感想一覧
▽感想を書く[一言]
これはわかるところもあります。
ただ、文脈によるかもしれない、と思いました。
一つ目は単に、本文中での指摘に気づいていない場合もありそう。
二つ目のパターンは
(僕は本当は眠くなかったけれど、眠い振りをしたかったので)「わざと」眠たそうに眼をこすった。
とかですかね?
「眠たそうに」の部分はいろいろ変えられそうで
「僕は楽しそうに笑った」とかでも文脈によれば裏の意味をつけられるかもしれない、と思いました。
でも、この表現つかうなら、他の部分でしっかりとした表現じゃないとやっぱりおかしくなりますかね?
読み取ってもらえない、というのが起こりそうな気もします。
とりとめもない感想ですみません。
これはわかるところもあります。
ただ、文脈によるかもしれない、と思いました。
一つ目は単に、本文中での指摘に気づいていない場合もありそう。
二つ目のパターンは
(僕は本当は眠くなかったけれど、眠い振りをしたかったので)「わざと」眠たそうに眼をこすった。
とかですかね?
「眠たそうに」の部分はいろいろ変えられそうで
「僕は楽しそうに笑った」とかでも文脈によれば裏の意味をつけられるかもしれない、と思いました。
でも、この表現つかうなら、他の部分でしっかりとした表現じゃないとやっぱりおかしくなりますかね?
読み取ってもらえない、というのが起こりそうな気もします。
とりとめもない感想ですみません。
感想ありがとうございます!
二つ目のパターンのように、わざとそういう素振りをしていることを表すなら、まあ問題無い表現かと思います。
でも自分が書くなら、もうちょっとわかりやすい書き方にしたくなりますね。
「僕は楽しそうに笑った」なら、「僕はさも楽しんでいるかのように笑って見せた」とか。
それか、おっしゃるように他の部分でそれとわかるような表現にしないと、うまく伝わらないかもしれませんね。
二つ目のパターンのように、わざとそういう素振りをしていることを表すなら、まあ問題無い表現かと思います。
でも自分が書くなら、もうちょっとわかりやすい書き方にしたくなりますね。
「僕は楽しそうに笑った」なら、「僕はさも楽しんでいるかのように笑って見せた」とか。
それか、おっしゃるように他の部分でそれとわかるような表現にしないと、うまく伝わらないかもしれませんね。
- 榛李梓
- 2019年 08月01日 00時02分
[一言]
わかった!
「僕」とはつまり、召使いさんのことですね!
……はじめましてなのに、悪ノリしてごめんなさい^^;
わかった!
「僕」とはつまり、召使いさんのことですね!
……はじめましてなのに、悪ノリしてごめんなさい^^;
え、あなたの僕になりたい、ですか……? そんな、困りますぅ(〃▽〃)
悪ノリで返してみました。
はじめまして。
檸檬 絵郎さまは精力的に活動なさってますよね。以前からあちこちでお名前をお見かけして、一方的に存じ上げていました。
感想をいただけて嬉しいです。
ありがとうございます。
悪ノリで返してみました。
はじめまして。
檸檬 絵郎さまは精力的に活動なさってますよね。以前からあちこちでお名前をお見かけして、一方的に存じ上げていました。
感想をいただけて嬉しいです。
ありがとうございます。
- 榛李梓
- 2019年 03月28日 15時18分
[良い点]
作者も読者も「真面目」ばかり、いや考察なんだから真面目なのは当たり前か。(笑)
無知な私は、この「歌」を知らなかったので、ノーコメント。(狡)
代わりと言っては何ですが(下に続く)
[気になる点]
Q、文中の『僕』は、語っている本人の一人称であって第三者の【苗字あるいは名前ではない】事を明確に表わしている部分を示してください。
さて、答えが提示できるでしょうか?(薄笑)
皆さん見事に『僕だから一人称』と書いてるのを見掛け、へそ曲がりな私は
「なぜ“僕”というのが人の名前とは考えないのだろう?」
という疑問を抱きました。
“僕”が「人名」である、という観点(あるいは仮説)なら、かなり無理筋なのは承知の上で【違和感を抑える事も可能】ではないかな、と。
『僕』って「人名には使ってはイケナイ漢字」でしたっけ? というのが「比由律人のギモン」ですね。(薄笑)
[一言]
「誰が、どう見ても」というのは【固定観念・思い込み・決めつけ】でしかなく、それに縛られない自由な発想というのも、大事ではないでしょうか。
今回の『僕』は、ミステリーのトリックとしても使えそうですねぇ。日記に書かれていた『僕』が、実は他人の名前だったとしたら"普通は"騙されない方が稀でしょうし。
こういう「ヒネた思考」は、お嫌いでしょうか?
私は、「既製概念」の外でモノを考えるのも大好きですので、あえて『逆張り』してみました。
返信が楽しみデス。
作者も読者も「真面目」ばかり、いや考察なんだから真面目なのは当たり前か。(笑)
無知な私は、この「歌」を知らなかったので、ノーコメント。(狡)
代わりと言っては何ですが(下に続く)
[気になる点]
Q、文中の『僕』は、語っている本人の一人称であって第三者の【苗字あるいは名前ではない】事を明確に表わしている部分を示してください。
さて、答えが提示できるでしょうか?(薄笑)
皆さん見事に『僕だから一人称』と書いてるのを見掛け、へそ曲がりな私は
「なぜ“僕”というのが人の名前とは考えないのだろう?」
という疑問を抱きました。
“僕”が「人名」である、という観点(あるいは仮説)なら、かなり無理筋なのは承知の上で【違和感を抑える事も可能】ではないかな、と。
『僕』って「人名には使ってはイケナイ漢字」でしたっけ? というのが「比由律人のギモン」ですね。(薄笑)
[一言]
「誰が、どう見ても」というのは【固定観念・思い込み・決めつけ】でしかなく、それに縛られない自由な発想というのも、大事ではないでしょうか。
今回の『僕』は、ミステリーのトリックとしても使えそうですねぇ。日記に書かれていた『僕』が、実は他人の名前だったとしたら"普通は"騙されない方が稀でしょうし。
こういう「ヒネた思考」は、お嫌いでしょうか?
私は、「既製概念」の外でモノを考えるのも大好きですので、あえて『逆張り』してみました。
返信が楽しみデス。
- 投稿者: 退会済み
- 男性
- 2019年 03月27日 00時41分
管理
こうして作品の感想欄にコメントをいただくのは初めてでしょうか。
ありがとうございます。
気になる点の
「Q、文中の『僕』は、語っている本人の一人称であって第三者の【苗字あるいは名前ではない】事を明確に表わしている部分を示してください。」
についてですが、「文中」がどこを指しているのかはっきりしないので、回答が的外れになるかもしれません。
まず、「文中」が本エッセイ内で挙げた例文「僕は眠たそうに目をこすりながら大きなあくびをした。」を指すとしたら、この文中に『僕』が「語っている本人の一人称であって第三者の【苗字あるいは名前ではない】事を明確に表わしている部分」はありません。
しかし、ご質問の答えにはなりませんが、この文は私の作例で、私は一人称のつもりで『僕』を使っています。ですから、皆さんがその前提のもとで感想を書かれているのはおかしくないと思いますよ。
本エッセイのテーマは「一人称+~そうに……」という表現に違和感を覚えない人って実は結構いるのかもしれない、ということです。
『僕』が人名であれば、何の違和感も無い普通の文で(変わった名前ではありますが)、何も語ることはありませんね。
次に、私が某ネット掲示板で見た用例については、現在元の文章を見つけ出すことが難しく、検証のしようが無いため、お答えすることはできません。
おっしゃるように『僕』が人名である可能性も否定できません。
最後に、歌詞については、検索すれば出てくるので全文を読んでいただいた方が分かりやすいかと思います。ここに転載することはできませんので、規約違反にならない程度に書きますね。
歌詞中に「声をかけてくれた」とあります。こういった授受や受益の表現は人称に制限があり、この場合「声をかける」という動作の主体は二人称か三人称で、動作の受け手は一人称になります。つまり、「声をかけてくれた」は語り手の一人称による表現です。
ただ、例外として語り手が動作の受け手の身内などの場合は一人称でなくてもこの表現が可能です。
また、「僕は○○そうに××ながら」に後続する部分で、「嬉しかった」と『僕』の感情を断定的に述べています。語り手が『僕』以外の第三者だとすると、ここも少し不自然です。
もっとも、語り手が神様だったり、エスパーだったり、あるいはSF的に他者の感情を知ることができる技術があったりする場合は断言できるのでしょう。あ、あと『僕』がサトラレっていうのもありますか。
こういった点から、歌詞中の『僕』は100%ではないけれども、一人称である可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
ミステリのトリック、ちょっと違いますが似たようなので「林さん」が姓ではなく名(ファーストネーム)だった、というのがありましたね。あれは騙されました。
既成概念にとらわれない発想ができるのは、素晴らしいことだと思います。
私は頭が固いので、他の方の自由な発想に触れると、感心して、羨ましくて、それからわくわくします。だから読書が好きなのかもしれません。
ありがとうございます。
気になる点の
「Q、文中の『僕』は、語っている本人の一人称であって第三者の【苗字あるいは名前ではない】事を明確に表わしている部分を示してください。」
についてですが、「文中」がどこを指しているのかはっきりしないので、回答が的外れになるかもしれません。
まず、「文中」が本エッセイ内で挙げた例文「僕は眠たそうに目をこすりながら大きなあくびをした。」を指すとしたら、この文中に『僕』が「語っている本人の一人称であって第三者の【苗字あるいは名前ではない】事を明確に表わしている部分」はありません。
しかし、ご質問の答えにはなりませんが、この文は私の作例で、私は一人称のつもりで『僕』を使っています。ですから、皆さんがその前提のもとで感想を書かれているのはおかしくないと思いますよ。
本エッセイのテーマは「一人称+~そうに……」という表現に違和感を覚えない人って実は結構いるのかもしれない、ということです。
『僕』が人名であれば、何の違和感も無い普通の文で(変わった名前ではありますが)、何も語ることはありませんね。
次に、私が某ネット掲示板で見た用例については、現在元の文章を見つけ出すことが難しく、検証のしようが無いため、お答えすることはできません。
おっしゃるように『僕』が人名である可能性も否定できません。
最後に、歌詞については、検索すれば出てくるので全文を読んでいただいた方が分かりやすいかと思います。ここに転載することはできませんので、規約違反にならない程度に書きますね。
歌詞中に「声をかけてくれた」とあります。こういった授受や受益の表現は人称に制限があり、この場合「声をかける」という動作の主体は二人称か三人称で、動作の受け手は一人称になります。つまり、「声をかけてくれた」は語り手の一人称による表現です。
ただ、例外として語り手が動作の受け手の身内などの場合は一人称でなくてもこの表現が可能です。
また、「僕は○○そうに××ながら」に後続する部分で、「嬉しかった」と『僕』の感情を断定的に述べています。語り手が『僕』以外の第三者だとすると、ここも少し不自然です。
もっとも、語り手が神様だったり、エスパーだったり、あるいはSF的に他者の感情を知ることができる技術があったりする場合は断言できるのでしょう。あ、あと『僕』がサトラレっていうのもありますか。
こういった点から、歌詞中の『僕』は100%ではないけれども、一人称である可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
ミステリのトリック、ちょっと違いますが似たようなので「林さん」が姓ではなく名(ファーストネーム)だった、というのがありましたね。あれは騙されました。
既成概念にとらわれない発想ができるのは、素晴らしいことだと思います。
私は頭が固いので、他の方の自由な発想に触れると、感心して、羨ましくて、それからわくわくします。だから読書が好きなのかもしれません。
- 榛李梓
- 2019年 03月28日 02時11分
[一言]
ないです。と言うか疑問すら感じません。国語の試験にでも出たのなら真剣に考えるのでしょうけど文中の中にさらりと滑り込まされていたら気付きもしないでしょう。
因みに文中の中という言葉は二重使用になるのでしょうか?自分で書くと結構気になりますね。
ないです。と言うか疑問すら感じません。国語の試験にでも出たのなら真剣に考えるのでしょうけど文中の中にさらりと滑り込まされていたら気付きもしないでしょう。
因みに文中の中という言葉は二重使用になるのでしょうか?自分で書くと結構気になりますね。
感想ありがとうございます!
気にならない人がこんなにいるというのは意外でしたが、色々なご意見がいただけて嬉しい限りです。
気にならない人がこんなにいるというのは意外でしたが、色々なご意見がいただけて嬉しい限りです。
- 榛李梓
- 2018年 10月10日 01時22分
[一言]
はじめまして。
くだんの部分は歌詞だから、リズムなどに合っていれば、良いのではないでしょうか。聞き苦しくないならどうでもいいです。
ただ、詩や物語の一節として捉えると次の3点でイヤです。
第一に、おっしゃるように自分の行動に「そうに」という推量の助動詞を使っていること。
第二にわざわざ行動の理由を説明していること。「目をこすった」か「あくびをした」の説明になるのだと思いますが、書かなきゃダメなの?
物語や詩を書くときのポイントとして、「感情を描写しろ、説明するな」というのを伺ったことがあります。冒頭の部分は何度読み返しても、余計なのですよね。
最後に、「眠そうに」とその後の行動の関係ですが、こちらは「ので」で繋がる文章です。しかし、元の歌詞は「のに」で繋がるのです。「ので」はまだ良いのです、順接だから。しかし、逆接は省略するとわかりにくくなります。もしかしたら、元の歌では、リズムが変わっていたり、間があいていたり、声のトーンを変えたりとの演出があるのかもしれません。
ということで、歌詞だからどうでもいいけれど、詩や物語の一節としてみると、イマイチというかイマニ、イマサンですね。
ただ、昨今?の作法?として、自分の気持ちなどをぼかすという手法がないわけではないのですよね。そういう手段としてなら、どうでもいいのではないでしょうか。
はじめまして。
くだんの部分は歌詞だから、リズムなどに合っていれば、良いのではないでしょうか。聞き苦しくないならどうでもいいです。
ただ、詩や物語の一節として捉えると次の3点でイヤです。
第一に、おっしゃるように自分の行動に「そうに」という推量の助動詞を使っていること。
第二にわざわざ行動の理由を説明していること。「目をこすった」か「あくびをした」の説明になるのだと思いますが、書かなきゃダメなの?
物語や詩を書くときのポイントとして、「感情を描写しろ、説明するな」というのを伺ったことがあります。冒頭の部分は何度読み返しても、余計なのですよね。
最後に、「眠そうに」とその後の行動の関係ですが、こちらは「ので」で繋がる文章です。しかし、元の歌詞は「のに」で繋がるのです。「ので」はまだ良いのです、順接だから。しかし、逆接は省略するとわかりにくくなります。もしかしたら、元の歌では、リズムが変わっていたり、間があいていたり、声のトーンを変えたりとの演出があるのかもしれません。
ということで、歌詞だからどうでもいいけれど、詩や物語の一節としてみると、イマイチというかイマニ、イマサンですね。
ただ、昨今?の作法?として、自分の気持ちなどをぼかすという手法がないわけではないのですよね。そういう手段としてなら、どうでもいいのではないでしょうか。
- 投稿者: デリリウム・トレメンス
- 2018年 08月22日 16時25分
はじめまして。
返事が遅くなり、すみません。感想ありがとうございます!
順接と逆接でどうか、という点では考えたことがありませんでした。
他の問題でも使えそうな検証の仕方ですね。参考にします。
ありがたいことに色々な方から感想をいただいていますが、それらとはまた違ったご意見がいただけて嬉しいです。
ありがとうございました。
返事が遅くなり、すみません。感想ありがとうございます!
順接と逆接でどうか、という点では考えたことがありませんでした。
他の問題でも使えそうな検証の仕方ですね。参考にします。
ありがたいことに色々な方から感想をいただいていますが、それらとはまた違ったご意見がいただけて嬉しいです。
ありがとうございました。
- 榛李梓
- 2018年 08月28日 00時51分
[一言]
聴く度に違和感あって検索しちゃいました(笑)カラオケランキングに毎回入ってる素敵な曲ですが、歌詞は確かに引っかかりますよね…
聴く度に違和感あって検索しちゃいました(笑)カラオケランキングに毎回入ってる素敵な曲ですが、歌詞は確かに引っかかりますよね…
- 投稿者: ひろ
- 2017年 08月19日 13時23分
感想ありがとうございます!
皆さんから頂いた感想を読むと、気になるという方も気にならないという方も両方いらっしゃるので面白いですね。
皆さんから頂いた感想を読むと、気になるという方も気にならないという方も両方いらっしゃるので面白いですね。
- 榛李梓
- 2017年 08月21日 23時53分
[一言]
こう考えてみましょう。
「眠たそうなあくび」「楽しそうな動き」などを一まとまりの名詞句と捉えるのです。
うん、違うか。
この表現には、人前でアピールするような印象があります。
僕は父の前で眠たそうに目をこすり、大きなあくびをしてみせた
こんな感じの。
演技派ですね。
海外のファンタジー小説なんかの和訳を読んだ影響でしょうか。
自分の動作を推量の形で形容すると、演技派の主人公に見えます。
こう考えてみましょう。
「眠たそうなあくび」「楽しそうな動き」などを一まとまりの名詞句と捉えるのです。
うん、違うか。
この表現には、人前でアピールするような印象があります。
僕は父の前で眠たそうに目をこすり、大きなあくびをしてみせた
こんな感じの。
演技派ですね。
海外のファンタジー小説なんかの和訳を読んだ影響でしょうか。
自分の動作を推量の形で形容すると、演技派の主人公に見えます。
- 投稿者: 退会済み
- 18歳~22歳 男性
- 2017年 01月21日 10時29分
管理
感想ありがとうございます!
元々、「眠たそう」や「美味しそう」などの「~そう」は見た目からの推量を表すものです。
そのため、「僕は父の前で眠たそうに目をこすり、大きなあくびをしてみせた」のような文だと、他者からそう見えるように装っているという意味合いになるのだと思います。
でも、例の歌ではそんな風に演技をする必要があるのか疑問です。
ちょっとあざとく感じてしまいます……。
元々、「眠たそう」や「美味しそう」などの「~そう」は見た目からの推量を表すものです。
そのため、「僕は父の前で眠たそうに目をこすり、大きなあくびをしてみせた」のような文だと、他者からそう見えるように装っているという意味合いになるのだと思います。
でも、例の歌ではそんな風に演技をする必要があるのか疑問です。
ちょっとあざとく感じてしまいます……。
- 榛李梓
- 2017年 01月22日 00時40分
[一言]
「僕は照れくさそうにカバンで顔を隠しながら本当はとてもとても嬉しかったよ」2001年にドラマの主題歌になりこの曲が流行った時、私は中学生でした。その頃から違和感を覚えていましたが、当時は子どもでしたし、議論する場もなく、最近まで忘れておりました。先日、アニメの主題歌で再び使われているので久しぶりに口ずさみ、再び違和感を覚えました。とても好きな曲なのですが、やはりこの部分が気になって仕方ないのです。一緒に聴いていた夫に気にならないか聞いてみましたが、特に気にならない様子でした。しかし腑に落ちないのでネットで検索してみますと、私の違和感を明確に文字にしていらっしゃる方が!!嬉しくなって、普段はSNSですらコメントすることがないのに、つい書き込みしております(笑)年代のことをおっしゃる方もいるようですので一応書いておきますと、私は冒頭書いたように当時は中学生、現在29歳、夫は37歳です。
照れてるのを隠そうとカバンで顔を隠しながら本当はとてもとても嬉しかったのならすんなり落ちるんですけどね。
長年のモヤモヤを吐き出せてすっきりしました。ありがとうございました。
「僕は照れくさそうにカバンで顔を隠しながら本当はとてもとても嬉しかったよ」2001年にドラマの主題歌になりこの曲が流行った時、私は中学生でした。その頃から違和感を覚えていましたが、当時は子どもでしたし、議論する場もなく、最近まで忘れておりました。先日、アニメの主題歌で再び使われているので久しぶりに口ずさみ、再び違和感を覚えました。とても好きな曲なのですが、やはりこの部分が気になって仕方ないのです。一緒に聴いていた夫に気にならないか聞いてみましたが、特に気にならない様子でした。しかし腑に落ちないのでネットで検索してみますと、私の違和感を明確に文字にしていらっしゃる方が!!嬉しくなって、普段はSNSですらコメントすることがないのに、つい書き込みしております(笑)年代のことをおっしゃる方もいるようですので一応書いておきますと、私は冒頭書いたように当時は中学生、現在29歳、夫は37歳です。
照れてるのを隠そうとカバンで顔を隠しながら本当はとてもとても嬉しかったのならすんなり落ちるんですけどね。
長年のモヤモヤを吐き出せてすっきりしました。ありがとうございました。
- 投稿者: りんご
- 2016年 11月20日 04時18分
返信が遅くなってすみません。
感想ありがとうございます。
最近の若者は曖昧、婉曲的な表現を好む傾向があるようなので、それで違和感を感じないのかな、と思っていたのですが、年代はあまり関係ないのでしょうかね。
同じように思っていた方がいらっしゃって嬉しいです!
感想ありがとうございます。
最近の若者は曖昧、婉曲的な表現を好む傾向があるようなので、それで違和感を感じないのかな、と思っていたのですが、年代はあまり関係ないのでしょうかね。
同じように思っていた方がいらっしゃって嬉しいです!
- 榛李梓
- 2016年 12月07日 00時49分
[一言]
作者さんの言うとうり、違和感がありますね。
第三者目線で過去の自分を振り返り述べてるようで、いきなり現代の言葉に直ってるので、この語り手は過去の自分を振り返っているのか、それとも現代の自分でそのような「僕は眠たそうにあくびをした」って言ってるのかメリハリが分かりません。
多分ですが、背景描写を伝えたくてあえてそのような処置を施す演出だと思います。
仮に現代の自分で、自分の行動を〜した〜する。って思いながら行動してたら頭のおかしい人じゃないかと感じますし、それは主人公が他人側を見る客観的発言に変えるべきだと一人称は感じます。
作者さんの言うとうり、違和感がありますね。
第三者目線で過去の自分を振り返り述べてるようで、いきなり現代の言葉に直ってるので、この語り手は過去の自分を振り返っているのか、それとも現代の自分でそのような「僕は眠たそうにあくびをした」って言ってるのかメリハリが分かりません。
多分ですが、背景描写を伝えたくてあえてそのような処置を施す演出だと思います。
仮に現代の自分で、自分の行動を〜した〜する。って思いながら行動してたら頭のおかしい人じゃないかと感じますし、それは主人公が他人側を見る客観的発言に変えるべきだと一人称は感じます。
- 投稿者: 退会済み
- 2016年 06月13日 07時30分
管理
感想ありがとうございます!
違和感あり派ですね。
他者から見て眠そうに見える動作をする、という自己演出的な行為だとすると普通はおかしいのですが、これがもし『やれやれ系』主人公の一人称だとしたら全然おかしくないような気もしてきました。
違和感あり派ですね。
他者から見て眠そうに見える動作をする、という自己演出的な行為だとすると普通はおかしいのですが、これがもし『やれやれ系』主人公の一人称だとしたら全然おかしくないような気もしてきました。
- 榛李梓
- 2016年 06月13日 23時25分
[一言]
違和感は感じたことないです
最後におっしゃっていた眠たい雰囲気を出そうとしているととらえるからです
演技か実際眠いのでそういう主張を身振りでしているかはともかく、単なる自己アピールの文章ですよね
違和感は感じたことないです
最後におっしゃっていた眠たい雰囲気を出そうとしているととらえるからです
演技か実際眠いのでそういう主張を身振りでしているかはともかく、単なる自己アピールの文章ですよね
感想ありがとうございます!
なるほど。
ふと思ったのですが、一人称の小説で他に登場人物のいない場面でも、読者へのアピールというメタ的な技法という可能性もあるかもしれませんね。
なるほど。
ふと思ったのですが、一人称の小説で他に登場人物のいない場面でも、読者へのアピールというメタ的な技法という可能性もあるかもしれませんね。
- 榛李梓
- 2015年 12月19日 10時33分
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