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感想一覧

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こんにちは!初めまして。
アガサが読者にフェアか。昔からミステリファンの間では論争が活発ですよね。
個人的にはアガサ・クリスティはかなり厳格で読者にフェアを守っている方だと思います。

そもそもS・S・ヴァン・ダインの二十則全部を守っているミステリ小説なんて、ほぼ皆無ですし。

エラリークイーンの初期の国名シリーズぐらいではないでしょうか?
S・S・ヴァン・ダイン自身も僧正殺人事件で名探偵が直感で犯人探してます。

ジョン・ディクスン・カーなんてやりたい放題です。
五つの箱の死をアンフェアと称しないミステリファンはいないと思います。

密室事件の金字塔のガストンルルーの黄色い部屋。アンフェアなら、これを超えるのはなかなかないです。
↑私、これらの作品全部大好きですよ。(フォローに余念がない小心者です)
私、ミステリの本質はフェアであるかではなく、ミスディレクションだと思っています。

アガサが当時炎上した理由は、あまりにも手法が鮮やか過ぎて読者がびっくりしすぎたからだと思ってます。


アガサクリスティの大ファンの一読者より( *´艸`)
いかすみこさん、感想をありがとうございます!
クリスティーのフェア・アンフェア論は、ミステリファンの間で長年盛り上がるテーマですよね。
こうして語り合える方に読んでいただけて嬉しいです。

「ミステリの本質はフェアかどうかではなくミスディレクション」という一言、すごく腑に落ちました。
フェアかアンフェアかは、読者がどう感じたかという体感の話で、ミスディレクションは作者側の技術の話。
アンフェアに感じる瞬間って、手がかりが置かれていても、誘導が効きすぎて気づけなかったときなんだと思います。
自分のエッセイで言いたかった「騙されたこと自体が快感になる設計」も、結局そこに行き着くんですよね。

「鮮やかすぎて読者がびっくりした」というのも、確かにそうかもしれません。
当時の反応には、純粋な驚きと、ルールを巡る真面目な議論の両方があったのだと思います。
どちらにしても、それだけ読者を本気にさせた作品だったということですね。

タイトルの「アンフェア」はやや煽り気味でしたが、クリスティーが基本的にフェアな書き手だという点は、本文でも断っておいた通りで、同じ意見です。
そこは同じ方向を見ている気がして嬉しかったです。

貴重な視点をありがとうございました!
オリエント急行でクリスティを擁護するなら、当時イギリスの殺人罪は即死刑になっていたからかな、と思っています。
人殺しの命を守りたい場合はどんなパーターンか、をテーマに執筆したかもしれませんし。

クリスティには独自の死生観や倫理観があり、現代から考えるとおかしい場合もあります。
それでも愛されるのは、彼女の心に芯が通っているからでしょう。
ノーネアユミさん、感想をありがとうございます。
死刑制度の話、正直そこまで考えが至っていませんでした。
ご指摘の通り、当時のイギリスでは殺人罪は原則死刑ですから、ポアロが見逃したのは単なる独断というより、「取り返しのつかない罰を回避するための選択」だった可能性は十分ありますね。
この視点が抜けていたのは自分のエッセイの弱いところだったと思います。

ただ、一つだけ整理させてください。
動機として同情できることと、元警官であるポアロが独断で法の執行を差し止めていいかどうかは、別の話だと思っています。
死刑を回避したい人道的な判断だったとしても、「探偵が法を超えて裁定を下す」という構図そのものへの引っかかりは、自分の中では残ります。
むしろ動機に理解できる部分があるからこそ、その判断の重さについて考えさせられるといった感じです。

「彼女の心に芯が通っているから愛される」というのはその通りだと思います。
時代背景ごと理解しようとすると、また違った顔が見えてくるものですね。
貴重な視点をありがとうございました。
 最近だとミステリがファンタジーだってなんて話もありますしねぇ。
 結局のところ小説というエンターテイメントは読者を納得させることに尽きる。これが犯罪であるというのならば読者を共犯者にしてしまうこと。背徳の優越感もまたミステリの醍醐味のひとつなのかも知れないですね。
 そういうわけで、作品の作者こそが真の仕掛人というメタファー。いや、これを言っては身も蓋もないのではありますけど。(笑)
  • 投稿者: 戯言士
  • 2026年 09月07日 07時55分
戯言士さん、感想をありがとうございます。
「読者を共犯者にする」という言い方、めちゃくちゃしっくりきました。
自分は探偵vs読者の構図で書いてましたが、言われてみれば実際に手を汚してるのはクリスティー自身なんですよね。
都合の悪い情報を隠す、思い込みを利用する——これ、作中の犯人がやってる手口と全く同じことを、作者が読者相手にやってるだけの話です。

「これを言っては身も蓋もない」と仰ってますが、むしろそこがミステリというジャンルの正体そのものだと思います。
探偵小説って結局、作者が仕掛ける最大の叙述トリックなんですよね。
犯人が読者を騙すんじゃなくて、作者が「犯人が読者を騙す物語」を使って、読者を直接騙しにきてる。

「背徳の優越感」という表現も刺さりました。
負かされたはずなのに気持ちいい、という倒錯した読書体験こそがミステリの快楽だとしたら、クリスティーは確信犯的にそれを設計してたんだろうなと思います。
罪悪感より、むしろ「してやったり」の方が近い気がします。

「ミステリがファンタジー」の話も気になります。
特殊設定ミステリだとフェアプレイの前提条件自体が作品ごとに変わるので、クリスティーの時代の「暗黙の了解」がそもそも通用しない。
この辺りも掘り下げると、また別のエッセイになりそうですね。(笑)