感想一覧
▽感想を書く[良い点]
何と表現すればよいのかとても難しいのですが
ただただ、切なくて、いとおしい。
いつか届かないものに届くことを願って、繰り返すこと。
繰り返しの狭間の、永遠で一瞬のやすらぎ。
その全てが。
そんな風に思わせてくれる作品だと感じました。
最後、電車に乗り合わせたそれぞれの人たちも、また繰り返しているのかもしれないですね。
彼らが学校であるように、それぞれの癒しの世界と、それぞれの戦いを。
そんな想像をしてしまいます。
何と表現すればよいのかとても難しいのですが
ただただ、切なくて、いとおしい。
いつか届かないものに届くことを願って、繰り返すこと。
繰り返しの狭間の、永遠で一瞬のやすらぎ。
その全てが。
そんな風に思わせてくれる作品だと感じました。
最後、電車に乗り合わせたそれぞれの人たちも、また繰り返しているのかもしれないですね。
彼らが学校であるように、それぞれの癒しの世界と、それぞれの戦いを。
そんな想像をしてしまいます。
感想ありがとうございます。まさか数年前に書いた短編に、今になってコメントが貰えるとは……!
正直これだけの内容ではふわふわしすぎてなんとなくの雰囲気しか伝わらないとは思いますが、その「なんとなく」こそがここで伝えたかった概ね全てです。温かさのようにも、切なさのようにも、未来のことのようにも今この瞬間のことのようにも……結局生きてるってそういうことなんでしょうね、って感じですね。
蛇足かもしれませんが、いくらか捕捉を。
三島を含めたクラスメイト達は、普通の高校生として過ごしていました。しかし、ある日から【連中】と呼ばれる未知の敵による侵略が起き、人類対連中の終末戦争がはじまります。
ここからは様々な可能性に分岐しますが、基本的には三島を含め全員が凄惨な最期を迎えます。
本来ならここで終わるはずですが、しかし三島たちは気づけばあの【安息の場所】とでも言うべきそこにいたのです。そこは未来も過去も、生も死も何もかもが同時に存在している場所でもあり、三島という個人が独立で存在しながらも、木野や黒川と言ったほかのクラスメイトとも同時に存在している……そんな不思議な空間です。
この段階で、三島たちは意識の共有体のようなものになっています。意識だけでなく、ありとあらゆる可能性、運命の分岐点、そのすべてを網羅したパラレルをも共有、理解しあっています。
これはあの安息の場所そのものがそういう特性を持っているからであり、同時にまた、それこそが人間の魂としての本来あるべき姿なのでしょう。
上記より、あの安息の場所に居る間は、三島たちはお互い全てを理解し、文字通り繋がっています。何もかもの可能性があるので、お菓子を好きに作り出したり、お気に入りのクッションを出したりすることもできます。そしてあの安息の場所で、三島たちは十分に体を休め、癒されていくのです。
そして、三島たちは再び次の運命、ループへと進みます。どこから繰り返されるのかはわかりませんが、生きて生きて生き抜いて、そうしてまた戻ってくるのです。
尤も、彼らが話していた通り、大体結末は一緒です。天文学的な試行回数を重ねても、それは変わらないとのこと。天文学的とはいえ有限個の未来なので、いつかは望む結果が得られるかもしれません……が、可能性はどんどん増えていくため、いつその結果が得られるかもわかりません。
例えばの話です。とあるY字路に差し掛かったとして、右に行った私と左に行った私がいたとします。選ばなかった方の私はその時点でパラレルの私となりますが、果たしてパラレルのそれは私と言えるのでしょうか? この「私」と同じ魂を持つと言えるのでしょうか?
パラレルであろうと魂は同一です。しかし、その運命において魂は一つでなくては辻褄が合いません。同じ運命に二つも同一の魂があっては、理論が破綻してしまいます。もちろん、別の選択肢を選んだ「私」はよく似ているだけの別の魂……というわけではありません。どちらを選んでも「私」である以上、似たような何かではなく、完全に同一のものでなければありえないのです。
別の道を選んだ私も同じ私で、そして私は同時に二つも同じ運命の道にいられない。
だから彼らはすべての可能性を体験すべく何度でもループするのです。右に行った私と言う運命を生き抜いた後、左に行ったパラレルを矛盾させないために、最初にループして左に行った運命の道を歩むのです。というより、魂や運命とは、もともとそういう風に出来ていると言ったほうがいいでしょう。
もちろん、運命の道を歩んでいるときは他の運命のことなんてしるはずがありません。超客観的に見れば、彼らは何もかも忘れてしまっています。その道に無いものなんてわかるはずがないのです。
しかし、あの安息の場所はすべての始まりの道であり、そして最後に戻ってくる場所……終点です。すなわち、あらゆる運命の道と繋がっており、それは他者の運命であろうと同じ。運命の道は今この瞬間も増え続けていますが、何もかもと繋がっているからこそ、あの場所に居る時だけは、三島たちは何もかもを理解してしまっているのです。
そう、帰ってきたときには今までのすべてを思い出しているのです。これから何をやっても無駄であることもわかっています。まだループの有限回の試行の途中でありますが、その後行われるすべてのループの結末を互いに分かり合っています。
概念的な話になりますが、有限回の試行の途中における休憩時間という時間軸と、n回目の施行における休憩時間(n回目の安息の場所への到達)が全部混ざっているわけです。
そうして、結末がわかっていながらも、それはあくまで理論上の事……うまく言えませんが、その結末通りにならないことを信じて、彼らは希望を捨てず、何度でも繰り返し、ゆっくり休んで、再び立ち上がるわけです。みんながみんな納得できる未来になるまで、そうならないことは頭の中で理解しつつも繰り返し続けるわけです。
簡単に言えば、彼らは起こりうるすべてのパラレルを、その時間軸を一つの魂が何度もループすることで体験しているわけです。そして、次こそは理論上存在しないパラレルにつながるループであることを信じ、ボロボロになって帰ってきながらも、ゆっくりやすみ、再びループに飛び込んでいるわけです。
あの安息の部屋の役割や、魂と運命の仕組み……人が死ぬとどうなるのか、いわゆる死後の世界とはどういったものなのか。そもそもこうして生きているってどういう意味があるのか。なんとなくでも、そういったものが伝わればいいなって思います。
正直これだけの内容ではふわふわしすぎてなんとなくの雰囲気しか伝わらないとは思いますが、その「なんとなく」こそがここで伝えたかった概ね全てです。温かさのようにも、切なさのようにも、未来のことのようにも今この瞬間のことのようにも……結局生きてるってそういうことなんでしょうね、って感じですね。
蛇足かもしれませんが、いくらか捕捉を。
三島を含めたクラスメイト達は、普通の高校生として過ごしていました。しかし、ある日から【連中】と呼ばれる未知の敵による侵略が起き、人類対連中の終末戦争がはじまります。
ここからは様々な可能性に分岐しますが、基本的には三島を含め全員が凄惨な最期を迎えます。
本来ならここで終わるはずですが、しかし三島たちは気づけばあの【安息の場所】とでも言うべきそこにいたのです。そこは未来も過去も、生も死も何もかもが同時に存在している場所でもあり、三島という個人が独立で存在しながらも、木野や黒川と言ったほかのクラスメイトとも同時に存在している……そんな不思議な空間です。
この段階で、三島たちは意識の共有体のようなものになっています。意識だけでなく、ありとあらゆる可能性、運命の分岐点、そのすべてを網羅したパラレルをも共有、理解しあっています。
これはあの安息の場所そのものがそういう特性を持っているからであり、同時にまた、それこそが人間の魂としての本来あるべき姿なのでしょう。
上記より、あの安息の場所に居る間は、三島たちはお互い全てを理解し、文字通り繋がっています。何もかもの可能性があるので、お菓子を好きに作り出したり、お気に入りのクッションを出したりすることもできます。そしてあの安息の場所で、三島たちは十分に体を休め、癒されていくのです。
そして、三島たちは再び次の運命、ループへと進みます。どこから繰り返されるのかはわかりませんが、生きて生きて生き抜いて、そうしてまた戻ってくるのです。
尤も、彼らが話していた通り、大体結末は一緒です。天文学的な試行回数を重ねても、それは変わらないとのこと。天文学的とはいえ有限個の未来なので、いつかは望む結果が得られるかもしれません……が、可能性はどんどん増えていくため、いつその結果が得られるかもわかりません。
例えばの話です。とあるY字路に差し掛かったとして、右に行った私と左に行った私がいたとします。選ばなかった方の私はその時点でパラレルの私となりますが、果たしてパラレルのそれは私と言えるのでしょうか? この「私」と同じ魂を持つと言えるのでしょうか?
パラレルであろうと魂は同一です。しかし、その運命において魂は一つでなくては辻褄が合いません。同じ運命に二つも同一の魂があっては、理論が破綻してしまいます。もちろん、別の選択肢を選んだ「私」はよく似ているだけの別の魂……というわけではありません。どちらを選んでも「私」である以上、似たような何かではなく、完全に同一のものでなければありえないのです。
別の道を選んだ私も同じ私で、そして私は同時に二つも同じ運命の道にいられない。
だから彼らはすべての可能性を体験すべく何度でもループするのです。右に行った私と言う運命を生き抜いた後、左に行ったパラレルを矛盾させないために、最初にループして左に行った運命の道を歩むのです。というより、魂や運命とは、もともとそういう風に出来ていると言ったほうがいいでしょう。
もちろん、運命の道を歩んでいるときは他の運命のことなんてしるはずがありません。超客観的に見れば、彼らは何もかも忘れてしまっています。その道に無いものなんてわかるはずがないのです。
しかし、あの安息の場所はすべての始まりの道であり、そして最後に戻ってくる場所……終点です。すなわち、あらゆる運命の道と繋がっており、それは他者の運命であろうと同じ。運命の道は今この瞬間も増え続けていますが、何もかもと繋がっているからこそ、あの場所に居る時だけは、三島たちは何もかもを理解してしまっているのです。
そう、帰ってきたときには今までのすべてを思い出しているのです。これから何をやっても無駄であることもわかっています。まだループの有限回の試行の途中でありますが、その後行われるすべてのループの結末を互いに分かり合っています。
概念的な話になりますが、有限回の試行の途中における休憩時間という時間軸と、n回目の施行における休憩時間(n回目の安息の場所への到達)が全部混ざっているわけです。
そうして、結末がわかっていながらも、それはあくまで理論上の事……うまく言えませんが、その結末通りにならないことを信じて、彼らは希望を捨てず、何度でも繰り返し、ゆっくり休んで、再び立ち上がるわけです。みんながみんな納得できる未来になるまで、そうならないことは頭の中で理解しつつも繰り返し続けるわけです。
簡単に言えば、彼らは起こりうるすべてのパラレルを、その時間軸を一つの魂が何度もループすることで体験しているわけです。そして、次こそは理論上存在しないパラレルにつながるループであることを信じ、ボロボロになって帰ってきながらも、ゆっくりやすみ、再びループに飛び込んでいるわけです。
あの安息の部屋の役割や、魂と運命の仕組み……人が死ぬとどうなるのか、いわゆる死後の世界とはどういったものなのか。そもそもこうして生きているってどういう意味があるのか。なんとなくでも、そういったものが伝わればいいなって思います。
- ひょうたんふくろう
- 2020年 12月23日 22時47分
[一言]
難しい……
けどなんだかひかれる……
じゃむくっきぃ……
次はノクターンにて、バーサークなっちゃんの物語を、是非(グロによる18禁)
難しい……
けどなんだかひかれる……
じゃむくっきぃ……
次はノクターンにて、バーサークなっちゃんの物語を、是非(グロによる18禁)
感想ありがとうございます。
うすうすお察しかもしれませんが、これもまた、ある日見た夢を書き写したものとなっています。目覚めた瞬間にスマホのメモ帳に概要をメモし、その後細部を思い出しつつ、物語としてある程度の体裁を保てるようにいくらか調整しました。
必要かどうかはわかりませんが、いくらか補足を。
三島を含めたクラスメイト達はごく普通の学生として楽しい学園生活を送ります。しかしその終盤において未知の敵による侵略が起き、人類対【連中】の終末戦争が発生しました。
ここから様々な可能性に分岐していきますが、基本的にはクラスメイト全員が凄惨な死を遂げます。
しかし、死んだはずの三島たちは気づけば、あの日の【安息の場所】にいたのです。
この段階で、三島たちは一人であり複数である、意識の共有体のようなものになっていました。 同時に全ての可能性を瞬間ですべて体験し、これから起こりうるすべてのパラレルワールドを理解してしまいます。人を超越した存在になったと思ってもらって間違いありません。
安息の場所は文字通り夢のような場所です。何でもできます。お菓子を調達することもできますし、懐かしい友達とあの日のようにしゃべりながらゆっくり休むこともできます。何時間でもそこにいることができます。文字通り、彼らをいやすためだけに存在する場所といっていいでしょう。
ゆっくりと休んだ三島たちは再び次のループに入ります。安息の場所から旅立つ朝の電車がその合図です。これに乗ることで三島たちは一時的にすべての記憶を失い、再び一般人として最初から……高校生活のある地点からやり直すことになります。
そうしてまた、生き抜いて帰ってきます。ループごとに微妙に内容は違いますが、結末はほとんど一緒です。
もちろん、帰ってきたときには今までのすべてを思い出しています。これから何をやっても無駄であることもわかっています。まだループの有限回の試行の途中でありますが、その後行われるすべてのループの結末を互いに分かり合っています。
概念的な話になりますが、有限回の試行の途中における休憩時間という時間軸と、n回目の施行における休憩時間(n回目の安息の場所への到達)が全部混ざっているわけです。
そうして、結末がわかっていながらも、それはあくまで理論上の事……うまく言えませんが、その結末通りにならないことを信じて、彼らは希望を捨てず、何度でも繰り返し、ゆっくり休んで、再び立ち上がるわけです。みんながみんな納得できる未来になるまで、そうならないことは頭の中で理解しつつも繰り返し続けるわけです。
もちろん、なんで彼らがこんな風にループすることになったのか、どうして彼らが意識共有体になったのか、どうして無限にほぼ等しいループを気が狂うこともなく、当たり前のように受け入れられているのかは一切不明です。
簡単に言えば、彼らは起こりうるすべてのパラレルを、その時間軸を一つの魂が何度もループすることで体験しているわけです。そして、次こそは理論上存在しないパラレルにつながるループであることを信じ、ボロボロになって帰ってきながらも、ゆっくりやすみ、再びループに飛び込んでいるわけです。
自分でもうまく説明できませんが、なんとなく作品そのものの雰囲気を感じ取ってくれるとうれしいです。
うすうすお察しかもしれませんが、これもまた、ある日見た夢を書き写したものとなっています。目覚めた瞬間にスマホのメモ帳に概要をメモし、その後細部を思い出しつつ、物語としてある程度の体裁を保てるようにいくらか調整しました。
必要かどうかはわかりませんが、いくらか補足を。
三島を含めたクラスメイト達はごく普通の学生として楽しい学園生活を送ります。しかしその終盤において未知の敵による侵略が起き、人類対【連中】の終末戦争が発生しました。
ここから様々な可能性に分岐していきますが、基本的にはクラスメイト全員が凄惨な死を遂げます。
しかし、死んだはずの三島たちは気づけば、あの日の【安息の場所】にいたのです。
この段階で、三島たちは一人であり複数である、意識の共有体のようなものになっていました。 同時に全ての可能性を瞬間ですべて体験し、これから起こりうるすべてのパラレルワールドを理解してしまいます。人を超越した存在になったと思ってもらって間違いありません。
安息の場所は文字通り夢のような場所です。何でもできます。お菓子を調達することもできますし、懐かしい友達とあの日のようにしゃべりながらゆっくり休むこともできます。何時間でもそこにいることができます。文字通り、彼らをいやすためだけに存在する場所といっていいでしょう。
ゆっくりと休んだ三島たちは再び次のループに入ります。安息の場所から旅立つ朝の電車がその合図です。これに乗ることで三島たちは一時的にすべての記憶を失い、再び一般人として最初から……高校生活のある地点からやり直すことになります。
そうしてまた、生き抜いて帰ってきます。ループごとに微妙に内容は違いますが、結末はほとんど一緒です。
もちろん、帰ってきたときには今までのすべてを思い出しています。これから何をやっても無駄であることもわかっています。まだループの有限回の試行の途中でありますが、その後行われるすべてのループの結末を互いに分かり合っています。
概念的な話になりますが、有限回の試行の途中における休憩時間という時間軸と、n回目の施行における休憩時間(n回目の安息の場所への到達)が全部混ざっているわけです。
そうして、結末がわかっていながらも、それはあくまで理論上の事……うまく言えませんが、その結末通りにならないことを信じて、彼らは希望を捨てず、何度でも繰り返し、ゆっくり休んで、再び立ち上がるわけです。みんながみんな納得できる未来になるまで、そうならないことは頭の中で理解しつつも繰り返し続けるわけです。
もちろん、なんで彼らがこんな風にループすることになったのか、どうして彼らが意識共有体になったのか、どうして無限にほぼ等しいループを気が狂うこともなく、当たり前のように受け入れられているのかは一切不明です。
簡単に言えば、彼らは起こりうるすべてのパラレルを、その時間軸を一つの魂が何度もループすることで体験しているわけです。そして、次こそは理論上存在しないパラレルにつながるループであることを信じ、ボロボロになって帰ってきながらも、ゆっくりやすみ、再びループに飛び込んでいるわけです。
自分でもうまく説明できませんが、なんとなく作品そのものの雰囲気を感じ取ってくれるとうれしいです。
- ひょうたんふくろう
- 2016年 08月08日 20時47分
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