エピソード403の感想一覧

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養母様、ちゃんとローゼマインのこと思ってくれてるよねぇ…。
なんかフロレンツィアは母親としてどうかと思う(ロゼマへの教育とかしてないし)みたいなこと見かけるんだけど、ロゼマや父親達達が目に見えない壁作ってる気がする。
報告書読むのが男3人だけって普通に考えたらおかしいし、ロゼマも求婚の言葉が叱られ案件って聞いてなおフェルディナンドに聞くし。そこは同性に聞こうよ、と思うけど、隠し事してるから聞けないんだよね。
  • 投稿者: なのは
  • 2025年 06月07日 23時28分
養母様素敵!
前々から、説教ばかりで褒めないとこ気になってたのです。
あと、教えてないことでもやらかしを責めるだけで、じゃあどうすればいいのかという具体的な指導があまりないところも。(王族に近づくなっていうけど、相手から寄ってくる場合はどう対応すればいいのかとか。)
今回はちゃんとお話し合いになってるなー、と思ってたけど、保護者達に指導してくれた養母様のお陰でしたか。
  • 投稿者: はる
  • 2025年 05月05日 10時21分
>>読専さん
SS置き場の15話「私の同僚は変人だ」でその話のコルネリウス視点の回があります。

  • 投稿者: ボッチ
  • 2025年 04月13日 18時14分
昔の若いときならともかく、歳とってから、周りと分かち合わずにひとりで趣味に没頭したいと思うようになってから、友達とかいいかなって思うようになった。
マインの気持ちよく分かる(*-ω-)ウンウン

それに1人の方が楽な時って結構あるからね。
買い物に行く時も同行者に合わせることなくうろちょろ出来るからね。自分勝手主義者かも(´・д・`)ウワァ...
  • 投稿者: 桜んぼ
  • 2025年 04月10日 09時31分
(´・ω・`)エルヴィーラ母様暴走は程々に
自分の結婚話ネタにされたらどないやねん?
好みじゃない親戚に嫁がされ蔑ろにされてたつい数年前迄の自分に顔向け出来ますか〜?
その時のお気持ち詳らかに語れますか〜?
恥ずかしくて社交界で立つ瀬が無くなるやろ?
自分がやられたら嫌な事を強要してはいけません(ヾノ・∀・`)ダメヨダメダメ
  • 投稿者: まめ
  • 2025年 03月01日 00時18分
>>読専さん

ハルトムートを玄関口で待ち構えてるお話ではなくてコルネリウスですか?
先に帰寮したコルネリウスと話す描写は有りましたが…
ハルトムートのお話でしたら386話『ローデリヒの願い』の後半部分です|д゜)チラッ
  • 投稿者: まめ
  • 2025年 02月26日 00時43分
どなたか覚えてたらサブタイ教えて!
ローゼマインがコルネリウスを寮の玄関で待ち構えてた話、どれだっけ??
カルステッドとエルヴィーラの息子たちの嫁たちの話が面白いです。アンゲリカは安心と信頼のアンゲリカ、という感じがします。
コルネリウス兄様とレオノーレを(陰で)全力で祝福したいです!
貴族院での行動を注意されているお話も面白いですが、お茶会で家族のお話の方はほんわかできます。
  • 投稿者: さく
  • 2025年 01月26日 14時27分
[一言]
大きな釘、ぐさぐさ打たれた保護者達。一句。字余り(笑)
  • 投稿者: soreha
  • 2023年 04月16日 09時31分
[一言]
私の生まれた土地では、年初から順に神社を中心に儀式が行われていましたが、土地の住民が先に離れ、予算なのか式典そのものが廃れ、結果として雨より快晴を好む商工業化へと流れ、雨水の重要性も消えて行きました。

確かに商工を産業の中心として、道路をアスファルト化、土地をコンクリートで固めるなら、雨よりも晴れが好まれるのよね?

でも雨水がなければ生命は育たないし、土地に栄養が行き渡らなくなれば、河川と近海の順に徐々に死んで行くの。

だから海洋資源を持つ筈の日本が土地と共に廃れるのも仕方がないのよね?特に春祭りの意味は春雷によるマイナスイオン。

プラスイオンを好み腐敗を促進させる人間に害ある雑菌を減らし、醸成を促す益菌を増やす。その為に雷神を招いたの。

これ等は冬の雪を融かす役割も含まれていましたが、土を無くしてコンクリートやアスファルトで固めた大地が春の訪れを拒んだの。

だから一年を通じて雨が降らずに大気中に蓄積され、行き場を失った湿気が一気に降り注ぐ線状降水帯さえ発現する。

結局は自然と人間との交流を深め暖めた約束事が、人間の一方的な協約破棄により、自分の立場と役割を失った自然が、勝手に行動する様になった不安定化。

元々の降水と晴天は、人間からのお願いから始まったものですし、何度か書いた天を笑わせ泣かせる笑点の様なもの。

今ではお笑いと言われる、商業娯楽へと変化していますが、医学算術文学や娯楽の世界まで。全ては神事の一駒から始まったモノだったの。

確かに宗教が顧客の満足度に傾けば、嘘も方便。これ等は正直捨方便にも書かれていますが、現代風に正直を捨てて方便に生きるのか?

それとも昔に戻して、句点を移動して、方便を捨てて正直に生きるのか?自然に対して行った裏切りは我が身に返る。

何故?どうしてと戸惑い、小銭で運を買う願掛けをするのなら、反省すれば良いのにと思います。少なくても小銭で動く者は人間界にはいませんよね?

今では成果に見合わない架空の能力ばかりを主張する人が多いですが、時給に換算すれば一円にもなりませんもの。
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