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[良い点]
テーマがしっかりしてて、綺麗にまとまっている。
逆境の中でもできる限り真摯であろうとする主人公は格好いい。
[気になる点]
ラストのチップ生命体が擬人化されすぎのような。
[一言]
たしかにこのサイトには合わない作風だと思いますが、私はとても楽しめました。冷静な筆致のハードSFを読んでるとなんだか安心します。
[一言]
返信ありがとうございました。

まず、淘汰というゲームは、負けたプレイヤーを減らし、進化の多様性は減ったプレイヤーを補充するものです。車の両輪があって、生存競争が永続する。
こういう終わりのない視点レベルを出すと、個人の幸福や善悪、理想社会といったものが意味を失うように思えます。
老いと死に悩まされる人間個体は、終わりのあるもの、完成形のあるものに、理想を見てしまうからです。
(例えば、人間と機械が最終決戦をしても、生存競争システムは「優勝おめでとう! 次の大会は明日から、棄権は出来ません」と言うだけです。)

テーマが古いというのは、このテーマの不毛さが知られて取り上げられなくなった、という意味です。
(「このテーマはこういうものでは」という前提の確認以上のものを求めてはいません)


思考生命体については、機械でありながら
宗教を発生させ得たエピソードと理解しました。
主人公と交信して、託宣を受け取ったのだと。
  • 投稿者: 牡牛
  • 2014年 09月27日 23時46分

なるほど、確かに今作のテーマは過去に掘り尽くされたものかもしれません。
例えばガンダム、デビルマン、火の鳥などは、それらを別々の切り口で、人類の愚かさを描くことによって、『人の革新』(この場合は、個人の幸福や善悪、理想社会の実現)についての答えを間接的に読者に投げかけるものであり、今作にもその要素は入っていると思います。
ですから、牡牛さまのご意見は非常にシビアで、この作品のテーマよりも広くて、一歩も二歩も先の観点で書かれているようにお見受けします。
そもそも作者にも古いテーマだという自覚はありますし、そこまでの高みに立って今作を執筆していませんので、牡牛さまがそう感じられるのも当然なのでしょう。

ですが、作者は思うのです。
失礼ですが、牡牛さまの言う不毛だという前提は、下手をすれば思考停止におちいる危険性をはらんではいないか?
人間と機械は別物だと断定できるほどには、人類は自らの思考に付いて理解していないのではないか?
将来的に見て、人間と機械をはっきりと分ける考え方は、本当に正しいのか?
交わる可能性があるなら、まだ書ける事があるのではないか?
だったら、近未来の可能性について、ストライクゾーンを狙って書いてみたい。
……という感じです。

ただし、これは牡牛さまの考え方に対する否定ではありません。
例え作者の考え方と違っていると仮定しても、それは一つの見識であり、やはり尊重すべきご意見だと思います。
実際、公式に当てはめて作品を書いた方が、読者の方々に分かりやすいのは事実ですし、作者も書きやすいですし、その先を目指す方が建設的ですしね(笑)

最後に、色々と考えさせられる上に、興味深い感想をいただき、ありがとうございました。
なによりも、たくさんの作品がある中から、貴重なご意見を書いていただけた事が、作者にとっては一番うれしいです。
  • pupu
  • 2014年 09月28日 16時18分
[一言]
非SF読者ですが、このテーマ自体が古すぎると思いました。

機械は単機能特化型で、人間は多様性によるブレイクスルー。非合理も多様性を生む1つ。
担当が違うので、競合関係になりません。

進化テーマや理想主義は、「周囲との関わり(競争や協調)に疲れたので、それらを無視できる超然とした存在になりたい」という、逃避的・消極的な態度に陥りがちなんですよね。

多様性や弱者の戦略などの方が、周囲との関わりに積極的で、より現代的に思います。
  • 投稿者: 牡牛
  • 2014年 09月22日 18時11分

感想ありがとうございます。

>このテーマ自体が古すぎると思いました。

他の読者の方にも指摘されていますが、人の革新や人と機械との融合というテーマは、使い古された物だと思います。
それでも作者は、重要で普遍的なテーマの一つだと思っていますので、自分なりの考えで作品を書かせていただきました。
ど真ん中の直球でははなく、内角低めのムービングファーストボールのつもりで書いたのですが、出来上がってみれば、球威のない棒玉だったのかもしれません。
物足りなく感じたのならば、申しわけありませんでした。

>機械は単機能特化型で、人間は多様性によるブレイクスルー。非合理も多様性を生む1つ。担当が違うので、競合関係になりません。

今のところは、間違いなくそう言えるでしょう。
しかし、ある程度は多様性があり、人の思考に特化したコンピューターが今世紀中にも出てきた場合はどうでしょうか?
それは、開発者が完全にデザインした物である可能性は低いのではないかと作者は考えています。
そもそも思考という一点に置いて、優秀な機械と普通の人との間に、それほどの違いがあるとは思えません。
そんな存在を人間が容認できると作者は考えていない上に、もし双方が戦っても、結局は人類が勝利するだろうと思ったので、こんな作品になってしまいました。
だから、機械が人間を支配するような、古いタイプのSF作品ではなく、人と機械の融合という形を模索したのですが、―――作者は不勉強なのでよく知りませんが、似たような作品はたくさんあるだろうと今は考えています。

>進化テーマや理想主義は、「周囲との関わり(競争や協調)に疲れたので、それらを無視できる超然とした存在になりたい」という、逃避的・消極的な態度に陥りがちなんですよね。多様性や弱者の戦略などの方が、周囲との関わりに積極的で、より現代的に思います。

この部分は作者の意図とは逆なのですが、作品を読み終わってそう感じられたのならば、作者の力不足だと思いますし、それを尊重すべきだと思います。
ですが、あえて反論を書くのならば、―――思考情報体は弱者であり、彼らの生き残り戦略は『超然とした存在』になる事ではなく、人という存在に依存して、逃避的・消極的になるしかなくて、かなり早い段階で環境適応能力までも必要とされています。
逆に主人公は、絶対の強者であったのに、自らの理想にこだわり、人の思考を画一化しようとして破滅しました。
だから、諸行無常は今作のテーマの一つであり、使い古されたテーマを使っていても直球ではなくて、ムービングファーストボールのつもりだったのですが、どうやら失敗したようです。
結局、読者の方に伝わらなければ、小細工しても大して意味はありませんし、あなたが感じられた事の方が重要だと思いますから。

以上、ありがとうございました。
  • pupu
  • 2014年 09月24日 17時54分
[良い点]
科学、医療、企業、大衆情報、司法、そして何より人の心を丁寧になぞった作品であったと感じ入るばかりです。

貧弱な表現で申し訳ありませんが、虚栄、嫉妬、強欲、卑屈、狂乱など様々な人間の負の顔を映し出して下さっていますが、それだけに収まらず、反面として誠実、究理、信頼、愛情、克己など正の側面も均等に写して下さいました。
pupu様が御心配なされている読後感に於ける後味の悪さは私には感じられませんでした。
この物語に、正義の勝利や因果応報という終演は確かに似合わない気がします。

主人公の口癖であった諸行無常を感じるのみでした。
[一言]
もしかすると主人公の心根が美しすぎる点に違和感を覚える人がいるかも知れません。
恥ずかしながら読み進めている最中の私が正しく「それ」です。
しかし話の中でも彼自身が彼自身の特殊性を認めており、何よりこの様な人物、そして互いを信頼し合う強い人間関係は実在するのだと信じたい矛盾した自分も存在します。

最終的にマスコミなどに見られる人の汚さは信じられるが、人の清らかさは心底は信じられないのが多くの人間でかも知れません。
或いは私のみの品性が下劣なだけで、この様な主人公とその周りを囲む人々は思いの外に多いのかも知れません。

その様な想いを重ねる内に、実は私自身こそが下卑な情報に踊らされる大衆の1人なのだ、と強く実感させて頂きました。
  • 投稿者: 矢口
  • 男性
  • 2014年 08月10日 11時20分
最後まで読んでいただき、さらに感想まで書いていただいてありがとうございます。
良い点に書かれていた内容を読んでいると、、作品を書き始める前のプロットの段階で、主人公たちの過去や性格や関係性を考えていた時の事が思い返されて、少し懐かしく感じ、あらためて色々と考えさせられました。

一言に書かれてある、主人公の心根が美し過ぎて異和感を覚える点についてですが、それで当然だと思います。
彼の持つ天才性と幼少期の出来事や、その後の環境が複雑に絡み合った結果、彼には一般人とはかけ離れている部分が多くあり、その違いに異和感を覚えるのかもしれません。
今作は、一見すると主人公を理想的な善人のように書いていますが、同時に彼の人格は非常にいびつであり、それでも人間らしさを失わないように心がけていた為に、その言動にも矛盾点が目立つようになっているはずです。
作者の頭の中では、一応の整合性は取れているのですが、もしそれが原因で異和感を感じられたのならば申し訳なく思います。
だから、決して矢口様の品性が下劣だからではなく、やはり主人公が特異な存在で、作者がその辺りの事情を分かりやすく表現出来ていないからでははないでしょうか?
そもそも、誰にでも認められる高い品性なんて備わってる人の方が少ないと思いますし、情報に踊らされない人も、ほんの一握りだと思いますよ。

主人公たちの人間関係に付いてですが、これも利害関係だけにとらわれない理想的なものを意識的に書きましたので、少し違和感を持たれるのも不思議ではありません。
社会に出て、責任を負う立場になると、こんな関係性は絵空事だと思う方が普通でしょうし、現実に存在した所で、かなりのレアケースだと思います。
でも、もし彼らが近くに存在していれば、作者は損得勘定無しでも友人になりたいと思いますし、彼らに対しては誠実でありたいとは思います。
今作のように、彼らが不幸に見舞われたなら、友人として悲しむ人間でいたいと思います。
現実に美しく生きる事は無理でも、それでいいんじゃないでしょうか?

確かに、人の汚さは信じられるが、人の清らかさを心底は信じられないのが人の常だと思います。
しかし、程度の差こそありすれ、品性とかとは関係なく、自分の許せる範囲内で、清濁併せ飲む人間関係の構築は十分に可能だと思います。
もちろん簡単ではなく、失敗して傷付く事の方がはるかに多いでしょうが、もし全てが上手く行くなら、心から分かりあえる親友や恋人と、今後も出会えるかもしれません。
結局、重要なのは、自分にとって何が大切なのかということに尽きるのではないのでしょうか?

色々と偉そうな事を書きましたが、上から目線ではなくて、同じ目線のつもりで書き込ませてもらいました。ご容赦を。
それでは、失礼いたします。
  • pupu
  • 2014年 08月11日 17時25分
[一言]

丁寧な説明ありがとうございました。
pupuさんの考えはそれなりに理解できたと思います。

ただ、戦前の常識、戦後の常識、冷戦時の常識、冷戦後の常識と社会の変遷を見てきた身としては
やはりジェネレーションギャップを感じますので以下は私の老婆心の賜物としてお読みください。




>人の革新
初代ガンダムシリーズで創られた言葉で
SF的解釈をすれば、それこそどうにでもとれる言葉です

けれど、それは作中での話
テーマとしては、「自滅本能の奴隷としての共食いからの脱却」といったところでしょうから
私としてはその意味で使わせてもらいました。

人とは動物の一種です
教育なしに育てば猿と変わらない程度の生物でもあります。

けれど、私たちは猿と同じようには生きていません
なぜでしょう?

私はなろうに投稿した自分の作品で「人とはハードとソフトとダウンロードでできている」と書きました。

ニカラヴアのもと少年兵。
脱北者の元軍人。
アンゴラの農民。

そういった日本以外の常識で育った人達の話を聞くと
ハードとしての違いがなくとも人間はこうも違う価値観を持てるのだと実感します。

人は汎用性の高いハードに様々なソフトを社会からダウンロードして成長します。

そして社会という外部データは急激に書き換えようとすれば崩壊します。
では、無数の小さな書き換えを長期間で行うならば?

たぶん数百年先に人類が生き残っているならば
それは可能だろうと私は考えます。

そんなのは理想だ。
理想は現実の逆でしかない。
それは争いを招く神を信じるのと同じくらい愚かだ。

そういう意味の「マスコミの意見」が世の中にはあふれています。

けれど、それは本当でしょうか?

神という概念が争いを招くのでしょうか?
人間が神という概念を争いに利用しているのではないのでしょうか?

神を捨て去った後の話

神という「人の規範の源」を捨て去った世界では
理想こそが「人の規範の源」になります。

ならば
理想とは、現実の対義語ではなく
理想と悪徳の狭間にいつも現実が存在するはずです。

理想と現実が対義語で
悪徳=現実ならば人は滅びへの道を突き進んでいることになります。

それを現実にするもしないも
若い人たちの働きしだいなのですが
多くの若い人たちには悪徳=現実という刷り込みがされているのではないか?



それを懸念して私は長々とこんな事を書いているのです。

ここでその思考過程について全てを語るのは無理なので
もし、私の思考過程などに興味がおありでしたら
一度、私の作品を読んでみてください。
そして、もしよければ感想で「ここは違う」というあなたの意見を聞かせて貰えれば幸いです。
  • 投稿者: OLDTELLER
  • 70歳以上
  • 2014年 07月19日 03時15分

興味深いご意見ですが、私には心から納得は出来ません。
理想こそが「人の規範の源」、―――美しい言葉ですが、果たして本当にそうでしょうか?
それは、生きる事に余裕があり、優れた見識を持つ人の意見ではないでしょうか?
高みから、人を見下ろした意見になりはしないでしょうか?

私は思います。
理想なんて大まかにしか存在せず、細かい部分ではそれぞれの人により違っていて、完全に一致するはずはありませんし、一致させるべきでもありません。
例えば、神を信じている人の心の中には神は実在し、何人もそれを否定は出来ませんし、否定すべきではありません。
そう考える理由は、「人はどこまでいってもおろかだが、生きているだけで意味があり、同じ教育を受けても、形成される人格が異なるから」です。
だから、どんな素晴らしい思想や考え方であっても、全ての人は幸せになれませんし、身の丈に合っていないとただ苦しいだけです。
理想なんて無くても人は生きていけますし、小さな幸せも得られます。
そんなちっぽけな人だからこそ、不確かながらも、その環境や身の丈に合った考え方を恐る恐るでも選び取って、自分や自分達にとって何が最良かを不安に思いながらも生きていくしかないと私は考えています。
確固たる思想や理想なんて必要ない、現在や少し先の状況に合わせて常に変革できる最低限の素養こそが、人にとって必要だと私は思います。
これらの考え方は、OLDTELLER様の言うとおり、権力者やマスコミの影響を否定出来ませんが、私自身が社会からつかみ取った現実です。
それが、人の現実であり限界だと私は考えています。

かなり厳しい事を書いてしまい申し訳ありません。
本来、OLDTELLER様の考え方や理想は否定したくありませんし、そんな見識も私は持ち合わせていませんが、現実に社会に出て仕事をして、周りの人と接している立場では素直に頷く事が出来ないんです。
本当は、思考の果てに人類が次の段階に移り、その結果、人類の大多数が幸せになるのが一番いいとは思っています。
でも、私の中の悪魔が囁きます。
世界は、日本社会は、核兵器による軍事バランスや、過剰にエネルギーを消費する事で成り立っている砂上の楼閣のような物だと。
だからこそ、人の思想や理想で、崩壊を食い止める事が出来るはずはないだろうと。
それら全ての考え方が「人類全体を救う人の革新には、科学技術の発達による外的要因が不可欠」だという私の結論に繋がります。
私にとっては、そう考える方が、はるかに未来は明るい物になる訳です。
もちろん、OLDTELLER様がそう考えないのであれば、それは尊重すべきだと思います。

ただ、物語の感想欄としては、かなり脱線気味ですし、これ以上のやり取りをしても、「人の革新」や価値観については平行線だと思いますので、ここではそろそろ最後にしませんか?
もし何かありましたら、メッセージボックスを使っていただいてもいいですし、せっかくのお誘いですので、この土日の時間を使って、OLDTELLER様の作品を読んで、私なりの感想を書いてみたいと思います。
以上、ありがとうございました。
  • pupu
  • 2014年 07月19日 23時08分
[一言]

>今作の欠点

私としては欠点とは思っていませんでした。

「懐かしいというかSF者らしい作品で嬉しい」
「何でも新しければいいという商業主義の御題目は嫌い」と書いたように

古いものが遅れていて劣っていて新しいものが優れているなんていうのは
使い捨て型大量消費社会を正当化するためにマスコミがやったマインドコントロールに
子供の頃から曝されてきた若い人達の感覚です。

そこを考えなかったのでそうとられてしまったようですね。

「古典的」を「伝統的」にかえて感想を読んでみてください。

温故知新という言葉があるように
歴史・思想・古典など昔のことをよく調べ研究してこそ新しい知識や見解を得ることができるので
ただ感覚や新しいと宣伝される知識や信条を信じ込むのはマインドコントロールにかかっているようなものです。

古くはゲッペルスが行ったこのテの技術は現代のマスコミが使い続けてきたものです。
この作品であなたが揚げた「第四の権力の濫用」あるいは「第三の権力の暴走」ですね

ハロルド・ラスウェルが語った
「環境の監視」と呼ばれるものを自らで否定し
「社会的遺産の世代的伝達」を阻害して
「諸々の事象の関連付け」を自らの為に利用する

そういったマスコミはジャーナリズムの敵であり唾棄すべき存在です

「古典的な手法を使わないで、人の持つ普遍的な価値観や今作のテーマを今以上に深く伝える事が出来るとは思えません」

とあなた自身が書いているように古いものは劣っているわけでも忘れ去られていいものでもありません
「社会的遺産の世代的伝達」を阻害して暴走するマスコミが造りだした先入観にすぎません。
惑わされずに「伝統的手法」を活用してください。




>人類は、外的な因子無しでは革新などしない

これは実に寂しい話です。
でも、それは本当にあなた自身の最終的な結論でしょうか
デイヴィッド・リースマンの語る「他人指向型」の社会性格に陥っているのでは?

ハロルド・ラスウェルの語る
「無政治的無関心 」と、「脱政治的無関心」というものを故意に起こすように
現代社会の権力というものは常に働きかけています

古代ローマから変わらぬ権力機構の手管です。
けれど、その手法による統治はたかだか四千年程度で人類が今の種として完成した数万年という歴史の一割以下にすぎず、それを否定した文化も多々あります。

まあ、確かに現代へと続く「武家文化」による価値観の刷り込みと「商家の文化」による精神誘導に常に曝され続けているアメリカ化した現代日本で育てばそう考えたくはなるでしょう

けれど、それは「生物の自滅本能の奴隷」として生きる行為です。

「主人公の性格は現在の価値観では最良に近いように設定」と書かれているように
今作ではそれを否定する人間が良い人間であると描かれていたので

あなた自身、諦めや受け入れざるを得ない環境によってそう結論されたのかもしれません
それならば、あなたの価値観は「考えただけで恐ろしい」ものではなく
「考えただけで恐ろしい」ものに屈しただけです

あなたが、「考えただけで恐ろしい」もので、本当は主人公のような生きかたを軽蔑していなければ、そんな寂しいことを言わずにもう少しだけ「人のありかた」を考え続けてください


  • 投稿者: OLDTELLER
  • 70歳以上
  • 2014年 07月18日 07時59分

少し長くなりますが、作者なりの意見を書いてみたいと思います。

>>欠点という言葉を使った理由について
まず大前提として、古典的な表現方法が現代的な手法に劣っているとは、作者自身も思っていません。
それでも欠点と書いた理由の一つは、作者の文章力が未熟で、プロレベルに達していないからです。
私が処女作を書いて、読者の方々にいくつかの感想をもらった時に感じたのは、『作者が伝えたい事の多くは、思った以上に読者には伝わらない』という点でした。
自分なりにその理由を考えましたが、その後『説明書を読んでいるみたい』だという感想をいただき、文法的に正しい文章や整合性にこだわって書いても、多くの読者の心の中には素直に入って行かないのではないかと感じました。
しかし、『説明不足』だというご意見もいただき、少し混乱しました。
どうするべきか悩んだ結果、それ以降は、物語のテーマや主張を出来るだけ正確に分かりやすく伝えようと考えて、執筆するように心がけるようにしました。
どうやらそれが、今作の古典的な作風に繋がったのかもしれません。
作者の未熟さゆえに、OLDTELLER様に古典的だと書かれてしまった。
そう感じたから欠点と書きましたが、前述したように、古典的な表現が劣っているとは思っていません。

もう一つ、作者が欠点だと書いた理由は、プロを目指していないのにもかかわらず、どうせ投稿するならば、多くの読者の方に最後まで読んでいただきたいという二律背反する気持ちが心の中にあるからです。
やっぱり、古典的な表現で書かれた小説は、毛嫌いされる確率が高いと思うんです。
テーマがはっきりとした作品の場合、ライトノベルのような平易な文章で書かないと駄目だとは思いませんが、無料投稿サイトに掲載するエンターテイメント作品としては失格ではないかという気持ちが、今もぬぐえません。
もっと表現の幅を広げたいけど、さりとて出来ない。
結局これも、作者の未熟さゆえの悩みに過ぎません。

つまり、作者自身がもっと上手くなりたいと考えていて、OLDTELLER様のご意見を自分勝手に受け止めているだけですので、お気になさらないようにしてください。
何が正解か分かりませんが、とりあえずは今の作風のままで小説を書いて行きたいと思います。


>>人類は、外的な因子無しでは革新などしない、という事について
あくまでも私見という事で、自分なりの考えを簡単に書きます。
OLDTELLER様のご意見を読んで、私の考える「人の革新」とOLDTELLER様のそれとは違う、…あるいは私の考え方の方が、ハードルが高いと感じました。

私にとって「人の革新」とは、種としてのステップアップを意味しています。
ボノボやチンパンジーに優れた教育を施しても、ホモサピエンスと同様の知的水準や文化レベルに到達できないのと同様に、人は人の肉体のままでは限界があるという事です。
ハード面としての肉体が変わらない以上、いくら優秀なプログラムを組んでも、人の生き方が変わるだけで、「人の革新」は起こり得ません。
例えばこれから数万年後、科学技術の発展や蓄積が順調に推移し、革新的で優れた思想が文化的に定着し、エネルギー問題が解決したとしても、人間の本質はそれほど変わらないだろうという事です。
極めて優れた一部の人が、次のステップに到達したように見えたとしても、それは後世には受け継がれず、人類全体の知的水準や、先祖から受け継いだ本能が変わらない以上、外部要因なしには、人としての限界は超えられないという、極めてドライな考え方を私は持っています。
今考えられる外部要因としては、遺伝子改造や機械との融合などですが、そう簡単にはいかないだろうという事は、今作で書いた通りです。
やはり「人の革新」に対する最大の敵は、人の本能と、それに基く宗教観だと思います。

ここで誤解の無いように言っておきますが、「人の革新」が無くても、人類は今よりもっと幸福になれる可能性が高いという事です。
というより、「人の幸福」と「人の革新」は、必ずしもリンクしていないと私は考えています。
先祖から脈々と受け継がれてきた人の欲求は、言うまでも無く非常に強固で、思想的に無理矢理制限を加えても、必ずしも人の幸せには繋がりません。
だから人は、自分自身と向き合って、折り合いを付けられる優れた思想や社会システムや科学技術を持つだけでも、とりあえずは幸せになれるとは考えています。
OLDTELLER様の言う「人の革新」とは、そういう部分を指しているのではないですか?

ちなみに、この私の考え方は、本からの知識だけでなく、実体験が大きな部分を占めます。
今まで私が接してきたほとんどの人は、幸せになりたいと強く願っていますが、「人の革新」なんて心から望んでいませんし、深く考えてもいません。
日々を一生懸命に生きて、今ある社会の中で、自分なりに成功しようと努力しています。
人間は、それでいいのではないのでしょうか?

でも、そんなのはつまらないと考える自分がいます。
どう言い訳しても、人類が4000年前からやっている事は、ただの奪い合いではないかという冷めた自分がいます。
「考えただけで恐ろしい」と私が書いた理由は、革新的な思想を実現するのはリスクが大きく、多くの場合は大きな混乱を生むだけで、今までの社会秩序や蓄積を破壊してしまい、最悪の場合は後には何も残らない可能性まであるからです。
そんなのは、物語の中だけで充分です。

それならば、どうゆう状態ならば、私の言う「人の革新」は起こるのでしょうか?
あるいは、人類が最大限の幸福を手に入れた後ならば、外部要因にて「人の革新」は成るかもしれません。
まず前提として、私は人類が本気で「人の革新」を目指すならば、人で無くなる覚悟が必要だと考えています。
最も安全で実現可能な方法としては、将来的に科学技術が成長により、宗教が人の生き方にさほど影響を与えなくなった時期に、文化的、社会的に「人の革新」に至る事が正しいという価値観を多数の人類が構築し、それほど時間をかけずに一気に肉体を改造して、種としての限界を超える事だと思います。
それが今の人類にとって幸せかどうかは、私には判断出来ませんが…。

つまり、今後も環境は大きく変わるが、外的な因子無しでは、人の本質は変わらない。
人の本質が変わらないなら、それは「人の革新」とまでは言えない。
それが私の結論です。
もちろんこの意見には反論も多くあるでしょうし、ただの人に過ぎない私にも絶対とまでは言いきれません。
あくまでも、私見だという事を御理解したうえで、軽く流してくだされば幸いです。
以上、ありがとうございました。
  • pupu
  • 2014年 07月18日 19時41分
[一言]

こういうと語弊があるかもしれませんがpupuさんと似たようなテーマで投稿している身として
大変、興味深く拝見させてもらいました

主観的には懐かしいというかSF者らしい作品で嬉しいなあという感想で
客観的感想で言うのならば、古典的作品だなあというのが一番に来ました
 

この作品のテーマである「人の革新」は古典SFでもハインラインやホーガンなどが取り上げてきたテーマですが
このテーマ自体がかなりアブラハムの宗教の影響を受けているのか
「人間の不完全性」を描くことと「外的因子」による不完全性の脱却が結末となっています

逆説的にいうならば「外的因子」なしに「人の革新」はなせないという
「神という絶対者」と「神にはとうてい及ばぬ愚かな人間」という西洋的人間観に基づいた帰結です

 そういった意味でこの物語もそれを踏襲した物語になっていますね

 手法としても不安感や不快感に伴う記憶は残りやすいという生理学的現象に基づいた
 悲劇による印象づけを使うことで読者にテーマを深く刻もうというこれも古典的手法

 何でも新しければいいという商業主義の御題目は嫌いですが

 できれば、もう一歩踏み込んで「人間の不完全性」とは何か?
 「外的因子」なしに「人の革新」は成せないのか?

 といったテーマに関する「作者の見解」が見られればもっと好かった

問題提起をして読者の判断のみに委ねるのは古典的手法ですし
そのほうが物語を創る立場からいえば楽なのですが

せっかくエンターティメントよりテーマを重視した作品なので
感想で語られた「人の可能性と限界」を掘り下げて物語りに取りいれられなかったのは惜しく感じますねぇ


 ただ、現代の日本社会が「マキャベリズム」や「商業至上主義」や「コマーシャリズム」といった
 アメリカ的価値観で動く事によってできる 「現代社会の歪み」を描く事は成功していると思います


 戦前と戦後、冷戦時と冷戦終結後、昭和と平成
 時代の流れを見ていると「古典的価値観」は消え去りつつあります

 占領政策とそれに追従してきた政府の方針で若い世代ほど
 悪や正義と善といったものも西洋的なものに取って代わられているような気がしますねぇ

 これ以上は年寄りの愚痴になるのでこのへんで
 次回作も楽しみにしています 

  • 投稿者: OLDTELLER
  • 2014年 07月17日 10時45分
今作の欠点にするどく切り込んでいる、見事な感想だと思います。
それと同時に、色々と考えさせられるご意見です。
『手法も含めて古典的な作品』というご指摘には、意図的な部分はもちろん、無意識に使っていた部分も含めて、改めて自分の未熟さに気付かされました。
出来れば表現の幅を広げたいのですが、今の作者の実力では難しいと思います。
古典的な手法を使わないで、人の持つ普遍的な価値観や今作のテーマを今以上に深く伝える事が出来るとは思えません。

次に、『人の可能性と限界を掘り下げて物語に取り入れられなかった』という点についてですが、実は意図的にやっていた部分もあります。
人の革新を書く上で、付き詰めが足りなかったという意見は否定出来ませんが、それを詳しく書きたいとは思いませんでした。
その理由は簡単で、『人類は、外的な因子無しでは革新などしない』という明確な考えを作者が持っているからであり、だからこそ、あえて書きたいとは思いませんでした。
それを書いてしまうと、作者の持つ価値観を読者に押し付けてしまうと思ったからです。

それでも、今作の場合は、作者の主義主張が反映されていると思います。
例えば、主人公の性格は現在の価値観では最良に近いように設定していますが、だからこそ人としての業からは逃れられないという点を明確に書いているつもりです。
その結果、それこそが『人間の不完全性』や『人の可能性と限界』だと感じる読者の方もいるでしょうし、あるいは、それさえクリア―出来れば思考情報体の助けが無くても人の革新は成ると考える人もいるかもしれません。

作者の見解を書くべきだという意見には、作者自身も迷いはありますが、最終的にどう思うかは、読者の方の価値観や考え方にゆだねた方がいいと思います。
多くの人は、自分の都合のいいようにしか考えられませんし、作者自身も読者の方の心に何か残せればいいとは思っていますが、世間に広く影響を及ぼす問題作を書く事を目標にしていません。
絶対に無いとは思いますが、世間の人が作者のような価値観を持ってしまうなんて、考えただけで恐ろしいですから。

次回作を楽しみにされている方には申し訳ないのですが、しばらく投稿する予定はありません。
暇な時間を見つけて好き勝手に書いていますが、あまり上達もしているとも思えませんし、優れた作品を読んで二次創作を書いたりする方が、今のところは楽しくてプラスになると思っていますから。

最後に、非常にためになる感想を書いていただき、ありがとうございました。
  • pupu
  • 2014年 07月17日 23時30分
[良い点]
人の醜さを良くあらわしているところ。
[一言]
感想としては、素晴らしい、それしか言葉が出てきませんでした。人間の内面と世間の体面のを良く書いてて実際に自分が体験しているような気分になりました。

 マスコミの誇張報道には私も不信感を抱いているのでこの小説には共感できる所があります。

 人間は一個人の幸せよりも多人数においての幸福を重視する傾向が強いからこそ人類はここまで繁栄できたと思います。それだけに悪いところや欠点も沢山あります。今回はそれは最悪の形で出てきたというように私は思えます。マスコミたちや世間がしたことも別の見方でいえば彼らの利益を考えたことなのですからね。まあ、主人公がされたことを私もされたら必ず私はこのくそったれな世界に復讐を考えてしまうでしょう。それを考えたら最後まで復讐を考えなかった主人公は本当の意味での善人なのでしょうね。


 素晴らしい小説を読ませていただきありがとうございました。

感想ありがとうございます。

>>人間は一個人の幸せよりも多人数においての幸福を重視する傾向が強いからこそ人類はここまで繁栄できたと思います。

作者もそう思います。
人間は欠点も多いですが、それほど捨てたものではないと考えています。
幸せの範囲が目の前の身内に留まるのか、それともコミュニティーや人類全体まで広げられるのかの違いがあるにしても、自分だけが幸せならばそれでいいのであれば、人類はここまで繁栄していたとは思えません。
この物語の登場人物たちにしても、弱くて生きる事に精一杯なだけで、完全な悪人なんて存在していないのかもしれません。
だからこそ、それぞれの幸せや価値観がぶつかってしまい、その結果が悲劇になってしまったのでしょう。
主人公が善人なのは間違いないのですが、身内だけを大事にする既得権益者にとっては、彼はこれまでの秩序を叩き壊す怪物なのですから。

>>主人公がされたことを私もされたら必ず私はこのくそったれな世界に復讐を考えてしまうでしょう。

これにも同意見です。
主人公ほどの知能を持っていれば、彼を陥れた人達への復讐はもちろん出来ますし、人類全体の敵にさえなれたのかもしれません。
それをしなかったのは、主人公が幼い頃に命を助けられた体験と、彼を支えてくれる友人達や故郷の人々たちの存在により、日本社会と敵対したくなかったからなのですが、――それならば、自分の身の安全を第一に考えるべきでした。
せめて身辺に警備員でも置いていれば、いかがわしい新興宗教の残党なんぞに、命までは取られなかったと思います。
世の中には、論理的ではない悪人がいるという事を彼は知っていましたが、その危険性を過小評価していたことは否めません。
そういう状況を作った作者がいうのもなんですが、主人公は里香を襲った敵をもっと積極的に調べるべきでした。
でも、大切なもの全てを無くし、深く傷付いていた主人公に、そんな事が出来るはずはありません。
彼は天才ですが、全てを見通せる全能の神では無くて、ただの人間なのですから。

>>素晴らしい小説を読ませていただきありがとうございました。

いえいえ、こちらこそありがとうございます。
素人なので、いたらない部分もあったでしょうが、そう言っていただけると感謝に堪えません。
それでは、これにて失礼します。
  • pupu
  • 2014年 07月09日 07時32分
[良い点]
生き残る為に宿主の人格を書き換えた、というところが新しくかつ自然に納得がいった。

人類にとってはどうかは知らないが、読者としては悲劇の最後に思考情報体の生存という希望が残ったのが良かった。
[一言]
読んでいる最中は質が高いと思いながら、淡々としたまま読み終わり、あとがきも読んで感想を書こうと考えている中で段々と面白いという気持ちがわき上がって来た。

どこから悲劇になってしまったのか。プロテクト社との契約、五%のずれの見送り、その背景にあったかもしれない幸福の先送り。もし物語が始まる前に主人公が結婚していれば、もう少し慎重に扱う時間があったのかもしれない。

もしもを考えながらも、最後に残った希望と共にそれを生んだ不幸を受け入れられる。上質な悲劇でした。

とても楽しい時間をありがとう。

  • 投稿者: 淼 Iolite
  • 18歳~22歳 男性
  • 2014年 06月19日 12時29分

とても素敵な感想を書いていただいて、ありがとうございます。
特に、思考情報体の生存が最後に残った希望だという意見については、作者はとてもうれしく思いました。

この物語のテーマは人の革新です。
それは不完全な生命体である思考情報体が、人との融和を果たす事で何とか生き残り、それにより、人類が次のステージに進むという可能性です。
その為には、早い段階で人類の価値観や愚かさや怖さを思考情報体が認識する必要があるのではないかと作者は考えていて、それが結果的に、主人公達の悲劇に繋がってしまいました。

この物語を投稿する際に、『ここまで主人公達を不幸にする必要があるのか? 何か助ける方法は無いのか?』とも少し思いましたが、思考情報体の立場になって考えれば、人類なんて思考的には劣る存在です。
そんな優秀な彼らが、個々の幸福や生存よりも、全体の繁栄を論理的な思考で選び取る為には、慎治が論理的とは言えない理由で社会から追い詰められて、最後に破滅する必要があるのではないかと作者は考えた訳です。
何せ思考情報体は、慎治の思考を元にした存在ですから。
その代わりと言ってはなんですが、慎治の子供といってもいい思考情報体の手により、彼の思考や価値観や最後の望みが、後世の人類全体に良い影響を及ぼす可能性を残した訳です。
ですがcrbonium様のおっしゃるように、いずれかの段階でブレーキがかかり、時間的に余裕が出る事によって、あえて悲劇にしなくても人類の革新は成ったのかもしれません。
いずれにしても、crbonium様は、かなり深い部分まで正確に読み取っていただけているようなので、こんな事をいちいち作者が書くのは、はっきり言って蛇足ですね。(笑)
嬉しかったので思わず書いてしまいましたが、御容赦ください。
以上、ありがとうございました。
  • pupu
  • 2014年 06月19日 23時03分
[一言]
最悪な点が一つ。
作者が現実世界より善人が救われない汚い世界を描こうとしているのに、
出来上がった作品は現実世界の近未来小説にしか思えないこと。
こういうのも現実は小説より奇なりって言うんですかねぇ……。
なるほど、面白い感想ですね。
恐らく、分かった上で一言を書かれたのでしょうが、この作品は現実に起こり得る内容をかなり脚色して書いています。
天才科学者の痛恨のミス、人々の未知への恐怖と嫉妬心、大企業の安全を無視した拝金主義、マスコミの個人攻撃と無責任な対応、政治家の司直への介入、腹心の部下の裏切り、検察当局の法律に対する思惟的運用と被疑者への長期拘留、日本人の人種差別意識、そして本来は人を救うべき立場の宗教家の殺人行為、―――これらの全てがそろわないと、汚れた世界とまでは言えませんし、―――もし一つでも欠けていれば、慎治はここまで不幸になって死ぬ事は無かったでしょう。
そして、上に書いた一つ一つの事なんて、現実にはいくらでも転がっています。
作者は、未来をこんな汚れた世界にしたくはありません。
この作品の全てが、永久にフィクションであり続ける事を願っています。

  • pupu
  • 2014年 05月28日 00時47分
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