感想一覧
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[一言]
よんでいると、東京喰種で引用された、ヘッセの
「鳥は卵の中から抜け出そうと戦う」
「卵は世界だ」
「生まれようと欲するものは一つの世界を破壊しなければならない。」
ていう文章を思い出しました。
よんでいると、東京喰種で引用された、ヘッセの
「鳥は卵の中から抜け出そうと戦う」
「卵は世界だ」
「生まれようと欲するものは一つの世界を破壊しなければならない。」
ていう文章を思い出しました。
ヘッセは好きです。
そのあたりは知っているような気がします。
わたしは、わたしを壊そうとするのではなくて
世界との共感を模索するのです。
いつの間にか身についてしまった、「こころ」の殻を破る?感じでしょうか?生まれ育ちの愛着に溺れず、見えてしまった遠い空への共感を、孤独であってもそれが心地よい冷ややかさであるように。
そのあたりは知っているような気がします。
わたしは、わたしを壊そうとするのではなくて
世界との共感を模索するのです。
いつの間にか身についてしまった、「こころ」の殻を破る?感じでしょうか?生まれ育ちの愛着に溺れず、見えてしまった遠い空への共感を、孤独であってもそれが心地よい冷ややかさであるように。
- につき
- 2016年 09月30日 20時26分
[一言]
完結おめでとうございます。
「剥き出しの光としてのわたしとして」とても共感でき、また羽化して飛んでいく感覚が気持ちの良い詩でした。縮まっていた体が、骨が、本当にバキバキと音を立てるような、解放感が残ります。
こころを家に喩えるのは、なるほどと思いました。
取り繕ったり、今までの考え方に固執するのは、古い家にいつまでもこだわるのに似ていますね。ある意味居心地が良いからなのですが、思い切って飛び出してみると、創作も現実の自分の心身も、もっと自由に素直になれるのかもしれませんね。
完結おめでとうございます。
「剥き出しの光としてのわたしとして」とても共感でき、また羽化して飛んでいく感覚が気持ちの良い詩でした。縮まっていた体が、骨が、本当にバキバキと音を立てるような、解放感が残ります。
こころを家に喩えるのは、なるほどと思いました。
取り繕ったり、今までの考え方に固執するのは、古い家にいつまでもこだわるのに似ていますね。ある意味居心地が良いからなのですが、思い切って飛び出してみると、創作も現実の自分の心身も、もっと自由に素直になれるのかもしれませんね。
ありがとうございます。
完結というより、ひと段落といったところです。
息の根が止まるまで、言葉は止まりません。現すかどうかは別にして。常に生まれ続けているものです。
易きに流れ、迎合して安心の振りをしてみても、一つ事あれば剥き出しなる己の脆弱さ。そして世の不条理の残酷。しかしながら、己自身もまた不条理であり残酷であるから、結局は難くとも、孤独を選び、吐息の漏れるようにこころを開放する方が、ずっと自然に思います。
完結というより、ひと段落といったところです。
息の根が止まるまで、言葉は止まりません。現すかどうかは別にして。常に生まれ続けているものです。
易きに流れ、迎合して安心の振りをしてみても、一つ事あれば剥き出しなる己の脆弱さ。そして世の不条理の残酷。しかしながら、己自身もまた不条理であり残酷であるから、結局は難くとも、孤独を選び、吐息の漏れるようにこころを開放する方が、ずっと自然に思います。
- につき
- 2016年 09月29日 20時15分
[一言]
嵐の前はどんよりと気分が重くなったりするものですが、来てしまうとなんだか吹っ切れたような気持ちになります。
甘さを吹き飛ばしてくれる、という言葉がとてもしっくり来ると思いました。
自分が嵐となって過ぎ去っていった後に、晴天の下で輝いている「切片」は、余計な飾りや欲が削ぎ落とされた、まっさらな詩の言葉なのでしょうね。そんな洗い流されたような言葉を、自分も残せたらと思います。
嵐の前はどんよりと気分が重くなったりするものですが、来てしまうとなんだか吹っ切れたような気持ちになります。
甘さを吹き飛ばしてくれる、という言葉がとてもしっくり来ると思いました。
自分が嵐となって過ぎ去っていった後に、晴天の下で輝いている「切片」は、余計な飾りや欲が削ぎ落とされた、まっさらな詩の言葉なのでしょうね。そんな洗い流されたような言葉を、自分も残せたらと思います。
ごうごう
びょうびょう
雨風の激しき景色でした。
松林は揺れて、路面は川となり、きっとどこかでは大変な目にあっている方々もおられるかも知れない。そう思いながらも、この単純なるエネルギーの奔流に、心躍ってしまうわたしがいるのでした。
びょうびょう
雨風の激しき景色でした。
松林は揺れて、路面は川となり、きっとどこかでは大変な目にあっている方々もおられるかも知れない。そう思いながらも、この単純なるエネルギーの奔流に、心躍ってしまうわたしがいるのでした。
- につき
- 2016年 09月22日 23時17分
[一言]
むしたちもお月見をしている、という発想がとても面白いと思いました。
秋の虫でいっぱいの地球と違って、月からは何も声がしないように思えますが、その光こそが月の声なのかもしれないと、この詩を読んで感じました。
静けさの中、ざわざわと騒ぐのは自分の心なのでしょうか。昨日の月は雲に覆われていましたが、不思議な引力を感じました。
むしたちもお月見をしている、という発想がとても面白いと思いました。
秋の虫でいっぱいの地球と違って、月からは何も声がしないように思えますが、その光こそが月の声なのかもしれないと、この詩を読んで感じました。
静けさの中、ざわざわと騒ぐのは自分の心なのでしょうか。昨日の月は雲に覆われていましたが、不思議な引力を感じました。
ふと見上げると十五夜の月でした。燦然と輝いて、完全なる月夜でした。平安の昔、月見台で愛でた月も同じく。もっと騒ぐべきなのかも知れません。月に叢雲、花に風。美しさは隠されて、散らされることもまた美しく。明らかすぎる世界の真実に、ともすればひるみ勝ちですが、世界の一欠片としての自覚をしっかりと持って、何がしか語ることはやぶさかではないのでした。
- につき
- 2016年 09月22日 23時14分
[良い点]
「こじか」が良かったです。悲しみの中に消えない暖かさを感じることができました。
母よ子よ、いつまでも甘えの中にあれ
一つだけのひだまりに集い…のところが特に好きです。
夜の暗さや、お腹をすかせるひもじさといった冷たい悲しみがあるからこそ、この鹿の親子の固い絆、たった一つだけのひだまりの温もりがより際立って感じられるのだと思いました。
「こじか」が良かったです。悲しみの中に消えない暖かさを感じることができました。
母よ子よ、いつまでも甘えの中にあれ
一つだけのひだまりに集い…のところが特に好きです。
夜の暗さや、お腹をすかせるひもじさといった冷たい悲しみがあるからこそ、この鹿の親子の固い絆、たった一つだけのひだまりの温もりがより際立って感じられるのだと思いました。
- 投稿者: 退会済み
- 2016年 09月15日 23時33分
管理
ありがとうございます。
感想に酔ってしまって、返信を忘れました。
母子鹿がいたのです。こじかは小さくて。この冬を乗り切れるかどうか。それでも羨ましくて、どうしようもなかったのでした。
感想に酔ってしまって、返信を忘れました。
母子鹿がいたのです。こじかは小さくて。この冬を乗り切れるかどうか。それでも羨ましくて、どうしようもなかったのでした。
- につき
- 2016年 09月22日 23時07分
[一言]
夏→冬→花粉→梅雨、と季節がぐるぐる回っていて、秋が絶滅してしまうんじゃないかと思うことがあります。
でも私たちが「秋だなあ」と感じる瞬間や、それを表す言葉を持っている以上、短くても存在してくれると信じています。
「夜はじっとそれを見つめている」の、「メロンパンの月がふっくらと微笑み」という表現がとても好きです。
可愛くてメルヘンチックに思える言葉ですが、その後に来る「日常の崩壊」と相まって、常軌を逸することへの戸惑いと憧れを感じました。
「止む終えなく詩を吐くもの」で書かれているように、私たちの使っている言葉は、宇宙人のラジオを受信してアウトプットしているようなものなのかもしれませんね。この発想はどこから来たんだっけ、と思う時、私たちには知覚できない大きな混沌とした世界が頭をよぎることがあります。
夏→冬→花粉→梅雨、と季節がぐるぐる回っていて、秋が絶滅してしまうんじゃないかと思うことがあります。
でも私たちが「秋だなあ」と感じる瞬間や、それを表す言葉を持っている以上、短くても存在してくれると信じています。
「夜はじっとそれを見つめている」の、「メロンパンの月がふっくらと微笑み」という表現がとても好きです。
可愛くてメルヘンチックに思える言葉ですが、その後に来る「日常の崩壊」と相まって、常軌を逸することへの戸惑いと憧れを感じました。
「止む終えなく詩を吐くもの」で書かれているように、私たちの使っている言葉は、宇宙人のラジオを受信してアウトプットしているようなものなのかもしれませんね。この発想はどこから来たんだっけ、と思う時、私たちには知覚できない大きな混沌とした世界が頭をよぎることがあります。
れみさんは本当に素晴らしい評を書いて下さいます。
こんなに分かりにくい(我ながら)詩を。こんなに読み込んで頂けるなんて。
詩の言葉は、時に読み手を選び、選ばれた読み手と詩人にとって、思いがけなく共有していた世界の繋がりを発見させます。
大きな混沌の世界とは。未だ名を持たない言葉以前の何かが満ちるところ。それは原始から漂い続けているもの。
感知できる世界など、全体世界のほんの僅かでしかなくて、未知は限りなく広がっている。わたしたちはその一部であって、そして個としての無限を抱えている。
なんだかテーマが重たくなりました。
雨が降っているからでしょうか。
こんなに分かりにくい(我ながら)詩を。こんなに読み込んで頂けるなんて。
詩の言葉は、時に読み手を選び、選ばれた読み手と詩人にとって、思いがけなく共有していた世界の繋がりを発見させます。
大きな混沌の世界とは。未だ名を持たない言葉以前の何かが満ちるところ。それは原始から漂い続けているもの。
感知できる世界など、全体世界のほんの僅かでしかなくて、未知は限りなく広がっている。わたしたちはその一部であって、そして個としての無限を抱えている。
なんだかテーマが重たくなりました。
雨が降っているからでしょうか。
- につき
- 2016年 09月12日 22時19分
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