていくのではないか、と考えます。

『SNS的なバズり』
『勝者であれ、成功者であれ』
『気持ちよさ、快感』

これは非常にわかりやすい単純明快な『記号』であります。

【ペン】は『剣』より強し。ただし、優れた統治者のもとでは。

【実体験、イメージとしての文章】
は、
『バズり、勝ち、成功、気持ち良さ、快感。そしてイメージの無い記号的な剣として凶器としての言葉』
その単純明快な『記号』『剣』に勝てない。と、私は見ているのです。
「言葉だけでは伝えられない気持ちを小説でなら伝えられる」
しかし。その【気持ち。や、小説の実体験やイメージ】がもう世間へのニーズが無かったとしたら。
これからの作品が、言葉が、『記号』と『剣』であるならば、私の【小説】は、【イメージ】は、何処へ行くべきなのか。妖精の国に、行くべきなのか。
それはもしか、【豊穣なペンの世界。小説の実体験やイメージが流布する生存圏、経済圏、空間】を志向しなければならない段階まで来ているのかなんて、考えたりもしてしまうのです。
その空間を、私は見つけに行かなければならないのかもしれません。

しかし現状、「さかしま」のデゼッサントよろしくだいぶ焦げついているので、無我夢中ということもできず七転八倒のありさまです……。なんて。


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とまあ、こんなことを考え、書き散らしてしまいました。身勝手な物言いをすれば、久しぶりに色々考えて書けたので楽しかったです。

八雲さんの今年の活動を応援しております。
お付き合いいただきありがとうございました。
牝牡蠣でした。ではまた。
  • 投稿者: 牝牡蠣
  • 男性
  • 2026年 01月03日 21時33分
牝牡蠣さん

あらお久しぶりです。そしてご感想ありがとうございます。
個人的な作風の話で言うと、おっしゃる通りだと思いますよ。自分の言語感覚は、例えば同じ記号論でもソシュールではなくてパースの記号論を支持するくらいなので、中間で生成される触知的なイメージに対する執着がかなり強いと自覚があります。で、同時にこれは情報としてのテキストを異なる次元で組み立てるものなのでweb小説的ではないかもなぁ、と言う気はしてます。

自分は極論言うと古い小説読みなので、小説における文章の性質の起源がフローベールになります。テキスチュアルなものでしか再現できない小説的な描写という意味です。実際には間にチャンドラーなどを挟んでますが、ただ出来事を平坦に書くのではなくて、書き手の感覚が持っている観察と批評のフィルターを経由したものでないと作品性に面白みを感じにくい感受性なのだろうと思います。
いまこの部分に価値を見出しているのは、まだ紙の本を読んでいる人たちの中でも、純文学を囲っている人たちだけなんじゃないかなあとも思ってます。その多くは保守的です。私自身は保守的な小説読者ですが、同時に時代の変化にもある程度センサーが動いていて、作家性や身体性を伴う文体に需要がないということがどういうことなのかということについても多少見当がついてたりはするのです。
最終的には、このことは世界認識の話になるのだろうとは思うのですが、まだなんとかしがみついて頑張ろうとも思ってるので、今年は純文学系の公募とWebエンタメ小説の2軸で頑張っていきますよー!
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