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[良い点]
現実の中で生きている人間が創作している以上、どんな作品も最終的には現実との接点を持つのでしょうが、「現代社会の問題を浮き彫りにする」だとか「これこそ今の若者のリアル」とか、なんでもかんでも現実に結び付けるのは勘弁してほしいものですね。
レイブンさん、感想ありがとうございます。

そうなんですよね。「現代社会の問題を浮き彫りにする」とか、もう勘弁して欲しいです。
作者や監督にその意図があったとしても、そう読んだり観たりするかは受け手の自由。広告屋、評論家ごときに決めつけて欲しくないみたいな(笑。

とは言え、ニール・ブロムカンプ監督の作品には、「やっぱり南ア育ちの影響か?」と穿ってしまうわけですが。
ブロムカンプ監督の場合、「影響」というよりも、むしろ問題を問う視点・視線になっていて、それを「南ア育ちだから」と言ってしまうのは、問われている問題を見失ってしまいかねないかもしれません。

ともあれ、感想ありがとうございました。
[一言]
自分が考えていたようなことを書かれているのを見て、ああ、万人に共通の感覚なんだなあと安心しました。やはり作品そのものを論じるべきだよなあ、と思います。

しかしその一方で作者が現代を描くために作品を描いている場合はどうなのだろうか、と考えてしまいました。
故伊藤計劃氏自身がどこかで「結局は現代を書いているんだよなあ」と自身の作品を振り返っている文章を見た覚えがあるので、気になりました。
  • 投稿者: 犬井作
  • 2015年 06月07日 13時30分
感想、ありがとうございます。
同じように思っている方がいるということは、嬉しいことです。

>「結局は現代を書いているんだよなあ」

これは、この言葉の意味次第であろうと思いますし、
その意味は作品によって違っているだろうとも思います。

もちろん、texte, webと言っても現代や現実を無視するわけではありません。
なぜなら、文字情報だけに限っても、新聞などがあるのですし、
texte, webでも文字情報に限らないのですけから。

ただ、はじめから「現代」や「現実」に着地させようという評論は、
どこかが違うだろうと思います。
著者の「現代」や「現実」は、作品の背景の一部であろうと思います。
そのため、「現代」、「現実」に着地させようとするのであれば、
著者が持っている部分のtexte, webを構成する様々な要素における
「現代」、「現実」を論じ(それはそのままその作品に何らかの反映が
あるはずですから)、その上で作品の「現代」、「現実」に着地させる
必要があると思います。
それなしに、「現代」、「現実」に着地させようというのは、
「逃げている」ように感じます。
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