感想一覧
[一言]
こんばんは。人を殺してはいけない理由、ですか…刑法があるから、というのは確実に抑制剤になっていますよね。倫理的な答え。法的な答え…それ以外ですと何があるでしょうか。私、エッセイを投稿していますがネタに困ったらこの問題を取り上げてみようかなと思ったりしました。ありがとうございました。
こんばんは。人を殺してはいけない理由、ですか…刑法があるから、というのは確実に抑制剤になっていますよね。倫理的な答え。法的な答え…それ以外ですと何があるでしょうか。私、エッセイを投稿していますがネタに困ったらこの問題を取り上げてみようかなと思ったりしました。ありがとうございました。
[一言]
たまにこう言った内容のエッセイが書かれるけど、法律上では以外と殺人が許容されて居る事も在るから必ずしも殺人イコール罰と言う事には為らないよ。
殺人が法律上で禁止されて居るのは確かだけど在る種の事がら上なら普通に無罪に成る事も在る。
前に別の人のエッセイでの感想で法律上無罪に成る殺人の事例を大まかに書いたんだけどね。
此所で其の事を書くと問題に成りそうだから書かないけど。
後、動物も普通に同族殺しはするから、ライオンは縄張りやメスの奪い合い、又は自分の子孫を残す為に前のオスの子供も平気で殺して食うよ。熊もそうだよね。
普通にチンパンジー何かもメスの発情を促す為に他のオスとの子供を殺し食べるからね。
昆虫の世界だと肉食系はもっと酷いでしょう?
交尾に来たオスを食い殺す何て普通に多く居るし。
寧ろ同族殺しは理性と言う寄りは野性的な思考じゃ無いかな?
まぁ最近じゃ税金の無駄だから見殺しにしろ何て言う人も居るくらいだから人間が理性寄りも野性的に成って来て居るのかも知れないね。
私個人的には基本的に尊厳死も法的に認めて良いんじゃ無いかな?と思って居るよ。
基本的に殺人が活けないのでは無く、限定的な条件での殺人が駄目なんだと思うよ。
次いでに言えば人間の価値は変動制だから今は「十円」でも其の人間の生き方に寄っては後で「十億円」にも変動する可能性が在るし、個人の価値観に寄っては見る人も「十円」から「鑑定不能な価値」にも変わるから人間の価値って固定しにくいんだよね。
だから価値で人間を見るのは其の人間が死ぬ直前迄分からない物なんだと思うよ。
まぁ人間の価値を誰が決めるか何て本当は難しい物なんだけどね。
個人的に殺人に付いて言える事は在る種の限定的な条件下なら法律上でも道徳的にも許されるから其の範囲内の殺人なら良いんじゃ無いかな?
まぁ思想上で絶対駄目だ!!って言う人が居るのも確かだけどね。
たまにこう言った内容のエッセイが書かれるけど、法律上では以外と殺人が許容されて居る事も在るから必ずしも殺人イコール罰と言う事には為らないよ。
殺人が法律上で禁止されて居るのは確かだけど在る種の事がら上なら普通に無罪に成る事も在る。
前に別の人のエッセイでの感想で法律上無罪に成る殺人の事例を大まかに書いたんだけどね。
此所で其の事を書くと問題に成りそうだから書かないけど。
後、動物も普通に同族殺しはするから、ライオンは縄張りやメスの奪い合い、又は自分の子孫を残す為に前のオスの子供も平気で殺して食うよ。熊もそうだよね。
普通にチンパンジー何かもメスの発情を促す為に他のオスとの子供を殺し食べるからね。
昆虫の世界だと肉食系はもっと酷いでしょう?
交尾に来たオスを食い殺す何て普通に多く居るし。
寧ろ同族殺しは理性と言う寄りは野性的な思考じゃ無いかな?
まぁ最近じゃ税金の無駄だから見殺しにしろ何て言う人も居るくらいだから人間が理性寄りも野性的に成って来て居るのかも知れないね。
私個人的には基本的に尊厳死も法的に認めて良いんじゃ無いかな?と思って居るよ。
基本的に殺人が活けないのでは無く、限定的な条件での殺人が駄目なんだと思うよ。
次いでに言えば人間の価値は変動制だから今は「十円」でも其の人間の生き方に寄っては後で「十億円」にも変動する可能性が在るし、個人の価値観に寄っては見る人も「十円」から「鑑定不能な価値」にも変わるから人間の価値って固定しにくいんだよね。
だから価値で人間を見るのは其の人間が死ぬ直前迄分からない物なんだと思うよ。
まぁ人間の価値を誰が決めるか何て本当は難しい物なんだけどね。
個人的に殺人に付いて言える事は在る種の限定的な条件下なら法律上でも道徳的にも許されるから其の範囲内の殺人なら良いんじゃ無いかな?
まぁ思想上で絶対駄目だ!!って言う人が居るのも確かだけどね。
[一言]
「人を殺してはいけない」⇒道徳
「人を殺した場合罰する」⇒法律
逆に言うと。
「人を殺した場合のディスアドバンテージは設定されていない」⇒道徳
「人を殺してはいけないとは言っていない」⇒法律
道徳は、「いけないコトはいけない」で終わってしまいます。「悪いコトをしたら地獄に落ちる」になると、もう宗教です。
一方法律は、「人を殺したら死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」(刑法第199条)と定められているにすぎず、正当防衛とか緊急避難とか、処罰「しない」規定を別に設けています。
そもそも、人は「人を殺す」べくして人を殺すのではなく、何らかの行為の結果として「人が死ぬ」のです。
その為道徳が禁ずるのは、その「何らかの行為に至る情動」。
法が裁くのは、その「何らかの行為」。
結果である「人の死」は、罰の重さと比較して論じられるにすぎません。
テロリストに拉致られた二人の日本人の例。
「両方を助け、その挙句殺人鬼を法で裁く」のが正しい答えになります。
国の立場では「どちらかを選ぶ」ことは許されませんし、
個人が好悪の感情で選ぶのならそれ自体が間違いでしょうから。
……え? 必ず選ばないといけない?
どうしてテロリストが提示したルールに素直に従わなきゃいけないの?
「人を殺してはいけない」⇒道徳
「人を殺した場合罰する」⇒法律
逆に言うと。
「人を殺した場合のディスアドバンテージは設定されていない」⇒道徳
「人を殺してはいけないとは言っていない」⇒法律
道徳は、「いけないコトはいけない」で終わってしまいます。「悪いコトをしたら地獄に落ちる」になると、もう宗教です。
一方法律は、「人を殺したら死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」(刑法第199条)と定められているにすぎず、正当防衛とか緊急避難とか、処罰「しない」規定を別に設けています。
そもそも、人は「人を殺す」べくして人を殺すのではなく、何らかの行為の結果として「人が死ぬ」のです。
その為道徳が禁ずるのは、その「何らかの行為に至る情動」。
法が裁くのは、その「何らかの行為」。
結果である「人の死」は、罰の重さと比較して論じられるにすぎません。
テロリストに拉致られた二人の日本人の例。
「両方を助け、その挙句殺人鬼を法で裁く」のが正しい答えになります。
国の立場では「どちらかを選ぶ」ことは許されませんし、
個人が好悪の感情で選ぶのならそれ自体が間違いでしょうから。
……え? 必ず選ばないといけない?
どうしてテロリストが提示したルールに素直に従わなきゃいけないの?
[一言]
大自然が与えたルールは「弱肉強食」だけです。
そして餓えれば同族食いをする種は多数います。
つまり弱ければ死にますし殺されます。そこに罪も罰もありません。
しかし餓えていないのに同族に手を出す種はいるのでしょうか?
人間という種の最大の武器は知恵と知識です。
武器とは糧を得るための手段であり、身を守るための手段です。
また人間とは群れを作る動物です。
さて、この群れの中で餓えてもいないのに群れの人間を殺そうとした、または殺した人間がいれば群れに属する大多数は、これを排除しようとするでしょう。明日は我が身です。排除しないという選択肢はおそらくないと思います。
排除できない場合はその個体が強いのでしょう。罪も罰もありません。
排除できた場合、殺人行為は罪であり、排除されたという結果が罰である。それをこの群れは学習しました。
さて、殺人者を排除できた場合、この群れの中で無意味な殺人行為は今後行われるでしょうか?
ではどの群れにも属さない個人が、群れを発見するたびに悪逆の限りを尽くしています。
この個人はいつ死ぬのでしょうか? 寿命かより強い存在に殺されるまでです。人に殺されるとは限りません。
この個人は群れていないので大自然のルールが適用されています。死なない限り何しても自由です。しかし人間からは「人間」と認められていないでしょう。人間の味を覚えた獣かなにかと大差ありません。害獣は排除しますよね、脅威ですもの。
人間は知恵と知識を武器に、群れを作り工夫をこらし知識を積み上げて言葉を交わし、お互いを理解し合って何千年と発展してきました。その積み上げてきたものが社会であり歴史であり法律という名のルールであったりします。
今現在、どの社会にも属していない完全な個人という存在は(おそらく)いないでしょう。
テロリストですら群れています。そして国家という群れはテロリストという群れを許容できません。排除しますよね。
ではテロリストという群れの中でとあるテロリストが殺害される場合はどうでしょうか。
勝手にやってろ、と思いませんか?
何故、人を殺してはならないのか?
大自然のルールでは規制されていません。ご自由にどうぞ。
しかしあなたの属している社会が許しません。円滑な運営の妨げになるからです。以上。
命の重さについては自分の命と他人の命を比較して見るといいと思います。他人の命と他人の命なら等しくて当たり前だと思いますし、違うと言っても誤差の範囲でしょう。
「自分の命を差し出すからその殺人鬼の命を助けてください」
これが言えないと命の重さはみな同じと言えないと思いますけど…どうなんでしょうか。
以上、個人的な見解でした。ご参考になれば幸いです。
大自然が与えたルールは「弱肉強食」だけです。
そして餓えれば同族食いをする種は多数います。
つまり弱ければ死にますし殺されます。そこに罪も罰もありません。
しかし餓えていないのに同族に手を出す種はいるのでしょうか?
人間という種の最大の武器は知恵と知識です。
武器とは糧を得るための手段であり、身を守るための手段です。
また人間とは群れを作る動物です。
さて、この群れの中で餓えてもいないのに群れの人間を殺そうとした、または殺した人間がいれば群れに属する大多数は、これを排除しようとするでしょう。明日は我が身です。排除しないという選択肢はおそらくないと思います。
排除できない場合はその個体が強いのでしょう。罪も罰もありません。
排除できた場合、殺人行為は罪であり、排除されたという結果が罰である。それをこの群れは学習しました。
さて、殺人者を排除できた場合、この群れの中で無意味な殺人行為は今後行われるでしょうか?
ではどの群れにも属さない個人が、群れを発見するたびに悪逆の限りを尽くしています。
この個人はいつ死ぬのでしょうか? 寿命かより強い存在に殺されるまでです。人に殺されるとは限りません。
この個人は群れていないので大自然のルールが適用されています。死なない限り何しても自由です。しかし人間からは「人間」と認められていないでしょう。人間の味を覚えた獣かなにかと大差ありません。害獣は排除しますよね、脅威ですもの。
人間は知恵と知識を武器に、群れを作り工夫をこらし知識を積み上げて言葉を交わし、お互いを理解し合って何千年と発展してきました。その積み上げてきたものが社会であり歴史であり法律という名のルールであったりします。
今現在、どの社会にも属していない完全な個人という存在は(おそらく)いないでしょう。
テロリストですら群れています。そして国家という群れはテロリストという群れを許容できません。排除しますよね。
ではテロリストという群れの中でとあるテロリストが殺害される場合はどうでしょうか。
勝手にやってろ、と思いませんか?
何故、人を殺してはならないのか?
大自然のルールでは規制されていません。ご自由にどうぞ。
しかしあなたの属している社会が許しません。円滑な運営の妨げになるからです。以上。
命の重さについては自分の命と他人の命を比較して見るといいと思います。他人の命と他人の命なら等しくて当たり前だと思いますし、違うと言っても誤差の範囲でしょう。
「自分の命を差し出すからその殺人鬼の命を助けてください」
これが言えないと命の重さはみな同じと言えないと思いますけど…どうなんでしょうか。
以上、個人的な見解でした。ご参考になれば幸いです。
[一言]
>何故、人を殺してはならないのですか?
それにちょっとプラスします。
何故、泥棒してはならないのですか?
何故、万引きしてはならないのですか?
何故、オレオレ詐欺をしてはならないのですか?
私に言わせれば、これらはみんな同じ事。
そうしてはならないと法で定められています。
そして法の根本は何かというと「他人に迷惑をかけない」という事です。
人を殺した場合、基本的に殺された人やその被害者遺族にはとても迷惑な事です。
他の犯罪も同じ事。
万引きもオレオレ詐欺も他人に迷惑をかける行為です。
人が社会で生きていく上で「他人に迷惑をかけない」という事は基本であり当たり前の事でしかありません。
人殺しも、オレオレ詐欺も万引きも「他人に迷惑をかける行為」だからこそ禁止されているのです。
ここで「迷惑をかけていい」なんて思っている人は、よほどの自己中心主義で世界は自分を中心に回っていると思っている我儘な人だけであり、おかしな育て方をされた人でしょう。
中国の古い思想の論語の中に「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」という言葉があります。
自分がされたくない事を他人にしてはいけません。という事であり、これもまた他人に迷惑をかけてはいけませんという事です。
人は昔から「他人に迷惑をかけない」という事を基本として法を定めてきたのです。
そして人を殺してはいけないという事は、自分もまた他人に殺されないという権利を保障される事であり、生命の利益を享受する事でもあります。
逆に言えば、もし人を殺しても良い社会というのなら、自分もまた他人に殺されるという危険を甘受しなくてはならない社会でしょう。
>「いただきます」と言って食べているから大丈夫、と言う方もいますが、それなら私は人を殺す時に「(お命を)いただきます」と言います。それならば、許されるんですよね?
少なくとも私が学んだ「いただきます」の意味からでは許されない事です。
私は「いただきます」には二つの意味があると教わりました。
一つは食事に携わった人への感謝の念です。
ご飯のお米や、おかずの野菜を作ってくれた農家の人。おかずの魚をとってくれた漁師さん。おかずのお肉を提供してくれた牧場の人。そして調理してくれた人。
食べ物を作り、また育てそうした料理という形になるまでに関係してくれた全ての人達に感謝する意味での「いただきます」と学びました。
二つ目は、食材への感謝の念です。
お肉(動物)、お魚、野菜、果物にも命があります。生きています。
それを食べる事で私の命を繋げさせていただく(生かさせていただく)、という事で、食べる食材に感謝の念を捧げるという意味があると教わりました。
そういうわけで、少なくとも私が学んだこの二つの意味からは、いただきますを言えば、人を殺してもいいという意味には全く受け取れません。
「いただきます」と言って人を殺しても自分の命を繋ぐ行為、生かさせていただくという事にはならないのですから。
そもそも殺した動物の肉を食べる時に「いただきます」と言っているのだから、その理屈で言えば
人を殺す時に「いただきます」と言うのではなく、殺した人の肉を食べる時に、人肉嗜食する時に「いただきます」というのが理屈の上からは正しい指摘である筈だと思いまいす。
また、動物を殺して食べる事については、
牛や豚、鳥や魚にも命があるわけですが、そうした動物達が食べている草や木の実やプランクトンにも命はあるわけです。
植物にも心があるという説もあります。
生き物はすべからく食物連鎖を構成しています。
命を食べるという意味でなら人も牛も豚も変わりありません。
生き物はみんな何かの命を犠牲にして自らの命の糧を得ています。
だから、私は殊更、動物の肉を食べるからと言って罪悪感を抱いたりはしません。
ここで勘違いしてはならないのは、人が牛や豚、魚を殺して食べるという行為は、自らの命を繋ぐ行為であり生きるためです。
では殺人は? それは自らが生きるための食材を得るための行為なのでしょうか? 人肉嗜食するためなのでしょうか?
そして、その必要性は?
現在の日本ではとてもその必要性があるとは思えません。
そんなわけで、私は何故、人を殺してはならないのか疑問に思った事は一度もありません。
逆に考えてみてはいかがでしょうか?
何故、人を殺す必要があるのですか?と。
>何故、人を殺してはならないのですか?
それにちょっとプラスします。
何故、泥棒してはならないのですか?
何故、万引きしてはならないのですか?
何故、オレオレ詐欺をしてはならないのですか?
私に言わせれば、これらはみんな同じ事。
そうしてはならないと法で定められています。
そして法の根本は何かというと「他人に迷惑をかけない」という事です。
人を殺した場合、基本的に殺された人やその被害者遺族にはとても迷惑な事です。
他の犯罪も同じ事。
万引きもオレオレ詐欺も他人に迷惑をかける行為です。
人が社会で生きていく上で「他人に迷惑をかけない」という事は基本であり当たり前の事でしかありません。
人殺しも、オレオレ詐欺も万引きも「他人に迷惑をかける行為」だからこそ禁止されているのです。
ここで「迷惑をかけていい」なんて思っている人は、よほどの自己中心主義で世界は自分を中心に回っていると思っている我儘な人だけであり、おかしな育て方をされた人でしょう。
中国の古い思想の論語の中に「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」という言葉があります。
自分がされたくない事を他人にしてはいけません。という事であり、これもまた他人に迷惑をかけてはいけませんという事です。
人は昔から「他人に迷惑をかけない」という事を基本として法を定めてきたのです。
そして人を殺してはいけないという事は、自分もまた他人に殺されないという権利を保障される事であり、生命の利益を享受する事でもあります。
逆に言えば、もし人を殺しても良い社会というのなら、自分もまた他人に殺されるという危険を甘受しなくてはならない社会でしょう。
>「いただきます」と言って食べているから大丈夫、と言う方もいますが、それなら私は人を殺す時に「(お命を)いただきます」と言います。それならば、許されるんですよね?
少なくとも私が学んだ「いただきます」の意味からでは許されない事です。
私は「いただきます」には二つの意味があると教わりました。
一つは食事に携わった人への感謝の念です。
ご飯のお米や、おかずの野菜を作ってくれた農家の人。おかずの魚をとってくれた漁師さん。おかずのお肉を提供してくれた牧場の人。そして調理してくれた人。
食べ物を作り、また育てそうした料理という形になるまでに関係してくれた全ての人達に感謝する意味での「いただきます」と学びました。
二つ目は、食材への感謝の念です。
お肉(動物)、お魚、野菜、果物にも命があります。生きています。
それを食べる事で私の命を繋げさせていただく(生かさせていただく)、という事で、食べる食材に感謝の念を捧げるという意味があると教わりました。
そういうわけで、少なくとも私が学んだこの二つの意味からは、いただきますを言えば、人を殺してもいいという意味には全く受け取れません。
「いただきます」と言って人を殺しても自分の命を繋ぐ行為、生かさせていただくという事にはならないのですから。
そもそも殺した動物の肉を食べる時に「いただきます」と言っているのだから、その理屈で言えば
人を殺す時に「いただきます」と言うのではなく、殺した人の肉を食べる時に、人肉嗜食する時に「いただきます」というのが理屈の上からは正しい指摘である筈だと思いまいす。
また、動物を殺して食べる事については、
牛や豚、鳥や魚にも命があるわけですが、そうした動物達が食べている草や木の実やプランクトンにも命はあるわけです。
植物にも心があるという説もあります。
生き物はすべからく食物連鎖を構成しています。
命を食べるという意味でなら人も牛も豚も変わりありません。
生き物はみんな何かの命を犠牲にして自らの命の糧を得ています。
だから、私は殊更、動物の肉を食べるからと言って罪悪感を抱いたりはしません。
ここで勘違いしてはならないのは、人が牛や豚、魚を殺して食べるという行為は、自らの命を繋ぐ行為であり生きるためです。
では殺人は? それは自らが生きるための食材を得るための行為なのでしょうか? 人肉嗜食するためなのでしょうか?
そして、その必要性は?
現在の日本ではとてもその必要性があるとは思えません。
そんなわけで、私は何故、人を殺してはならないのか疑問に思った事は一度もありません。
逆に考えてみてはいかがでしょうか?
何故、人を殺す必要があるのですか?と。
[良い点]
誰しもがもつ疑問を文として書き起こされたこと
[気になる点]
動物に心があるというところまで言及するのは推論に過ぎず、いささか性急。
[一言]
『なぜ、殺してはならないのか』という疑問点にのみの着眼であり
『なぜ、殺すことを行わないのか』という点に言及が及んでないのがこの議論に限界をもたらす。
つまり、『法律、社会倫理、感情による規制を無視して殺人を犯す人間』は一定数いるわけである。
その当人の話を聞かない限り、殺害を犯したことのない人間同士の議論では殺害そのものの行為は単なる推論に過ぎず、論議の展開が行えない。
ここは1度、殺人を犯した人間の心理的過程を追いつつ、論議を展開するとまた、深みのある話になるのではないか。
誰しもがもつ疑問を文として書き起こされたこと
[気になる点]
動物に心があるというところまで言及するのは推論に過ぎず、いささか性急。
[一言]
『なぜ、殺してはならないのか』という疑問点にのみの着眼であり
『なぜ、殺すことを行わないのか』という点に言及が及んでないのがこの議論に限界をもたらす。
つまり、『法律、社会倫理、感情による規制を無視して殺人を犯す人間』は一定数いるわけである。
その当人の話を聞かない限り、殺害を犯したことのない人間同士の議論では殺害そのものの行為は単なる推論に過ぎず、論議の展開が行えない。
ここは1度、殺人を犯した人間の心理的過程を追いつつ、論議を展開するとまた、深みのある話になるのではないか。
感想ありがとうございます。
私も様々な視点で考察するつもりではありましたが、自身の気力と時間の問題で此処まで短いものとなってしまいました。これからも色んな人に話しを聞いてみようと思うので、別の論議はまた後日となりますね。
確かに、人を殺した事のない人間が話を展開させた所で考えられるものにも限りがあります。今度は殺人を犯した人の心でも考えてみましょうか。
私も様々な視点で考察するつもりではありましたが、自身の気力と時間の問題で此処まで短いものとなってしまいました。これからも色んな人に話しを聞いてみようと思うので、別の論議はまた後日となりますね。
確かに、人を殺した事のない人間が話を展開させた所で考えられるものにも限りがあります。今度は殺人を犯した人の心でも考えてみましょうか。
- カドナ・リリィ
- 2016年 08月27日 17時06分
[一言]
人を殺すことが許される状態と仮定して、自分が殺されることを先に考えない人間は大概殺されます。
自分が殺されることを考える人より、自衛能力が低いからです。
殺す事が許されていても、殺さない選択肢があるなら私は殺しません。
だって何のメリットもないでしょう。
無駄で面倒くさいじゃないですか。
許されているだけで人を殺す人は、人を殺したいと思っている人だけですよ。
もちろん殺しに来たら殺しますよ。
息の根を止めてしまうほうが今後安全ですしね。
そして、わざわざ意味もなく人を殺さない人間だけで集まって、協力すれば。
殺す人を駆逐していけば。
ほら、人を殺してはいけない世の中になる。
テロに捕まった人に関しては二人とも助けませんね。
だって知らない他人ですもの。
自分の面倒は自分で見てください。
頼るなら身内にしてください。
つかまったのが両方身内なら。
テロリストを殺すかもしれませんね。
人を殺すことが許される状態と仮定して、自分が殺されることを先に考えない人間は大概殺されます。
自分が殺されることを考える人より、自衛能力が低いからです。
殺す事が許されていても、殺さない選択肢があるなら私は殺しません。
だって何のメリットもないでしょう。
無駄で面倒くさいじゃないですか。
許されているだけで人を殺す人は、人を殺したいと思っている人だけですよ。
もちろん殺しに来たら殺しますよ。
息の根を止めてしまうほうが今後安全ですしね。
そして、わざわざ意味もなく人を殺さない人間だけで集まって、協力すれば。
殺す人を駆逐していけば。
ほら、人を殺してはいけない世の中になる。
テロに捕まった人に関しては二人とも助けませんね。
だって知らない他人ですもの。
自分の面倒は自分で見てください。
頼るなら身内にしてください。
つかまったのが両方身内なら。
テロリストを殺すかもしれませんね。
感想ありがとうございます。
仰る通り、もし犯罪が許容される世界となれば、「殺人肯定派」「殺人否定派」と考えが分かれてくるでしょう。メリットのない殺人なんて、ただの冒涜行為に過ぎない。殺人が許されていても許されておらずとも、案外世界は変わらないかもしれませ。
クイズですが、二人とも助けないという方も多いようです。全く知らない赤の他人。もし決める立場にあったとしても、見す見すテロ組織の手助けのような事をするメリットもありません。
仰る通り、もし犯罪が許容される世界となれば、「殺人肯定派」「殺人否定派」と考えが分かれてくるでしょう。メリットのない殺人なんて、ただの冒涜行為に過ぎない。殺人が許されていても許されておらずとも、案外世界は変わらないかもしれませ。
クイズですが、二人とも助けないという方も多いようです。全く知らない赤の他人。もし決める立場にあったとしても、見す見すテロ組織の手助けのような事をするメリットもありません。
- カドナ・リリィ
- 2016年 08月27日 17時13分
[一言]
興味深い内容でした。
自分は、生物としての人間という観点から考えて、
こう思いました。
『人類という種の保存が優先される』
つまり、ある殺人が、明確に人類全体にとって
有益であるならば、それは肯定されるのです。
例えば、『人類の滅亡を目指し、かつそれを成し遂げるだけの能力があり、改心の見込みがゼロである人間』
しかもその脅威がだれの目にも明白だった場合、
殺人者は、人類を救った英雄になります。
牛などを食べることも同様で、人類の保存、進歩に有益である可能性があるからたべるのです。
上記のことを踏まえて、なぜ人を殺してはいけないかというと、その人物が人類の発展に寄与する可能性があるから、
また、個体数は多いほうが種の保存に有利だからです。
あくまでも個人の意見ですが、どうでしょう。
あと、「どちらを助けるか」ですが、
自分はどちらも助けません。
某国に味をしめられたら困るからです。
もしどちらかを助けてしまったら、
また人質がとられ、二人で済んだはずの犠牲者が、
三人、四人と増えてしまうかもしれません。
種の保存と国民の保護を
考える以上それは抱けない事態です。
興味深い内容でした。
自分は、生物としての人間という観点から考えて、
こう思いました。
『人類という種の保存が優先される』
つまり、ある殺人が、明確に人類全体にとって
有益であるならば、それは肯定されるのです。
例えば、『人類の滅亡を目指し、かつそれを成し遂げるだけの能力があり、改心の見込みがゼロである人間』
しかもその脅威がだれの目にも明白だった場合、
殺人者は、人類を救った英雄になります。
牛などを食べることも同様で、人類の保存、進歩に有益である可能性があるからたべるのです。
上記のことを踏まえて、なぜ人を殺してはいけないかというと、その人物が人類の発展に寄与する可能性があるから、
また、個体数は多いほうが種の保存に有利だからです。
あくまでも個人の意見ですが、どうでしょう。
あと、「どちらを助けるか」ですが、
自分はどちらも助けません。
某国に味をしめられたら困るからです。
もしどちらかを助けてしまったら、
また人質がとられ、二人で済んだはずの犠牲者が、
三人、四人と増えてしまうかもしれません。
種の保存と国民の保護を
考える以上それは抱けない事態です。
感想ありがとうございます。
確かに「種の存続のため」という意見も一理ありますね。
人を殺めるという行為が人が生きる事に対しメリットとなるならば、それは讃えても良い事でしょう。戦争然り、警察然り。動物を殺すのも、人が生きる上で仕方がない事。
クイズに関してですが...皆さん両方助けない方が多いですね。我々人類の安全を守るためには、間接的に殺める事も仕方ないのかもしれません。
確かに「種の存続のため」という意見も一理ありますね。
人を殺めるという行為が人が生きる事に対しメリットとなるならば、それは讃えても良い事でしょう。戦争然り、警察然り。動物を殺すのも、人が生きる上で仕方がない事。
クイズに関してですが...皆さん両方助けない方が多いですね。我々人類の安全を守るためには、間接的に殺める事も仕方ないのかもしれません。
- カドナ・リリィ
- 2016年 08月27日 17時37分
[一言]
皆さん真面目に感想書いてますね。
今から真面目に書いても○番煎じにしかならないので少し過激な感想を返します。
ズバリあなたが弱いから人を殺してはならないのです。
なろう主人公を見て下さい。暴力財力知力権力様々な力をもって敵対勢力の排除を行っているでしょう?それが許されるのは世界の法や道徳が緩いのもありますが、主人公がそれをやっても後始末が出来るから問題視されないのです。
あなたが現在の法や道徳によって成り立っている社会に勝利するだけの力があれば誰も抵抗しませんし、勝てはしないまでも誤魔化す程度の力があるならば黙認してもらえますよ。ただ、物語の悪役よろしくより強い奴に敗北し無惨な最期を迎える事もありますがね。
クイズの答えですが私は無力な分責任も無い一般人ですので、考え無しに一般人を助けてしまいそうですね。まあ、なろう主人公ならテロリストを無力化ないし殲滅して両方助けられるんじゃないかな。どっちにしろ殺人鬼の明日は暗いでしょうけど。
皆さん真面目に感想書いてますね。
今から真面目に書いても○番煎じにしかならないので少し過激な感想を返します。
ズバリあなたが弱いから人を殺してはならないのです。
なろう主人公を見て下さい。暴力財力知力権力様々な力をもって敵対勢力の排除を行っているでしょう?それが許されるのは世界の法や道徳が緩いのもありますが、主人公がそれをやっても後始末が出来るから問題視されないのです。
あなたが現在の法や道徳によって成り立っている社会に勝利するだけの力があれば誰も抵抗しませんし、勝てはしないまでも誤魔化す程度の力があるならば黙認してもらえますよ。ただ、物語の悪役よろしくより強い奴に敗北し無惨な最期を迎える事もありますがね。
クイズの答えですが私は無力な分責任も無い一般人ですので、考え無しに一般人を助けてしまいそうですね。まあ、なろう主人公ならテロリストを無力化ないし殲滅して両方助けられるんじゃないかな。どっちにしろ殺人鬼の明日は暗いでしょうけど。
感想ありがとうございます。
そうなんです、凄く真面目で的確な文章ばかりで私が返信しても良いのかと思ってしまいます...。
なろう主人公をリアルの現代世界に持ってきたら、確かに逆らう人なんていませんね。異世界よりかは法も固く道徳概念も高いですが、誰も文句は言えません。
クイズに関してですが、私も考えなしに一般人を選びましたね。ただ感想欄で皆さんの意見を聞いているとテロリストの補助をしてしまう...だとかの全体的なメリットを考えた上での選択は出来ていなかったと感じます。私は偉い人にはなれんな。
そうなんです、凄く真面目で的確な文章ばかりで私が返信しても良いのかと思ってしまいます...。
なろう主人公をリアルの現代世界に持ってきたら、確かに逆らう人なんていませんね。異世界よりかは法も固く道徳概念も高いですが、誰も文句は言えません。
クイズに関してですが、私も考えなしに一般人を選びましたね。ただ感想欄で皆さんの意見を聞いているとテロリストの補助をしてしまう...だとかの全体的なメリットを考えた上での選択は出来ていなかったと感じます。私は偉い人にはなれんな。
- カドナ・リリィ
- 2016年 08月27日 17時44分
[一言]
興味深く拝見しました。
まず設問から。
「どちらを選ぶか」に関してですが、それを判断できる立場や境遇だと仮定した上で、私ならば人質の奪還及び、殺人鬼の逮捕(もしくは殺害)を指示します。
理由としては、利益が高い方を選んだということでしょうか。
結局、元凶を断たなければ人質(及び犠牲者)は増えるわけですから、何としても元凶を断たなければならない。ならば、殺人鬼は殺すのが最良(最善ではないですが)だと判断するでしょう。
こういった命題を「正義の話をしよう」(マイケル・サンデル著)という本で似たような設問で見かけました。
結局、どれも正しいとまとめていたと記憶しています。つまり、一概に『絶対』は言えないということでしょう。
「何故、人を殺してはいけないのか?」という設問に関してですが、
命に関しての価値観とは、複合する環境であったり、思想であったり、もしくは個人の感情でどうにも揺らいでしまう感覚であると私は思います。
いまの日本ではあまり馴染みがないですが、古来より人を殺すことを是としてきた文化もあるし、人を食べることを是としてきた文化もある。
しかし、他の方も仰っているように法律で明確にルール付けをしてきたいまの社会では、犯罪行為の殺人は悪であると言えるでしょう。(どの様な理由があるにせよ)
ただ、条件付きで殺人を容認しているのも法律ですから、正しい殺人もこの世界には事実として存在している。是か非かを問われた時に、この事実関係を突き崩す論理を私は持っていません。
やはりと言うべきか。
命という価値観を軽んじている訳ではないのですが、そこには複合する様々な要因や条件があって、人の命というのは価値が変わるものですから、一概に答えを決められない。というのが私の答えでした。
つまり、条件によっては殺してもいい。条件によっては殺してはいけない。この世の命全てに、きっと言えることではないか? そう思った次第です。
実に興味深い議論に出逢えたことに、深い感謝を申し上げます。
興味深く拝見しました。
まず設問から。
「どちらを選ぶか」に関してですが、それを判断できる立場や境遇だと仮定した上で、私ならば人質の奪還及び、殺人鬼の逮捕(もしくは殺害)を指示します。
理由としては、利益が高い方を選んだということでしょうか。
結局、元凶を断たなければ人質(及び犠牲者)は増えるわけですから、何としても元凶を断たなければならない。ならば、殺人鬼は殺すのが最良(最善ではないですが)だと判断するでしょう。
こういった命題を「正義の話をしよう」(マイケル・サンデル著)という本で似たような設問で見かけました。
結局、どれも正しいとまとめていたと記憶しています。つまり、一概に『絶対』は言えないということでしょう。
「何故、人を殺してはいけないのか?」という設問に関してですが、
命に関しての価値観とは、複合する環境であったり、思想であったり、もしくは個人の感情でどうにも揺らいでしまう感覚であると私は思います。
いまの日本ではあまり馴染みがないですが、古来より人を殺すことを是としてきた文化もあるし、人を食べることを是としてきた文化もある。
しかし、他の方も仰っているように法律で明確にルール付けをしてきたいまの社会では、犯罪行為の殺人は悪であると言えるでしょう。(どの様な理由があるにせよ)
ただ、条件付きで殺人を容認しているのも法律ですから、正しい殺人もこの世界には事実として存在している。是か非かを問われた時に、この事実関係を突き崩す論理を私は持っていません。
やはりと言うべきか。
命という価値観を軽んじている訳ではないのですが、そこには複合する様々な要因や条件があって、人の命というのは価値が変わるものですから、一概に答えを決められない。というのが私の答えでした。
つまり、条件によっては殺してもいい。条件によっては殺してはいけない。この世の命全てに、きっと言えることではないか? そう思った次第です。
実に興味深い議論に出逢えたことに、深い感謝を申し上げます。
- 投稿者: 退会済み
- 2016年 08月25日 21時57分
管理
感想ありがとうございます。
正しい殺人も間違った殺人も、あってないようなものですね。何方も人を殺す事には変わりないというのに、絶対とは言えない。
命の価値観に関してですが...まぁ人ですから、感情や立場によって変わるのは仕方ないのかなと思います。家族の命と赤の他人の命。平等なんて大声で嘯く人間も、恐らく助ける立場にあれば家族を選ぶでしょう。
「何故、人を殺してはならないのですか?」
この問いの答えに、正しいも間違ってるもクソもないんじゃないかと。答えを求める事自体が無謀なのかもしれないし、ただ存在しないゴールを目指すようなものなのかも。
正しい殺人も間違った殺人も、あってないようなものですね。何方も人を殺す事には変わりないというのに、絶対とは言えない。
命の価値観に関してですが...まぁ人ですから、感情や立場によって変わるのは仕方ないのかなと思います。家族の命と赤の他人の命。平等なんて大声で嘯く人間も、恐らく助ける立場にあれば家族を選ぶでしょう。
「何故、人を殺してはならないのですか?」
この問いの答えに、正しいも間違ってるもクソもないんじゃないかと。答えを求める事自体が無謀なのかもしれないし、ただ存在しないゴールを目指すようなものなのかも。
- カドナ・リリィ
- 2016年 08月27日 17時51分
感想は受け付けておりません。