感想一覧
▽感想を書く感想絞り込み
[一言]
世の中には、「私が自力で調べてたどり着いたこの(事実/真実)を世に広めなければ」という使命に燃える方がたくさんいらっしゃいます。
ビジネスマナーの講師の方、新しい心理学の創始者、先進的な理論を掲げる理論物理学者などなど。
中には、素晴らしい内容の方も多くいらっしゃいますが、自力でたどり着いたことの中に多くの情報の欠落や間違いがあることも少なく無いです。
江戸しぐさのPR団体もそのひとつでしょう。
しかし、世の中に完全な情報を持ちうる方は全くといっていいほどいらっしゃいません。
多くの、不完全だけど有用な主張が乱立しているのみなのです。(そりゃあまあ、まったく有用でないものも多くあるのだけれども)
そういった不完全だけど有用な主張をいくつも散見してそれっぽい真実を見つけ出して、また不完全だけど有用な主張を世の中に送り出す。
学問とは、世の発展とはこれを繰り返すことだと思っています。
そういった意味では、丸屋さん「グッバイ、江戸しぐさ」とても参考になりました。
通りすがりの者ですが、
最近、訳の分からない(自称)マナーが多く在るなあとおもって江戸しぐさにたどり着き、何じゃこりゃとおもっていたら丸屋さんのエッセイ(?)にたどり着きました。
私のような歴史に詳しくない者にとっては、丸屋さんのエッセイ(?)は「ふぅん・・・、なるほど!」っとエポックメイキング的なこういう見方があるのかという面白い主張でした。
読み物としても面白かったです。
なんというか、丸屋さんの正当性が在る(ように見える)ものに対するロジカルな批判は読んでいて「なるほど!」と面白いです。(起承転結不要試論も読みました)。
丸屋さんのような「既存の正当性があるもの(とされるもの)」の正当性を当たり前のように受け入れることがない態度が小説もマンガも学問もおもしろくするんだなとおもいます。
私自身としては、小説もマンガも面白けりゃ良い派です。
(落ちがないような四コマとか大好きです)
創作活動頑張ってください。
世の中には、「私が自力で調べてたどり着いたこの(事実/真実)を世に広めなければ」という使命に燃える方がたくさんいらっしゃいます。
ビジネスマナーの講師の方、新しい心理学の創始者、先進的な理論を掲げる理論物理学者などなど。
中には、素晴らしい内容の方も多くいらっしゃいますが、自力でたどり着いたことの中に多くの情報の欠落や間違いがあることも少なく無いです。
江戸しぐさのPR団体もそのひとつでしょう。
しかし、世の中に完全な情報を持ちうる方は全くといっていいほどいらっしゃいません。
多くの、不完全だけど有用な主張が乱立しているのみなのです。(そりゃあまあ、まったく有用でないものも多くあるのだけれども)
そういった不完全だけど有用な主張をいくつも散見してそれっぽい真実を見つけ出して、また不完全だけど有用な主張を世の中に送り出す。
学問とは、世の発展とはこれを繰り返すことだと思っています。
そういった意味では、丸屋さん「グッバイ、江戸しぐさ」とても参考になりました。
通りすがりの者ですが、
最近、訳の分からない(自称)マナーが多く在るなあとおもって江戸しぐさにたどり着き、何じゃこりゃとおもっていたら丸屋さんのエッセイ(?)にたどり着きました。
私のような歴史に詳しくない者にとっては、丸屋さんのエッセイ(?)は「ふぅん・・・、なるほど!」っとエポックメイキング的なこういう見方があるのかという面白い主張でした。
読み物としても面白かったです。
なんというか、丸屋さんの正当性が在る(ように見える)ものに対するロジカルな批判は読んでいて「なるほど!」と面白いです。(起承転結不要試論も読みました)。
丸屋さんのような「既存の正当性があるもの(とされるもの)」の正当性を当たり前のように受け入れることがない態度が小説もマンガも学問もおもしろくするんだなとおもいます。
私自身としては、小説もマンガも面白けりゃ良い派です。
(落ちがないような四コマとか大好きです)
創作活動頑張ってください。
- 投稿者: 通り過ぎのなろうフリーカー
- 2016年 04月01日 23時17分
お読みいただきましてありがとうございます!
現代の世の中ってすごく面白い世の中だと思うんですよね。誰しもが自分の意思を発信できるなんて状況、人類有史以来ここ20年ほどの動きでしかないはずです。
面白い世の中なんですが、当然そうなってしまうと、これまでフィルタリングによって弾かれてきた取るに足らないものや、本来狭いコミュニティの中で封殺されてきたはずのものが表に出てくるようになりました。ある意味で、洗練されていない、生のナニカが溢れてきている、といえましょう。けれど、我々はそれに太刀打ちする手段をまだ見つけていない、そんな気がしています。
そういう意味では、江戸しぐさなどはその代表例かもしれません。
なので、今回の江戸しぐさ問題は、「情報化社会においてどうやって変な理論を否定するのか」という試金石になったのではないかという気がしています。
けれど、こうやってネットの片隅で匿名であるところのわたしがこうやって批判に声を上げることができる辺り、やっぱり現代は良い時代なのかもしれません。
ではでは、長々と失礼いたしました。
現代の世の中ってすごく面白い世の中だと思うんですよね。誰しもが自分の意思を発信できるなんて状況、人類有史以来ここ20年ほどの動きでしかないはずです。
面白い世の中なんですが、当然そうなってしまうと、これまでフィルタリングによって弾かれてきた取るに足らないものや、本来狭いコミュニティの中で封殺されてきたはずのものが表に出てくるようになりました。ある意味で、洗練されていない、生のナニカが溢れてきている、といえましょう。けれど、我々はそれに太刀打ちする手段をまだ見つけていない、そんな気がしています。
そういう意味では、江戸しぐさなどはその代表例かもしれません。
なので、今回の江戸しぐさ問題は、「情報化社会においてどうやって変な理論を否定するのか」という試金石になったのではないかという気がしています。
けれど、こうやってネットの片隅で匿名であるところのわたしがこうやって批判に声を上げることができる辺り、やっぱり現代は良い時代なのかもしれません。
ではでは、長々と失礼いたしました。
- 丸屋嗣也
- 2016年 04月04日 08時51分
[一言]
一方は
・史実がどうかはさておき、自分の主張こそが正しい"蓋然性が高い"
と言っており、
他方は
・史実かどうかはさておき、いいこと言ってるんだからいいじゃない
と言っているわけだな。
実に実りある議論。
一方は
・史実がどうかはさておき、自分の主張こそが正しい"蓋然性が高い"
と言っており、
他方は
・史実かどうかはさておき、いいこと言ってるんだからいいじゃない
と言っているわけだな。
実に実りある議論。
- 投稿者: -
- 2014年 09月17日 23時57分
史実、というものの取り扱いの話ですね。
今、史実っていうのは「100%あったこと」とは定義出来ないよ、って話です。
今、史実っていうのは「100%あったこと」とは定義出来ないよ、って話です。
- 丸屋嗣也
- 2014年 09月18日 05時47分
[一言]
江戸しぐさなる言葉は、つい最近まで知りませんでした。どうも推進されてる方も、反対されてる方も重箱の隅をつついて、壁に穴を開けようとしているようにしか見えません。私はかの地に400年以上住んでいたものの子孫で、当然江戸っ子なんですが、しぐさが一子相伝、秘伝なんてことは聞いたことはない。ただ代々親や、近所の年寄りから教わったり、見よう見まねで覚えてきました。一つ気になるのは、傘をあまり使わないという点。近場はほっかぶりでもして軒伝いに行けばどうってことはないが、通りに出たりするときは、やっぱり傘がないと髪を束ねている元結というものご存知ですよね。あれ水に濡れるととても弱いことご存知ですか。雨ん中長時間は歩けません、ましてやご婦人の元結が切れたら話になりません。雨の中長い時間出るにはどうしても傘がいるんです。余談ですが、番傘を使う時、柄をトントンと地面に叩いてから差します。出ないと油虫が落ちてくることがありますからね。傘ばかりでなく狭い街中での様々なルールは実在しました。推進派の文章には確かに江戸の話でないものも多いようで、訳判りませんが。それから講というものは、現在でも下町の多くで行われています。いろんなことの出費のためにみんなで集めていって、葬式やら、旅行やら、入院した時なんかに使うんです。商人の講はちょっと意味合いが違いましたが、ありました。そういった時代のマナーというものは、いつの世にもあるし、常識ですからあえて文献に乗せるようなことでもありませんよ。だからといって、完全否定もおかしな話になりませんか。長くなってすいません、最後に家のじいさんが学校行ってた時、上野の山が近いので、彰義隊の戦の音がうるさくて勉強にならなかったと聞いています。江戸っ子虐殺云々は聞いたことがありません。
江戸しぐさなる言葉は、つい最近まで知りませんでした。どうも推進されてる方も、反対されてる方も重箱の隅をつついて、壁に穴を開けようとしているようにしか見えません。私はかの地に400年以上住んでいたものの子孫で、当然江戸っ子なんですが、しぐさが一子相伝、秘伝なんてことは聞いたことはない。ただ代々親や、近所の年寄りから教わったり、見よう見まねで覚えてきました。一つ気になるのは、傘をあまり使わないという点。近場はほっかぶりでもして軒伝いに行けばどうってことはないが、通りに出たりするときは、やっぱり傘がないと髪を束ねている元結というものご存知ですよね。あれ水に濡れるととても弱いことご存知ですか。雨ん中長時間は歩けません、ましてやご婦人の元結が切れたら話になりません。雨の中長い時間出るにはどうしても傘がいるんです。余談ですが、番傘を使う時、柄をトントンと地面に叩いてから差します。出ないと油虫が落ちてくることがありますからね。傘ばかりでなく狭い街中での様々なルールは実在しました。推進派の文章には確かに江戸の話でないものも多いようで、訳判りませんが。それから講というものは、現在でも下町の多くで行われています。いろんなことの出費のためにみんなで集めていって、葬式やら、旅行やら、入院した時なんかに使うんです。商人の講はちょっと意味合いが違いましたが、ありました。そういった時代のマナーというものは、いつの世にもあるし、常識ですからあえて文献に乗せるようなことでもありませんよ。だからといって、完全否定もおかしな話になりませんか。長くなってすいません、最後に家のじいさんが学校行ってた時、上野の山が近いので、彰義隊の戦の音がうるさくて勉強にならなかったと聞いています。江戸っ子虐殺云々は聞いたことがありません。
- 投稿者: 気になったので。
- 2014年 09月13日 15時24分
ご感想を寄せていただき、ありがとうございますー。
ええと、まず傘と雨の件。
確かに雨にぬれると元結が解けてしまいますが、江戸には髪結いが江戸にはたくさんいたようですし……、笠はあったわけですし……。あ、あと、一口に江戸時代と申しましても、江戸時代の初期から幕末まで260年あまりありますので、十把一からげに申し上げるのも難しいかと……。(ざっくり言いますと、どうやら江戸時代前期から中期にかけては江戸近辺に傘の産地がなく大坂から移入していた様子、江戸時代後期となると近くに産地が出来たものの、明治時代の傘普及率を見るにどう多く見積もっても一家に一本程度の流通だった模様)。
「江戸時代後期の江戸っ子が全く傘を使わなかった」というのはトンデモ言説ですが、さりとて現代のように一般的なものでもない、というのが正解ではないでしょうか。
お次にマナーの件。
もちろん豪商や例外はありますが、江戸は疫病の蔓延や度重なる大火によって、実は三世代家を維持している例が少ないらしいということが歴史人口学によって明らかになっています。実はわたしも江戸近辺に縁ある者なのである程度いわゆる下町の空気を知っていて、口伝のマナー(というかしつけ)があったことは了解していますが、はたしてそれが江戸時代にまでさかのぼるマナーなのかといえばどうなのだろう、という立場です。
講につきまして。
もちろんおっしゃるような講が存在したのは事実です(頼母子講などはその代表格)。されど、江戸しぐさの皆様がおっしゃるような社交クラブ的なものは怪しいのではないかなあ、というのがわたしの立場です。それこそ存在するのであれば何らかの痕跡が残るはずです(江戸時代は文献史料が色々な階層から出る時代です)。
そして最後に。
この感想欄でもほかの方にお話をさせていただいたのですが、歴史にまつわる話(というよりはすべての学問がそうなんですが)は「蓋然性の高い/低い」でしかものを語れなくなっています。
確かに江戸時代、江戸にマナーが存在したかもしれません。が、それがあの「江戸しぐさ」かといえば、「蓋然性が高いか低いか」で評価してやるしかありません。
あとは、あなた様がどちらに分があるかを判断なさっていただければと存じます。
そういえば、最近江戸しぐさ否定側の決定版書籍が刊行されたようですので、一読をお勧めいたします。
ではでは。
ええと、まず傘と雨の件。
確かに雨にぬれると元結が解けてしまいますが、江戸には髪結いが江戸にはたくさんいたようですし……、笠はあったわけですし……。あ、あと、一口に江戸時代と申しましても、江戸時代の初期から幕末まで260年あまりありますので、十把一からげに申し上げるのも難しいかと……。(ざっくり言いますと、どうやら江戸時代前期から中期にかけては江戸近辺に傘の産地がなく大坂から移入していた様子、江戸時代後期となると近くに産地が出来たものの、明治時代の傘普及率を見るにどう多く見積もっても一家に一本程度の流通だった模様)。
「江戸時代後期の江戸っ子が全く傘を使わなかった」というのはトンデモ言説ですが、さりとて現代のように一般的なものでもない、というのが正解ではないでしょうか。
お次にマナーの件。
もちろん豪商や例外はありますが、江戸は疫病の蔓延や度重なる大火によって、実は三世代家を維持している例が少ないらしいということが歴史人口学によって明らかになっています。実はわたしも江戸近辺に縁ある者なのである程度いわゆる下町の空気を知っていて、口伝のマナー(というかしつけ)があったことは了解していますが、はたしてそれが江戸時代にまでさかのぼるマナーなのかといえばどうなのだろう、という立場です。
講につきまして。
もちろんおっしゃるような講が存在したのは事実です(頼母子講などはその代表格)。されど、江戸しぐさの皆様がおっしゃるような社交クラブ的なものは怪しいのではないかなあ、というのがわたしの立場です。それこそ存在するのであれば何らかの痕跡が残るはずです(江戸時代は文献史料が色々な階層から出る時代です)。
そして最後に。
この感想欄でもほかの方にお話をさせていただいたのですが、歴史にまつわる話(というよりはすべての学問がそうなんですが)は「蓋然性の高い/低い」でしかものを語れなくなっています。
確かに江戸時代、江戸にマナーが存在したかもしれません。が、それがあの「江戸しぐさ」かといえば、「蓋然性が高いか低いか」で評価してやるしかありません。
あとは、あなた様がどちらに分があるかを判断なさっていただければと存じます。
そういえば、最近江戸しぐさ否定側の決定版書籍が刊行されたようですので、一読をお勧めいたします。
ではでは。
- 丸屋嗣也
- 2014年 09月14日 18時01分
[一言]
>「江戸時代に傘をかしげる習慣があったとする主張はおかしい」と書いています
はい、同じことでしょう。その結論に論理の飛躍はありませんか?
もう一度私のコメントをお読みください。
例えば、そうですね、あなたの言葉をそのまま使いましょう。
>ただ、この傘かしげ、一つ問題があるのです。
> 相手もこのしぐさを知らないと、あまり効果的ではないのです。
2. 江戸商人のリーダーが率先して実践していた。だから雨の日に狭い道で傘を傾げられても、ほとんどの人は意味が理解できない。▶︎だから傘をかしげてもあまり効果的ではない。(さて?はたしてそうでしょうか?一考の余地があります)▶︎だから江戸時代に傘をかしげる習慣があったとする主張はおかしい。(おっと、結論づけてしまった)
「歴史学的なアプローチで挑むべき」とご自身で言っておきながら、その主張の論拠は史実に基づく「ファクト」とあなたの「主観」が綯い交ぜになっているのです。
あまり議論をする場ではなかったですね、大変失礼致しました。しかし、なにやらこういった論理がまかり通ってマジョリティ化していく気配のあることに、ある種の危険を感じたもので。「どなたか」が危惧されていることと似ていますね。
この辺りで失礼いたします。
>「江戸時代に傘をかしげる習慣があったとする主張はおかしい」と書いています
はい、同じことでしょう。その結論に論理の飛躍はありませんか?
もう一度私のコメントをお読みください。
例えば、そうですね、あなたの言葉をそのまま使いましょう。
>ただ、この傘かしげ、一つ問題があるのです。
> 相手もこのしぐさを知らないと、あまり効果的ではないのです。
2. 江戸商人のリーダーが率先して実践していた。だから雨の日に狭い道で傘を傾げられても、ほとんどの人は意味が理解できない。▶︎だから傘をかしげてもあまり効果的ではない。(さて?はたしてそうでしょうか?一考の余地があります)▶︎だから江戸時代に傘をかしげる習慣があったとする主張はおかしい。(おっと、結論づけてしまった)
「歴史学的なアプローチで挑むべき」とご自身で言っておきながら、その主張の論拠は史実に基づく「ファクト」とあなたの「主観」が綯い交ぜになっているのです。
あまり議論をする場ではなかったですね、大変失礼致しました。しかし、なにやらこういった論理がまかり通ってマジョリティ化していく気配のあることに、ある種の危険を感じたもので。「どなたか」が危惧されていることと似ていますね。
この辺りで失礼いたします。
- 投稿者: 正しき探求の大切さ
- 2014年 09月08日 10時02分
ご感想の連投、ありがとうございます。
軽い読み物を目指したためにあえて端折ったことをここに書くんですが、江戸時代の習慣として狭い場所で傘を使う際には傘をすぼめるほうが一般的(浮世絵などから確認できます)なんですねー。
江戸時代の傘って重いので、かしげるのはあまり効率的なやり方といえません。また、江戸時代、傘かしげを使用するような狭い道、たとえば長屋の間口は道に面したところにあるので傘かしげなんてやったら家の中に水が入り込んでしまう、などの問題もつっこまれております。
そして、(ここからが大事なんですが)歴史学は現在、蓋然性の高低でしかモノを語ることができません。端的にいえば、あなた様のおっしゃるように、もしかしたら傘をかしげた人が(突然変異的に)いた可能性も十分ありますが、その可能性が高いか低いかでしか評価はできません。
つまり、「傘かしげをやっていた人がいるかもしれないじゃないか!」というご批判に対しては、「もしかしたら散発的にあった可能性はゼロではないかもしれないけど、一般的ではなかったでしょうね、当時の文献とか社会状況とかを見やるに(つまりは蓋然性が著しく低いよね)」というのがわたしの答えなんですねー。
そしてこれ、歴史学に限らずどんな学問でもそうですが、今の学問は「私」という観測者のバイアスを否定することができません。
「ファクト」と「私見」が入り混じっている、というご批判に対しては、「だって学問っていうのはそもそもそういうものですけど……」としか言いようがありません。(このあたりのことをご説明するのはなかなか骨が折れますので、詳しくは現代思想の入門書をお読みください~)。
正しき探求、とはかくも難しいものなのです。
軽い読み物を目指したためにあえて端折ったことをここに書くんですが、江戸時代の習慣として狭い場所で傘を使う際には傘をすぼめるほうが一般的(浮世絵などから確認できます)なんですねー。
江戸時代の傘って重いので、かしげるのはあまり効率的なやり方といえません。また、江戸時代、傘かしげを使用するような狭い道、たとえば長屋の間口は道に面したところにあるので傘かしげなんてやったら家の中に水が入り込んでしまう、などの問題もつっこまれております。
そして、(ここからが大事なんですが)歴史学は現在、蓋然性の高低でしかモノを語ることができません。端的にいえば、あなた様のおっしゃるように、もしかしたら傘をかしげた人が(突然変異的に)いた可能性も十分ありますが、その可能性が高いか低いかでしか評価はできません。
つまり、「傘かしげをやっていた人がいるかもしれないじゃないか!」というご批判に対しては、「もしかしたら散発的にあった可能性はゼロではないかもしれないけど、一般的ではなかったでしょうね、当時の文献とか社会状況とかを見やるに(つまりは蓋然性が著しく低いよね)」というのがわたしの答えなんですねー。
そしてこれ、歴史学に限らずどんな学問でもそうですが、今の学問は「私」という観測者のバイアスを否定することができません。
「ファクト」と「私見」が入り混じっている、というご批判に対しては、「だって学問っていうのはそもそもそういうものですけど……」としか言いようがありません。(このあたりのことをご説明するのはなかなか骨が折れますので、詳しくは現代思想の入門書をお読みください~)。
正しき探求、とはかくも難しいものなのです。
- 丸屋嗣也
- 2014年 09月08日 12時40分
[一言]
傘かしげに対するつっこみ。要約すると
「こちらが傾げても、相手も傾げなければ意味がない。」
ということですが、
これ、実は相手を思いやること全般に言える事ですね。
こちらが電車で席を譲っても、相手がその思いを汲み取れず、年齢を気にするなどで不愉快に感じたら意味がない。
餓鬼地獄の亡者の一方が相手を食べさせても、他方が相手を食べさせることに思い至らなければ意味がない。
こちらが手を差し伸べても、相手がその手を取らなければ意味がない。
などなど、挙げればキリがありませんが、
少なくとも、
「…だから傘を傾げて、相手を気遣うことはおかしい」
とする結論は論理が飛躍しています。それこそ、所謂トンデモ理論ですね。
1. 江戸時代は一人しか通れないような狭い道も多かった、▶︎だから傾げても意味がない。
2. 江戸商人のリーダーが率先して実践していた。だから雨の日に狭い道で傘を傾げられても、ほとんどの人は意味が理解できない。▶︎だから傾げても意味がない。
3. 雨の日にしか有効ではない。▶︎だから傘かしげなんておかしい。
あなたの言っていることはこういうことですが。
論理は飛躍していませんか。どうでしょうか。
私は江戸しぐさについて調べはじめたところで、たまたまこのサイトが最初に当たりましたが、少なくともここの文章はほとんど当てにならないと感じました。傘かしげ以外の文章も論拠に乏しく、結論ありきのこじつけだな、というのが率直な感想です。
教育にも関わることがらのようですので、大人達の正しい認識、探求が求められると考えます。
多少、厳しいことを書きましたが、まずは反対派の方の考えがどの辺りにあるのかについて理解することができました。ありがとうございます。
他の方の意見や文献にも当たりたいと思います。
傘かしげに対するつっこみ。要約すると
「こちらが傾げても、相手も傾げなければ意味がない。」
ということですが、
これ、実は相手を思いやること全般に言える事ですね。
こちらが電車で席を譲っても、相手がその思いを汲み取れず、年齢を気にするなどで不愉快に感じたら意味がない。
餓鬼地獄の亡者の一方が相手を食べさせても、他方が相手を食べさせることに思い至らなければ意味がない。
こちらが手を差し伸べても、相手がその手を取らなければ意味がない。
などなど、挙げればキリがありませんが、
少なくとも、
「…だから傘を傾げて、相手を気遣うことはおかしい」
とする結論は論理が飛躍しています。それこそ、所謂トンデモ理論ですね。
1. 江戸時代は一人しか通れないような狭い道も多かった、▶︎だから傾げても意味がない。
2. 江戸商人のリーダーが率先して実践していた。だから雨の日に狭い道で傘を傾げられても、ほとんどの人は意味が理解できない。▶︎だから傾げても意味がない。
3. 雨の日にしか有効ではない。▶︎だから傘かしげなんておかしい。
あなたの言っていることはこういうことですが。
論理は飛躍していませんか。どうでしょうか。
私は江戸しぐさについて調べはじめたところで、たまたまこのサイトが最初に当たりましたが、少なくともここの文章はほとんど当てにならないと感じました。傘かしげ以外の文章も論拠に乏しく、結論ありきのこじつけだな、というのが率直な感想です。
教育にも関わることがらのようですので、大人達の正しい認識、探求が求められると考えます。
多少、厳しいことを書きましたが、まずは反対派の方の考えがどの辺りにあるのかについて理解することができました。ありがとうございます。
他の方の意見や文献にも当たりたいと思います。
- 投稿者: 正しい探求が必要と感じました
- 2014年 09月08日 00時30分
どうも、お読みいただきありがとうございます!
んー、一読させていただきまして、あなた様の御結論にもある種の思い込みがあるようにお見受けいたします。
そもそもわたし、「…だから傘を傾げて、相手を気遣うことはおかしい」なんて書いてませんね。わたしは「江戸時代に傘をかしげる習慣があったとする主張はおかしい」と書いていますし、わたし自身「傘かしげをしている」と明言しておりますが……。(お疑いの向きはもう一度読んでみてくださいね)
「…だから傘を傾げて、相手を気遣うことはおかしい」という言説はわたしが述べていない以上、なんともお答えすることができません。
たぶん、あなた様の中で、江戸しぐさの否定=マナーの否定、という図式が出来上がっているのではないかな、と推察いたします。
わたしのみならず、江戸しぐさを否定する人たちはけっしてマナーを否定しているのではなく、「マナーと称して嘘を教育の現場に持ち込むのは危険なのではないか」という危機意識を持っているのですねー。
そのあたりのことを峻別せずに直列つなぎにしてしまうと、「嘘でもいいこと言っているからいいじゃない!」という身も蓋もないトンデモ理論に至ってしまうのです。
今後ほかの方のご意見や文献に当たるとの由、結構なことです。
この小稿においてもいくつか参考文献を引いておりますので、そちらも目を通してみてください。
江戸しぐさ問題はマナーの問題であるというよりも、歴史学的なアプローチで挑むべき問題ですので。
んー、一読させていただきまして、あなた様の御結論にもある種の思い込みがあるようにお見受けいたします。
そもそもわたし、「…だから傘を傾げて、相手を気遣うことはおかしい」なんて書いてませんね。わたしは「江戸時代に傘をかしげる習慣があったとする主張はおかしい」と書いていますし、わたし自身「傘かしげをしている」と明言しておりますが……。(お疑いの向きはもう一度読んでみてくださいね)
「…だから傘を傾げて、相手を気遣うことはおかしい」という言説はわたしが述べていない以上、なんともお答えすることができません。
たぶん、あなた様の中で、江戸しぐさの否定=マナーの否定、という図式が出来上がっているのではないかな、と推察いたします。
わたしのみならず、江戸しぐさを否定する人たちはけっしてマナーを否定しているのではなく、「マナーと称して嘘を教育の現場に持ち込むのは危険なのではないか」という危機意識を持っているのですねー。
そのあたりのことを峻別せずに直列つなぎにしてしまうと、「嘘でもいいこと言っているからいいじゃない!」という身も蓋もないトンデモ理論に至ってしまうのです。
今後ほかの方のご意見や文献に当たるとの由、結構なことです。
この小稿においてもいくつか参考文献を引いておりますので、そちらも目を通してみてください。
江戸しぐさ問題はマナーの問題であるというよりも、歴史学的なアプローチで挑むべき問題ですので。
- 丸屋嗣也
- 2014年 09月08日 07時21分
[一言]
NAVERに載ってました。これまで江戸しくざについていろいろ記事を読んできましたが、たまに分かりにくい部分もあって、しかしこの作品には分かりやすく集約されて読みやすく良かったです。
NAVERに載ってました。これまで江戸しくざについていろいろ記事を読んできましたが、たまに分かりにくい部分もあって、しかしこの作品には分かりやすく集約されて読みやすく良かったです。
- 投稿者: 退会済み
- 2014年 08月27日 09時05分
管理
お読みいただきありがとうございます!
分かりやすさを重視していろいろなトピックスを切り捨てたのが勝因かなと思っております! ありがとうございました。
分かりやすさを重視していろいろなトピックスを切り捨てたのが勝因かなと思っております! ありがとうございました。
- 丸屋嗣也
- 2014年 08月27日 21時29分
[一言]
「古代に素晴らしい聖人の政治が行われていたが、現代の人心の荒廃により失われてしまった。だから古代の理想政治を現代に復活させよう!」という儒家誕生の論理にそっくり。……そうか、彼らはきっと朱子学者か!
歴史は繰り返しますが、当の本人たちはそれと気づいていないということも繰り返すのが歴史ということで。
「古代に素晴らしい聖人の政治が行われていたが、現代の人心の荒廃により失われてしまった。だから古代の理想政治を現代に復活させよう!」という儒家誕生の論理にそっくり。……そうか、彼らはきっと朱子学者か!
歴史は繰り返しますが、当の本人たちはそれと気づいていないということも繰り返すのが歴史ということで。
これはどうも!
そうそう、この手の偽史は歴史上いろんな場面で繰り返されてきたことなので、ある意味で江戸しぐさという言説すらもきわめて歴史的な事象のような気がします(偽史の歴史、という文脈で)。
でも、批判しとかないとならない、という野暮な使命感に駆られて書いてしまった一篇となっております。
お読みいただき感謝です!
そうそう、この手の偽史は歴史上いろんな場面で繰り返されてきたことなので、ある意味で江戸しぐさという言説すらもきわめて歴史的な事象のような気がします(偽史の歴史、という文脈で)。
でも、批判しとかないとならない、という野暮な使命感に駆られて書いてしまった一篇となっております。
お読みいただき感謝です!
- 丸屋嗣也
- 2014年 04月30日 07時50分
[一言]
読ませていただきました。
善し悪しは言わずにおきます。
傘かしげのところで、
----
①まあまあ狭い道で
②お互いに江戸商人のリーダーがばったり出会い
③雨の日にすれ違う時に
----
このレアケースが頻発するのは吉原ですねw
『江戸しぐさは吉原のマナーだったんだ!』
ふとそんなことが浮かびましたw
そしてなんか納得しましたw
読ませていただきました。
善し悪しは言わずにおきます。
傘かしげのところで、
----
①まあまあ狭い道で
②お互いに江戸商人のリーダーがばったり出会い
③雨の日にすれ違う時に
----
このレアケースが頻発するのは吉原ですねw
『江戸しぐさは吉原のマナーだったんだ!』
ふとそんなことが浮かびましたw
そしてなんか納得しましたw
- 投稿者: K
- 2014年 04月27日 17時39分
これはどうも初めまして!
あ、ご存知かもしれませんが、和傘は重いのでかたむけるということが難しく、すぼめるのが作法らしいです。
こうやってレアケースであることをことさらに主張しているのは問題点をはっきりさせるためのレトリックでして。
という説明自体が野暮ですね(爆笑)
『楽しく江戸しぐさの問題点を浮き彫りにしよう!』というコンセプトゆえに、少しネタに走ってしまったかもです。申し訳ありませんでした。
あ、ご存知かもしれませんが、和傘は重いのでかたむけるということが難しく、すぼめるのが作法らしいです。
こうやってレアケースであることをことさらに主張しているのは問題点をはっきりさせるためのレトリックでして。
という説明自体が野暮ですね(爆笑)
『楽しく江戸しぐさの問題点を浮き彫りにしよう!』というコンセプトゆえに、少しネタに走ってしまったかもです。申し訳ありませんでした。
- 丸屋嗣也
- 2014年 04月27日 18時19分
[一言]
まぁ韓国の歴史ドラマ、中国の抗日ドラマもそうだけど『昔は良かった』『昔の人は凄かった』『だから俺たちも頑張ろう』が基本で歴史的事実なんてエンターティメントの世界ではブン投げなんだろうと。
なろうで大活躍のファンタジー。
真面目に中世ヨーロッパを考証。
すぐ思った結論はこうでした。
『トリップ主人公は敵と戦う前に不衛生が原因で病死する』
話変わって。
多分我々日本人には西洋ファンタジーの本質を理解できないんだろうと思っています。
『騎士道』も存在していない概念を騎士があまりにも非道の限りを尽くすので教会がでっち上げていますし。
まぁ韓国の歴史ドラマ、中国の抗日ドラマもそうだけど『昔は良かった』『昔の人は凄かった』『だから俺たちも頑張ろう』が基本で歴史的事実なんてエンターティメントの世界ではブン投げなんだろうと。
なろうで大活躍のファンタジー。
真面目に中世ヨーロッパを考証。
すぐ思った結論はこうでした。
『トリップ主人公は敵と戦う前に不衛生が原因で病死する』
話変わって。
多分我々日本人には西洋ファンタジーの本質を理解できないんだろうと思っています。
『騎士道』も存在していない概念を騎士があまりにも非道の限りを尽くすので教会がでっち上げていますし。
お読みいただきありがとうございます!
まあ、エンタメにあっては「昔は良かった」→「だから今のおれたちも頑張ろう」という論理展開は悪くないことだと思いますし物語の文法に沿っていると思うのですが、江戸しぐさの場合それを現実にまで敷衍しようとしているのが問題なんだろうなあと思います。
>騎士道
ある意味、日本人における武士道もでっち上げな面もある(正確には西洋人の目を多分に意識した明治期に編まれた思想体系)ので、結構騎士道ともたどった経緯が似てますね。
まあ、エンタメにあっては「昔は良かった」→「だから今のおれたちも頑張ろう」という論理展開は悪くないことだと思いますし物語の文法に沿っていると思うのですが、江戸しぐさの場合それを現実にまで敷衍しようとしているのが問題なんだろうなあと思います。
>騎士道
ある意味、日本人における武士道もでっち上げな面もある(正確には西洋人の目を多分に意識した明治期に編まれた思想体系)ので、結構騎士道ともたどった経緯が似てますね。
- 丸屋嗣也
- 2014年 04月27日 06時53分
― 感想を書く ―