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[一言]
上を向いて歩こう、という唄もありましたが…本質を見誤ると、見える筈の物事も見えなくなるかも。

むかし、活動写真の流行り始め。人々は銀幕の裏に何か隠れているのだろうと殺到しました。
テレビジョンが普及し始めると、中から小人が出て来ないように、扉をつけたりカーテンや緞帳の様な布でブラウン管を隠しました。

地平線や水平線は確かに見えますが、辿り着くことは不可能です。
遠くに見える蜃気楼も同じで、確かに目に映ってもその場に行けば実際には存在しません。風景そのものは存在しますが、像を結んだ所には無いのです。


月に兎が居ないとは断言できませんが、科学的に考えると「見え方が違う」筈ですね。
惑星や衛星の表面で活動しているなら、スクリーンに映ってるような横からの姿ではなく、頭上から見下ろした視点になるでしょうし。
月面にストリートビューが対応してるなら別ですが(笑)


月に行く浪漫を捨てる必要はないでしょうけど、餅つきをしてる兎を求めるならば、他の何かを探すべきでは?と愚考します。
スクリーンの謎を解くより映写機を探し出し撮影者を訪ねる方が、兎に逢える可能性は高いのではないでしょうか。


私の知ってる月には、巨大なハートマークの内側に男女の名前が書いてあったりしますが、それは別の話でしょう(笑)

実際に月に行って兎かと思ったら“耳長族”だったりして。
  • 投稿者: 退会済み
  • 男性
  • 2015年 04月07日 22時25分
管理
小説でもない単なるエッセイに感想を書いていただき、ありがとうございます。

>>スクリーンの謎を解くより映写機を探し出し撮影者を訪ねる方が、兎に逢える可能性は高いのではないでしょうか。

そうですね。世の中のすべては自分の心という映写機が映し出したものという考え方がありますので、自らの心を見つめるほうがよろしいのかもしれません。

心に存在する価値観、ものの見方、意味づけ、それらのものが現実を作り出しています。

小説でも、万人にとって面白い小説というものは無く、『その人にとっては、その人の価値観により、それが面白いと思える小説はある』ということでしょうか。

他人という存在もそうです。万人にとり悪人、善人、変人、聖人というものはなく、『ある人の価値観により、その人は○人と認識される』ということでしょう。

月にうさぎがいるかどうか。それもまた私の認識によるところが大きいのでしょう。私が、『月にはうさぎが餅をついている現実が存在する』と認識している限りにおいては、それは現実なのでしょう。

私の心という映写機が映し出した外部の世界こそ現実であるならば、現実を見ることがイコール心を見つめることであり、心を見つめることがイコール現実を見つめることでもあるということだと思います。

いま、私が小説を書いているのは、心を見つめる為でもあるのかもしれません。


>>実際に月に行って兎かと思ったら“耳長族”だったりして。

うむ。ラビ君は可愛いとおもいます。
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