感想一覧
▽感想を書くはじめまして、ぽぴと申します。
私は作者様のように、複雑な論考や議論はできないのですが、ミルの自由論における「成熟した諸能力を持つ成人」という前提条件を省略したメディアが、無責任で無制限な自由を社会に拡散していると考え、知識の軽薄化に危機意識を持っていました。
ですから、このような情熱と責任感にあふれたエッセイに出会い、危機意識から芽生えた孤独感が和らぎました。このようなエッセイを書いてくださり、ありがとうございました。
ぽぴ様
はじめまして。このような温かい言葉を頂き、心から感謝いたします。
ミルの『自由論』における「成熟した諸能力を持つ成人」という前提へのご指摘は、まさに核心を突いた部分だと思います。
実際、この前提条件がいまどれほど脆弱になっているか、という論点は、拙稿でも十分に扱いきれていなかった部分です。
この部分に関して、何か客観的に測れる指標を、社会設計的な領域に置いてある程度設定するのもありかな、と思ったりしますが、ただ監視社会強化の一途を辿ることになりそうですね笑
それで、ミルの害原理は“理性的判断が可能な個人”という基盤の上でのみ作動するかと思われますが、現代のメディア環境はこの前提をほぼ無視したまま「無制限の自由」だけを拡散させてしまっているように思えてしまいます。
個人的にはワイドショーなどでよくある“台本ありの見せる用の議論”然り、議論の場では必ずと言っていいほど、無駄に(?)対立構造があることを前提とする、あるいはなあなあにして深掘りせず誤魔化す、って考え方もそのばその場その場の“処世術”としてはわかりますが、他の視点を加えれば当然疑問符がつきます。求められるべき前提を蔑ろにしたまま、自由の中に“何らかの前提”を仕込んで刷り込みを図る、情報環境はそういう細工がされて来てるかと思います、学校の教科書もそうかも知れません。まあこれは与太話的な陰謀論と思って下さい笑
また逆説的ながら、その「成熟した能力」を育てるはずの環境、「深い思考、批判的検討、ゆっくり理解を積み上げる時間」が、言わば知識のポピュリズム化によって痩せてきていることです。
自由を支える土壤が痩せる一方で、自由そのものだけが肥大するといった、構造的な矛盾があり、見逃されがちな危機でもあるかと思います。
ぽぴ様が書かれた『危機意識から芽生えた孤独感』は、私も強く共感しております、本来であれば公共的に語られるべき問題ながら共有し議論する場は探せばあるかも知れませんが、そんなに無いですよね。その中で、こちらの文章に目を留め、言葉を届けて頂き、誠にありがたい限りです。
複雑な論考である必要はないと思います。ぽぴ様のように、本質的な問いを持ち、それを的確な言葉で示せることこそ、真に重要な知的能力のはずです。
この度いただいたご指摘は、拙稿を次に進めるうえで欠かせない視点でした。
本当にありがとうございました。
はじめまして。このような温かい言葉を頂き、心から感謝いたします。
ミルの『自由論』における「成熟した諸能力を持つ成人」という前提へのご指摘は、まさに核心を突いた部分だと思います。
実際、この前提条件がいまどれほど脆弱になっているか、という論点は、拙稿でも十分に扱いきれていなかった部分です。
この部分に関して、何か客観的に測れる指標を、社会設計的な領域に置いてある程度設定するのもありかな、と思ったりしますが、ただ監視社会強化の一途を辿ることになりそうですね笑
それで、ミルの害原理は“理性的判断が可能な個人”という基盤の上でのみ作動するかと思われますが、現代のメディア環境はこの前提をほぼ無視したまま「無制限の自由」だけを拡散させてしまっているように思えてしまいます。
個人的にはワイドショーなどでよくある“台本ありの見せる用の議論”然り、議論の場では必ずと言っていいほど、無駄に(?)対立構造があることを前提とする、あるいはなあなあにして深掘りせず誤魔化す、って考え方もそのばその場その場の“処世術”としてはわかりますが、他の視点を加えれば当然疑問符がつきます。求められるべき前提を蔑ろにしたまま、自由の中に“何らかの前提”を仕込んで刷り込みを図る、情報環境はそういう細工がされて来てるかと思います、学校の教科書もそうかも知れません。まあこれは与太話的な陰謀論と思って下さい笑
また逆説的ながら、その「成熟した能力」を育てるはずの環境、「深い思考、批判的検討、ゆっくり理解を積み上げる時間」が、言わば知識のポピュリズム化によって痩せてきていることです。
自由を支える土壤が痩せる一方で、自由そのものだけが肥大するといった、構造的な矛盾があり、見逃されがちな危機でもあるかと思います。
ぽぴ様が書かれた『危機意識から芽生えた孤独感』は、私も強く共感しております、本来であれば公共的に語られるべき問題ながら共有し議論する場は探せばあるかも知れませんが、そんなに無いですよね。その中で、こちらの文章に目を留め、言葉を届けて頂き、誠にありがたい限りです。
複雑な論考である必要はないと思います。ぽぴ様のように、本質的な問いを持ち、それを的確な言葉で示せることこそ、真に重要な知的能力のはずです。
この度いただいたご指摘は、拙稿を次に進めるうえで欠かせない視点でした。
本当にありがとうございました。
- 才矢仁の知識のワンファック
- 2025年 12月11日 02時25分
はじめまして、静夏夜と申します。
中々に面白い社会考察の論考ですね。
「3_2規範の転倒」については、凡そ知識があるように見せかけ難しい単語を並べ敢えて難しいように語る者が居る。というここなろうでも時折見かけますが、そうした経緯に実在する軽薄な者が生んだ悲劇でもあるように思います。(笑)
治水の設計に至る所は、調整池や制度設計には得てして設定値が設けられ、その量を超えると崩壊します。バッファーとしての大きさを書かれていますが、今や津波のように一気に押し寄せ引き波早くの超短期的流行が繰り返されるNET社会の中で、果たしてそれを維持するだけの知的流動化の予算が得られるのか。また、繰り返される波に経年劣化して行く分流の構造体を如何にして修繕と改善が出来る程に若い感性を持つ人材を配し続け履行出来るのかに疑問は残ります。分水嶺を造ったとて、源水となる情報元が壊れたなら、決壊するダムの如くに下流のそれらは元も子もない状態に消え去る他にないのでしょう。
今やそうした知識や情報すらも電子機器の中で維持管理されており、フレアに曝されたなら何処まで残るかも判りません。歴史は史実で時の権力者により改変されている可能性を踏まえれば、歴史が事実かも判らないだけに、今この現時点で知る知識や文化も時の改変により地球が無くなる可能性も考えれば、今は知識多き時代なのか、それとも少なき時代なのか、壮大な浪漫すら感じられますが、現代における知識という財産を散財する事なく守ろうとする心意気が感じられるものでした。
まるで廃れ行くローマを見るようで、成したものが崩れ去るは何事にも起こり得るのだろう事を分からせますが、それを食い止めようとするからこそに作者様が考察されたように新たな知恵が生まれるのでしょうね。
情報を溢れ出る水として論考する内容は、大衆の知識ポピュリズム化や劣化など近い考えもあり、私感に違うと思う所も含め大変面白く読ませていただきました。
中々に面白い社会考察の論考ですね。
「3_2規範の転倒」については、凡そ知識があるように見せかけ難しい単語を並べ敢えて難しいように語る者が居る。というここなろうでも時折見かけますが、そうした経緯に実在する軽薄な者が生んだ悲劇でもあるように思います。(笑)
治水の設計に至る所は、調整池や制度設計には得てして設定値が設けられ、その量を超えると崩壊します。バッファーとしての大きさを書かれていますが、今や津波のように一気に押し寄せ引き波早くの超短期的流行が繰り返されるNET社会の中で、果たしてそれを維持するだけの知的流動化の予算が得られるのか。また、繰り返される波に経年劣化して行く分流の構造体を如何にして修繕と改善が出来る程に若い感性を持つ人材を配し続け履行出来るのかに疑問は残ります。分水嶺を造ったとて、源水となる情報元が壊れたなら、決壊するダムの如くに下流のそれらは元も子もない状態に消え去る他にないのでしょう。
今やそうした知識や情報すらも電子機器の中で維持管理されており、フレアに曝されたなら何処まで残るかも判りません。歴史は史実で時の権力者により改変されている可能性を踏まえれば、歴史が事実かも判らないだけに、今この現時点で知る知識や文化も時の改変により地球が無くなる可能性も考えれば、今は知識多き時代なのか、それとも少なき時代なのか、壮大な浪漫すら感じられますが、現代における知識という財産を散財する事なく守ろうとする心意気が感じられるものでした。
まるで廃れ行くローマを見るようで、成したものが崩れ去るは何事にも起こり得るのだろう事を分からせますが、それを食い止めようとするからこそに作者様が考察されたように新たな知恵が生まれるのでしょうね。
情報を溢れ出る水として論考する内容は、大衆の知識ポピュリズム化や劣化など近い考えもあり、私感に違うと思う所も含め大変面白く読ませていただきました。
静夏夜様
この度は拙い論考を丁寧にお読みいただき、また大変示唆に富むご感想までお寄せくださり、ありがとうございます。
特に「3_2 規範の転倒」や、治水メタファーに対する本質的な疑義を示していただいた点、とても嬉しく拝読しました。
規範の転倒の件についてお書き頂いた『凡そ知識があるように見せかけ難しい単語を並べ敢えて難しいように語る者』という指摘は、まさにこの論考で扱いたかった現象の一部だと感じてます。
「わかりやすさ至上主義」の裏側で、かえって“軽薄な難解語り”が量産されている状況は、SNS のコメント欄などでも日常的に見かける光景ですよね。この件は恐らくソフィスト宜しく大昔からあったのでしょうが笑。ただ現代は強力なツールがあるのが厄介なとこですね。
治水の比喩についても、「調整池にも設計値があり、それを超えれば崩壊する」「津波のように押し寄せ、引き波の早い流行の反復」というご指摘はまさにその通りで、従来の“なだらかな季節変動”前提の治水工学とは、前提となる時間スケールが根本的に違ってきているのだと思います。
拙稿では一応「一つの巨大な調整池に全てを流し込むのではなく、流域そのものを複数に分け、それぞれが独立して機能するようにする」という方向性を「複数流域への分散」として提示しましたが、ただ、静夏夜様が書かれたように、
その構造物を維持・修繕できるだけの「知的流動性の予算」が確保できるのか、若い感性や新しい技術をもった人材を、継続的にそこへ配し続けられるのか、という点は、確かに論考中で十分に掘れていなかった論点だと痛感しました。
昨今は「AIに任せればいい」といった雑な楽観論も見かけますが、個人的には、結局そのAIを設計・運用する側のリテラシーと倫理が育っていなければ、構造物だけ増えて中身は空洞、あるいは特級呪物レベルの汚染水という事態になりかねないと感じています。
また『源水となる情報元が壊れたなら、決壊するダムの如くに下流のそれらは元も子もない』というご指摘は、完全に盲点でした。
電子データの脆弱性(フレアやEMP、サーバ企業の消滅など)や、歴史が常に「時の権力者による編集物」であるという事実を踏まえると、治水のメタファーでいう「水路・ダムの設計」だけでなく「水源そのものの保全・多重化」、「そもそも“水とは何か”を記録し続けるための、媒体の多様性(電子だけでなく紙・物理アーカイブ等)」といった層をきちんと論じなければならなかったなと反省しております。
電子焚書のような事態は本当に起きてほしくありませんが、現状の集中構造を見ると、決して絵空事とも言い切れない怖さがありますね。
ローマの比喩もまさにおっしゃる通りで、高度な水道システムも、それを維持できる技術者集団が失われれば、ただの遺跡に変わってしまう。知識インフラも、同じ運命から免れないのだろうと思います。
だからこそ、「治水の設計」だけでなく、「水源の保全」と「治水技術そのものの継承」という二重のレイヤーを組み込まないと、本当の意味での“認知環境の持続可能性”には辿り着けないのだと、改めて今回のご指摘を通じて気付かされました。
本論考を次の段階に進めるうえで、静夏夜様のコメントは欠けていた視点を補ってくださる大変貴重なご感想でした。
重ねて御礼申し上げます、ありがとうございました。
この度は拙い論考を丁寧にお読みいただき、また大変示唆に富むご感想までお寄せくださり、ありがとうございます。
特に「3_2 規範の転倒」や、治水メタファーに対する本質的な疑義を示していただいた点、とても嬉しく拝読しました。
規範の転倒の件についてお書き頂いた『凡そ知識があるように見せかけ難しい単語を並べ敢えて難しいように語る者』という指摘は、まさにこの論考で扱いたかった現象の一部だと感じてます。
「わかりやすさ至上主義」の裏側で、かえって“軽薄な難解語り”が量産されている状況は、SNS のコメント欄などでも日常的に見かける光景ですよね。この件は恐らくソフィスト宜しく大昔からあったのでしょうが笑。ただ現代は強力なツールがあるのが厄介なとこですね。
治水の比喩についても、「調整池にも設計値があり、それを超えれば崩壊する」「津波のように押し寄せ、引き波の早い流行の反復」というご指摘はまさにその通りで、従来の“なだらかな季節変動”前提の治水工学とは、前提となる時間スケールが根本的に違ってきているのだと思います。
拙稿では一応「一つの巨大な調整池に全てを流し込むのではなく、流域そのものを複数に分け、それぞれが独立して機能するようにする」という方向性を「複数流域への分散」として提示しましたが、ただ、静夏夜様が書かれたように、
その構造物を維持・修繕できるだけの「知的流動性の予算」が確保できるのか、若い感性や新しい技術をもった人材を、継続的にそこへ配し続けられるのか、という点は、確かに論考中で十分に掘れていなかった論点だと痛感しました。
昨今は「AIに任せればいい」といった雑な楽観論も見かけますが、個人的には、結局そのAIを設計・運用する側のリテラシーと倫理が育っていなければ、構造物だけ増えて中身は空洞、あるいは特級呪物レベルの汚染水という事態になりかねないと感じています。
また『源水となる情報元が壊れたなら、決壊するダムの如くに下流のそれらは元も子もない』というご指摘は、完全に盲点でした。
電子データの脆弱性(フレアやEMP、サーバ企業の消滅など)や、歴史が常に「時の権力者による編集物」であるという事実を踏まえると、治水のメタファーでいう「水路・ダムの設計」だけでなく「水源そのものの保全・多重化」、「そもそも“水とは何か”を記録し続けるための、媒体の多様性(電子だけでなく紙・物理アーカイブ等)」といった層をきちんと論じなければならなかったなと反省しております。
電子焚書のような事態は本当に起きてほしくありませんが、現状の集中構造を見ると、決して絵空事とも言い切れない怖さがありますね。
ローマの比喩もまさにおっしゃる通りで、高度な水道システムも、それを維持できる技術者集団が失われれば、ただの遺跡に変わってしまう。知識インフラも、同じ運命から免れないのだろうと思います。
だからこそ、「治水の設計」だけでなく、「水源の保全」と「治水技術そのものの継承」という二重のレイヤーを組み込まないと、本当の意味での“認知環境の持続可能性”には辿り着けないのだと、改めて今回のご指摘を通じて気付かされました。
本論考を次の段階に進めるうえで、静夏夜様のコメントは欠けていた視点を補ってくださる大変貴重なご感想でした。
重ねて御礼申し上げます、ありがとうございました。
- 才矢仁の知識のワンファック
- 2025年 12月07日 11時34分
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