感想一覧

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[一言]
感想というか、少しずれます。

最近の作家はわかりませんが、ちょっと以前の作家さんだと…わりと文章教室出身の方が多いですよね。有名なのは、講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説作法教室。宮部みゆき、新津きよみとか。篠田節子、鈴木輝一郎、矢口敦子、室井佑月、久保田滋、上田秀人、海月ルイも同じ流れの文章教室だったと思います。

作家のデビューに至るまでとなると、千差万別で、どれが正解なのか、わかりません。

私は活字中毒者なので、本の情報を仕入れるのによく利用してるのが、「WEB 本の雑誌」です。
その連載記事に「作家の読書道」というのがあります。当代の人気作家のインタビュー記事なのですが、その作家のデビューに至るまでが掲載されることが度々あります。

それらの記事を読むとわかるのですが、作家になる方の学歴はおおよそ、高いですね。
文学部ではなくても、大学院まで進学されてる方がわりといらっしゃるように感じます。

ノベルス学院というのがどんな学校か、知りませんが、作家になるなら、大学には行くべきなんだろうな、と思います。

明治、大正、昭和の作家がほぼ高学歴なのは、横のつながりで出版社とコネを作ってたからだと思いますが、今は公募重視なんでしょうか?

それでも、近々の芥川賞、直木賞の受章作家さんだと、公募出身の人が少ないんですよね。
遠回りでもきちんと勉強して、進学するのが良さげですね。

長文で失礼しました。
  • 投稿者: Pero Perić
  • 男性
  • 2016年 10月30日 22時42分
[一言]
 海外のSFを読むと、巻末の著者経歴に小説を書く学校に通ったと書いてあって驚くことがたまにありますよ。でもガチSFではなく、エンタメ系作品の作者が殆どですね。
 その実態を調べたことは無いのですが、漠然と「でもこんなに賞を獲りまくりの面白い小説が書けるようになるんだから、凄い学校に違いない」と思ってました。
 ついで意外なのが、超大物作家が小説の書き方を大学の公開講座で教えるのは欧米ではよくあるらしいです。

 あとは、そうですね、海外の映画祭で常に評価が高い短編アニメを作っている海外のアニメーターが、日本の某アニメーション専門学校で特別講義をした際、「何故君たちはアニメしか見ないのですか?日本だったら能や歌舞伎が生で見られるでしょ?絵画や彫刻の展覧会には行きましたか?若いうちに感性を磨かないとクリエイターになるなんて不可能ですよ?」と締めくくって帰国された話を思い出しましたね。
  • 投稿者: milhaud278
  • 2016年 10月30日 10時39分
感想ありがとうございます。
なんか、流石アメリカンドリーム! って感じがしますね笑
確かにラッパーのDOTAMAが似ているようなことを言っていました。
ラップしかやらない人のラップでつまんないよね。って。
確かにわかる気がします。
多面性が必要……ということでしょうか。
とっても勉強になりました。
[一言]
 うーん……自分は、結局その人次第かと思いますが。

 普通の学校であったとしても、一流進学校を卒業して一流大学に入学した人間は、全員すごいかというと、そんなことはない。ほとんどの人は平凡と呼べる人生を送るでしょう。
 逆に三流の高校から一流大学に入学して、すばらしい成果を出す人間が生まれないかというと、そんなこともない。「人の振り見て我が振り直せ」と、関わる人を悪い見本にして努力する人だっているわけですし。

 集団教育は基本的に底上げであると、自分は考えてます。しかも教育機関が保証する底上げは、一般の人が考えるよりもずっと低いとも。
 大学以上になると研究機関としての意味が生まれるので、話が変わってきますが、教育機関は基本的に「あることが出来ない人間を出来るようにする」のが目的です。
 モノ書きの学校なら、生徒となる対象を「モノを書いた人がない人」に置いています。モノ書きをやっている立場の人間が「不要」と言い切ってしまうのは、「他人の気持ちがわかっていない」と言われかねない、上から目線な言葉です。
 とりあえずカリキュラムをクリアすれば、三流未満から二流以下のモノ書きにしてやる。あとは本人次第だ。それがその手の学校が保証しているものです。

 更にいえば、上を目指すなら一流を知らなければならないというのは、道理なのですが。
 経験則として、そういった作品ばかり読んでるモノ書きは、役に立たないですし、成長しません。
 一流の作品を読んでいれば、一流の作品を書けるのか?
 書けるわけありません。
 だからまず、自分が三流のモノ書きであることを思い知る必要があります。それだけでも駄文を書く意味があります。
 しかもそういった学校では、下手な遠慮のない、内輪ウケだけではない、「面白さ」なんて不確かな判断基準だけではない批評がもらえます。

 あと、下を知ってなければ、一流が一流であることも理解できません。
 一流ばかりに触れていたら、それが普通化し、二流に感じるようになっていきます。違いのわからない、自分の好みだけを他人に押し付ける、頭でっかちのできあがりです。
  • 投稿者: 風待月
  • 2016年 10月29日 23時35分
感想ありがとうございます。
結局はその人次第、というのは少し大まかですが、結局行き着く結論はそこなんですよね。
相対性理論のように、結局は一流というのも相対的なものですから。
僕の一流は君の三流。君の三流は僕の一流、みたいに差が出てしまいますから。
まあ、私の意見は。
学校で学ばなくとも、二流以下にはなれるということです。
[一言]
 そもそも資格に関係ない専門学校に行く意味なんて……(偏見)

 まぁ、それは置いといて。

 小説の書き方って教えてもらうものではないんじゃないか、って私は思います。
 勉強やスポーツのように明確なゴール(テストや試合)があって、結果を出すためのノウハウがあるなら教えることはできますが、小説って最適解が存在しないじゃないですか。
 
 技術的なことはあるていど教えられるかもしれませんが、プロを目指そうって人なら、それくらい自分でなんとかしろ、と言いたいですね。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2016年 10月29日 22時48分
管理
感想ありがとうございます。
資格の無い専門学校なんて行く必要はないですよ((超偏見
小説には模範解答がありませんから、学ぶ必要はない、と私も断言しておきたいですが、そうすると今まで習ってきた国語を否定してしまうので、断言できないですね笑
ナメクジが阿弥陀如来像になることはないので、
阿弥陀如来像になるためには阿弥陀如来像から学ばねばなりません((
阿弥陀如来像を知らない人は阿弥陀如来像になれませんから。
最後、もう何言ってるか分からなくなってしまいましたが、
そういう話です((投げやり
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