感想一覧

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[一言]
 掲示板より参りました後藤です。遅れてしまい申し訳ありません。更新と感想を交互に書こうと決めていたところ、何を血迷ったか二度続けて更新してしまっていました。
 では感想です。

 個人的になかなか好みの雰囲気を持つ作品でした。ただし、残念ながら小説としては読みにくさが伴いました。早い話がテーマや発想に魅力を感じることができたとしても、物語としては必ずしも魅力的ではなかったということです。
 いつものことですが、個人的な感覚を頼りに欠点と感じた点を中心にお話しようかと思います。
 ①時系列の混乱、②アイテムのイメージ、③視点の欠如、④登場人物の多さ、⑤主役不在と、思いついた順に並べてみました。では順番に。

①時系列の混乱
 そのままの意味です。このお話は日誌形式を中心として二つの時間軸にまたがってお話が進みます。それぞれいつのことなのか書かれてはいるのですが、それでも読みながらいちいちそれがいつのことか確認しながら読まなければならなくなってしまいます。それができるのは作者さんとよほど頭の中で出来事を整理できる人になってしまいます。
 少なくとも私にはできませんでした。仕方がなくもういちど読み直してなんとか流れを掴んだというような有様でした。
 別段お話がわからなかったということはなかったのですが、お話が筋として連続しておらずどうしてもつながりが悪くなってしまっているように思えてしまいました。時系列がそれぞれの時間軸では一貫した方向性を持っているますが、それぞればらばらに展開されているようで頭の切り替えにくろうさせられてしまったということが正直なところです。
 とりあえずここはこれで保留しておいて、次にいきます。

②アイテムのイメージ
 では脈絡ありませんが次です。この項目は非常に個人的な感性の問題であるためどう書いてよいものかわからないところがあるのですが、トリカブトがメインとなるお話だということが、実は問題でした。
 イメージの問題というものはどうしても残ります。
 トリカブトというと毒草であるということであまりに有名です。実際、トリカブトの毒を使っての事件も発生しているようです。そのため、花のイメージとしては恐ろしいものや犯罪性がどうしてもつきまといます。
 事実、私もそんなイメージに引っ張られ、さらに作中で死者がでているという表現があったことから怖いどんでん返しを警戒してしまったほどです。
 もちろん、イメージとしては恐ろしい花だけれど、花としては綺麗だとか、発見された新種の花で大変貴重なものであるというイメージの転換が行われているのであればよかったのですが、そんな印象も弱い。また、作中でも毒草としておそれているような表現もありました。
 漠然とした言い方になってしまいましたのでまとめます。
・マイナス要素
 毒草としてのイメージ。作中での恐れているという表現。不完全なフォロー。
・プラス要素
 新種の野草。
 並べるとこんなイメージになります。まず、私見で申し訳ありませんが、やはり毒草ということでマイナスのイメージからスタートします。そして作中の学生たちが恐れているという表現がある以上、そんなイメージは必ずしも払拭されません。加えて、新種の毒草という設定も必ずしもプラスにはなり得ません。新しいということはすなわち毒の成分がまだ特定されきっていないとか、ほかのトリカブトにはない使い方ができるという伏線であるという仮定を排除できません。
 実は事故死とされていた出来事が、実は新種の毒草を用いた事件だったのでは、なんてことまで考えてしまったというわけです。
 この作品では毒草であるというイメージを払拭しないまま、それでも貴重であるというイメージで使用されているのだと考えています。しかしこの場合、それでも毒草であるというイメージは実は消えていません。少なくとも表現されているようには思えませんでした。
 この作品では雑草という名の草はないという表現が登場しています。それは野山の花を大切にしなければならないというメッセージとしては有効ですが、それは全般を指す言葉であって毒草にどう向き合えばいいかということではありません。すなわち、毒草は毒草というイメージで読み進めなければならないように感じているのです。
 たとえば、ここではこんな話があってもよかったように思われます。
 毒草とはそもそも何か。私は毒草の専門家でないため詳しいことは知りません。ただ、どんな毒草も進化の過程で必要だから毒をもっただけで、人を殺すために毒をもった訳ではありません、たぶん。すると、毒草がなぜ恐ろしいのかというと、それはその毒そのものではなくその毒を利用しようとする人間であるということになります。
 毒草は、単に毒を持っているという記号でしかなく、それをどう受け止めるかは人間次第。勝手に利用されて勝手に毒草だと恐れられるトリカブトはある意味では哀れな存在である。
 こんなエピソードを入れていただいた方がメッセージ性としては物語の方向性にあっているように思われます。毒草であるというイメージを利用しながら、しかしこの作品では毒草としてではなく一つの野に咲く花としての性質を強調することを示しておく必要があったように思えます。その後でなら、毒草ではあっても新種で貴重な花であって、本来危険で、一見するなら排除されるべき花をそれでも大切にする人々の話としてより先鋭化されるような気がします。
 とりあえず、アイテムとして毒草を選択されたこと自体はよいとしても、それをどう伝えたいか、そんな観点がまだ甘いように感じられたことを挙げておきます。

③視点の欠如
 実は、②のアイテムの性質以外は基本的に同じことを言っています。
 視点の欠如とは日誌形式で作品の向かいたい方向性が必ずしも明らかでないという点があるように思われます。それぞれの日誌は雰囲気がでていてよく書けているような気がします。そもそも登山日誌を読んだことのない私には確信が持てませんが。
 ただし、それが必ずしも物語の方向性と合致しているとは思われません。
 同じようなことを並べているだけになってしまいますが、この作品の一つの問題は、物語としての起承転結の弱さという可能性があります。
 起から承は雰囲気を作ることができていると思えるため問題はないでしょう。となると問題は転の部分です。転の部分は、独学で申し訳ありませんが物語の方向性を決定する非常に重要な場面です。
 しかし、この作品の場合、一つには②で説明したように転を迎えるにあたっての準備が完全には足りていないように思われます。次に、現代の主な日誌の内容が基本的に登山の内容に限定されてまま進みます。それが作品の雰囲気を構成しているのはいるのですが、その反面、転から結の部分とのつながりがどうしても弱い。あくまでもたとえの話ですが、学生の日誌の内容をすべて削除してしまってもお話が通じてしまうおそれがある。反対にその方がかえってお話の筋としては通っているのではないかと思えてしまうほどです。
 そんな意味において、日誌の執筆者が物語とは直接関係のない人物であることから、作品の方向性がどうしてもぼやけてしまって、そのため読者がどんな視点で読めばよいものかわからなくなってしまいがちです。
 実際、私としては登山のお話として読んでいたところ、最後にやや唐突に新種の植物保護や夢や目標のお話が出てきたように感じられてしまいました。

④登場人物の多さ
 では、もう少し問題を分析してみましょう。一つには、登場人物が多いと言うことが問題ではないかと。
 まず、日本人の名前は名字が二文字、名前が二文字が基本です。となると名前のイメージがどうしてもそろいやすいという危険性がほかの地方、国に比べて大きいということになります。
 名前については余計なことですが、登場人物の数については大きな問題を引き起こしています。
 登場人物が多いと、それだけ混同が発生しやすくなります。映像のない小説ではそれが特に顕著です。するとどんな問題が生じるか、それは、そのエピソードが誰のものであるのかわからなくなってしまうからです。すなわち、書いていても書かれていないかのように読まれてしまうという危険性がどうしてもあるのです。
 これはどこかで聞いたお話ですが、プロであってもメインとなる人物は五人前後に抑えた方がよいとのこと。それも短編ではなく長編--たぶん十万字程度だと思いますが--のお話なのだとか。
 このお話の場合、そもそもお話の中心となる人物が不在であるため、どうしても登場人物の重要度が横並びに傾向にあるように思われます。そのため、誰が重要か読者としては理解できないまま、どんどん人名が登場してしまうということになってしまうのです。
 すると、あれ、これ誰のお話だったかなとか、あのこと言ってたの誰だったかな、ということがたて続いてしまい、物語がうまくつかめないということになってしまいかねません。

⑤主役不在
 そろそろ結論として、この作品はなかなか意欲的な作品であると考えています。雰囲気作りや登場人物の配置、登山という世界観を様々な形で表現されようと試みておられると考えています、たぶん。登山にはまったく縁のなかった私にはわかりませんが。
 ただし、物語としてみた場合、読者がどんな視点で読み進めていけばよいのかがわかりにくいことも事実です。
 ネタバレ挟んでしまうため具体的なことはあまり書けませんが、やはり読者が心情を追うことができる中心となる人物というものは必要であるように思われます。たとえ群像劇でもやはり主人公というものは必要です。どこに軸足をおいてよいものかわからなくなってしまうからです。

 結論として、失礼ながら特有の読みにくさがあったように思えました。その理由はすでに書いてきた通りですが、この作品の着地点はよいとしても、そこに至るまでの誘導やイメージの方向性が分散している、あるいは登場人物の扱いなどから意図せず拡散している、そのような印象を受けました。
 ようは伏線としての物語の誘導が弱いように感じています。あまりやりすぎてしまうとご都合主義になってしまいますが、この作品ではもう少し露骨にお話や感覚を誘導して、転の部分の強化を意識することで結につなげていくということがあってもよいように思われました。
 それが具体的にどういうことかについては、同じような内容をくどく言い続けてそろそろ五千字が見えてきたという段階まで語りましたので、何かのヒントにどうぞ。
 では、お時間いただいてしまいましたが、何かの参考になれば幸いですと決まり文句を残して、感想を終えたいと思います。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2013年 05月19日 12時05分
管理
後藤正人さん、更新に感想依頼にとお忙しい中、僕の依頼を受けてくださりありがとうございました。
拙文の雰囲気だけはなんとか暖かいお言葉をいただけましたが、やはり自分で気づかなかったような問題点を明らかにしていただけて、痛烈というか、痛快というか、文章を書こうという気持ちに活を入れることができたと思います。
 挙げていただいた各項目について、自分自身ではこれ以上ないと思っていても、まだまだ、構想、肉付け、推敲その他すべての段階で、自分に甘えがあったと思います。もちろんそんなことは最初から分かってましたが、こうして指摘をいただけると、よりいっそう身につまされるようで、強い問題意識をもつことができました。
いただいたご意見、ご指摘、新しい視点を糧に、教訓に、そして何かの参考にしていけたらと思います。
 重ねて、ご感想ありがとうございました。
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