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仲良くしている友人が、Vシネ見過ぎで軽く仁侠が入っているんですが、ナニワ金融道は今の学校教育に取り入れるべきだと論じていました。法律は弱いもんを守るためやない、強いもんを守るためにあるんや!とセリフを教えてくれました。
何事もほどほどにとよくいいますが、いくとこまでいかんかい!と友人が言うたびに、どうどう、と横でなだめるのが僕の最近の役割ですw
何事も加害者が全て悪いとなっているのも、またおかしなことかもしれませんね。
先生へのなり手が減っているのも仕方ないかもしれません。
 多分力を怖れるあまりに力の使い方を世の中が教えないせいではないでしょうか。結果力を誤った形で使うことを覚え、それを怖れるため一層それを規制する。無意味なことをいくら重ねても徒労という皮肉があるように思えます。
 いじめ問題の本質は、正に力の正当な行使を禁止した結果力を奮う者と放棄した者との差がついた結果対等性を失ったことにあるのではないかと。誰しも格下と思える者と対等に付き合うことに疲れを感じずにはいられないでしょうから。
 とはいえ、やられる側も本能では理解しているはずですし無駄でも抗う姿勢は見せるべき。人間が本当に嫌うことは無視されることなのでしょうから。
 いじめを問題視するのはそれから。解り合う努力なしに相手を避難するのはいじめる側と同じことをしているといえる気がします。
 でも監督者って、こういう面倒事を嫌うんですよね……。
 喧嘩ひとつできない関係、これが本当に正しい人間関係といえるのか……。
まあ、ワタシは怒り、憎み、鍛えて逆襲を果たしましたがね。おっと、直接殴る蹴るはしておりませんよ。
  • 投稿者: 笹門 優
  • 50歳~59歳 男性
  • 2026年 01月28日 19時18分
 人を憎むのは行き過ぎですがやはり主張を通すくらいの能力と意地は欲しいところ。マキャベリの「愛されるよりも畏れられるべし」をやれとまでは言いませんけど、孫子の「戦わずして勝つ」くらいはできてないと対等な人間関係は築きづらいのが現実。
 言葉で解り合うのが理想ですけど、力学を考えると暴力が最も手っ取り早い対話というのは原始の時代から変わらぬ真理。力なき言葉は正に戯言であり「嫌よ嫌よも好きのうち」とされる原因。
 でもパスカルの言葉「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である」さえも現在のコンプライアンスは否定するんですよね……。
 実力こそが人間の基盤であり、道徳はその上に築くのもの。そんな私の考えは間違っているのでしょうか。基盤が揺らぐからこそ自身を否定し、一層に社会に馴染めなくなる。世の中を見るとそんな気がしていけません。
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