感想一覧
▽感想を書く[一言]
月一磨様
丁寧な返信、誠に有難うございます。
感想の返信に返信を重ねる無礼、なにとぞお見逃しください。
どうやら、小生の解釈は然程外したわけでもない様子で、ひと安心致しました。
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考にご興味をお持ちのようですので、さしでがましいことを承知でご紹介を致します。
日本語訳には小生の知る限り「まず」独逸語から訳したものと、独逸語から英語に翻訳したものをさらに日本語訳にしたもの、さらにそれら二つを読み込んだ日本人訳者が日本語訳したものの三種類があります。
もしもドイツ語が堪能でいらっしゃれば、ドイツ語の原文をお読みになることをお勧め致します。
そうでなければ、岩波文庫から出ている「論理哲学論考」を入り口にするのがよろしいかと愚考いたします。
また、ウィトゲンシュタインの書簡集も日本語訳になっていた覚えがあります。こちらも機会があればご一読ください。特に論理哲学論考を英語訳して米国で発表する下りのやりとりは、まさに言葉の限界と言語の本質を現した、丁々発止のやり取りであったと記憶しております。
宮沢賢治の「春と修羅」の序文のこととお見受けします。
小生は浅学ですので、所謂「詩」というものをいまいち理解できませんでした。
ですが、月一磨様の機甲文学なる概念に触れて、言葉自体の持つなにがしかを観念的に捉えることができたように思います。
その結果、かの序文は宮沢賢治が自身を単なる現象と捉え、言葉の出力装置になったことを自覚したからこその文章ではなかろうか、と稚考しました。
言語の外側(形而上)にあるものを言語で表現することの不可能性、あるいは安易性、または量子力学的な表現の無理性を見せ付けられる一文であると、評することができました。
月一磨様が見出した「機甲文学」なる概念に敬服し、それを語れた事に喜びを感じる次第です。
手前語りに終始し、まことに申し訳ございません。
月一磨様
丁寧な返信、誠に有難うございます。
感想の返信に返信を重ねる無礼、なにとぞお見逃しください。
どうやら、小生の解釈は然程外したわけでもない様子で、ひと安心致しました。
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考にご興味をお持ちのようですので、さしでがましいことを承知でご紹介を致します。
日本語訳には小生の知る限り「まず」独逸語から訳したものと、独逸語から英語に翻訳したものをさらに日本語訳にしたもの、さらにそれら二つを読み込んだ日本人訳者が日本語訳したものの三種類があります。
もしもドイツ語が堪能でいらっしゃれば、ドイツ語の原文をお読みになることをお勧め致します。
そうでなければ、岩波文庫から出ている「論理哲学論考」を入り口にするのがよろしいかと愚考いたします。
また、ウィトゲンシュタインの書簡集も日本語訳になっていた覚えがあります。こちらも機会があればご一読ください。特に論理哲学論考を英語訳して米国で発表する下りのやりとりは、まさに言葉の限界と言語の本質を現した、丁々発止のやり取りであったと記憶しております。
宮沢賢治の「春と修羅」の序文のこととお見受けします。
小生は浅学ですので、所謂「詩」というものをいまいち理解できませんでした。
ですが、月一磨様の機甲文学なる概念に触れて、言葉自体の持つなにがしかを観念的に捉えることができたように思います。
その結果、かの序文は宮沢賢治が自身を単なる現象と捉え、言葉の出力装置になったことを自覚したからこその文章ではなかろうか、と稚考しました。
言語の外側(形而上)にあるものを言語で表現することの不可能性、あるいは安易性、または量子力学的な表現の無理性を見せ付けられる一文であると、評することができました。
月一磨様が見出した「機甲文学」なる概念に敬服し、それを語れた事に喜びを感じる次第です。
手前語りに終始し、まことに申し訳ございません。
私は言語学の能力が皆無で、日本語しか解しません。語学に堪能であれば、もっと表現の幅もひろがったのかなと。
岩波文庫版、あたってみようと思います。
それを読まないことには、まえに進めないと感じております。
観念小説をものにしてみたいと思うのですが、むつかしいですね。
岩波文庫版、あたってみようと思います。
それを読まないことには、まえに進めないと感じております。
観念小説をものにしてみたいと思うのですが、むつかしいですね。
- 月一磨
- 2016年 12月14日 21時26分
[一言]
思い付いたのでもう一言だけ。
多分人間性を排除しようとしてるから、人間味があるのだと思います。
先程のも含めて、駄文失礼いたしました。
思い付いたのでもう一言だけ。
多分人間性を排除しようとしてるから、人間味があるのだと思います。
先程のも含めて、駄文失礼いたしました。
感想ありがとうございます。
まさしくおっしゃるとおりでして、文字や言語そのものが人間性なるものの結実なんですよね。表現という行為そのものが、人間性の発露でもある。
人間性の排除という宣言は、欺瞞にみちております。人間以外の者には、人間性を排除できないわけです。ただ、人間讃歌という方向にだけは行きつきたくないのです。
その欺瞞とどう折りあいをつけて、機甲文学を確立させるのか。これを終生のテーマに据えていこうと思っております。
『論理哲学考』は必ず読まなければならないとの思いを強めました。
宮沢賢治の「私といふ現象は……」という(タイトル失念)詩は、衝撃を受けたんですよ。銀河鉄道とか料理店のイメージでしたから。
まさしくおっしゃるとおりでして、文字や言語そのものが人間性なるものの結実なんですよね。表現という行為そのものが、人間性の発露でもある。
人間性の排除という宣言は、欺瞞にみちております。人間以外の者には、人間性を排除できないわけです。ただ、人間讃歌という方向にだけは行きつきたくないのです。
その欺瞞とどう折りあいをつけて、機甲文学を確立させるのか。これを終生のテーマに据えていこうと思っております。
『論理哲学考』は必ず読まなければならないとの思いを強めました。
宮沢賢治の「私といふ現象は……」という(タイトル失念)詩は、衝撃を受けたんですよ。銀河鉄道とか料理店のイメージでしたから。
- 月一磨
- 2016年 12月13日 22時35分
[良い点]
新たな試み?
日本語の限界に挑んでる気配を感じます。
[気になる点]
機甲文学宣言も拝見しましたが、どちらにも人の介在が伺えます。
文字が、文章が、それ自体を語っていない?
形而下に囚われている?
ごめんなさい。うまく表現できません。
[一言]
以前、この詩句?を拝見し、衝動的に感想を投稿しましたが、衝動なので即削除した者です。その節は失礼いたしました。
言葉、あるいは言語それ自体が人間を超越する、または排除する事ができるのかどうかが、機甲文学のテーマであると稚考致しました。
小生の知る限り、既存の哲学でその限界点を示したのは、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考でしたが、ウィトゲンシュタイン本人が晩年にそれを否定したそうですが、もしも文学がそれのみで文学足り得るならば、それはきっと人間には理解し得ぬ何かか、俳句のように削ぎ落とされた何かだと愚考致します。
あと、見当違いかもしれませんが、宮沢賢治の空気を感じました。
次作をお待ちしております。
新たな試み?
日本語の限界に挑んでる気配を感じます。
[気になる点]
機甲文学宣言も拝見しましたが、どちらにも人の介在が伺えます。
文字が、文章が、それ自体を語っていない?
形而下に囚われている?
ごめんなさい。うまく表現できません。
[一言]
以前、この詩句?を拝見し、衝動的に感想を投稿しましたが、衝動なので即削除した者です。その節は失礼いたしました。
言葉、あるいは言語それ自体が人間を超越する、または排除する事ができるのかどうかが、機甲文学のテーマであると稚考致しました。
小生の知る限り、既存の哲学でその限界点を示したのは、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考でしたが、ウィトゲンシュタイン本人が晩年にそれを否定したそうですが、もしも文学がそれのみで文学足り得るならば、それはきっと人間には理解し得ぬ何かか、俳句のように削ぎ落とされた何かだと愚考致します。
あと、見当違いかもしれませんが、宮沢賢治の空気を感じました。
次作をお待ちしております。
[一言]
遅ればせながら読ませていただきました。
さすがに初めて見る内容ですね。発想すらしたこともありませんでした。素直に「面白い」と思います。
文字が文字として、文字のために組み合わさる。どこか工芸品のような、精巧な物体を見ているような楽しさがありますね。
個人的にはですが、きっとこの作品はまさに一切の感情を抜きに描いた風景画、写実画のそれと同じ機能を持っており、これを目にした読者それぞれの持つ「情」が作品に最後の一筆を入れ、千変万化の完成に至る。そんな風変わりな特徴を持った、新しい文学の形に思えます。
ああ、ここまで書いて、書きながら理解しました。たしかに機甲文学は「詩」とは否なるものですね。読者に情感の、その方向性を与える単語は全て排除されなければなりません。一歩理解が進むと、この作風が輪を掛けて面白くなったように思います。
こういった作品に出会うといつも思うのですが、どうして「音楽」があるのに、「文学」は「文楽」ではないのでしょうね。「ぶんらく」とごっちゃになってしまうからかもしれませんが、「文」も楽しむものであって欲しいものです。
新しい文の可能性を見せてくださってありがとうございました。
遅ればせながら読ませていただきました。
さすがに初めて見る内容ですね。発想すらしたこともありませんでした。素直に「面白い」と思います。
文字が文字として、文字のために組み合わさる。どこか工芸品のような、精巧な物体を見ているような楽しさがありますね。
個人的にはですが、きっとこの作品はまさに一切の感情を抜きに描いた風景画、写実画のそれと同じ機能を持っており、これを目にした読者それぞれの持つ「情」が作品に最後の一筆を入れ、千変万化の完成に至る。そんな風変わりな特徴を持った、新しい文学の形に思えます。
ああ、ここまで書いて、書きながら理解しました。たしかに機甲文学は「詩」とは否なるものですね。読者に情感の、その方向性を与える単語は全て排除されなければなりません。一歩理解が進むと、この作風が輪を掛けて面白くなったように思います。
こういった作品に出会うといつも思うのですが、どうして「音楽」があるのに、「文学」は「文楽」ではないのでしょうね。「ぶんらく」とごっちゃになってしまうからかもしれませんが、「文」も楽しむものであって欲しいものです。
新しい文の可能性を見せてくださってありがとうございました。
感想ありがとうございます。
おっしゃるとおりでございます。機甲文学が志向するものはまさしく、風景画であり静物画であるのです。ただの単語の羅列に終わるか、あるいはあたらしい文学として確立されるのか。死ぬまで模索しつづけることになるのかもわかりません。
「音楽」と「文学」。私見ですが、もともと両者はひとつのものであったのでしょう。文字を持たなかったころのことです。それが文字という記号を得た結果、学術体系としての「文学」が確立されていったのではなかろうかと。祝祭に使役される「楽」と、生活のための「学」……みたいな感じですかね、うまくまとめられませんが。
おっしゃるとおりでございます。機甲文学が志向するものはまさしく、風景画であり静物画であるのです。ただの単語の羅列に終わるか、あるいはあたらしい文学として確立されるのか。死ぬまで模索しつづけることになるのかもわかりません。
「音楽」と「文学」。私見ですが、もともと両者はひとつのものであったのでしょう。文字を持たなかったころのことです。それが文字という記号を得た結果、学術体系としての「文学」が確立されていったのではなかろうかと。祝祭に使役される「楽」と、生活のための「学」……みたいな感じですかね、うまくまとめられませんが。
- 月一磨
- 2016年 10月27日 22時06分
[一言]
なるほど。
詩を断ち切って独立したいのならば、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』が参考になるのではないか。現状、重心が詩にないことは読み取れるが、詩へのアンチテーゼではないと言い切るには強度が不足している。
なるほど。
詩を断ち切って独立したいのならば、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』が参考になるのではないか。現状、重心が詩にないことは読み取れるが、詩へのアンチテーゼではないと言い切るには強度が不足している。
哲学書は読んでみたいとつねづね思っていて、なかなか手が出ません。積ん読を整理したら『論理哲学論考』、図書館でさがそうと思います。ありがとうございます。
- 月一磨
- 2016年 10月26日 23時24分
[一言]
何を持ってして人間性と呼ぶかが難しいですよね。
アンチ・ヒューマニズムの観点から言えば、神についてのみ、死んだ先の世界のみを記した文章は人間性を排した文章と言える気がします。
あるいは国家有機体説。人間が築き上げた企業、法人、国家などを新たな進化した生物として見る。国家が食料を輸入して、その構成単位たる人間に栄養を配分していると考えると、それは捕食であり、バイオマスの移動があります。そのくせ構成単位の人間は細胞と違って、個の自立性がある。ただし、それは単独で生きていけるという意味ではなく、ある国家や企業を離れて、別の国家や企業の構成単位になる程度の自由に過ぎません。
人間が単位として存在し、その自立を認めつつ、人間が排される。
どこに人間性の基準を置くかで、文学的アプローチはかなり様々な手法がある気がします。
何を持ってして人間性と呼ぶかが難しいですよね。
アンチ・ヒューマニズムの観点から言えば、神についてのみ、死んだ先の世界のみを記した文章は人間性を排した文章と言える気がします。
あるいは国家有機体説。人間が築き上げた企業、法人、国家などを新たな進化した生物として見る。国家が食料を輸入して、その構成単位たる人間に栄養を配分していると考えると、それは捕食であり、バイオマスの移動があります。そのくせ構成単位の人間は細胞と違って、個の自立性がある。ただし、それは単独で生きていけるという意味ではなく、ある国家や企業を離れて、別の国家や企業の構成単位になる程度の自由に過ぎません。
人間が単位として存在し、その自立を認めつつ、人間が排される。
どこに人間性の基準を置くかで、文学的アプローチはかなり様々な手法がある気がします。
感想ありがとうございます。
じつに興味ぶかいです。
ただ死後の世界を描くのに、擬人化が必要になってくると思うんです。私のなかでそれはもう、人間性から脱却できていないと規定します。
ゆえにこの道のりは困難を窮めるうえ、終着すら見えないのです。
じつに興味ぶかいです。
ただ死後の世界を描くのに、擬人化が必要になってくると思うんです。私のなかでそれはもう、人間性から脱却できていないと規定します。
ゆえにこの道のりは困難を窮めるうえ、終着すら見えないのです。
- 月一磨
- 2016年 10月26日 20時02分
[一言]
人造の楽園。
この言葉にトキメキました。
人間味の感じない、感情のない文章というのが機甲文学というものなのでしょうか?
感情の乗らない文字の羅列のような言葉だけで構成された機能美?
感情は入らず、簡潔な言葉だけで生み出された世界というのはある種争いのない楽園なのかもしれませんね。
しかしながら、文章とは感情の乗るものだからこそ、空疎な命題なのでしょうか。
そういう意味では、日本語は機甲文学には向いてないかも……。
文字に想いが乗っているという点で。
アルファベットとかみたいな文字に意味のない文字が機甲文学に向いてそう、と思いました。
例えですが、『Re:』とか感情の乗らない、しかし意味はわかるけど無駄がなく、それでいて硬質なイメージありますので。
こういうの、私は大好きです。
人造の楽園。
この言葉にトキメキました。
人間味の感じない、感情のない文章というのが機甲文学というものなのでしょうか?
感情の乗らない文字の羅列のような言葉だけで構成された機能美?
感情は入らず、簡潔な言葉だけで生み出された世界というのはある種争いのない楽園なのかもしれませんね。
しかしながら、文章とは感情の乗るものだからこそ、空疎な命題なのでしょうか。
そういう意味では、日本語は機甲文学には向いてないかも……。
文字に想いが乗っているという点で。
アルファベットとかみたいな文字に意味のない文字が機甲文学に向いてそう、と思いました。
例えですが、『Re:』とか感情の乗らない、しかし意味はわかるけど無駄がなく、それでいて硬質なイメージありますので。
こういうの、私は大好きです。
感想ありがとうございます。
「人間が描けている」「人間が描けていない」という文言を、書評とかで眼にします。
では、「人間を描かない文学は可能であるのか?」と考えて志向したものが機甲文学であるのです。物語に人間が出てこないとかそういう次元ではなく、物語そのものがない。たとえば機械だけの世界を描くと云っても、そこに物語があればもう、人間が出てしまっているのです。動詞や心象表現は、厳重に排さなければなりません。
これがひじょうにむつかしい。やはりそれは、単語の羅列になってしまうのです。いまの段階ではこれがいっぱいいっぱいで、機甲文学は確立されておりません。筆力の向上によっていづれは確立させたいと、十年くらい経ちました。
アルファベットはなるほど、たしかにひとつの形としてはいいかもしれません。
「人間が描けている」「人間が描けていない」という文言を、書評とかで眼にします。
では、「人間を描かない文学は可能であるのか?」と考えて志向したものが機甲文学であるのです。物語に人間が出てこないとかそういう次元ではなく、物語そのものがない。たとえば機械だけの世界を描くと云っても、そこに物語があればもう、人間が出てしまっているのです。動詞や心象表現は、厳重に排さなければなりません。
これがひじょうにむつかしい。やはりそれは、単語の羅列になってしまうのです。いまの段階ではこれがいっぱいいっぱいで、機甲文学は確立されておりません。筆力の向上によっていづれは確立させたいと、十年くらい経ちました。
アルファベットはなるほど、たしかにひとつの形としてはいいかもしれません。
- 月一磨
- 2016年 10月26日 07時00分
[良い点]
見事に詩情がない。
そして堅密。
[一言]
鮮やかですね。
詩情というものをこれほど逆説的に示した文学もない。
見事に詩情がない。
そして堅密。
[一言]
鮮やかですね。
詩情というものをこれほど逆説的に示した文学もない。
感想ありがとうございます。
本作は詩の背理ではあるのですが、詩へのアンチテーゼとかそういった意味あいはなく、ただただ機甲文学という試みであるのです。
詩情がないことを汲みとっていただけたのは、うれしいです。
本作は詩の背理ではあるのですが、詩へのアンチテーゼとかそういった意味あいはなく、ただただ機甲文学という試みであるのです。
詩情がないことを汲みとっていただけたのは、うれしいです。
- 月一磨
- 2016年 10月26日 06時45分
[一言]
凄いの一言に尽きます。かなりの集中力が要りそうですね。
詩はお書きにならないのですか?
凄いの一言に尽きます。かなりの集中力が要りそうですね。
詩はお書きにならないのですか?
- 投稿者: 退会済み
- 2016年 10月25日 08時28分
管理
感想ありがとうございます。
詩人と呼ばれたいという想いは、つねにあるのです。
『悪の種子』、拝読いたしました。詩を書こうと思っても、あそこまで洗練された詩を書けないというのが現状であります。
私も、福永武彦が好きです。
詩人と呼ばれたいという想いは、つねにあるのです。
『悪の種子』、拝読いたしました。詩を書こうと思っても、あそこまで洗練された詩を書けないというのが現状であります。
私も、福永武彦が好きです。
- 月一磨
- 2016年 10月25日 20時57分
[良い点]
改めて読み返し、ゾクゾクするような快感を覚えた。
韻を踏んで、しかし裏切られ、それは文字による風景。残酷なまでの現実。
蒼白く輝き、大気と大地を引き裂く、破壊といのちの恵みをもたらす稲妻のようだ。
改めて読み返し、ゾクゾクするような快感を覚えた。
韻を踏んで、しかし裏切られ、それは文字による風景。残酷なまでの現実。
蒼白く輝き、大気と大地を引き裂く、破壊といのちの恵みをもたらす稲妻のようだ。
感想ありがとうございます。
機甲文学にいちばん近いものは、道路標識なような気がしています。
標識のように無感動に、あらゆる事象を記述できたなら……機甲文学は確立されるのかもしれません。
機甲文学にいちばん近いものは、道路標識なような気がしています。
標識のように無感動に、あらゆる事象を記述できたなら……機甲文学は確立されるのかもしれません。
- 月一磨
- 2016年 10月24日 23時12分
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