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[一言]
興味深く拝読しました。すみませんが「誤字報告」ができないようなので、こちらに失礼します。36話の「SF(らしきもの)」がルビとして表示されていました。「SF|(らしきもの)」へ修正をするとよいかと思います。。。
  • 投稿者: gaia-73
  • 23歳~29歳
  • 2019年 09月09日 00時40分
gaia-73さん、ありがとうございます。
修正いたしました。

内容としてgaia-73さんの参考になるものかは私にはわからない部分もありますが、丁寧に読んでいただいたことはたしかだと思います。
重ねてお礼いたします。
[一言]
あなたの作品を読んでいて「SF読みはSFを高尚と思っている!」と思った瞬間はSF以外に存在意義はない、って書いていたのを読んだ時です。ずったずった他ジャンルを否定していたら、そのジャンルが好きな人の反発は食らうと思う。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2017年 05月26日 19時28分
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詩瑜さん、感想ありがとうございます。

最近は、もう少し具体的に、「SciFi(SF)は、哲学の学派の一つ」と考えています。
それに値しないものは、SF(SciFi)を名乗っても、それは詐称であろうと考えています。

哲学という言葉を出しましたが、だから高尚という話ではありません。
学術的な専門書や論文も娯楽と考えています。
[良い点]
『OK。"SF" カテゴリは明け渡そう』を読んでから「こわちか」と避けていたのですが、このエッセイを読んで印象が変わりました。

いわゆる文学礼賛者は保守的かつ権威的で辟易するのですが、筆者はそうではなかったし、主張は共感できるところが多い。
特に6−2はよかったですね。お前ら懐古趣味を拗らせてるだけじゃないか! という。
3−8や3−2もいい。文章に関する部分はほとんど共感できるのではないか、と思ったほどです。

ただ、筆者は作品の意義に価値を置いていて、私はどちらかといえば無頓着なのでしょう。
物語に対する部分は、言いたいことは理解できるものの、私の好みとは違うなと。
しかし、土台がよく整地されているので飽きることなく興味深く読めました。
[一言]
6−6の天才について。

「あ、この人は天才なんだな」と最近感じたのはドリフターズの織田信長ですね。
彼は16世紀の知識しか持っていなかったのですが、キッドにガトリング砲を見せてもらうと19世紀の戦争を正確に予見してしまいます。
読者にとって既知の情報だけでも天才を天才のように描けるのだなあと感心しました。
  • 投稿者: lynx
  • 2017年 02月02日 10時00分
感想、ありがとうございます。

どのジャンルでも「このジャンル(あるいはサブジャンル)の文体などなどはこういうものだ」という認識はあるでしょうし、それはある意味では基本でもあるかと思います。
ですが、それは結局古いからそうなっているわけです。
意図的にそれを狙うのでない限り、それは土台ではあっても、現在書くものではないだろうと思います。

あるいは、同時期に同じ、あるいは似たようなジャンルやサブジャンルを書いていた著者もいたりします。それも、まったく違う文体などなどで。
そこから、ある著者の文体などなどを選ぶのは好みもあるでしょうが、どうしてそれを選ぶのかという自分なりの理由も必要かと思います。

ですので、ある作家を、言うなら「神格化」することに、あまり利点があるとは思えません。「神格化」してしまうと、自分が書く際の土台ではなく、ただの足かせにしかならないでしょう。あるいは劣化コピーになるだけかもしれません。
[一言]
思い出したのが、谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩です。場面が移り変わり、そして、最後にまとまっていく……

宮沢様の話とは違うかもしれませんが、こんな感じに「ほんとうは一つの話」(byカニグズバーグ)になる話は好きです。
ただ、自分でも試しましたが、難しいですよね。うまくつなげられないと、脈絡がないと思われますから。

どうでもよいのですが、宮沢様は、「全て」を使わない方なのですね。私も使いたくない(「総て」ならまだ許せます)ので、6-3を読んで感銘を受けました。
感想、ありがとうございます。

モンタージュなどいろいろな技巧は、やはり、「うまく使えるかどうか」というのが最大の問題であろうと思います。
どういう技巧にしても、試してみないと自分にできるか、合うかがわかりません。
ですが気に入った技巧が手に入れば、財産になると思います。

「すべて」については、予備校の英語の先生の受け売りですが(笑。
「すべて」にしても、「世界」にしても、使うなら重い言葉として使いたいと思っています。
[一言]
はじめまして?

惹かれたところ
・「正しい日本語」における「言語の地平」ということば
・わかりやすさ(用語)における「フレーバー」ということば

参考文献のリスト、めちゃめちゃ欲しいです。
好んで読むのが生物学系のものなのですが、初見の著者だと文末の文献目録でまともなものを挙げているかが、たとえエッセイでも選択のポイントになるので。
ただ、物語だとどうなのでしょう? 本文以外で本文のことを語るというのは、許されるのでしょうか? 舞台裏の公開みたいで、興醒めしませんか?
私自身は、もしも物語を書いたとしたら(書けたとしたら)、こういう話を好きな人にはこういう本もありますよと、一章を本の紹介に費すだろうと思います。というより、自分の考え方のバックボーンを相手に示せないというのが、がまんできないので。
ですが、他の作者様はどうなのでしょう? ぜひ、伺ってみたいですね。

オリジナリティは難しいですね。書き手の世界と読み手の世界と重ね合う部分がないと理解してもらえないですし、そうなると重なる部分にどうしても共有知が必要になってきますし。

書く側として、物語の構造分析をしていなかったので、勉強になりました。
他の方へのご感想も含め、ことばの組み立て方を見ていると、天体望遠鏡で覗いた星空を想像させます(知らなかった星の輝きとか、物語に気づかせてくれるので)。
これからも、楽しみにしています。
シリーズで一つ忘れてました。

松柏社叢書・言語科学の冒険
もシリーズの一つとして入れておいてください。
どもです。

 えーと、参考文献ですが。
 うーん。法政大学出版の「叢書・ウニベルシタス」と、水声社の「叢書 記号学的実践」という2つのシリーズ(?)を挙げておけばとりあえずいいのかな……。あとは、白水社の「文庫 クセジュ」と「ちくま学術」とかもありますね。クセジュとちくま学術は、関連する率は低いのですが、たまに「うわ、これだ!」というのがあります。
 ほかには、ロラン・バルト、レヴィ=ストロース、ウンベルト・エコ、ダニエル・デネット、ダグラス・ホフスタッターくらいの個人名で。
 これでだいたい収まると思います。

>ただ、物語だとどうなのでしょう? 本文以外で本文のことを語るというのは、許されるのでしょうか? 舞台裏の公開みたいで、興醒めしませんか?

 これについては、私は「作品の批評は、作品の中でおさめるのがいい」と考えています。追加であるとしても、作者の背景くらいで。作者の背景もできれば入れたくはないのですが、「第9地区」などのブロムカンプ監督の作品を批評するには、作品の中だけではなく、プロムガンプ監督の背景も考えに入れたほうがいいと思わざるを得ず、というところがあります。
 ただ、批評において「現実のこういう状況を描いている」という着地は、絶対というほど避けたいと思っています。

 で、ですが。批評でなく分析となった場合には、存在するツール(「プロップのファンクション」もその一つですが)を全部投入して分析したいと考えています。

>というより、自分の考え方のバックボーンを相手に示せないというのが、がまんできないので。

 これはわかります。すっごくよくわかります。
 ですが、「上に挙げた2つのシリーズ(?)他を読んでから来てね」と言うのも無茶を言っているということもあり……

>オリジナリティは難しいですね。

 こういうのを書く時、「オリジナリティ」と「リアリティ」が大きな障害かなと思います。文芸において両方とも求められているのに、説明のしようがないのですから。

感想ありがとうございました。
[一言]
森の本屋様から、宮沢様の創作雑感を薦められて、拝読させて戴きました。

・『正しい日本語』は存在しない
時代やニーズによって、新しい言葉が生まれる中で、正しい日本語は確かに存在しないかも知れませんね。

・漢字を開く・ルビ・強調
漢字は使いすぎても、開き過ぎても、読み難くなってしまうのですね。気を付けます。

・わかりやすさ
無理にそれっぽく(名詞)しなくても良いのですね。


創作雑感は、私が今後小説をかくうえで、参考になる内容ばかりでした。
  • 投稿者: 退会済み
  • 23歳~29歳
  • 2016年 09月04日 18時54分
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香車さま、感想ありがとうございます。

>時代やニーズによって、新しい言葉が生まれる中で、:
 はい。あとは、既存の言葉の意味が変わっていくとかも含めてですね。
 その他にも、言葉の普通の使われ方では、どうにも書きたいことを書けないという場合があるかと思います。そこを「正しい日本語でうまく書く」というのも技巧の一つかとは思いますが、あまりそれにとらわれる必要もないだろうと思います。
 それと「1−3: 方言(訛り)」のようなことですが、方言は日本語ではないというなら、それはおかしな話です。逆に方言や外国語、あるいは古い言葉から持ってくるというのも取ることが、日本語の枠を広げたり、「2−1: わかりやすさ(用語)」できる方法の一つではあります。

>漢字は使いすぎても、開き過ぎても、読み難く:
 これも時代の影響だとか流行りがあるかもしれません。あるいは、文章の雰囲気をどうしたいのかということも関係するかもしれません。


>無理にそれっぽく(名詞)しなくても良い:
ネーミングそのものについても書けたらなとは思いますが、それは難しいので触れる予定はありませんが。
作品の雰囲気に必要な名前というのも必要な場合もあるかもしれません。ですが、造語があまりに多いと、単純に読みにくくなるとは言えると思います。
[気になる点]
1-6 のリンク先がわかりませんでした。
[一言]
1-5

 いや、普通に『予定』でいいんじゃないかと、単純な私は思いました。

 おっしゃる確定した未来、単純に言えば、小学生がやがて中学に進学する、みたいな事例も当てはまると思うのですが。
 これって、フツーに『予定』です。
 もちろん未来ですから『絶対』はない。
 進学にあたって、もちろん『夢』を描く人もいるけど、どうだっていいひともいる。
 この未来にあてはまるのは、『予定』でいいんじゃないかと。
 
 もちろん、おっしゃる意味は何となく分かるような気もするんですが。
 夢の場合、祈りにも似ていて、未来の鏡に映した自分ですが、この鏡は、とても壊れやすいしなくしやすい。
 予定の場合、簡単に自分を映せるし、なくしもしない。
 そう言う違いじゃないかなあなんて、思いました。

 凄い勘違いだったらごめんなさい。
追加します。

例みたいなものを書いたほうがいいのかと思うので。
予定Aは、あとから入った予定Bによってキャンセルされるかもしれません。
確定と書いているのは、そういうことがありえないからです。
感想ありがとうごさいます。

1−6ですが、
ユニファイド・ビー: https://docs.google.com/spreadsheets/d/1X9rEPPguIfo6j2O_W8ELxYEiFXGXP7f2YFohQ46ucmk/edit#gid=0

笑う: http://ncode.syosetu.com/n4395dh/

です。

「予定」では弱いんですね。あくまで「確定」です。
アンドロイド研究で有名な阪大の石黒先生が自身について言っているような感じのことです。
[良い点]
難しいーっ
ので、一話ずつ感想を……(まとめて書くと頭がパニックに……)
まず最初の言葉、ですけど、なるほどー。
自分で言葉をつくる、意味を作る。ですか。
よく芸能人が言い出した言葉ってありますよね。
アレを小説でやってみるわけですね。面白いかも。

言語の地平を広げるか、ふむふむ。

でもその前に私は普通に文章書けるようにならないといけないですね(滝汗)
  • 投稿者: 退会済み
  • 2016年 09月02日 11時43分
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森の本屋さま、感想ありがとうございます。

「SciFi創作論」ほどではりませんが、おだやかにトバした連載ですので、適宜無視やご自身での解釈をしていただければと思います。
[一言]
方言 ですが。

 NHKの放送モニター時に、聞いたのですが、ローカルのニュースキャスターは『地元出身』を中心に選ぶそうです。
(女子アナは、なかなか人数的に選べないらしいですが)
もちろん、ニュースは公用語ですが、雑談は地元なまりというのが、地域番組として意識しているとのお話でした。
そして、それはおおむね好評であるらしいです。

 日本でも、江戸期などは、『ことばなまり』で、どこの出身か判別したようですが、最近は、テレビ、ラジオ等の普及で、よその土地に行けば方言を隠してしまうひとが圧倒的ではないかと。
 例外は、関西人ですね。
 関西の人は方言で話しても『訛っている』と言われませんから、堂々としています。
 やっぱり、『都』のあった地方は、いわゆる地方都市とは違うのだろうなあと思ったりします。

 

秋月さま、感想ありがとうございます。

> NHKの放送モニター時に、聞いたのですが、ローカルのニュースキャスターは
>『地元出身』を中心に選ぶそうです。

基本、そうなんですよね。なのでこその疑問だったわけです。
NHK標準アクセントの訓練してても、訛りが抜けないのか、それとも意図的に出しているのかと。

>もちろん、ニュースは公用語ですが、雑談は地元なまりというのが、
>地域番組として意識しているとのお話でした。

おお、NHKとしての方針で、そうなっていたんですね。なるほど。納得です。

> 日本でも、江戸期などは、『ことばなまり』で、どこの出身か判別したようですが、最近は、テレビ、ラジオ等の普及で、よその土地に行けば方言を隠してしまうひとが圧倒的ではないかと。

いま40才以上くらいの人だと、「本人は標準語を使っているつもりでも、訛りがやっぱり入っている」という人は結構います。
上のNHKのローカルアナウンサーはその微妙な線を、けっこううまくついているんですよね。その線をアナウンサー個人の判断で行っているのではなく、NHKにはっきりした基準があるのだとしたら、「NHK恐るべし」です。まぁ、放送技研なんかはなんにせよ「NHK恐るべし」ではありますが。
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