感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
[1] << Back 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  Next >> [22]
[一言]
大変楽しく読ませていただきました。
語り部の話でいきなりダンバインが出てきたのでおっさん世代としてはどきりとしたり。
私の一押しの語り部主人公の作品と言えば、マイナーな上、出版社が倒産してしまって絶版になってしまっているのがアレですが、神月摩由璃『幾千の夜を超えて』ですね。歌が狂っていく世界で、最後の、そして最初の吟遊詩人の物語です。

そういえば、件のダンバイン、異世界召喚ものであると同時に、転生物でもあるんですよね。それを思い出したと同時に、なろうの転生モノは特殊だなと再確認したり。
異世界に現世の知識を持ったまま生まれかわるというのは、なろうか、なろう出身作家の独特の作風ですよね。(批判しているわけではなくて、面白ければそれでいいと思うのですが)
もともと転生モノというのは、力のある存在がその力を用いて意図的に転生するとかでない限り、記憶などは継承しない物が殆どだったと思います。大抵は、「転生を果たした力ある存在と戦う宿命」を転生という形をとっていた気がします。転生前後の魂は同一でも、人格は別という感じでしょうか。

異世界転移ものの大元って実際何になるのでしょうね。個人的には、新井素子の「扉を開けて」(1981年)などはどうでしょう。

にゃあくんさま 初めまして コメントありがとうございます。

 ドラクエが1986年ですから、よく考えたら、自分がファンタジーに触れたのは、ダンバインの方が先だったのでありました(笑)
(指輪と出会うより、ずっと前に影響受けておりますデス)

 いやもう本当、吟遊詩人主人公って、全然思い浮かばなかったです。
 お恥ずかしい。

 調べたところ、転移ものは、高千穂遥先生の『異世界の勇士』1979年の方が新井素子先生の方が古いようです。
 ああ、でも『扉を開けて』も懐かしいですねえ。


 転生ものといっていいかはわかりませんが、転生の最古はたぶん『水滸伝』かなあと思います。日本なら八犬伝ですね。
 むかしの転生って、どっちかというと、異世界に転生ではなく、現世に転生が多いですよね。『僕の地球を守って』などは記憶があるのは間違いなかったので、知識継承というのは、なろう独特というものではないのかなあと。


[一言]
「語り部」という言葉の響きがそのものが、とても美しいものだと思います。未来への伝承者、とも言えるその役割は、ファンタジー世界では大なり小なり存在する者だけに主人公にはしづらいですよね。
むしろ「主人公の行動の結果」を伝える係ですから。

中世までの「英雄談」はほとんどがこの手の口承文学ですので、話の変化は面白いですよね。
そう考えると、集約させたペローやグリム兄弟の功績は大きいですが、画一化させてしまったという弊害もあるのかも知れませんね。

吟遊詩人が主人公となるファンタジー作品といえば、今上がってきていないものの中では『デイルマーク王国史』4部作の1作目『詩人(うたびと)たちの旅』(創元推理文庫)がおすすめです。
不思議な力を持つクィダーという楽器を奏でる「詩人(うたびと)」と呼ばれる親子の旅物語(?)なんですが、ジュブナイルとはいえかなり正統派のファンタジー作品なので読み応えがあります。
(作者はダイアナ・ウィン・ジョーンズ、『ハウルの動く城』の作者として著名ですね)
このクィダーという楽器(リュートに似た弦楽器です)、山を動かしたり願いを実現させたりする魔法の楽器なので、それだけでも十分ファンタジーしてます。
ただ、4部作全体は結構重めの話で、現在は絶版みたいな様子なので読めないかも……。
片平 久さま いつもコメントありがとうございます。

>ペローやグリム兄弟の功績

 本当にそうですね。
 なんというか、集約されていなかったら、たぶん、消えていってしまった物語はかなり多かったのではないのかなと思います。
 勿論まとめられることによって、それが正しい=亜流の話は間違いというような認識が出来てしまった感じはあるかもしれませんが。
 民話というのは、語り部が『語り継がない』瞬間に消失してしまうものなので、文字に残されていないお話は、時とともに消えていく運命なのかもしれないなあ、などと思ったりもします。

>詩人たちの旅

未読です。ありがとうございます。
ケイオスさま、よかったですね(笑)

最近、このエッセイを書くようになって、自分があまり本を読んでいないのだなあとひしひし感じるようになりました。
趣味読書とか言うのが恥ずかしいです。
[一言]
どもです。

学校:
現実の話として、昔は村の金持ちというかヘタすると村を治めてる感じの家が金をだして学校にいかせたりとかありました。

二次大戦直後も、村で金を出して大学まで行かせるという話はありました。

で、おそらく重要なのが、どっちにしても「見返りは期待してない」というところです。
まったく期待していなかったかというと、まぁそんなわけでもないのですが。自分たちへの直接の見返りはどうでもよかったようです。
狭くは国をよくする、広くは世の中をよくする。それを見返りと考えていました。
単純に言えば、「できる奴が世に出ないってもったいないだろう」という感じだったようで。
大学で遊んでても、「身の肥やし」と考えてたようです。

>アルジャーノンに花束を

読み方はいろいろあると思いますが。
パン屋の人々のチャーリーへの接し方は印象に残ります。
そこをどう読むかは人によるだろうと思いますが、たまに見かける「チャーリーを再び受け入れた優しさ」というのは、たぶん違うんだろうなと個人的には思います。
  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 04月19日 18時23分
宮沢弘様いつもコメントありがとうございます。

>狭くは国をよくする、広くは世の中をよくする。それを見返りと考えていました

 そうですね。思うに、奨学金制度とか、日本はもっと見直すべきだと思うんです。もっと、優秀なひとを社会が育てるという認識が必要なのではないかと。

>パン屋の人々のチャーリーへの接し方

あれを再び受け入れるとか、言うのでしょうかね(苦笑)
いろんな感じ方するひとがいるものですね。

チャーリー自身にとってはともかく、読者的には、もう優しい人々には見えない訳で……
[一言]
 一人称とか二人称とかそういうことかな―と思いましたら。

 吟遊詩人の語るサーガもそうですが、日本書紀は稗田阿礼の語りし物をしたためたもの、
ファンタジーと神話の高い昔話・神話の類は文字に依らず口述口伝によって伝えられてきたものですから。語り手をおく形式はきわめて親和性が高いと言えるのかもですね。カムイユカラ
ファンタジー以外のジャンルではなかなか置くことのできないものかも。語り手
 と、思った所で手記や報告書、回想という形があること気付き思い直す。

 物語が伝播し変容していく様とかは、追っていくだけで結構楽しいものですね。
口伝えだから伝言ゲームで内容が変わっていき“筋”が同じでもどんどんヴァリエーションが増え、文化が反映されていく。時に異なる物語と混淆して思わぬ展開に変わり……。コレクション性があって、ほんに興味深いこと。
 環太平洋に分布するハイヌウェレ型ユーラシア全域に広がる羽衣伝説や竜・ドラゴン伝承 シンデレラは中国に起源がありで白蛇伝はギリシアに起源とか…… ほんにおもしろし!!


とっぴんぱらりのどっとはらい
  • 投稿者: トーラ
  • 2016年 04月18日 22時16分
トーラ様 いつもコメントありがとうございます。

>物語が伝播し変容していく様とかは、追っていくだけで結構楽しいものですね

 そうですね。
 
 聖徳太子が厩で生まれたのもキリスト教の影響ですし。
 日本は島国でしたので、日本から世界へ影響を与えるというのは、明治以降のほうが多いわけですが。

 ちょっと違うけど、よそから見た異文化の間違いっていうのも面白いですよね。
 昔、あるSF映画で、日本の神棚に何故か草鞋が! いや、ホント、お供えもの(縁起物?)とは思えない、ふつーのわらじですよ。シリアスなシーンで、吹くところでありました。
 
[一言]
吟遊詩人と聞いて思い出すのは、盲目の吟遊詩人、ホーメロス。ギリシャ神話の語り部といったらこの人ですよね。後は、平家物語の琵琶法師、女性ですと瞽女(ごぜ)。語るということは、異能の一つでもあったのでしょうか?
ちなみに、お話を語って回る人というので、いちばんに想像したのは、なぜか紙芝居屋さんでした。

戦う歌うたいということなら「トレマリスの歌術師」シリーズがあるのですが、「ガンバの冒険」(斎藤惇夫『冒険者たち』)でもネズミたちはイタチに詩や歌で戦いを挑んでいましたね(ついでですが、挿絵の薮内正幸の学歴というか経歴がギルドから独り立ちしたようなデビューでおもしろいので、お時間のございますときにどうぞ)。

さて、この固有の物語というか歌を共有するというのは、旧約聖書しかり、万葉集しかり、ユーカラしかり、民族のアイデンティティの元となります。ゲッペルスなどは、音楽と物語の効果を最大限に利用して式典を演出していました。未だに、ワーグナーはイスラエルではタブーのようですね。
デリリウム・トレメンスさま いつもコメントありがとうございます。

>紙芝居屋さん

小学生の時、二回ほど本物の紙芝居屋さんが近所の公園に来たことがあります。
(特にイベントとかではなく、ふらりと)
話してもらった内容より、お菓子の水あめしか記憶にないところが、自分の残念さを物語っているのでありますが(^^;

>ガンバの冒険

原作は読んだことはないのですが、アニメはすごく好きでした。
あのお話でのイタチのイメージって凶悪ですが、実際は、超プリティな動物さんですよね。十年くらい前までは名古屋の実家(といっても田舎ですが)の近所にまだ生息していましたが……今は、厳しいかもしれません。

>民族のアイデンティティの元

 そうなんでしょうね。歌や物語は、ルーツの正当性? を伝えようとするものかなあと。
 中国なんて、歴史書書かせるのが政権交代最初のお仕事的な感じですし(^^)
 かの秀吉なんてのは、御伽衆に伝記を書かせ、ある意味、自らの正当性を主張しております。
 あ、そうか。御伽衆もそうですね。いろいろ抜けておりました(苦笑)
[一言]
詩人の主人公といえばダンテの神曲が思い出されます。

これ、(永井豪の漫画で見たんですが)第一部の地獄のインパクトが強すぎて、第二部(煉獄)、第三部(天国)とか印象薄いです。


地獄といえば、一部仏教の地獄が面白くて、最下層の阿鼻地獄につくまでに自由落下で2000年ほどかかるそうです。
今頃、弥生時代の大悪人がやっと到着しているぐらいです。

もし地獄の重力加速度が現世と同じなら、光の数十万倍の速度になってます。
地獄落ちを利用したタイムマシンができそうです。
霧加羅 衛さま いつもコメントありがとうございます。

>ダンテ

耳なし芳一以外思い浮かばなかった……
そうですね、ダンテ。ダンテもそうですね。

>阿鼻地獄につくまでに自由落下で2000年

気の遠くなるようなお話。
罪人が落下する時と、到着する時の地獄の役人さんは世代交代とかしているのかなあ? していなかったら、どれだけ長い寿命何だろう……とか。

ウイキでちらりと無間地獄の項目を見て、踊る天文学的数値に眩暈が致しました。
[一言]
どもです。

語り部:
語り部というと、部族の語り部をまず思い浮かべる人間ですが。
大昔ネットニュースのfjなんとかrpgでの同人TRPG企画に「ラカダ」という設定を出しました。まぁ、企画自体が自然消滅したような気がします。

南太平洋のミクロネシアあたりをイメージした島、あるいは群島で、20年に一度世界中に散らばり、出来事を集めてくる。
島に戻ると歌にしてそれを伝えていく。
そんな設定でした。

まぁ、それはそれとして、部族の語り部については「哲学者としての語り部」(原題を忘れました。邦訳はたぶんないかと)という本で、「語られる内容は常に更新されている」というような話がありました。
語り部はただ録音・再生をするのではなく、語るたびに解釈が生まれ、そのたびに語られる内容もすこしではあっても変わっていくというような話です。
これは部族の語り部についての話なので、語る内容に横槍が入ることもそんなになかろうと思います。
ですがファンタジーの世界になると、結構横槍が入ったりとかあるんだろうなと思ったりしました。
  • 投稿者: 宮沢弘
  • 2016年 04月18日 15時19分
宮沢弘様 いつもコメントありがとうございます。

 実は『語り部』を書いているときに、ハワイの伝承系を入れるかどうか悩み、結局、それほどよく知らないのでばっさり切ったのでありました(苦笑)

 無文字文化の民族は特に語り部を大切にして、様々なことを伝えてきたそうですね。
 
日本でも、昔話や民話は、ある一定の時期までは口伝でしたし、識字率が上がるまでは、語り部というのは、知恵をつなぐ大切な人材だったのだろうなあと思います。
[一言]
 リクエスト対応、ありがとうございます。
 フトした思いつきに対応を、重ねて、ありがとうございます。

 昔々、甲斐バンドの曲で「吟遊詩人の唄」と言うのが有りまして、コイツが私の買った最初のレコードだった訳なのです。
 それが有ったためか、ゲームの類でジョブに吟遊詩人が有る度、一度はプレイするのですがー・・・
 まぁ、なんちゅうか、ストレス発散のゲームが戦闘でスカッとでけないと言う本末転倒が起きるわけです。

 さらには、小説のたぐいで楽器が出てくる度に、多大なる期待で読み進めれば、たいていは肩透かしを食らうと言う。

 たぶん、楽器や吟遊詩人が主役で出てくるのは、童話とかの類の方が有るかもしれませんね。

 楽器が奏者を選んで、音を出す出さないと言うのを何かで読んだ記憶が有るも、思い出せない、あぅ。
ケイオスさま いつもコメントありがとうございます。

すみません。全然、ご期待にそえられず申し訳ございません。
神話とか童話の方が吟遊詩人って多く出てくる気もしなくもないかも。

>甲斐バンド

うちの旦那が好きですねえ。
なんやら、いろいろ語られたことがありますですわ(笑)

>吟遊詩人

TRPGの吟遊詩人ジョブの場合、ただの性格付けとも言われるくらい(やや暴言)呪歌というやつは使えないため、戦闘能力は皆無(笑)

でも、やるのはだいすきで、しょっちゅうバード技能を取っていました。

楽器もの、といえは漫画ですが。

諏訪緑さんの『うつほ草紙』あたりが、楽器とストーリーが絡み合っておりますよ。正倉院の五弦琵琶のお話です。

[一言]
キツネと聞いて、エキノコックスをまず思い浮かべた自分の想像力に哀しくなりました。
一応、羅貫中『平妖伝』や富安陽子の「シノダ!」など、キツネファンタジーも読んだことがあるのですが… ただ、私は、ファンタジーのファはメタファーのファだと思っております。だから、奴隷ヒロインよりもケモミミ娘って苦手なんですよ。耳と尻尾があるだけの違いと言わんばかりの無邪気さに吐き気がするのです。

岩波少年文庫を卒業した後、朝日ソノラマか早川FFしか選択肢がなかった時代からすると、富士見ファンタジア文庫とか角川スニーカー文庫とかはたまた携帯小説かなど選べる現在の状況がうらやましいです。ただ、そのいずれもがライトなファンタジーというかヤング?なファンタジーというか、傾向が似ているという意味では相変わらず選択肢がないかもしれません。憑依も転生も古典小説に結構出てくるので、なろうでむしろ驚いたのは、お手軽に登場する、神様だったりしました。

以前、言語学の授業で、日本語(というより人間の言語)には匂いを表す専門の語彙が少ない、というのも人間は視覚の動物だからだと習った記憶があります。犬系の人の、匂いを表す言葉にはどのようなバリエーションがあるのでしょうね。彼らにとって空の色は何色なのか、聞いてみたい気がします。

秋月様に取り上げていただけるのでしたら、ぜひ、「ファンタジーと教育(学校)」について論じていただきたいです。実は、私も秋月様に触発されて、ファンタジー論を書いてみたいと思っているのですが、その中で取り上げたいのが、上記のテーマなのです。

文を書くことは考えることです。教育を受けることは力をつけることでもあります。かつて、奴隷に文字を教えるのが禁止された時代、フレデリック・ダグラスは独学で字を学ぶことで自由を獲得しました。ドーデの『月曜物語』の中に、耳が遠くて普段は家族と会話がままならないおばあさんが、孫の書いた字を読み上げるシーンがあって、思い出すたびにうるっとします。こういった当たり前のことが当たり前ではないと気づかせてくれる話を読みたいと常々思うのです。
デリリウム・トレメンスさま いつもコメントありがとうございます。

>エキノコックス

キタキツネでは深刻な問題で、人畜共通ですものねえ。

>獣耳

 最近のデミヒューマン化には、私も実は、? 感はあります。
 しっかり、意味づけされている作品は少数だと思いますから。

 ただ、エルフなどは妖精からの人間化ですが、獣耳系は、いわゆる化生の化けそこない(子狐の変化が解けるとか)を、キャラ化したものからの発生ではないかと思うようになりました。
 妲己や葛葉は、獣耳をしていたわけではないです。
 どちらかといえば、化生というのは、人間に溶け込みたいがゆえに化けるという側面があります。(ひとにとって良し悪しは別)
 なんというか、うまく表現できないのですが、西洋的ライカンスロープとは発生が思想的に違うものではないかという気がします。

>犬系の人の、匂いを表す言葉

たぶん、細かすぎて人間に理解できないかも(笑)
個人的には、昆虫の複眼から見える景色を表現する言葉を知りたいです。

>教育

うわ、難しいですねえ。
ちなみに、吉川栄治先生と松本清張先生は、学歴がない大作家さんで有名でありますが……。
 現代の知識人の中で、学歴が意外とないといえば、将棋界の羽生善治氏でしょうか。なんといっても中学生でプロになったひとですからね。高校は在学中も忙しすぎて(強すぎるから)確か最後は通信制で卒業なさったらしいですが。学歴と知性のひらめきは別物だという生きた見本のような方だと思います。
 
 そういえば、松本清張先生は、意外にも軍隊に入って『平等』ということを知ったというようなお話を読んだ記憶がございます。
(どこでだったか、記憶がアヤシイので、根拠なしと聞き流してください)
[一言]
狐と言えば、欧州の近世だと、狐潰し、狐狩りといったブラッドゲームが盛んですよね?
銀英伝でほんの少し出てくる流星王カール12世の敵の一人、怪力で知られたザクセン選帝侯のフリードリヒ・アウグスト1世は狐潰しが得意だったとか。
ブラッドゲームって残酷ですよね。ヨーロッパ人は怖いなって思います。

ライトノベルの召喚モノの原点というゼロの使い魔も読んだことがないので、なろうに来るまで、あまり知らなかった。
SF、ファンタジーではあまりないと思います。知らないだけかも。
私はライトノベルは、米澤穂信の〈古典部〉シリーズ 〈小市民〉シリーズ、桜庭一樹のGOSICK -ゴシック-シリーズ、砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない とか、犬村小六の「飛空士」シリーズや田中ロミオ「人類は衰退しました」シリーズ、浅井ラボ「されど罪人は竜と踊る」シリーズ、谷川流「涼宮ハルヒシリーズ」位なので、あとは「禁書目録」、「俺ガイル」、「ダンまち」。ここまで召喚モノがない。
ほんの少し新鮮なので、若干耐性があるかも。

  • 投稿者: Pero Perić
  • 2016年 04月16日 00時15分
橘高 湶さま コメントありがとうございます。

キツネ狩り、日本の鷹狩りは、鷹を使って狩るわけですが(^^;
キツネ『を』狩るわけで……まあ、一種の軍事訓練な訳ですけどね。

私的にはライノベ召喚原点は『日帰りクエスト』神坂一先生かなあと思っております。(発表年代も1990年代後半のファンタジーブームど真ん中ですし)

意外と古いジュブナイル作品の方が、『召喚』が多いかも。漫画系とかも。

私もライトノベルをそれ程読んでいないので、大きなことは言えません。
いや、もう、結構オバハンになってから、ライトノベルの『萌え』イラストの表紙の本は、書店で買いにくいのです(苦笑)最近はアマ○ンさんがありますが……読んだことのない作家さんにはなかなか手を出しにくいですねえ。
[1] << Back 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  Next >> [22]
↑ページトップへ