感想一覧

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[一言]
 不必要ならおせっかいなるし、尊大なら押しつけがましい。 とは言え、気遣いすぎても心苦しくさせる。

 やさしさとはなんだろう。
 思うに、多分それは、理解ではなく肯定なんだと思う。
 理解があるとしても、まず肯定があるのだと思う。

 このエッセイを読んで、それを感じました。
ご感想ありがとうございます。

やさしさの前提に肯定がある。
全くその通りだと思います。
否定や無関心からは何も生まれませんから。

肯定することによってはじめて見える景色が、この世には多くあるのでしょう。

深いお言葉をありがとうございます。
  • 貫雪
  • 2016年 05月23日 20時52分
[一言]
拝読しました。

この歳になって、周囲の人間には不幸ばかりが続き、先日、ようやく親戚の子の結婚式に出席しました。別ればかりが続いていた日々の中、心が華やぐ一日でした。
おっと、自分の事ばかり書いてしまいました。
身内の介護の事で、あれこれあった一年でしたので、つい……。
施設を探すのも、ツテを頼るのも容易ではないですよね。
偶然のその出会いが、よき出会いであったようで、よかったです。
ありがとうございます。

私はむしろレアケースであることが幸いして、周りの方が尽力してくださるので恵まれているようです。
緊急の中でも妥協せずに済むことはギリギリまで粘ったのが幸いし、父は最近特養の入所が決まりましたし、後見人などの保証人関係の人も福祉従事者で固める事が出来たので、当人たちの拒絶や多少のトラブルがあっても、比較的スムーズに対応していただいてます。

本当に私は人との出会いにに恵まれている方だと思います。
思いがけない出会いも、こんな風に心にしみますしね。
  • 貫雪
  • 2016年 05月19日 22時15分
[良い点]
とても心に染みたお話でした。
私はパニック障害、対人恐怖症で電車に乗るのも辛いです。少しよくなっても悪化して、今は良くなりましたが、電車の、人通りの落ち着いた時間帯を狙い、駅に行き、人の乗り降りの少ない電車に乗るのが一番安全策です。
息苦しくなり、汗をだらだら、手足が震え辛いです。
その方も、辛い思いをされていますね……でも、貫雪さまの優しさで、手袋越しでも気持ちは伝わります。
[一言]
私は、去年祖母を亡くしました。死因は老衰ではありましたが痴ほう症と、何度かガンを再発させたり腸閉塞を起こしたりしていました。
しかも、自分達が祖母の面倒を見ると言って聞かなかった叔母たちが外では、両親……特に婿養子の父を、
「ばあちゃんの面倒をこっちに見させて、なんもせん役立たず」
と罵りました。
母は、祖母が入院する度にせっせと私からお金を借り、バスで毎日通い、看病を続けました。
祖母は、60を過ぎてから話を聞かなくなりました。私と妹の名前を忘れました。
いつも耳を示し、「聞こえんのよ。あんただれ?」そう言いました。痴呆までは言っていないにしろ、ちょっとボケちゃったのかな?と、何回も自分と妹の名前をいい、「ばあちゃん。覚えてね?」そう言っていました。

兄が結婚しました。奥さんの名前を兄が紹介し、祖母は喜んで「○○ちゃん」と呼びました。兄夫婦に子供が二人生まれ、祖母は喜びました。
「××ちゃんと**はこんのかのぉ……それにえーと……」
一瞬なぜか期待しました。祖母が忘れていることを。しかし、「○○ちゃん‼会いに来てくれんのか?のう、……だれやったかいのう?」と、不思議そうに私を見る祖母に怒りが沸き上がりました。
二年前の冬に倒れていた祖母を助け起こそうとして、「触るな‼汚い‼」と振り払われたときに……私は、自分は生まれるべきじゃなかったと思いました。
痴ほうだと思いたかったです。でも、甥と姪にはあれこれと、可愛がっていた祖母を、憎む自分が嫌でした。祖母の死を哀しむよりも、汚いと振り払われたことを哀しむ自分が酷いなと……思います。
介護は手続きやご家族の負担が強いです。お体にお気を付けてくださいませ。

ありがとうございますm(__)m
  • 投稿者: 刹那玻璃
  • 40歳~49歳 女性
  • 2016年 05月19日 16時41分
ご感想ありがとうございます。

祖母様はいわゆる「ムラボケ」だったのでしょう。医学的に認知症は色々な症状からタイプ分けや分類がなされていますが、あくまでも傾向ということです。皆突然にすべてを忘れるわけではないですし、一般論通りに順々に症状が進行するわけでもありません。その場の感情に支配されて、相手の感情への関心を失っていたのなら、そういう状態になっていたのだと理解するしかないでしょう。

拒絶されて悲しいと思えたということは、それだけ祖母様への愛情があったのです。悲しみが先立つほど祖母様を愛せた自分を、いたわってあげてよいと思います。とても大切な心を失わなかったのです。素敵なことなんですよ。

きっとね、人はもともと悪なんですよ。生まれた時は自分が快適に生き延びる事しか望まない、究極の自己中。
それが育てられるにつけ愛を知り、善を知り、良い人間に、良い世の中にしたいと望むようになって、少しづつ人生をよくしていくんです。
だからひょんなきっかけや、年老いて善を失っていく中で、人は悪に戻ってしまうこともある。人も自然の一部ですから。

愛は自分に都合のよい、気持ちのいいだけのものではないのでしょう。悲しみも憎しみも苦しみも優しさも感謝も喜びもすべてが愛。
悪の愛に善の愛を返すのはさすがに難しいけれど、心揺らすのも愛ゆえだと思えば何だか納得できませんか?

お気遣いありがとうございます。体には十分気を付けますのでご心配なく。

……あー、もうすぐ健康診断だ(汗)
  • 貫雪
  • 2016年 05月19日 20時45分
[一言]
本当に、心がヒリヒリするようなお話ですね。手を差し伸べる気持ちを忘れないように生きていきたいものです。

大切なことを思い出させていただき、ありがとうございます。
ご感想ありがとうございます。

そんなヒリヒリを一瞬で癒してくれる出会いって、貴重だけど確かにあるんですね。
誰もが生きる力を持っている。これほど心に元気をくれるものはありません。
  • 貫雪
  • 2016年 05月19日 20時16分
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