感想一覧
▽感想を書く感想絞り込み
[気になる点]
最新話の二を読んで、この時代の人が『春秋』や五覇のことを引き合いに出すのはおかしいのではないかと思って調べてみると、実際にこの二人の説得って『史記』に乗っていて驚きました。
まさに呉越戦争の話が『春秋』に記載されていたり、五覇という語の初出が『孟子』であり、解釈によっては夫差自身が五覇の一人であることなどを考えたら伯嚭の発言は不自然なので、おそらくこの辺りは司馬遷の筆によるものだと思われます。それをそのまま使うと、春秋時代らしさが損なわれるのではないか、と感じました。
[一言]
最新話、拝読させていただきました。
佞臣が朝廷で幅を利かせ、伍子胥のような憂国の臣が疎んじられているという不条理がひしひしと伝わってきて、読んでいて悲しくなってきました。自分は、明らかな史実を捻じ曲げ、捏造する類の歴史小説は好きではないので、伍子胥の運命については、悲しいと思いつつも避けられないと思ってこの小説を読んでいます。なので、伍子胥の最期を野沢さんがどのように描かれるかを楽しみにしております。
最新話の二を読んで、この時代の人が『春秋』や五覇のことを引き合いに出すのはおかしいのではないかと思って調べてみると、実際にこの二人の説得って『史記』に乗っていて驚きました。
まさに呉越戦争の話が『春秋』に記載されていたり、五覇という語の初出が『孟子』であり、解釈によっては夫差自身が五覇の一人であることなどを考えたら伯嚭の発言は不自然なので、おそらくこの辺りは司馬遷の筆によるものだと思われます。それをそのまま使うと、春秋時代らしさが損なわれるのではないか、と感じました。
[一言]
最新話、拝読させていただきました。
佞臣が朝廷で幅を利かせ、伍子胥のような憂国の臣が疎んじられているという不条理がひしひしと伝わってきて、読んでいて悲しくなってきました。自分は、明らかな史実を捻じ曲げ、捏造する類の歴史小説は好きではないので、伍子胥の運命については、悲しいと思いつつも避けられないと思ってこの小説を読んでいます。なので、伍子胥の最期を野沢さんがどのように描かれるかを楽しみにしております。
伯魯さま、ご感想ありがとうございます。
ご指摘の件ですが、「春秋」という概念について……こちらの文面は、資料にあるものをほぼそのまま引用しております。確かに当時の人々が自分たちの生きた時代を「春秋時代」と呼ぶことはなかったでしょうし、元号もない時代でしたから、単純にこれは書物としての「春秋」を指しているのだ、と解釈しております。
ではどの程度当時の人々がこの書物を知っていたか、ということになるかと思うのですが、私としては、資料の中にこの台詞が存在するということは、孔子が「春秋」を書いて、それが当時の世界でセンセーショナルな受け止め方をされたということなのではないか、と考えました。だから、ある程度のレベルの人なら「春秋」という語を使うこともあるのかもしれない、とやや不安げな確信(変な日本語ですね)を持って、そのまま引用した次第です。
でも、確かに微妙ですよね。孔子がどのタイミングで「春秋」を書いたかもわかりませんし、そもそも孔子の作だという説自体があやしく、説によっては孟子が作者だったりします。怪しいことは表現を避けた方がよかったかもしれません。もし改稿の機会がありましたら、考えようかと思います。
また、「五覇」という表現について……一般的な解釈だと夫差は五覇のひとりなのですが、桓公や襄公の名も挙がっているので、当時の人々も彼らを「覇者」として数えたことは間違いがないのではないか、と考えます。越王勾践も五覇のひとりと数えるのが通例ですが、この時点ではまだ覇者とはなっておりませんので、一般的な解釈ですと、まだこの時点で天下の覇者は四人しか存在していないことになります。が、そこは宋の襄公を数えるとして、夫差が五人目ということかなあと。
「五覇」という表現自体が当時の世界にあったかどうか、については確証がないので、不自然な感じは抱かれるかもしれません。また、「覇者」という概念があったかどうかさえも……。そう考えると、物語にするにあたって不安がつきないので、ここは当時の人々の会話の中では、そういう表現もあったのではないか、と思い、やはりそのまま引用しました。「孟子」の中にある記載は、当時すでにあった概念を記載したのではないかと……いや、本当のところは、よくわかりません(笑)。
言い訳がましい返信となってしまいましたが、ご指摘の部分は確かに怪しいところです。再三活動報告などで記事にさせてもらっていますが、こちらの小説を書くのに苦労しているのは、そのような点が多いことも一因としてありまして……にも関わらず、応援していただけることに感謝いたします。誠にありがとうございます。
これからも末永くお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。また、返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
ご指摘の件ですが、「春秋」という概念について……こちらの文面は、資料にあるものをほぼそのまま引用しております。確かに当時の人々が自分たちの生きた時代を「春秋時代」と呼ぶことはなかったでしょうし、元号もない時代でしたから、単純にこれは書物としての「春秋」を指しているのだ、と解釈しております。
ではどの程度当時の人々がこの書物を知っていたか、ということになるかと思うのですが、私としては、資料の中にこの台詞が存在するということは、孔子が「春秋」を書いて、それが当時の世界でセンセーショナルな受け止め方をされたということなのではないか、と考えました。だから、ある程度のレベルの人なら「春秋」という語を使うこともあるのかもしれない、とやや不安げな確信(変な日本語ですね)を持って、そのまま引用した次第です。
でも、確かに微妙ですよね。孔子がどのタイミングで「春秋」を書いたかもわかりませんし、そもそも孔子の作だという説自体があやしく、説によっては孟子が作者だったりします。怪しいことは表現を避けた方がよかったかもしれません。もし改稿の機会がありましたら、考えようかと思います。
また、「五覇」という表現について……一般的な解釈だと夫差は五覇のひとりなのですが、桓公や襄公の名も挙がっているので、当時の人々も彼らを「覇者」として数えたことは間違いがないのではないか、と考えます。越王勾践も五覇のひとりと数えるのが通例ですが、この時点ではまだ覇者とはなっておりませんので、一般的な解釈ですと、まだこの時点で天下の覇者は四人しか存在していないことになります。が、そこは宋の襄公を数えるとして、夫差が五人目ということかなあと。
「五覇」という表現自体が当時の世界にあったかどうか、については確証がないので、不自然な感じは抱かれるかもしれません。また、「覇者」という概念があったかどうかさえも……。そう考えると、物語にするにあたって不安がつきないので、ここは当時の人々の会話の中では、そういう表現もあったのではないか、と思い、やはりそのまま引用しました。「孟子」の中にある記載は、当時すでにあった概念を記載したのではないかと……いや、本当のところは、よくわかりません(笑)。
言い訳がましい返信となってしまいましたが、ご指摘の部分は確かに怪しいところです。再三活動報告などで記事にさせてもらっていますが、こちらの小説を書くのに苦労しているのは、そのような点が多いことも一因としてありまして……にも関わらず、応援していただけることに感謝いたします。誠にありがとうございます。
これからも末永くお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。また、返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
- 野沢直樹
- 2016年 02月08日 23時53分
[良い点]
人物の描き分けが上手にされている。文章が読みやすい。
[気になる点]
呉の王位継承の複雑さについての説明が、いささか淡泊過ぎると感じました。自分は事情を知っているので脳内で補完して読んでいましたが、御存じでない方には、何故闔閭と僚が互いに自分を正統だと思っている背景については、ある程度詳細に書いたほうがよいのでは、と感じました。
[一言]
始めまして、伯魯と申します。
最新話まで拝読させていただきました。自分はこの頃の中国も、呉楚や呉越の戦いも好きなので、そのこともあって、楽しく読ませていただきました。
伍子胥が復讐一直線の人物であったり、申包胥がこの頃の人には珍しい感性の持ち主であったりと、野沢さんの春秋時代の解釈は自分のそれとは異なるものであったので、こういう見方もあるのだと思いました。
特に、孫武の描き方は、しっくりくるなと感じました。『孫子』兵法の根本は戦争をしないことであるのに、『孫子』を広く流布するためには将軍として名声を挙げなければいけないという苦悩を抱えている姿を見ると、この時代の諸子百家はこのように、理想と現実の矛盾に苦しんでいたのだろうな、という思いがしました。
人物の描き分けが上手にされている。文章が読みやすい。
[気になる点]
呉の王位継承の複雑さについての説明が、いささか淡泊過ぎると感じました。自分は事情を知っているので脳内で補完して読んでいましたが、御存じでない方には、何故闔閭と僚が互いに自分を正統だと思っている背景については、ある程度詳細に書いたほうがよいのでは、と感じました。
[一言]
始めまして、伯魯と申します。
最新話まで拝読させていただきました。自分はこの頃の中国も、呉楚や呉越の戦いも好きなので、そのこともあって、楽しく読ませていただきました。
伍子胥が復讐一直線の人物であったり、申包胥がこの頃の人には珍しい感性の持ち主であったりと、野沢さんの春秋時代の解釈は自分のそれとは異なるものであったので、こういう見方もあるのだと思いました。
特に、孫武の描き方は、しっくりくるなと感じました。『孫子』兵法の根本は戦争をしないことであるのに、『孫子』を広く流布するためには将軍として名声を挙げなければいけないという苦悩を抱えている姿を見ると、この時代の諸子百家はこのように、理想と現実の矛盾に苦しんでいたのだろうな、という思いがしました。
伯魯さま、ありがとうございます。実を言うとこちらの「春秋の光と影」には自分の中で苦労している感がありますので、ご感想をいただけたことは大きな励みとなります。大変ありがとうございます。
登場人物の性格付けの件ですが……史記の「伍子胥列伝」からそれを得ようとすると、なかなか難しい面があります。副次的なエピソードが少なく、あるのは伍子胥が怒った場面ばかりなのです。
以前活動報告の欄にも書かせていただいたことなのですが、「伍子胥列伝」の中で伍子胥が激情を示した場面は、たった三度に過ぎません。伍奢と伍尚を連れ去られ、自分も連れ去られそうになった際、使者を逆に脅した場面、復讐の相手がすでに亡く、死体を相手にそれを行なった「死者を鞭打つ」の場面、そして死の直前に夫差に対して残した遺言。大きくはこの三つだと思います。
しかし人生で三度くらい激情を示すことぐらいは誰にでもあることで、この三つの記述だけをもとに伍子胥が激情の人であったと断じるのは、私としてはやや短絡的な感じがします。
そう考えては、余計性格付けに苦労している次第です。ましてや申包胥などはほとんど資料となるような記述がなかったので、結果的に自由にやらせていただいた形となりましたが、それこそ申包胥には諸子百家に通じる思想家と軍人の中間的な存在とさせていただいています。具体的に「○○家」とまでは設定していないのですが……。
また、闔閭と僚の関係も難しいですね。説明を入れることはできると言えばできるのですが、この二人に直接問答させるのも変ですし、第三者の目が突然説明口調で入ってくるというのもおかしい。その結果、主に闔閭の台詞の中だけでそれを表現したのですが、充分ではないですね。まあ、書きながら公開していくという形をとると、こんなものかもしれません。
孫武の性格付けにも苦労しましたが、ご共感をいただけたようで、嬉しく思います。確かに孫武は「孫子十三編」の中で、最良なことは戦わぬことである、と記述しておりますので、この記述を彼の思想の根本として設定させていただきました。しかしいわゆる不戦論者とは違いますので、史記の記述の通り、将軍として戦わせなければなりません。そこでああいう……自分の学説の正しさを示すため、実際に戦ってみせる形をとらせていただいた、という経緯です。
苦労しているのですが、まだ続けなければなりません(笑)。越王勾践や呉王夫差も史記の中には突然登場するような形なので……その幼少時代を描いた記述などがあれば楽なのですが。
長くなりましたが、私の中ではウェブ上で発表させていただいている作品は、完全な形ではありませんので、これまでもいただいた意見を参考にどんどん形を変えさせていただいています。今後は一度完結させたあとで、内容を変更することもあろうかと思います。よろしくご支援ください。
本日はどうもありがとうございました。
登場人物の性格付けの件ですが……史記の「伍子胥列伝」からそれを得ようとすると、なかなか難しい面があります。副次的なエピソードが少なく、あるのは伍子胥が怒った場面ばかりなのです。
以前活動報告の欄にも書かせていただいたことなのですが、「伍子胥列伝」の中で伍子胥が激情を示した場面は、たった三度に過ぎません。伍奢と伍尚を連れ去られ、自分も連れ去られそうになった際、使者を逆に脅した場面、復讐の相手がすでに亡く、死体を相手にそれを行なった「死者を鞭打つ」の場面、そして死の直前に夫差に対して残した遺言。大きくはこの三つだと思います。
しかし人生で三度くらい激情を示すことぐらいは誰にでもあることで、この三つの記述だけをもとに伍子胥が激情の人であったと断じるのは、私としてはやや短絡的な感じがします。
そう考えては、余計性格付けに苦労している次第です。ましてや申包胥などはほとんど資料となるような記述がなかったので、結果的に自由にやらせていただいた形となりましたが、それこそ申包胥には諸子百家に通じる思想家と軍人の中間的な存在とさせていただいています。具体的に「○○家」とまでは設定していないのですが……。
また、闔閭と僚の関係も難しいですね。説明を入れることはできると言えばできるのですが、この二人に直接問答させるのも変ですし、第三者の目が突然説明口調で入ってくるというのもおかしい。その結果、主に闔閭の台詞の中だけでそれを表現したのですが、充分ではないですね。まあ、書きながら公開していくという形をとると、こんなものかもしれません。
孫武の性格付けにも苦労しましたが、ご共感をいただけたようで、嬉しく思います。確かに孫武は「孫子十三編」の中で、最良なことは戦わぬことである、と記述しておりますので、この記述を彼の思想の根本として設定させていただきました。しかしいわゆる不戦論者とは違いますので、史記の記述の通り、将軍として戦わせなければなりません。そこでああいう……自分の学説の正しさを示すため、実際に戦ってみせる形をとらせていただいた、という経緯です。
苦労しているのですが、まだ続けなければなりません(笑)。越王勾践や呉王夫差も史記の中には突然登場するような形なので……その幼少時代を描いた記述などがあれば楽なのですが。
長くなりましたが、私の中ではウェブ上で発表させていただいている作品は、完全な形ではありませんので、これまでもいただいた意見を参考にどんどん形を変えさせていただいています。今後は一度完結させたあとで、内容を変更することもあろうかと思います。よろしくご支援ください。
本日はどうもありがとうございました。
- 野沢直樹
- 2015年 11月27日 00時08分
― 感想を書く ―