エピソード39の感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
[良い点]
勉強になります 。
[気になる点]
⑴ モンゴル弓騎兵は、ヨーロッパの騎士団やイスラム教徒との衝突で、毒矢を使ったのでしょうか?
〉元寇で侵攻軍は、毒を塗った短い矢を日本で使ったのは、たしかなようです。
ただしーー かすり傷でも効果があった、という話がある一方。毒矢で実際に死傷した武士の名や死傷者の数はどうもはっきりしない(それほどいない?)ようで。毒の効果は(長旅で劣化して?)それほど強くなかった、あるいは、毒矢の本数は少なかった( 限られた部隊だけ使った?)、という「推測」もありました。

〉ジンギスカン自身が、戦場で敵の毒矢で射たれたこともあったそうで……モンゴルの弓騎兵が毒矢を使うことは、ごく普通だったのでしょうか。

〉ただ、ヨーロッパの騎士団や城兵が、モンゴルの毒矢で被害を受けたという話はとくに聞きません(…文献を専門的に調べたわけではありませんが)。
もしも、モンゴル弓騎兵が毒を使っていれば、卑劣・残忍と、欧米の歴史家でことさら取り上げる気もします。なにかご存知でしょうか?


⑵ この「投石器」は、カタパルト(catapult)の「投石機」がよいかと思います。
→ ■ … 加えて、早い時期にイスラム圏との接触によって入手した「投石器」もモンゴル軍は活用して野戦だけで無く、攻城戦でも有効に活用している。
[一言]
Wikiより
【カタパルト(英: Catapult)は、石などを投擲して敵の人馬もしくは城などの建築物を標的とし射出攻撃する兵器(攻城兵器)である。】

【日本では、律令期に、抛石(ほうせき)、現代では、投石機(とうせきき)、あるいは投石器とも表記される。後者のように表記すれば、Y字型の投石器(スリングショット、ぱちんこ)や紐状の投石器(スリング)と同じ表記となり、しばしば両者が混同される原因ともなっている】
K John・Smithさん

 大変鋭いご指摘が多く、明確にお答えできるだけの十分な資料を持っておりません。

 モンゴル軍は遠征軍を組織する場合、近隣諸国との混成軍で編成するケースが多く、第一次元寇の際も高麗軍と中国北部に居住する契丹人、女真人、高麗人にモンゴル人を加えた混成軍で編成しているようです。

 その為、ご指摘のように
   『元寇で侵攻軍は、毒を塗った短い矢を日本で使ったのは、
    たしかなようです』
 が、どの部隊が使用したのかは不分明です。

 また、当時世界中の軍隊が毒矢を用いるのは一般的で、日本のように毒矢を使用しない民族は少なかったようですので、ヨーロッパ人がモンゴル軍に関して毒矢の件を特記してない可能性があります。


 カタバルトの表記に関しては、色々と悩みましたが、おっしゃるように『投石機』が良かったのかもしれません。
 この時モンゴル軍が使用した投石機は旧金軍から捕獲した機材とされており、もしかしたら降伏した金軍による操作・投擲の可能性も否定できないと思います。

 大変有益なご指摘をありがとうございました。勉強不足を反省しております。
 ご教示の御礼まで。


                    河井正博
[一言]
確か、鎌倉時代の源氏系の武士は分類的には弓騎兵に分類されてなかったかな?騎馬運用の突撃しつつ、流鏑馬のような射撃術で騎乗射撃使っていたという感じで絵巻に会った記憶があると思うんだが
相沢洋孝様

 大変鋭いご指摘に感心いたしました.


 確かに鎌倉期の武士達の合戦での動きは「弓射騎兵」に分類できると思います。「蒙古襲来絵詞」を拝見すると特にその印象は強いです。


 実は、次稿でその点に少し触れようかと思っておりますので、お待ちください。


 お指摘の御礼まで!


                  河井正博
↑ページトップへ