感想一覧
▽感想を書く[一言]
吾妻さまが拙作に書いて下さったような素晴らしい感想は書けそうにありませんが、読み終わってとてもジーンとしたので、思い切って書かせて頂きます。
韓流のドラマや映画、また歌などにも縁遠い私にも、すんなり話が入ってきました。
主人公の独白と、彼が置かれた状況を説明する文が過不足なく配分されているせいなのでしょうか。
淡々と語られていく中でも、主人公の感じている閉塞感、やるせなさといった複雑な感情が痛いほど感じらてて、読みながら胸が痛くなりました。
最後の取材に応えるシーン。最初は「ん?」と引っかかりました。
多分どちらも一人称が「僕」だからってこともあるかな。
到着した韓国料理店でも新たに待ち構えていた取材陣を前に、僕は崔から言い含められたマニュアル通りに言葉を並べる。>
この文章の後に
空虚な台詞を並べる僕の耳の奥には、炳からの懺悔にも似た独白が再現されていった~的な説明が入るとより分かりやすかったかな?と思います。
……いや、いらないかな。どうかな。←自信がなくて申し訳ない。
分かって読んでからは、圧倒的な会話文だけでの描写に、切なさ倍増でした。
「ノルウェイの森」の出演にかけてもらった一言。その一言を返すことが出来たなら、という苦い後悔での締めにも、グッときました。
途中、こっそり役作りの為に炳がラブレターを綴るシーンも切なくて大好きです。
稚拙な感想、申し訳ありません!
すごく、良かったです。
(この一言でよかった気がしています・笑)
吾妻さまが拙作に書いて下さったような素晴らしい感想は書けそうにありませんが、読み終わってとてもジーンとしたので、思い切って書かせて頂きます。
韓流のドラマや映画、また歌などにも縁遠い私にも、すんなり話が入ってきました。
主人公の独白と、彼が置かれた状況を説明する文が過不足なく配分されているせいなのでしょうか。
淡々と語られていく中でも、主人公の感じている閉塞感、やるせなさといった複雑な感情が痛いほど感じらてて、読みながら胸が痛くなりました。
最後の取材に応えるシーン。最初は「ん?」と引っかかりました。
多分どちらも一人称が「僕」だからってこともあるかな。
到着した韓国料理店でも新たに待ち構えていた取材陣を前に、僕は崔から言い含められたマニュアル通りに言葉を並べる。>
この文章の後に
空虚な台詞を並べる僕の耳の奥には、炳からの懺悔にも似た独白が再現されていった~的な説明が入るとより分かりやすかったかな?と思います。
……いや、いらないかな。どうかな。←自信がなくて申し訳ない。
分かって読んでからは、圧倒的な会話文だけでの描写に、切なさ倍増でした。
「ノルウェイの森」の出演にかけてもらった一言。その一言を返すことが出来たなら、という苦い後悔での締めにも、グッときました。
途中、こっそり役作りの為に炳がラブレターを綴るシーンも切なくて大好きです。
稚拙な感想、申し訳ありません!
すごく、良かったです。
(この一言でよかった気がしています・笑)
ナツさん
拙作へのご高覧及びご感想ありがとうございます。
「せっかく完成させた発表したけど、この作品はどうも反応が薄いみたいだ……」と落ち込んでいたので、とても嬉しいです。
私も「冬のソナタ」を始めとする韓流ブームに対しては今ひとつ入り込めないものを覚えていたので、敢えてそうした視点から本編を書きました。
「韓流スター」というタイトルではあっても、内容としてはむしろ「アンチ韓流」というか、ブームそのものを突き放して眺める方向性で。
「耳の奥で、先週の夜の、ちょうど日付が変わる頃に、枕元で鳴った携帯電話の着信音の響きが蘇る。
久し振りに回線越しに耳にした炳の声は、底に残る人懐っこい温かさで辛うじて本人と分かる以外は酷く押し殺されていて、まるで患者に余命幾許(いくばく)もないと宣告する医者の様に重たかった。」
ご指摘を受けて、この部分を張勇俊の発言と炳の台詞の間に入れました。
前に橘さんからもいただいた感想でこの部分の構成には問題があると感じていたので、ナツさんのご提案が修正する上でのヒントになりました。どうもありがとうございます。
張勇俊と朴正炳についてはキャラクターの性格上、どちらも「僕」という一人称で通さざるを得なかったのですが(特に朴正炳は張勇俊より年下なので、二人の会話の上であまりぞんざいな口調にさせるわけにいかないので)、確かに分かりづらいですよね。
「ノルウェイの森」の出演時に張勇俊は朴正炳からかけてもらった言葉で救われたのに、朴正炳自身のアイデンティティの危機に対して張勇俊は救えなかった。
そうした運命の皮肉を読み取っていただけたのも書き手としては嬉しいです。
ちなみに役作りで書いたラブレターのくだりは、実際にある女優さんが役作りをする上で役の人物としての日記を書いて、台本にはない過去のエピソードも自分で考えて織り込んでいた、という記事を以前に読んだのがヒントになっています(モデルにした俳優さんたちもそういう役作りをしたかは不明です)。
稚拙な感想なんてとんでもない。
こんなに丁寧に読み込んでいただいた上に「すごく良かった」とおっしゃっていただけて、作者冥利に尽きます。
それでは、また。
拙作へのご高覧及びご感想ありがとうございます。
「せっかく完成させた発表したけど、この作品はどうも反応が薄いみたいだ……」と落ち込んでいたので、とても嬉しいです。
私も「冬のソナタ」を始めとする韓流ブームに対しては今ひとつ入り込めないものを覚えていたので、敢えてそうした視点から本編を書きました。
「韓流スター」というタイトルではあっても、内容としてはむしろ「アンチ韓流」というか、ブームそのものを突き放して眺める方向性で。
「耳の奥で、先週の夜の、ちょうど日付が変わる頃に、枕元で鳴った携帯電話の着信音の響きが蘇る。
久し振りに回線越しに耳にした炳の声は、底に残る人懐っこい温かさで辛うじて本人と分かる以外は酷く押し殺されていて、まるで患者に余命幾許(いくばく)もないと宣告する医者の様に重たかった。」
ご指摘を受けて、この部分を張勇俊の発言と炳の台詞の間に入れました。
前に橘さんからもいただいた感想でこの部分の構成には問題があると感じていたので、ナツさんのご提案が修正する上でのヒントになりました。どうもありがとうございます。
張勇俊と朴正炳についてはキャラクターの性格上、どちらも「僕」という一人称で通さざるを得なかったのですが(特に朴正炳は張勇俊より年下なので、二人の会話の上であまりぞんざいな口調にさせるわけにいかないので)、確かに分かりづらいですよね。
「ノルウェイの森」の出演時に張勇俊は朴正炳からかけてもらった言葉で救われたのに、朴正炳自身のアイデンティティの危機に対して張勇俊は救えなかった。
そうした運命の皮肉を読み取っていただけたのも書き手としては嬉しいです。
ちなみに役作りで書いたラブレターのくだりは、実際にある女優さんが役作りをする上で役の人物としての日記を書いて、台本にはない過去のエピソードも自分で考えて織り込んでいた、という記事を以前に読んだのがヒントになっています(モデルにした俳優さんたちもそういう役作りをしたかは不明です)。
稚拙な感想なんてとんでもない。
こんなに丁寧に読み込んでいただいた上に「すごく良かった」とおっしゃっていただけて、作者冥利に尽きます。
それでは、また。
- 吾妻栄子
- 2014年 05月26日 18時41分
[良い点]
主人公の独白と、日本の空港から街へ至る道行のテンポがよかったです。マネジャーとの会話もうまく組み込まれていて、一人称の短編においてお手本にしたいと思えました。
図らずしも韓流スターになってしまった俳優の胸の内がリアルでした。
ヒット作「雪のメロディ」の内容に対するクールな評価も面白かったです。私もモデルになった(?)ドラマを完全に観ていたわけではないのですが、おおむね、主人公と同じような感想を持ちました。
[気になる点]
終盤のインタビューに炳のセリフが重なってゆくシークエンスはとても素晴らしいのですが、主人公がそれをどうして知ったのかという点が少し引っかかりました。「自殺前夜の電話」ということでしょうか?
[一言]
韓流ブームとは対照的な二つの国の隔たりが、ひとりのスターの死によって象徴的に描かれていました。韓流ドラマに熱狂した日本人が、では個人レベルで彼の国の人とフラットにつき合えるかというと、また別の問題になるのですよね。悲しいことではありますが。
主人公がほぼ傍観者で、一歩引いた所から自分を含めた状況を眺めているのもよかったです。欲を言えば、もっと生々しい彼の心情(日本でちやほやされることについて本当はどう思っているのか? 反日感情はないのか?)が読みたい気もしますが、そこを描きすぎるとテーマが変わりそうなので難しいところですね。
自分ではどうしようもない出生からくる自己否定と欺瞞に押しつぶされた炳の姿は、決して特殊なものではないように思えます。誰もが抱えうるアイデンティティの問題で、だからこそこの作品の内容を身近に感じることができました。
>君には君だから万金の価値があると、君は掛け替えのない存在だと、どうして言ってやれなかったんだろう。
終盤のこの一文がすべての答えになっているようです。心からこう言ってくれる人間が一人でもいれば、少なくとも自ら命を絶つことはなかったのでしょうね。
主人公の独白と、日本の空港から街へ至る道行のテンポがよかったです。マネジャーとの会話もうまく組み込まれていて、一人称の短編においてお手本にしたいと思えました。
図らずしも韓流スターになってしまった俳優の胸の内がリアルでした。
ヒット作「雪のメロディ」の内容に対するクールな評価も面白かったです。私もモデルになった(?)ドラマを完全に観ていたわけではないのですが、おおむね、主人公と同じような感想を持ちました。
[気になる点]
終盤のインタビューに炳のセリフが重なってゆくシークエンスはとても素晴らしいのですが、主人公がそれをどうして知ったのかという点が少し引っかかりました。「自殺前夜の電話」ということでしょうか?
[一言]
韓流ブームとは対照的な二つの国の隔たりが、ひとりのスターの死によって象徴的に描かれていました。韓流ドラマに熱狂した日本人が、では個人レベルで彼の国の人とフラットにつき合えるかというと、また別の問題になるのですよね。悲しいことではありますが。
主人公がほぼ傍観者で、一歩引いた所から自分を含めた状況を眺めているのもよかったです。欲を言えば、もっと生々しい彼の心情(日本でちやほやされることについて本当はどう思っているのか? 反日感情はないのか?)が読みたい気もしますが、そこを描きすぎるとテーマが変わりそうなので難しいところですね。
自分ではどうしようもない出生からくる自己否定と欺瞞に押しつぶされた炳の姿は、決して特殊なものではないように思えます。誰もが抱えうるアイデンティティの問題で、だからこそこの作品の内容を身近に感じることができました。
>君には君だから万金の価値があると、君は掛け替えのない存在だと、どうして言ってやれなかったんだろう。
終盤のこの一文がすべての答えになっているようです。心からこう言ってくれる人間が一人でもいれば、少なくとも自ら命を絶つことはなかったのでしょうね。
橘さん
ご感想どうもありがとうございます。心待ちにしていました。
相変わらず丁寧な読み込みで書き手としては感に堪えません。
「お手本にしたい」とまでおっしゃっていただけるなんて。
主人公の独白とエピソードの時系列の組み合わせについては苦労した点なので、テンポ良く感じられたのであれば嬉しいです。
私も「冬のソナタ」はちゃんと全編を通して観た訳ではありませんが、「視聴者が覚えたような違和感は、実は演じている本人が一番強く感じているのではないか」と感じたことから、敢えて作中の主人公にも出演作品に突き放した評価をさせました。
加えて、「自分としては苦心した作品は不発に終わり、必ずしも最高とは思えない作品が脚光を浴びる」という皮肉も織り交ぜたつもりです。
ご賢察の通り、終盤の張勇俊でのインタビューでの発言に重なっていく炳の発言は自殺前夜の電話でのものです。
ただ、「この構成はちょっと分かりづらいかな?」と書き手としても感じていたことですので、この点に関しては実際に修正できるかどうかは別としてもう少し考えてみます。
「ヨン様」に熱狂した日本のおば様方にしても、娘時代や適齢期に躊躇なく韓国人男性を現実的な恋愛や結婚の相手に考えられたかと言えば、恐らく違うでしょうね。
日本人女性ユカリが韓国人男性朴淳恒(パク・スンハン)と結ばれ、韓国で息子の正炳(ジョンビョン)を産んだのは、1970年代後半から1980年代初頭と思われます。
ちなみに、在日韓国人の文世光(ムン・セガン)が当時の朴正煕大統領夫人を暗殺したのは1974年であり、また、北朝鮮の美人スパイ金賢姫(キム・ヒョンヒ)が日本人「蜂谷真由美」を装って大韓航空機を爆破したのは1987年でした。
もともとの反日的な体制にこうした時勢が加われば、日本人女性が韓国人男性の妻として韓国で生活するのは針の筵であったことは想像に難くありません。
そもそも韓国は「スパイ」を意味する「間諜(カンチョプ)」という言葉を幼児でも知っている準戦時体制の国家です。
夫の淳恒が無名でいる限りは、二人の愛情で乗り切れても、彼が著名人になり、息子の正炳が成長してくれば、日本人女性が妻として母として存在する一家への風当たりは強くなります。
幼かった息子の炳の視点でユカリの死は「周囲から白眼視され、父親とも不仲になったので自殺した」と捉えられていますが、一面では自分の存在が夫や息子の社会的障害になる将来を悲観しての自殺とも考えられます。
張勇俊については彼も反日教育を受けた世代であり、また、韓流スターというある意味、歪な立場にいる人間ではありますが、物語の開始時点で正炳の告白とその死を受けた状態なので、彼本人の反日感情や日本人への敵意を全面に打ち出すことは避けました。
代わりに、マネジャーの崔長鎬にその役割を与えました。
50代~60代の崔と朴淳恒は劇中でもそれぞれ表舞台での挫折を強いられて息子世代をサポートする裏方に回っていますが、韓流ブームにおいても若いイケメン俳優がメインであって、さすがにこの世代の俳優さんたちは「韓流スター」という扱いにはなりませんよね。
韓国がある程度豊かになってから生まれた張勇俊や朴正炳に対し、この父親世代は朝鮮戦争の傷跡の色濃く残る時代の貧しい韓国に生まれ、文化的に強く遮断された環境で反日教育を受け、その一方でキーセン観光で訪れる日本人が同胞の女性を買う屈辱的な青年期を経ています(韓国人女性を買う日本人男性の姿は、少年時代の勇俊や正炳にも暗い影を落としているには違いありませんが……)。
朴淳恒に関しては「真相を知るが故に自他に欺瞞を強いる」役割を与えましたが、崔長鎬に関しては「真相から隔てられているが故に結果的に自他に欺瞞を強いる」役割を与えました。
したたかに処世しているようで、青年時代に見掛けた美女が実は自分の忌み嫌う日本人であることも(ちなみに明洞は日本の銀座に該当するような街です)、朴父子の苦悩も、炳の死の真相も、彼は最後まで知ることはありません。
炳が押し潰されていった過程には、崔のような生粋の韓国人がほぼ無意識のレベルで発する日本や日本人への悪意も影響しているはずです。
>君には君だから万金の価値があると、君は掛け替えのない存在だと、どうして言ってやれなかったんだろう。
張勇俊が炳に対して友情を抱いていながら言えなかったのは、彼もまた韓国社会に生まれ育った、生粋の韓国人だからなのです。
炳が救いや引き止めを求めて張に電話したのか、それとも絶望を分かち合いたかったのかは書き手としても色々想像していただきたいところです。
ご感想どうもありがとうございます。心待ちにしていました。
相変わらず丁寧な読み込みで書き手としては感に堪えません。
「お手本にしたい」とまでおっしゃっていただけるなんて。
主人公の独白とエピソードの時系列の組み合わせについては苦労した点なので、テンポ良く感じられたのであれば嬉しいです。
私も「冬のソナタ」はちゃんと全編を通して観た訳ではありませんが、「視聴者が覚えたような違和感は、実は演じている本人が一番強く感じているのではないか」と感じたことから、敢えて作中の主人公にも出演作品に突き放した評価をさせました。
加えて、「自分としては苦心した作品は不発に終わり、必ずしも最高とは思えない作品が脚光を浴びる」という皮肉も織り交ぜたつもりです。
ご賢察の通り、終盤の張勇俊でのインタビューでの発言に重なっていく炳の発言は自殺前夜の電話でのものです。
ただ、「この構成はちょっと分かりづらいかな?」と書き手としても感じていたことですので、この点に関しては実際に修正できるかどうかは別としてもう少し考えてみます。
「ヨン様」に熱狂した日本のおば様方にしても、娘時代や適齢期に躊躇なく韓国人男性を現実的な恋愛や結婚の相手に考えられたかと言えば、恐らく違うでしょうね。
日本人女性ユカリが韓国人男性朴淳恒(パク・スンハン)と結ばれ、韓国で息子の正炳(ジョンビョン)を産んだのは、1970年代後半から1980年代初頭と思われます。
ちなみに、在日韓国人の文世光(ムン・セガン)が当時の朴正煕大統領夫人を暗殺したのは1974年であり、また、北朝鮮の美人スパイ金賢姫(キム・ヒョンヒ)が日本人「蜂谷真由美」を装って大韓航空機を爆破したのは1987年でした。
もともとの反日的な体制にこうした時勢が加われば、日本人女性が韓国人男性の妻として韓国で生活するのは針の筵であったことは想像に難くありません。
そもそも韓国は「スパイ」を意味する「間諜(カンチョプ)」という言葉を幼児でも知っている準戦時体制の国家です。
夫の淳恒が無名でいる限りは、二人の愛情で乗り切れても、彼が著名人になり、息子の正炳が成長してくれば、日本人女性が妻として母として存在する一家への風当たりは強くなります。
幼かった息子の炳の視点でユカリの死は「周囲から白眼視され、父親とも不仲になったので自殺した」と捉えられていますが、一面では自分の存在が夫や息子の社会的障害になる将来を悲観しての自殺とも考えられます。
張勇俊については彼も反日教育を受けた世代であり、また、韓流スターというある意味、歪な立場にいる人間ではありますが、物語の開始時点で正炳の告白とその死を受けた状態なので、彼本人の反日感情や日本人への敵意を全面に打ち出すことは避けました。
代わりに、マネジャーの崔長鎬にその役割を与えました。
50代~60代の崔と朴淳恒は劇中でもそれぞれ表舞台での挫折を強いられて息子世代をサポートする裏方に回っていますが、韓流ブームにおいても若いイケメン俳優がメインであって、さすがにこの世代の俳優さんたちは「韓流スター」という扱いにはなりませんよね。
韓国がある程度豊かになってから生まれた張勇俊や朴正炳に対し、この父親世代は朝鮮戦争の傷跡の色濃く残る時代の貧しい韓国に生まれ、文化的に強く遮断された環境で反日教育を受け、その一方でキーセン観光で訪れる日本人が同胞の女性を買う屈辱的な青年期を経ています(韓国人女性を買う日本人男性の姿は、少年時代の勇俊や正炳にも暗い影を落としているには違いありませんが……)。
朴淳恒に関しては「真相を知るが故に自他に欺瞞を強いる」役割を与えましたが、崔長鎬に関しては「真相から隔てられているが故に結果的に自他に欺瞞を強いる」役割を与えました。
したたかに処世しているようで、青年時代に見掛けた美女が実は自分の忌み嫌う日本人であることも(ちなみに明洞は日本の銀座に該当するような街です)、朴父子の苦悩も、炳の死の真相も、彼は最後まで知ることはありません。
炳が押し潰されていった過程には、崔のような生粋の韓国人がほぼ無意識のレベルで発する日本や日本人への悪意も影響しているはずです。
>君には君だから万金の価値があると、君は掛け替えのない存在だと、どうして言ってやれなかったんだろう。
張勇俊が炳に対して友情を抱いていながら言えなかったのは、彼もまた韓国社会に生まれ育った、生粋の韓国人だからなのです。
炳が救いや引き止めを求めて張に電話したのか、それとも絶望を分かち合いたかったのかは書き手としても色々想像していただきたいところです。
- 吾妻栄子
- 2014年 05月08日 23時32分
[一言]
私の記憶している「韓国」という国家? は、昔は中高年男性の買春ツアーで成り立っている場所でした。時間が経つと、こちら側の価値観も変わるものですね。広報戦略もあると思いますけど。
私の記憶している「韓国」という国家? は、昔は中高年男性の買春ツアーで成り立っている場所でした。時間が経つと、こちら側の価値観も変わるものですね。広報戦略もあると思いますけど。
確かに1980年代~1990年代まではレンタルビデオ店に行っても、中華圏はジャッキー・チェンや周潤發(チョウ・ユンファ)のアクションシリーズ、あるいはレスリーやジョイ・ウォンの幽霊シリーズ、あるいはキョンシーシリーズなど個性豊かでした。
これに対して韓国映画というと、そもそもの数が少ない上に、パッケージを見ると、チマ・チョゴリに目張りを入れた妙齢の美人女優が艶笑して濡れ場を演じる、はっきり言えばポルノ風の装丁を施された作品が目立ちました。
多分、これも当時の中高年男性をターゲットにしたキーセン観光と連動する、一種の広報戦略だったのでしょうね。
2000年代に入って「冬のソナタ」がヒットしていわゆる「韓流ブーム」が始まると、今度はイケメン俳優の純愛ロマンスがメインになりました。
こちらは良く言われるように、中高年女性をターゲットにしたマーケティングでしょうね。
その後はK-POPとして韓国のアイドルグループも進出して来ましたが、こちらは恐らく本来は国内のアイドルグループに熱狂する若年層を取り込もうとしての戦略でしょう(こちらは国内の競合相手の基盤が強いせいか、『ヨン様』レベルの成功には至っていない観もありますけど)。
ただ、こうしたメディア戦略とは別に草の根レベルで日韓の本当の友好や親善が進んでいるかというと、どうもそうとは言いかねる気がします。
むしろ、キーセン観光が流行った頃より、インターネットのような新興メディアが普及した現在の方が、相互の情報が伝わりやすい分、不信や敵愾心を煽る動きが加熱しやすい印象すら受けます。
これに対して韓国映画というと、そもそもの数が少ない上に、パッケージを見ると、チマ・チョゴリに目張りを入れた妙齢の美人女優が艶笑して濡れ場を演じる、はっきり言えばポルノ風の装丁を施された作品が目立ちました。
多分、これも当時の中高年男性をターゲットにしたキーセン観光と連動する、一種の広報戦略だったのでしょうね。
2000年代に入って「冬のソナタ」がヒットしていわゆる「韓流ブーム」が始まると、今度はイケメン俳優の純愛ロマンスがメインになりました。
こちらは良く言われるように、中高年女性をターゲットにしたマーケティングでしょうね。
その後はK-POPとして韓国のアイドルグループも進出して来ましたが、こちらは恐らく本来は国内のアイドルグループに熱狂する若年層を取り込もうとしての戦略でしょう(こちらは国内の競合相手の基盤が強いせいか、『ヨン様』レベルの成功には至っていない観もありますけど)。
ただ、こうしたメディア戦略とは別に草の根レベルで日韓の本当の友好や親善が進んでいるかというと、どうもそうとは言いかねる気がします。
むしろ、キーセン観光が流行った頃より、インターネットのような新興メディアが普及した現在の方が、相互の情報が伝わりやすい分、不信や敵愾心を煽る動きが加熱しやすい印象すら受けます。
- 吾妻栄子
- 2014年 04月29日 15時43分
感想を書く場合はログインしてください。