感想一覧
▽感想を書く[一言]
鍛冶が媼
(長文です)
(「▽」記号から読んでも、多分問題ありません)
はじめは、読み終えて……そうか、くらいに思いました。虐待され続けた子どもが、のちにすり替わりが起きたかに見せかけて、老いた継母から名前も何もかも奪った復讐譚。
✴︎けれどありえないと反射的に思いました。
わずか三年。入所したときにいた養老院の職員はまだ在籍しているでしょう。すり替わりを否定する証言はきっと出てきます。老女は毎日、食事排泄入浴洗面着替え、あらゆる面で職員のケアを受けていたはず。ある日、同じような背格好のは別人と入れ替わってだれも気がつかない? ありえない話です。
また、母が発作を起こしたときの病院のカルテと突き合わせれば、すり替わりは否定されると思いました。病院のカルテにすでにO型と記載されていないだろうか? と。
自宅?発作 → (入院)病院
(退院)→ (入所)施設
……3年後;同一施設
(すり替わりの訴え:作品の場面)
入院以降、老女はカルテを書かれ、記録を取られながら身柄を移されているはずです。
病院のカルテや、退院時の引き継ぎ資料などと現在の施設の記録に相違点が無いなら、やはりすり替わりは無かったと。主人公の正気を問い直す話になると思いました(施設入所時は「母」だったと述べているので証言の方に疑問が生まれます)。
血液型に関しては、真逆の仮説が成り立ちます。
つまり主人公こそが、赤ん坊のとき病院で「取り違えられた」赤の他人だと。ーー この疑惑が警察あたりから出されたとき、否定する根拠はとくにありません。赤ん坊の取り違えは現実に起こる事件ですし、馬鹿げているというなら、それは老女のすりかわりの方でしょう。
何者かが、本物の母と同じ障害をもった同じ背格好の老女を(都合よく)どこからかみつけて来て、タイミングよくすり替えて本物を連れ去った。すり替わりに施設職員がだれ一人気がつかなかった。…… そう考えるより、主人公の出自と正気を疑う方が矛盾がありません。
【 主人公は最近、何かの理由で自分が取り違えられたと知った。精神のバランスを失い、取り違えを否定したい一心で「母」の方をニセモノと思い込んだ。。。】(注: 周囲の解釈)
この復讐を押し進めると、主人公の方こそ「子」の立場と正気を周りの人間に否定されることがあり得る?
そんな事を考えました。
しかし、読み返して何度目かに ✴︎から長々と述べた、違和感が突然、どうでもよくなりました。
伝承の「鍛冶が媼」は親殺し。「姥捨山」と別方向からの介護殺人、親殺しの物語だ、、、、以前そんな話を読みました。最期の、家の中で起きた老母殺しこそが本当の起点で、その動機を問われたとき犯人は「老人(親)を殺したのではない、あれは別の何かだ」と語り、過去へ過去へ話がさかのぼる……
昔の老人介護はあくまでも実子が行ったそうです。
しかし、老人は認知症や精神障害を患い、子どもの顔も名前もわからない。見えないものに話しかけ、今いる場所もわからなくなって荒れ狂い、山や森をさまよったかと思えば、大事な畑を荒らし、食糧の蓄えをむさぼり、ついには家に火を……もう殺すしかない。殺したい。あれは親ではない。
自分が手にかけたのは親ではない。化け物が入り込んだ、ヒトの抜け殻なんだ。
古伝の「鍛冶が媼」の原型はそんな介護殺人(嘱託殺人)かも知れない。雑学・一般書的な話ですが、現代の介護殺人や介護放棄の話を押さえた上で、江戸時代にもそんなコトがあったかもしれないとの解釈を読んで、かなり興味を引かれたことがありました。
▽
コーチャー様の「鍛冶が媼」はさまざまに変えられています(同時に余分をそいで、まとめられていると思います)。現代社会。山道や一軒家ではなく大勢いる養老院が舞台。主人公が警察を呼んでいて、妻が傍にいて、犯人のひそかな動機の起源は児童虐待にさかのぼります。仕事やほかの家族との関係はよさそうで、介護地獄とは縁がありません。
そして、殺さない。
「鍛冶が媼」の「あれは本物の親ではない」というすり替わりの不可思議が、大事件の老女(老母)殺しと切り離されて、動機ではなく、独立して扱われています。
中核の「殺し」が消えて、その動機だった「あれは本物の親ではない、すり替わったナニカだ」という不可思議が中心へ。殺しを無しにした物語で、その謎は解決解消されず、警察や妻、まわりの人間に認められて現実(⁈共通認識)になります。。。ある意味、不思議を「殺し」で解決解消した「鍛冶が媼」を、コーチャーさまの「鍛冶が媼」は不思議がまわりをのみこんで、そのまま固定します。
しかも、いなくなったものとまわりが信じ込む本物の老母はずっとそこにいて。すり替わった謎の女、という存在はこの世のどこにも実在しない。この不思議は「殺し」などで解決解消されない。老母の生死は、トリック(化けの皮)と無関係だからです。
はじめに軽くよみ、次にこのトリックは、主人公にしてみれば思わぬ形で破れるかも?と読み込みました。
しかし、物語の深いところが入れ替えられている、そう思ってしまうと。コーチャー様の「鍛冶が媼」が「鍛冶が媼」の換骨奪胎、アレンジでは済まないと思えました。皮一枚で「すり替わったべつのバケモノ」に思えました。ここまでちがって「鍛冶が媼」としてなぜ読めてしまうのかと(勝手に想像を広げた上、ひどい表現で申し訳ありません)。
短い話、せまい舞台です。
ですが、さわるとナニカ出てきそうなヶ所はほかにもあります。例えば「父親(夫)」です。本家本元では影も形もないけれど、本作では憎みあう母子関係を設定?した重要な存在です。母親の虐待に気がつかなかった? 本当に?
〉妻がそうすることで大人しくなるなら、子どもに当たるくらい(死なせでもしない限り)かまわない。
〉妻がそんなことを繰り返して、いつか成長した子供から報復されたとしても、それは別にかまわない。
〉肝心なことは、自分の血をひく後継ぎを家にすえること。
そんな声がするような無神経で無造作な引き取りと戸籍改竄です。子供を産めなかった妻の鬱屈や、継母と主人公の関係などどうでも良さそうです。
そちらへ想像を膨らませても、コーチャー様の「鍛冶が媼」が、輪郭を残して別のナニカへ入れ替えられた物語だという印象が強まります。本家よりも大きくて、奇怪な人間ドラマが隠れていそうな。
尻切れでまとまりのない感想で申し訳ありません。とりとめがなくなるので脱線した読み込みと空想?はここまでにします。最新作たちを読ませていただきます。
K John・Smith
鍛冶が媼
(長文です)
(「▽」記号から読んでも、多分問題ありません)
はじめは、読み終えて……そうか、くらいに思いました。虐待され続けた子どもが、のちにすり替わりが起きたかに見せかけて、老いた継母から名前も何もかも奪った復讐譚。
✴︎けれどありえないと反射的に思いました。
わずか三年。入所したときにいた養老院の職員はまだ在籍しているでしょう。すり替わりを否定する証言はきっと出てきます。老女は毎日、食事排泄入浴洗面着替え、あらゆる面で職員のケアを受けていたはず。ある日、同じような背格好のは別人と入れ替わってだれも気がつかない? ありえない話です。
また、母が発作を起こしたときの病院のカルテと突き合わせれば、すり替わりは否定されると思いました。病院のカルテにすでにO型と記載されていないだろうか? と。
自宅?発作 → (入院)病院
(退院)→ (入所)施設
……3年後;同一施設
(すり替わりの訴え:作品の場面)
入院以降、老女はカルテを書かれ、記録を取られながら身柄を移されているはずです。
病院のカルテや、退院時の引き継ぎ資料などと現在の施設の記録に相違点が無いなら、やはりすり替わりは無かったと。主人公の正気を問い直す話になると思いました(施設入所時は「母」だったと述べているので証言の方に疑問が生まれます)。
血液型に関しては、真逆の仮説が成り立ちます。
つまり主人公こそが、赤ん坊のとき病院で「取り違えられた」赤の他人だと。ーー この疑惑が警察あたりから出されたとき、否定する根拠はとくにありません。赤ん坊の取り違えは現実に起こる事件ですし、馬鹿げているというなら、それは老女のすりかわりの方でしょう。
何者かが、本物の母と同じ障害をもった同じ背格好の老女を(都合よく)どこからかみつけて来て、タイミングよくすり替えて本物を連れ去った。すり替わりに施設職員がだれ一人気がつかなかった。…… そう考えるより、主人公の出自と正気を疑う方が矛盾がありません。
【 主人公は最近、何かの理由で自分が取り違えられたと知った。精神のバランスを失い、取り違えを否定したい一心で「母」の方をニセモノと思い込んだ。。。】(注: 周囲の解釈)
この復讐を押し進めると、主人公の方こそ「子」の立場と正気を周りの人間に否定されることがあり得る?
そんな事を考えました。
しかし、読み返して何度目かに ✴︎から長々と述べた、違和感が突然、どうでもよくなりました。
伝承の「鍛冶が媼」は親殺し。「姥捨山」と別方向からの介護殺人、親殺しの物語だ、、、、以前そんな話を読みました。最期の、家の中で起きた老母殺しこそが本当の起点で、その動機を問われたとき犯人は「老人(親)を殺したのではない、あれは別の何かだ」と語り、過去へ過去へ話がさかのぼる……
昔の老人介護はあくまでも実子が行ったそうです。
しかし、老人は認知症や精神障害を患い、子どもの顔も名前もわからない。見えないものに話しかけ、今いる場所もわからなくなって荒れ狂い、山や森をさまよったかと思えば、大事な畑を荒らし、食糧の蓄えをむさぼり、ついには家に火を……もう殺すしかない。殺したい。あれは親ではない。
自分が手にかけたのは親ではない。化け物が入り込んだ、ヒトの抜け殻なんだ。
古伝の「鍛冶が媼」の原型はそんな介護殺人(嘱託殺人)かも知れない。雑学・一般書的な話ですが、現代の介護殺人や介護放棄の話を押さえた上で、江戸時代にもそんなコトがあったかもしれないとの解釈を読んで、かなり興味を引かれたことがありました。
▽
コーチャー様の「鍛冶が媼」はさまざまに変えられています(同時に余分をそいで、まとめられていると思います)。現代社会。山道や一軒家ではなく大勢いる養老院が舞台。主人公が警察を呼んでいて、妻が傍にいて、犯人のひそかな動機の起源は児童虐待にさかのぼります。仕事やほかの家族との関係はよさそうで、介護地獄とは縁がありません。
そして、殺さない。
「鍛冶が媼」の「あれは本物の親ではない」というすり替わりの不可思議が、大事件の老女(老母)殺しと切り離されて、動機ではなく、独立して扱われています。
中核の「殺し」が消えて、その動機だった「あれは本物の親ではない、すり替わったナニカだ」という不可思議が中心へ。殺しを無しにした物語で、その謎は解決解消されず、警察や妻、まわりの人間に認められて現実(⁈共通認識)になります。。。ある意味、不思議を「殺し」で解決解消した「鍛冶が媼」を、コーチャーさまの「鍛冶が媼」は不思議がまわりをのみこんで、そのまま固定します。
しかも、いなくなったものとまわりが信じ込む本物の老母はずっとそこにいて。すり替わった謎の女、という存在はこの世のどこにも実在しない。この不思議は「殺し」などで解決解消されない。老母の生死は、トリック(化けの皮)と無関係だからです。
はじめに軽くよみ、次にこのトリックは、主人公にしてみれば思わぬ形で破れるかも?と読み込みました。
しかし、物語の深いところが入れ替えられている、そう思ってしまうと。コーチャー様の「鍛冶が媼」が「鍛冶が媼」の換骨奪胎、アレンジでは済まないと思えました。皮一枚で「すり替わったべつのバケモノ」に思えました。ここまでちがって「鍛冶が媼」としてなぜ読めてしまうのかと(勝手に想像を広げた上、ひどい表現で申し訳ありません)。
短い話、せまい舞台です。
ですが、さわるとナニカ出てきそうなヶ所はほかにもあります。例えば「父親(夫)」です。本家本元では影も形もないけれど、本作では憎みあう母子関係を設定?した重要な存在です。母親の虐待に気がつかなかった? 本当に?
〉妻がそうすることで大人しくなるなら、子どもに当たるくらい(死なせでもしない限り)かまわない。
〉妻がそんなことを繰り返して、いつか成長した子供から報復されたとしても、それは別にかまわない。
〉肝心なことは、自分の血をひく後継ぎを家にすえること。
そんな声がするような無神経で無造作な引き取りと戸籍改竄です。子供を産めなかった妻の鬱屈や、継母と主人公の関係などどうでも良さそうです。
そちらへ想像を膨らませても、コーチャー様の「鍛冶が媼」が、輪郭を残して別のナニカへ入れ替えられた物語だという印象が強まります。本家よりも大きくて、奇怪な人間ドラマが隠れていそうな。
尻切れでまとまりのない感想で申し訳ありません。とりとめがなくなるので脱線した読み込みと空想?はここまでにします。最新作たちを読ませていただきます。
K John・Smith
- 投稿者: K John・Smith
- 2018年 05月09日 08時27分
K John・Smithさん、感想ありがとうございます。
自分で書いたものながら、どういうオチをつけたのだったかと読み返していました。そこで思い出したのはこの話が、最初に投稿した小説だったということです。
相変わらず、今と変わらない暗い話を書いているものだと自分のことながら笑ってしまいました。
本家本元の鍛冶が媼にはいくつものパターンがあるようで、私が参考にしたのは、化物だと思って殺してみたら本当に母だった。では化物はどこに? という話だったと記憶しています。
出典が落語であったか郷戸誌に載っていた昔話であったか定かではありませんが。
そのうえで、実は息子は婆を殺したいから殺したんじゃないか、と思いました。人は理屈をつけることで行動を正当化するもんだと当時の私は思っていたはずです。
でも書き出してから、実は婆は化物だった。だけど、それを殺した息子も化物だったのじゃないか。化物が化物をみても同族じゃないか。それは違和感が生まれるはずがない、なんて考えたのです。
結果。こういう話が出来上がりました。
過去の自分をトレースするのも何だか小っ恥ずかしい感じがいたしますが、読んでいただきありがとうございました。
自分で書いたものながら、どういうオチをつけたのだったかと読み返していました。そこで思い出したのはこの話が、最初に投稿した小説だったということです。
相変わらず、今と変わらない暗い話を書いているものだと自分のことながら笑ってしまいました。
本家本元の鍛冶が媼にはいくつものパターンがあるようで、私が参考にしたのは、化物だと思って殺してみたら本当に母だった。では化物はどこに? という話だったと記憶しています。
出典が落語であったか郷戸誌に載っていた昔話であったか定かではありませんが。
そのうえで、実は息子は婆を殺したいから殺したんじゃないか、と思いました。人は理屈をつけることで行動を正当化するもんだと当時の私は思っていたはずです。
でも書き出してから、実は婆は化物だった。だけど、それを殺した息子も化物だったのじゃないか。化物が化物をみても同族じゃないか。それは違和感が生まれるはずがない、なんて考えたのです。
結果。こういう話が出来上がりました。
過去の自分をトレースするのも何だか小っ恥ずかしい感じがいたしますが、読んでいただきありがとうございました。
- コーチャー
- 2018年 05月10日 22時19分
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