感想一覧
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私が殺人してはいけないと思う理由はエルキュール・ポアロ が残した言葉の 『 殺人は癖になる』です。
どういう意味かというと、一度、殺人によって問題の解決を図ったものは、次なる問題が発生した場合、やはり同じように殺人によって状況を打破しようと考える、という意味です。
そうなってしまったらもう殺人を止めることが出来ない。
一生自分の頭の中に殺人という選択肢が残る。
そうなると社会を生きていく上でとても生きにくい
だから殺人は1回もしてはいけないと思いました
私が殺人してはいけないと思う理由はエルキュール・ポアロ が残した言葉の 『 殺人は癖になる』です。
どういう意味かというと、一度、殺人によって問題の解決を図ったものは、次なる問題が発生した場合、やはり同じように殺人によって状況を打破しようと考える、という意味です。
そうなってしまったらもう殺人を止めることが出来ない。
一生自分の頭の中に殺人という選択肢が残る。
そうなると社会を生きていく上でとても生きにくい
だから殺人は1回もしてはいけないと思いました
感想ありがとうございます。凄い格言ですね、感嘆しました。
ポアロ氏の考え方が具体的にどうなのかわかりませんが、私の「社会を維持するために必須だから」という考え方を元に解釈すると、おそらくほぼ同じ回答が出てくると思いました。
まず「次の問題が発生したときに殺人によって再び状況を解決する」という点ですが、これは単なるルール違反だと解釈できます。
社会を構築する、つまりはお互い役割分担をするためには、互いに信頼できる関係が必要となります。目の前にいる人が人殺しであった場合、自分が殺されるかもしれないから協力はできない、となるのが普通です。
ですがこの前提の場合、理由は不明ですが、「殺人を犯しても社会に受け入れられている」という状況が発生しています。
これは「罪を償ったから許された」のか「罪を完全に隠し通した」からなのか「罪を知った上で認められた」のかわかりませんが、本来あるべき社会の成り立ちからは逸脱しています。ルール違反と言ってもいいでしょう。
次に「殺人という選択肢が残る」という点ですが、これも当たり前のことです。
彼は「殺人を犯したにも関わらず社会に受け入れられている」のです。本来ありえない現象ですが、実際にそういう状況になった場合、生きる上の選択肢に殺人が出てくるのは当然です。
受け入れた社会が甘すぎたため、危険の芽を摘めなかったというところでしょうか。厳しく罰することが必要だと思います。
最後に「社会を生きていくうえでとても生きにくい」という点ですが、これも当然の話です。
目の前が殺人鬼だ、と思ったら、誰も笑顔で話しなんてできません。協力も信用も単なる挨拶すらリスクを伴います。相互協力が前提の社会の中で協力できなかったらそりゃ生きるのは大変でしょう。
そして問題点は「相手も殺してくるかもしれない」と殺人鬼側が考えてしまうことです。殺人を肯定した社会は、つまり相手からも殺される可能性があるということです。
殺人を許可しない社会だからこそ殺人者は安心して生きて、他人を殺せるのです。偽造紙幣が蔓延している国で偽造紙幣を作る犯罪者がいないのと同じ理屈ですね。
ポアロ氏の考え方が具体的にどうなのかわかりませんが、私の「社会を維持するために必須だから」という考え方を元に解釈すると、おそらくほぼ同じ回答が出てくると思いました。
まず「次の問題が発生したときに殺人によって再び状況を解決する」という点ですが、これは単なるルール違反だと解釈できます。
社会を構築する、つまりはお互い役割分担をするためには、互いに信頼できる関係が必要となります。目の前にいる人が人殺しであった場合、自分が殺されるかもしれないから協力はできない、となるのが普通です。
ですがこの前提の場合、理由は不明ですが、「殺人を犯しても社会に受け入れられている」という状況が発生しています。
これは「罪を償ったから許された」のか「罪を完全に隠し通した」からなのか「罪を知った上で認められた」のかわかりませんが、本来あるべき社会の成り立ちからは逸脱しています。ルール違反と言ってもいいでしょう。
次に「殺人という選択肢が残る」という点ですが、これも当たり前のことです。
彼は「殺人を犯したにも関わらず社会に受け入れられている」のです。本来ありえない現象ですが、実際にそういう状況になった場合、生きる上の選択肢に殺人が出てくるのは当然です。
受け入れた社会が甘すぎたため、危険の芽を摘めなかったというところでしょうか。厳しく罰することが必要だと思います。
最後に「社会を生きていくうえでとても生きにくい」という点ですが、これも当然の話です。
目の前が殺人鬼だ、と思ったら、誰も笑顔で話しなんてできません。協力も信用も単なる挨拶すらリスクを伴います。相互協力が前提の社会の中で協力できなかったらそりゃ生きるのは大変でしょう。
そして問題点は「相手も殺してくるかもしれない」と殺人鬼側が考えてしまうことです。殺人を肯定した社会は、つまり相手からも殺される可能性があるということです。
殺人を許可しない社会だからこそ殺人者は安心して生きて、他人を殺せるのです。偽造紙幣が蔓延している国で偽造紙幣を作る犯罪者がいないのと同じ理屈ですね。
- えろいむえっさいむ
- 2019年 09月05日 20時01分
[一言]
宇宙人、つまり生態系も文化も価値観も違う者が人間を殺したとしても、それがいけない行為とはいえないでしょう。私たちも、生態系も文化も価値観も違う生物に同じことをしてるわけですし、それを、少なくとも殺人程には悪い事とは思ってないわけですからね。
ところが、その宇宙人を私たちと同じ人間に差し替えると、途端に悪だ何だと騒ぎ立てる。
つまるところヒューマニズムに毒された人類至上主義者という名の差別主義者が多数派で、それが罷り通ってるだけの事ではないですか?
ただ、個、あるいはコミュニティにとって都合が悪いから害される。或いは、荒ぶる感情で害される。それだけの事を、罪だの罰だの、してはいけない事だのと手前勝手に主張している。それだけでは?
宇宙人、つまり生態系も文化も価値観も違う者が人間を殺したとしても、それがいけない行為とはいえないでしょう。私たちも、生態系も文化も価値観も違う生物に同じことをしてるわけですし、それを、少なくとも殺人程には悪い事とは思ってないわけですからね。
ところが、その宇宙人を私たちと同じ人間に差し替えると、途端に悪だ何だと騒ぎ立てる。
つまるところヒューマニズムに毒された人類至上主義者という名の差別主義者が多数派で、それが罷り通ってるだけの事ではないですか?
ただ、個、あるいはコミュニティにとって都合が悪いから害される。或いは、荒ぶる感情で害される。それだけの事を、罪だの罰だの、してはいけない事だのと手前勝手に主張している。それだけでは?
感想ありがとうございます。
たぶんですが、クッキーさんの仰りたいことは「人間同士だからこそやってはいけないことがあり、その最たるものが殺人なだけだ」というところでしょうか。
他者を害すること自体はどこにでも誰にでも起こりうる事件であり、それが人間であったら忌避されてるだけだ、とか?
その考えは正しいと思います。そして、クッキーさんの考えは私の考えとも矛盾しないと思います。
同じ社会という枠組みの中で協力して生きていこう、と考えたとき、その中に「人殺してもいいじゃん」という考えの人間がいたら、その人間と同じ社会の一員になりたくはないと思うのです。
だからお互いに「人殺しはいけないことだよねー罪だよねー」と合意しあうことで、その社会が成立するんだと思います。
社会を構築するうえで、殺人を拒否することは大前提になるんです。(もちろん他にも前提があります)
某cv若本さんが「人は殺されたくない奪われたくない、そう思うから殺すな奪うなと教え説いていた」とか言ってたのがまさにそれです。
よほどの人間でない限り、殺人者は拒否し、泥棒には近寄りたくないでしょう。それは犯罪者(更生していたとしても)と協力しあえない=社会を作りたくないという感情が働くからです。
少し論点がズレたかもしれません。話を元に戻します。
罪や罰という言葉が具体的にどういうものなのかよくわかりませんが、例えば罪は「社会を築くための前提を犯すこと」、罰は「社会から放逐されることor放逐されないために償うこと」とすればわかりやすいんじゃないでしょうか。
ほとんどの人間は社会の中でないと生きていけません。その社会の枠組みに居続けるために「罪」が設定され、罪に抵触しつつ社会から追い出すのはやりすぎだという場合に「罰」を与えるんじゃないでしょうか。
ヒューマニズムというより、単純に「こいつと一緒にいたらやべぇ」と思われる相手であれば、宇宙人だろうがゴリラだろうが犯罪者だろうが拒絶する。ただそれだけの話だと思います。
たぶんですが、クッキーさんの仰りたいことは「人間同士だからこそやってはいけないことがあり、その最たるものが殺人なだけだ」というところでしょうか。
他者を害すること自体はどこにでも誰にでも起こりうる事件であり、それが人間であったら忌避されてるだけだ、とか?
その考えは正しいと思います。そして、クッキーさんの考えは私の考えとも矛盾しないと思います。
同じ社会という枠組みの中で協力して生きていこう、と考えたとき、その中に「人殺してもいいじゃん」という考えの人間がいたら、その人間と同じ社会の一員になりたくはないと思うのです。
だからお互いに「人殺しはいけないことだよねー罪だよねー」と合意しあうことで、その社会が成立するんだと思います。
社会を構築するうえで、殺人を拒否することは大前提になるんです。(もちろん他にも前提があります)
某cv若本さんが「人は殺されたくない奪われたくない、そう思うから殺すな奪うなと教え説いていた」とか言ってたのがまさにそれです。
よほどの人間でない限り、殺人者は拒否し、泥棒には近寄りたくないでしょう。それは犯罪者(更生していたとしても)と協力しあえない=社会を作りたくないという感情が働くからです。
少し論点がズレたかもしれません。話を元に戻します。
罪や罰という言葉が具体的にどういうものなのかよくわかりませんが、例えば罪は「社会を築くための前提を犯すこと」、罰は「社会から放逐されることor放逐されないために償うこと」とすればわかりやすいんじゃないでしょうか。
ほとんどの人間は社会の中でないと生きていけません。その社会の枠組みに居続けるために「罪」が設定され、罪に抵触しつつ社会から追い出すのはやりすぎだという場合に「罰」を与えるんじゃないでしょうか。
ヒューマニズムというより、単純に「こいつと一緒にいたらやべぇ」と思われる相手であれば、宇宙人だろうがゴリラだろうが犯罪者だろうが拒絶する。ただそれだけの話だと思います。
- えろいむえっさいむ
- 2019年 02月19日 20時31分
[一言]
こんにちは。初めまして。
ホッブズがリヴァイアサンで提唱していた説に近いと感じました。
どんな答えも裏返しで一蹴されてきたテーマだと思います。
法律で定められているから→定められていなければ殺して良いのか
のような感じで。。。
どうしても倫理や道徳の観点から紐解くと必ず戦争はどうなのか、
という壁にぶち当たるので結局のところ人類闘争の回避という解に収まるのがほとんどみたいです。
私は、どうすれば倫理や道徳の観点から人を殺してはいけない理由を論証できるか、
を考えていたのですが調べれば調べるほど己の無知さを思い知らされ、
それはもう打ちのめされました。
口にすればきっと教養のある方には爆笑必至の戯言だったと思います。
作者様の答えは胸にすとんと落ちるような解で、
小生意気な従兄弟等に問われてもズバッと答えられそうです。
素敵な内容でした。
長々と駄文を書き連ね失礼しました。
こんにちは。初めまして。
ホッブズがリヴァイアサンで提唱していた説に近いと感じました。
どんな答えも裏返しで一蹴されてきたテーマだと思います。
法律で定められているから→定められていなければ殺して良いのか
のような感じで。。。
どうしても倫理や道徳の観点から紐解くと必ず戦争はどうなのか、
という壁にぶち当たるので結局のところ人類闘争の回避という解に収まるのがほとんどみたいです。
私は、どうすれば倫理や道徳の観点から人を殺してはいけない理由を論証できるか、
を考えていたのですが調べれば調べるほど己の無知さを思い知らされ、
それはもう打ちのめされました。
口にすればきっと教養のある方には爆笑必至の戯言だったと思います。
作者様の答えは胸にすとんと落ちるような解で、
小生意気な従兄弟等に問われてもズバッと答えられそうです。
素敵な内容でした。
長々と駄文を書き連ね失礼しました。
感想ありがとうございます。
興味が沸いて、リヴァイアサンについて調べてみました。まだネットで検索できるレベルしか読んでいませんですが、確かに概要は似てますね。
「役割分担が基本だからこそ、お互いを信用するために人殺しやルール違反はすべきではない」という考え方は、少なくとも自分の中では正しいと思っています。
ただ社会が成熟しだすと、その役割分担が細分化しすぎてしまい、権力の集中や富の分配の不明確化、貧困の差や職業の尊卑が起こるという問題が発生します。
そのためホッブズの唱えた「人間が天賦の権利として持ちうる自然権を国家に対して全部譲渡するべきである」という考え方が発生するのだと思いました。
王だから立派だとか小作人だから最悪だとか考えるのではなく、お互いが同じ国家に属する者同士であると再認識するわけですね。かなり私の考え方に近い気がします。
というか……自分が偉そうに書いた短編の内容を500年も前の人はすでに把握してたのですね。ドヤ顔で書いていた自分が恥ずかしい(*ノωノ)
ただホッブズ然りごりらさん然り、私の短編で書かれたような方法論ではなく、倫理やルールという形式で殺人を否定した方が、私は良いと思います。
なぜなら、社会を維持するためにルール違反はすべきではない、という論拠の根底にある考え方は、人間の関係同士を数値に置き換えるような冷徹な計算式だからです。
わかりやすく言うと「お互い役に立つからお互い利用しあおう、そのためにお互いルールを守るべきだしお前も約束は守れよ?」という、結局のところ自分のメリットしか考えない考え方が根底にあるからこその発想なのです。人の情や愛とかではなく、機械的な損得勘定なわけです。
だからこそ納得しやすいでしょうが、だからこそ従兄弟さん方に教えて良い影響があるとは思えません。特に分別がまだつかない年齢の方に教えてしまうと、役立たずはあっさり切り捨てる非情な人間になりかねません。
よくAIが人間に反乱を翻す映画があるじゃないですか。あれはこの考え方がどこかしらにあるから成り立つんじゃないかなぁ、と勝手に思っています。
ちょっと話が長くなってしまいましたが、私の考え方が本当に正しいかどうかもわかりませんし、それに人間関係はそこまで単純じゃないと思います。
倫理や道徳という人ならではの曖昧さを理解して、その上で「人を殺したりルール違反したりしたらいけないよ」と言えるようになりたいですね^^
興味が沸いて、リヴァイアサンについて調べてみました。まだネットで検索できるレベルしか読んでいませんですが、確かに概要は似てますね。
「役割分担が基本だからこそ、お互いを信用するために人殺しやルール違反はすべきではない」という考え方は、少なくとも自分の中では正しいと思っています。
ただ社会が成熟しだすと、その役割分担が細分化しすぎてしまい、権力の集中や富の分配の不明確化、貧困の差や職業の尊卑が起こるという問題が発生します。
そのためホッブズの唱えた「人間が天賦の権利として持ちうる自然権を国家に対して全部譲渡するべきである」という考え方が発生するのだと思いました。
王だから立派だとか小作人だから最悪だとか考えるのではなく、お互いが同じ国家に属する者同士であると再認識するわけですね。かなり私の考え方に近い気がします。
というか……自分が偉そうに書いた短編の内容を500年も前の人はすでに把握してたのですね。ドヤ顔で書いていた自分が恥ずかしい(*ノωノ)
ただホッブズ然りごりらさん然り、私の短編で書かれたような方法論ではなく、倫理やルールという形式で殺人を否定した方が、私は良いと思います。
なぜなら、社会を維持するためにルール違反はすべきではない、という論拠の根底にある考え方は、人間の関係同士を数値に置き換えるような冷徹な計算式だからです。
わかりやすく言うと「お互い役に立つからお互い利用しあおう、そのためにお互いルールを守るべきだしお前も約束は守れよ?」という、結局のところ自分のメリットしか考えない考え方が根底にあるからこその発想なのです。人の情や愛とかではなく、機械的な損得勘定なわけです。
だからこそ納得しやすいでしょうが、だからこそ従兄弟さん方に教えて良い影響があるとは思えません。特に分別がまだつかない年齢の方に教えてしまうと、役立たずはあっさり切り捨てる非情な人間になりかねません。
よくAIが人間に反乱を翻す映画があるじゃないですか。あれはこの考え方がどこかしらにあるから成り立つんじゃないかなぁ、と勝手に思っています。
ちょっと話が長くなってしまいましたが、私の考え方が本当に正しいかどうかもわかりませんし、それに人間関係はそこまで単純じゃないと思います。
倫理や道徳という人ならではの曖昧さを理解して、その上で「人を殺したりルール違反したりしたらいけないよ」と言えるようになりたいですね^^
- えろいむえっさいむ
- 2018年 09月01日 20時19分
[一言]
極端に単純化するなら、「自分が他者に殺されたくない」と「禁止することに効果がある」の二つが足し合わされた結果だと思います。
動物相手に(罰則を盾に)殺人を禁止しても意味がありませんが、ヒトに対しては効果があります。
結局のところ、社会を不安定にしたくない、ということなのでしょう。
極端に単純化するなら、「自分が他者に殺されたくない」と「禁止することに効果がある」の二つが足し合わされた結果だと思います。
動物相手に(罰則を盾に)殺人を禁止しても意味がありませんが、ヒトに対しては効果があります。
結局のところ、社会を不安定にしたくない、ということなのでしょう。
感想ありがとうございます。ものすごく返事遅れてすいません。
社会という枠組み自体が人間にとって武器であり砦であるという考えですね。面白いと思います。
社会という協力体制が整っているからこそ外敵(動物及び他社会の人間)から身を守ることができる、しかし社会の内部に殺人者が混じっていると協力体制自体が不安定になるから禁止しなければならない。こんな感じでしょうか?
私と考え方が似ていると思います、が見ている部分が少し違いそうですね。面白い着眼点の感想が聞けて嬉しいです。ありがとうございます。
ただ、こうやって深く考えていけば考えていくほど……ルール違反や違法行為に対するリスクって本当に高いんだなぁと思ってしまいますね^^;
社会という枠組み自体が人間にとって武器であり砦であるという考えですね。面白いと思います。
社会という協力体制が整っているからこそ外敵(動物及び他社会の人間)から身を守ることができる、しかし社会の内部に殺人者が混じっていると協力体制自体が不安定になるから禁止しなければならない。こんな感じでしょうか?
私と考え方が似ていると思います、が見ている部分が少し違いそうですね。面白い着眼点の感想が聞けて嬉しいです。ありがとうございます。
ただ、こうやって深く考えていけば考えていくほど……ルール違反や違法行為に対するリスクって本当に高いんだなぁと思ってしまいますね^^;
- えろいむえっさいむ
- 2018年 08月12日 22時48分
[良い点]
社会を維持するために殺人を禁止したり犯人を死刑にしてるんだな~
[一言]
日本で普通に生きてれば殺人には会わないとは思うんですけど他人や自分の死には何時か直面する時があるでしょうね
生まれてきて死んでいくって永遠の謎だな怖い
社会を維持するために殺人を禁止したり犯人を死刑にしてるんだな~
[一言]
日本で普通に生きてれば殺人には会わないとは思うんですけど他人や自分の死には何時か直面する時があるでしょうね
生まれてきて死んでいくって永遠の謎だな怖い
感想ありがとうございます。その通りだと思います。
社会を維持するためというより、社会という構造上、殺人を前提にできないといった方が正しいかもしれません。
人を殺すこと、例えば死刑や戦争による殺害は許容されていますからね。自分の所属する社会の内部では殺人は許容できないけれど、社会と相いれない存在や敵対的な社会の構成員に対しては結構非道なところもありますし。
地球全体の人間がそれぞれ全員同じ社会の一員だ、と思いこむことができれば、割と簡単に殺人事件や戦争はなくなりそうなんですけどね。
ごくごく最近に、死刑がどうたらとか無差別殺人がなんたらというニュースが多かったため、この手の話題は少し考えさせられてしまいます。
かなり偏見が入った言い方になりますが、例えば某宗教団体の場合、もっと日本社会という枠組みにきちんとハマるように考慮されていれば、日本社会を「自分たちと違う社会だ」と思いこんであっさり毒物を撒いたりとかはしなかったかもしれません。
また、某青年ももっと家族やご近所の繋がりが濃かったら、自分も同じ日本社会の一員だと思って、ナタを持って新幹線で暴れなかったかもしれません。
社会というものを構築するプロセスが解明されれば、こういった問題にもある程度対処できるのかもしれませんね。残念ながら自分は研究者ではないのでわかりませんが^^;
社会を維持するためというより、社会という構造上、殺人を前提にできないといった方が正しいかもしれません。
人を殺すこと、例えば死刑や戦争による殺害は許容されていますからね。自分の所属する社会の内部では殺人は許容できないけれど、社会と相いれない存在や敵対的な社会の構成員に対しては結構非道なところもありますし。
地球全体の人間がそれぞれ全員同じ社会の一員だ、と思いこむことができれば、割と簡単に殺人事件や戦争はなくなりそうなんですけどね。
ごくごく最近に、死刑がどうたらとか無差別殺人がなんたらというニュースが多かったため、この手の話題は少し考えさせられてしまいます。
かなり偏見が入った言い方になりますが、例えば某宗教団体の場合、もっと日本社会という枠組みにきちんとハマるように考慮されていれば、日本社会を「自分たちと違う社会だ」と思いこんであっさり毒物を撒いたりとかはしなかったかもしれません。
また、某青年ももっと家族やご近所の繋がりが濃かったら、自分も同じ日本社会の一員だと思って、ナタを持って新幹線で暴れなかったかもしれません。
社会というものを構築するプロセスが解明されれば、こういった問題にもある程度対処できるのかもしれませんね。残念ながら自分は研究者ではないのでわかりませんが^^;
- えろいむえっさいむ
- 2018年 07月19日 15時44分
[一言]
返信有り難う御座います。
成る程、社会と個人との関係性こそが殺人の質と言う物を変えるかも知れないと言う事かも知れませんね。
更に社会と個人の関係性に個人の利益や道徳観念、また嗜好が加わる事で殺人の方向性が多様化してしまうと言う事かな?
例えば社会の中に自分の居場所が作れる人はその関係性が良好で在り同時に自分の命以上の価値が在ると判断出来る時に自己犠牲と言う自死が起きる。
逆に社会の中に自分の居場所が作れない、若しくは何等かの問題が起きてドロップアウトし社会との関係性が対立、若しくは希薄な状況に成ると加害者としての殺人を起し易く成る。
ここら辺に更に心理学的な破壊衝動の方向性、例えば内に向かうと自傷癖の様に自分を攻撃して自殺へと向かい。
破壊衝動が外に向かえばテロの様に外で在る社会への攻撃としての殺人に成るのかも知れませんね。
共に社会との関係性が対立や希薄だから周囲の人達からも辞める様なアドバイスも無いし在っても個人自身が関係性が対立したり希薄な為に感情的に聞き入れないし聞いても利益が無いとシャットアウトしてしまい他者への攻撃的殺人に成る。
但し心神喪失者の場合は、社会との関係性事態が産まれながらに認識出来無い。
若しくは薬物や酒の様に脳に影響を与えて社会との関係性への認識力を低下無いし麻痺させる事で社会的関係性に寄る他者への殺人の抑止力のハードルを下げて殺人を犯してしまうのかも知れませんね。
そう言えば認知心理学の実験で実験の被験者を囚人と看守の役に別けて服装や扱いを徹底させて遣ると。
実験の筈の役割なのに囚人役の被験者は本当に卑屈な囚人の様に振る舞い、看守役はまるで自分達は囚人役を躾なければ為らないと言う様に振る舞う様に成ったて言うのが在るけどこの実験も一つの社会での役割と言う関係性が実験の被験者で在る個人の行動を支配してしまって居るとも言えますね。
代わった例で言うと役者さん達が役柄で恋愛役をして居ると深く役に成りきって現実でも恋愛役を遣った役者さん同士が結婚し易く成る観たいな話ですね。
まぁ殺人の場合とは違う例ですけど人は以外と社会との関係性に寄って無意識の内に自分の役割を社会に合わせてして居る可能性も出て来る。
其の社会との関係性の在り方が個人の殺人の在り方を多様化させて居るのかも知れないと考えるとちょっとしたホラーのネタ話観たいに成って来る。
逆説的に考えると個人の意思以上に社会の関係性に寄って殺人が起きるとも考えられるから他者に対して殺人衝動に駆られた時に其の殺人衝動が本当に自分の意思なのか社会の関係性の役割に寄って誘導されて起きた殺人衝動なのか分からなく成るね。
考えて行くとちょっとしたホラー小説観たいに成って来たよ。
返信有り難う御座います。
成る程、社会と個人との関係性こそが殺人の質と言う物を変えるかも知れないと言う事かも知れませんね。
更に社会と個人の関係性に個人の利益や道徳観念、また嗜好が加わる事で殺人の方向性が多様化してしまうと言う事かな?
例えば社会の中に自分の居場所が作れる人はその関係性が良好で在り同時に自分の命以上の価値が在ると判断出来る時に自己犠牲と言う自死が起きる。
逆に社会の中に自分の居場所が作れない、若しくは何等かの問題が起きてドロップアウトし社会との関係性が対立、若しくは希薄な状況に成ると加害者としての殺人を起し易く成る。
ここら辺に更に心理学的な破壊衝動の方向性、例えば内に向かうと自傷癖の様に自分を攻撃して自殺へと向かい。
破壊衝動が外に向かえばテロの様に外で在る社会への攻撃としての殺人に成るのかも知れませんね。
共に社会との関係性が対立や希薄だから周囲の人達からも辞める様なアドバイスも無いし在っても個人自身が関係性が対立したり希薄な為に感情的に聞き入れないし聞いても利益が無いとシャットアウトしてしまい他者への攻撃的殺人に成る。
但し心神喪失者の場合は、社会との関係性事態が産まれながらに認識出来無い。
若しくは薬物や酒の様に脳に影響を与えて社会との関係性への認識力を低下無いし麻痺させる事で社会的関係性に寄る他者への殺人の抑止力のハードルを下げて殺人を犯してしまうのかも知れませんね。
そう言えば認知心理学の実験で実験の被験者を囚人と看守の役に別けて服装や扱いを徹底させて遣ると。
実験の筈の役割なのに囚人役の被験者は本当に卑屈な囚人の様に振る舞い、看守役はまるで自分達は囚人役を躾なければ為らないと言う様に振る舞う様に成ったて言うのが在るけどこの実験も一つの社会での役割と言う関係性が実験の被験者で在る個人の行動を支配してしまって居るとも言えますね。
代わった例で言うと役者さん達が役柄で恋愛役をして居ると深く役に成りきって現実でも恋愛役を遣った役者さん同士が結婚し易く成る観たいな話ですね。
まぁ殺人の場合とは違う例ですけど人は以外と社会との関係性に寄って無意識の内に自分の役割を社会に合わせてして居る可能性も出て来る。
其の社会との関係性の在り方が個人の殺人の在り方を多様化させて居るのかも知れないと考えるとちょっとしたホラーのネタ話観たいに成って来る。
逆説的に考えると個人の意思以上に社会の関係性に寄って殺人が起きるとも考えられるから他者に対して殺人衝動に駆られた時に其の殺人衝動が本当に自分の意思なのか社会の関係性の役割に寄って誘導されて起きた殺人衝動なのか分からなく成るね。
考えて行くとちょっとしたホラー小説観たいに成って来たよ。
凄い感想返し、ありがとうございます。
なんというか私の机上の空論とは違い、実際の現象に合わせて考えられてるお話でしたので、もうどうコメントしていいかわからないレベルの素晴らしさでした。
少し編集すれば、それこそそのままエッセイにできそうな感想返し頂いてビックリしてますよw
「社会との関係性と心理学的見地からの殺人衝動について」とか、「認識の違いによって役割が変わってくる」など面白いお話ばかりでした。
囚人と看守の話は私もどっかで聞いたことありますが、なるほど、こういう場合にも適用できるのですね……。
本当に感心するお話ばかりです。脱帽、という言葉を噛み締めております。
まさかじっくり読んでしまいたくなるほどのよくできた感想返しが来るとは想定外でした……。
ざっくりとしたお返事で申し訳ありませんが、吉人様のご意見に私は同意します。面白くて読み応えのある内容の感想返しでした。本当にありがとうございます。
あと個人的に、どれも興味深いご意見でしたが、特に役者の恋愛についてのお話は面白いですね。
人間と動物の違いは火を使うこと、道具を使うこと、そして社会の中で生きることだと私は思っています(原始的なものは除く)。
その中で社会で人々の関わりを持って生きようとすると、その与えられた役割によっては感情までもが変化するのではないか、というのは凄い見解だと思います。
囚人の話や自己犠牲の話にも繋がりそうな話なのが凄いと思うところです。
もしかしたら人間の持つ感情というやつは、社会の中にあるからこそ育まれるのではないか、と突飛なことを考えてしまいます。
殺人衝動も、自殺衝動も、恋愛感情も、どれも制御できないほど強い自分の感情から起こったものが多いと思われます。
それが全て社会、つまりは人と人との関わりあいで起きているとするならば……仰る通りホラーな話に繋がりますね。
逆に感動モノのストーリーにも仕上がりそうですけれど……ふ、深いテーマになりそうで私には一朝一夕に扱えそうにありません、ムツカシ過ぎますor2
もし良かったらご自身の感想返しをベースにして一本エッセイを書いてみませんか?
別にオリジナルが私の小説だなんて言わないでいいですし、逆に「えろいむなんとかっていう変人がいまいちなエッセイ書いてたけど、俺はこう思う」的な書き方でも構いません。
吉人様が社会、または役割分担というものが人間の感情にどう影響するのかとかをどういう視点で見ているのか、かなり興味があります。
テーマとしては、私と同じ「人を殺してはいけない理由」になるか、もしくは「社会の中における人間性というものについて」か「人が社会から受ける影響」なんてのでもいけそうですね。読んでみたいです。
もし良かったらご一考ください。その時はぜひ読みに行きたいと思います。
ここまで深い内容の感想ありがとうございます。私も面白い議論ができて満足しています……議論ができて、というよりご教授頂いて、の方が的確かな?
とにかく面白いお話でした。うっかりパクって本小説に我が物顔で追記しちゃいたいくらいに……モ、モチロンヤリマセンヨ、エエ、ホントウニ。
P,S ホラー小説みたいと仰いましたが、これ本当にホラーに転用できそうな考え方ですよね。
猟奇的な殺人を題材にしたホラーは概ねこれに当てはまりそうですし、主人公や犯人の心理描写にも使えそうです。
個人的にホラー小説なんか書いてみたくなっちゃいました。難しそうだけどチャレンジしてみたいと思います^^b
なんというか私の机上の空論とは違い、実際の現象に合わせて考えられてるお話でしたので、もうどうコメントしていいかわからないレベルの素晴らしさでした。
少し編集すれば、それこそそのままエッセイにできそうな感想返し頂いてビックリしてますよw
「社会との関係性と心理学的見地からの殺人衝動について」とか、「認識の違いによって役割が変わってくる」など面白いお話ばかりでした。
囚人と看守の話は私もどっかで聞いたことありますが、なるほど、こういう場合にも適用できるのですね……。
本当に感心するお話ばかりです。脱帽、という言葉を噛み締めております。
まさかじっくり読んでしまいたくなるほどのよくできた感想返しが来るとは想定外でした……。
ざっくりとしたお返事で申し訳ありませんが、吉人様のご意見に私は同意します。面白くて読み応えのある内容の感想返しでした。本当にありがとうございます。
あと個人的に、どれも興味深いご意見でしたが、特に役者の恋愛についてのお話は面白いですね。
人間と動物の違いは火を使うこと、道具を使うこと、そして社会の中で生きることだと私は思っています(原始的なものは除く)。
その中で社会で人々の関わりを持って生きようとすると、その与えられた役割によっては感情までもが変化するのではないか、というのは凄い見解だと思います。
囚人の話や自己犠牲の話にも繋がりそうな話なのが凄いと思うところです。
もしかしたら人間の持つ感情というやつは、社会の中にあるからこそ育まれるのではないか、と突飛なことを考えてしまいます。
殺人衝動も、自殺衝動も、恋愛感情も、どれも制御できないほど強い自分の感情から起こったものが多いと思われます。
それが全て社会、つまりは人と人との関わりあいで起きているとするならば……仰る通りホラーな話に繋がりますね。
逆に感動モノのストーリーにも仕上がりそうですけれど……ふ、深いテーマになりそうで私には一朝一夕に扱えそうにありません、ムツカシ過ぎますor2
もし良かったらご自身の感想返しをベースにして一本エッセイを書いてみませんか?
別にオリジナルが私の小説だなんて言わないでいいですし、逆に「えろいむなんとかっていう変人がいまいちなエッセイ書いてたけど、俺はこう思う」的な書き方でも構いません。
吉人様が社会、または役割分担というものが人間の感情にどう影響するのかとかをどういう視点で見ているのか、かなり興味があります。
テーマとしては、私と同じ「人を殺してはいけない理由」になるか、もしくは「社会の中における人間性というものについて」か「人が社会から受ける影響」なんてのでもいけそうですね。読んでみたいです。
もし良かったらご一考ください。その時はぜひ読みに行きたいと思います。
ここまで深い内容の感想ありがとうございます。私も面白い議論ができて満足しています……議論ができて、というよりご教授頂いて、の方が的確かな?
とにかく面白いお話でした。うっかりパクって本小説に我が物顔で追記しちゃいたいくらいに……モ、モチロンヤリマセンヨ、エエ、ホントウニ。
P,S ホラー小説みたいと仰いましたが、これ本当にホラーに転用できそうな考え方ですよね。
猟奇的な殺人を題材にしたホラーは概ねこれに当てはまりそうですし、主人公や犯人の心理描写にも使えそうです。
個人的にホラー小説なんか書いてみたくなっちゃいました。難しそうだけどチャレンジしてみたいと思います^^b
- えろいむえっさいむ
- 2016年 11月17日 22時44分
[一言]
返信有り難う御座います。
悩む事が哲学の始まりと言った哲学者も居ますから考える事は良い事ですね。
実際は答えの出ない問題でも在るので心の何処かにストックして色々な経験を経て自分成りの答えを出すしか無い問題何ですよね。
私自身もたまに陰惨なニュース等のを観て悩んでしまいます。
ただ、陰惨な事だけでは無くもう一つの殺人に付いても御高察を願います。
時に人は自分の人身の命を投げ出しても人を救おうとします。
所謂、自己犠牲です。
本人達は勿論死ぬ積もりは無いかも知れませんが中には死ぬ事を分かって踏み込み他者を助ける人も居ます。
自殺とは違う別の可能性ですね。
東日本の震災の中でも自身の危険を省みずに亡くなった方も多く居ます。
過去に於ても戦時下でも似た様な親御さんや兵隊さん兄弟姉妹沢山居た様です。
凄惨な環境状況で自分も死にかけて居るのに自分の手当は良いから他に苦しんで居る人の為にと治療を断って後に回ってやっと其の人の番に成ったら死んでた何てのも婆さんから聞いた事も在る。
この様な自己犠牲は自殺に成るのかそれとも単なる事故か?どちらに成るのだろうとつい考えてしまいます。
答えは無数に在ると思いますが考えると本当に悩んでしまいますよね。
返信有り難う御座います。
悩む事が哲学の始まりと言った哲学者も居ますから考える事は良い事ですね。
実際は答えの出ない問題でも在るので心の何処かにストックして色々な経験を経て自分成りの答えを出すしか無い問題何ですよね。
私自身もたまに陰惨なニュース等のを観て悩んでしまいます。
ただ、陰惨な事だけでは無くもう一つの殺人に付いても御高察を願います。
時に人は自分の人身の命を投げ出しても人を救おうとします。
所謂、自己犠牲です。
本人達は勿論死ぬ積もりは無いかも知れませんが中には死ぬ事を分かって踏み込み他者を助ける人も居ます。
自殺とは違う別の可能性ですね。
東日本の震災の中でも自身の危険を省みずに亡くなった方も多く居ます。
過去に於ても戦時下でも似た様な親御さんや兵隊さん兄弟姉妹沢山居た様です。
凄惨な環境状況で自分も死にかけて居るのに自分の手当は良いから他に苦しんで居る人の為にと治療を断って後に回ってやっと其の人の番に成ったら死んでた何てのも婆さんから聞いた事も在る。
この様な自己犠牲は自殺に成るのかそれとも単なる事故か?どちらに成るのだろうとつい考えてしまいます。
答えは無数に在ると思いますが考えると本当に悩んでしまいますよね。
さらなるご感想、ありがとうございます。
自然死を除く命のやり取り、という題材は考えるとどこまでも深淵で難しい話になりますよね。
いろいろな考えがあって、どれも一見正しそうに見えて、でもどれも正しくない。本当に難しい話題だと思います。
少なくとも命を投げ出そうとしてまで何かを為そうとしたことのない私が軽々しく語っていい話題でもないのかもしれません。自分で言ってて格好悪いことこの上ないですがw
さて、自己犠牲ですが、これは本当にわからないですね。
自分も想像の中では「俺のことはいいから、あいつを助けてやってくれ!」とか言ってるつもりですけれど、実際そういうシーンに出会ったとき果たして本当に自分の命を後回しにする覚悟があるか。正直難しいところでしょう。
自分が死ぬ可能性をきちんと考慮していたかとか、実は助かる見込みがあったとかそういうところは置いておいて、とりあえず自己犠牲については本編で語った役割分担をこなそうとする意思も多少は含まれていると思われます。
別の方の感想返しでも書いたのですが、役割分担を主とする社会の中で、その役割を献身的にこなそうとした結果、自死を選ぶ人もいることもあります。
自爆テロなんてわかりやすいでしょう。確実に死ぬとわかっている爆弾を背負ってまで世界に対して不平を訴えようとする、褒められた行為ではありませんが「世界に反抗する社会」の一員としてその役割をこなそうとした結果と言えるでしょう。
同じように、例えば自分が死ねば5人の命が助かるとしましょう。
そのとき、その5人+自分の6人の間で「なんとか助かりたい社会」というものが形成された、と考えれば役割分担の意義もわかると思います。
その社会の中で「自分が死ねば5人が助かる、ならば自分が死ぬ役割をこなすべきだ」と判断されれば、自己犠牲の意思を持つことができるのではないでしょうか。
逆に5人を犠牲にしてでも自分が助かりたいという人は、その5人の「なんとか助かりたい社会」に属さない、つまり「自分が助かる社会」を自分一人で形成したとも言えます。
これならば自己犠牲を一切考慮せず、自分だけを優先して助けるように動くでしょう。
わかりやすく例えるならば、連続殺人者の推理小説で真っ先に「こんな殺人鬼がいるところにいられるか! 俺は自分の部屋に帰る!」って言いだす感じですね。
また最初の「なんとか助かりたい社会」に属したとしても、自分の命を犠牲にしなければならないと思った瞬間、その社会から脱退することも考えられます。
基本的に役割を放棄した場合ペナルティが課されますが、自死よりはマシと判断すればそういうこともするでしょう。
自分の命が天秤に乗った状態での逃走を私は非難できません。
結論を言えば、その危地にいる人同士の間で役割分担の社会ができたとき、その役割を徹底して守ろうとする高潔な人間か、それとも自分の命を優先する考えなのかで結果が変わると言ったところではないでしょうか。
ただこれは私のようなボンクラが想像だけで書いたただの妄想です。
実際はもっと違う理由があって自己犠牲を容認しているのかもしれませんし、もっと強い覚悟のようなものがあった結果なのかもしれません。
私の付けた理由は所詮後付けで、実際のところは違うかもしれないことをご了承願います。
一つだけ確実に言えることは、自己犠牲をもってして他者のことを思いやれる人間の魂は、なによりも高潔だということだけです。
それ以上については、全く分からなくてとても悩みます。
実際にそういう方を見たら、私はどういうその人をどういう風な目で見るのか、不謹慎ながらも少しだけ興味があります。どうなんでしょうね?
自然死を除く命のやり取り、という題材は考えるとどこまでも深淵で難しい話になりますよね。
いろいろな考えがあって、どれも一見正しそうに見えて、でもどれも正しくない。本当に難しい話題だと思います。
少なくとも命を投げ出そうとしてまで何かを為そうとしたことのない私が軽々しく語っていい話題でもないのかもしれません。自分で言ってて格好悪いことこの上ないですがw
さて、自己犠牲ですが、これは本当にわからないですね。
自分も想像の中では「俺のことはいいから、あいつを助けてやってくれ!」とか言ってるつもりですけれど、実際そういうシーンに出会ったとき果たして本当に自分の命を後回しにする覚悟があるか。正直難しいところでしょう。
自分が死ぬ可能性をきちんと考慮していたかとか、実は助かる見込みがあったとかそういうところは置いておいて、とりあえず自己犠牲については本編で語った役割分担をこなそうとする意思も多少は含まれていると思われます。
別の方の感想返しでも書いたのですが、役割分担を主とする社会の中で、その役割を献身的にこなそうとした結果、自死を選ぶ人もいることもあります。
自爆テロなんてわかりやすいでしょう。確実に死ぬとわかっている爆弾を背負ってまで世界に対して不平を訴えようとする、褒められた行為ではありませんが「世界に反抗する社会」の一員としてその役割をこなそうとした結果と言えるでしょう。
同じように、例えば自分が死ねば5人の命が助かるとしましょう。
そのとき、その5人+自分の6人の間で「なんとか助かりたい社会」というものが形成された、と考えれば役割分担の意義もわかると思います。
その社会の中で「自分が死ねば5人が助かる、ならば自分が死ぬ役割をこなすべきだ」と判断されれば、自己犠牲の意思を持つことができるのではないでしょうか。
逆に5人を犠牲にしてでも自分が助かりたいという人は、その5人の「なんとか助かりたい社会」に属さない、つまり「自分が助かる社会」を自分一人で形成したとも言えます。
これならば自己犠牲を一切考慮せず、自分だけを優先して助けるように動くでしょう。
わかりやすく例えるならば、連続殺人者の推理小説で真っ先に「こんな殺人鬼がいるところにいられるか! 俺は自分の部屋に帰る!」って言いだす感じですね。
また最初の「なんとか助かりたい社会」に属したとしても、自分の命を犠牲にしなければならないと思った瞬間、その社会から脱退することも考えられます。
基本的に役割を放棄した場合ペナルティが課されますが、自死よりはマシと判断すればそういうこともするでしょう。
自分の命が天秤に乗った状態での逃走を私は非難できません。
結論を言えば、その危地にいる人同士の間で役割分担の社会ができたとき、その役割を徹底して守ろうとする高潔な人間か、それとも自分の命を優先する考えなのかで結果が変わると言ったところではないでしょうか。
ただこれは私のようなボンクラが想像だけで書いたただの妄想です。
実際はもっと違う理由があって自己犠牲を容認しているのかもしれませんし、もっと強い覚悟のようなものがあった結果なのかもしれません。
私の付けた理由は所詮後付けで、実際のところは違うかもしれないことをご了承願います。
一つだけ確実に言えることは、自己犠牲をもってして他者のことを思いやれる人間の魂は、なによりも高潔だということだけです。
それ以上については、全く分からなくてとても悩みます。
実際にそういう方を見たら、私はどういうその人をどういう風な目で見るのか、不謹慎ながらも少しだけ興味があります。どうなんでしょうね?
- えろいむえっさいむ
- 2016年 11月17日 20時03分
[一言]
読んで少し思った事を書かせて貰います。
ちょっと精神的に厳しい内容に成り兼ねないので不快だと思ったら消して下さい。
日本の場合はどちらかと言うと限定条件付き殺人は許容されて居ると思います。
死刑、正当防衛、脅迫や環境状況に寄る殺人(脅されて無理矢理殺人をさせられる。閉じ込められて生きる為に食料を奪い在って起きた殺人?、大災害時に於ける利敵行為に寄る殺人<ちょっと微妙>、戦時下に於ける国際法内の殺人、日本国外での殺人<但し犯罪人引渡し協定や国家間の条約が在る場合は罪に成る>)、中絶処置(強姦、望まぬ妊娠、経済的理由、などなど)、事故に寄る故意では無い殺人。
後は医療に於て稀ですが、妊婦さんが何等かの病気や事故に在って母体を救うか胎児救うか其の命の選択に於ける判断、大規模災害時の緊急トリアージも場合に寄って命の選択をしなければ成りません。
其れは一種の望まぬ形では在りますが見方に寄っては殺人と言う人達も居ます。
あとは刑法三十九条です。
社会不適合者が何を指して居るかにも寄りますが刑法三十九条に該当する場合は殺人の刑罰の対象から外れます。
其の代わり特殊な病院に行く事に為りますが大変何ですよね。
私の思い付く限りなのですが以外と日本は条件付き殺人が許容されて居る国です。
読んで少し思った事を書かせて貰います。
ちょっと精神的に厳しい内容に成り兼ねないので不快だと思ったら消して下さい。
日本の場合はどちらかと言うと限定条件付き殺人は許容されて居ると思います。
死刑、正当防衛、脅迫や環境状況に寄る殺人(脅されて無理矢理殺人をさせられる。閉じ込められて生きる為に食料を奪い在って起きた殺人?、大災害時に於ける利敵行為に寄る殺人<ちょっと微妙>、戦時下に於ける国際法内の殺人、日本国外での殺人<但し犯罪人引渡し協定や国家間の条約が在る場合は罪に成る>)、中絶処置(強姦、望まぬ妊娠、経済的理由、などなど)、事故に寄る故意では無い殺人。
後は医療に於て稀ですが、妊婦さんが何等かの病気や事故に在って母体を救うか胎児救うか其の命の選択に於ける判断、大規模災害時の緊急トリアージも場合に寄って命の選択をしなければ成りません。
其れは一種の望まぬ形では在りますが見方に寄っては殺人と言う人達も居ます。
あとは刑法三十九条です。
社会不適合者が何を指して居るかにも寄りますが刑法三十九条に該当する場合は殺人の刑罰の対象から外れます。
其の代わり特殊な病院に行く事に為りますが大変何ですよね。
私の思い付く限りなのですが以外と日本は条件付き殺人が許容されて居る国です。
感想ありがとうございます。
そういえば現実に即した形での「人を殺してはいけない理由」については特に言及してませんでした。
これでは片手落ちも良いところですよね。誠に失礼しました。
自分は社会というのは人と人との関係性を包括する物全てだと考えており、社会不適合者はその社会にいて爪弾きにされる物と考えています。
なので人を殺す人=お互いの関係において致命的に相容れない存在=社会に合わない存在=社会不適合者と言う意味で使ってました。
語源的に言うと間違った使い方だったかもしれません。後ほど少し言葉を変えておきたいと思います。
さて、限定付き殺人ですが、これは「人を殺してはいけない理由」の裏側、つまり「人を殺しても良い理由」の方に属する話ではないかと作者は考えております。
人を殺してはいけない理由では、相手が人殺しであった場合、その人と役割分担、仕事の共有、または取引などをすることができなくなってしまう。
だから人殺しはいけないんだ、とちょっと極論じみた論調となっています。
ですが逆に、相手がすでに人殺しとわかっていたら(→死刑)、または自分を殺そうとしてくる人間だったら(→正当防衛)、他に社会を形成する前の存在だったら(→中絶)などと、人を殺さない理由に当てはまらない存在だと言うことができます。
人を殺してはいけない理由に当てはまらないから殺しても良い、これもまた暴論ではありますが真実だと思います。
食料の奪い合いでもそうです。お互いを社会の構成員だと認識して食料を平等に分け合うと、結果足りなくて共倒れしてしまう。自分が助かるためには相手を社会の外の存在だと認識して、つまりいなくてもいい奴だと思うことで食料を奪取し、餓死させてしまう。
これは本文の後半で書いていた指摘した内容ですね。社会が殺人を容認した場合はこれに当たります。さっきまで殺しあわない間柄だったのに、急に殺人が可能になるのは本当に怖い話だと思います。
と、こんな具合に自分の言い分と一応噛み合った部分もありますが、考えさせられる部分もありました。
命の選択という言葉と、心神喪失者についてです。
この二つは私の「人を殺してはいけない理由」の範囲外なんじゃないかと思いました。少し考えたくらいだと答えが出ません。
人の命の救う救わないの基準はどうすべきか、また心神喪失者の殺人についてはどう判断すべきか。
ちょっと悩ませてください。簡単に答えられそうな話ではなさそうなので……。
……む、難しいな(汗
そういえば現実に即した形での「人を殺してはいけない理由」については特に言及してませんでした。
これでは片手落ちも良いところですよね。誠に失礼しました。
自分は社会というのは人と人との関係性を包括する物全てだと考えており、社会不適合者はその社会にいて爪弾きにされる物と考えています。
なので人を殺す人=お互いの関係において致命的に相容れない存在=社会に合わない存在=社会不適合者と言う意味で使ってました。
語源的に言うと間違った使い方だったかもしれません。後ほど少し言葉を変えておきたいと思います。
さて、限定付き殺人ですが、これは「人を殺してはいけない理由」の裏側、つまり「人を殺しても良い理由」の方に属する話ではないかと作者は考えております。
人を殺してはいけない理由では、相手が人殺しであった場合、その人と役割分担、仕事の共有、または取引などをすることができなくなってしまう。
だから人殺しはいけないんだ、とちょっと極論じみた論調となっています。
ですが逆に、相手がすでに人殺しとわかっていたら(→死刑)、または自分を殺そうとしてくる人間だったら(→正当防衛)、他に社会を形成する前の存在だったら(→中絶)などと、人を殺さない理由に当てはまらない存在だと言うことができます。
人を殺してはいけない理由に当てはまらないから殺しても良い、これもまた暴論ではありますが真実だと思います。
食料の奪い合いでもそうです。お互いを社会の構成員だと認識して食料を平等に分け合うと、結果足りなくて共倒れしてしまう。自分が助かるためには相手を社会の外の存在だと認識して、つまりいなくてもいい奴だと思うことで食料を奪取し、餓死させてしまう。
これは本文の後半で書いていた指摘した内容ですね。社会が殺人を容認した場合はこれに当たります。さっきまで殺しあわない間柄だったのに、急に殺人が可能になるのは本当に怖い話だと思います。
と、こんな具合に自分の言い分と一応噛み合った部分もありますが、考えさせられる部分もありました。
命の選択という言葉と、心神喪失者についてです。
この二つは私の「人を殺してはいけない理由」の範囲外なんじゃないかと思いました。少し考えたくらいだと答えが出ません。
人の命の救う救わないの基準はどうすべきか、また心神喪失者の殺人についてはどう判断すべきか。
ちょっと悩ませてください。簡単に答えられそうな話ではなさそうなので……。
……む、難しいな(汗
- えろいむえっさいむ
- 2016年 11月17日 17時29分
[良い点]
これだけ発展、煩雑化した人間社会で「なぜ人を殺してはいけないのか?」を結論づけるのは不可能とも言えるでしょう。ですがその理由を哲学するのは大事なことですよね。
例えば死刑制度というのも、社会が死刑という名の殺人を容認しているようなものです。死刑と殺人も、等しく他人の生命を剥奪する行為。その二つにはどのような差異があるのか、同じではないのか……。うーん。線引きから難しい問題です。
ちなみに僕は人殺し(死刑は除く)には反対です。理由は物騒になるから、ですね。
[一言]
相棒に、東大名誉教授が優秀な教え子たちを監禁して「なぜ人を殺してはいけないのか?」を問う事件ががありましたね。タイトルは『鮎川教授最後の授業』です。
これだけ発展、煩雑化した人間社会で「なぜ人を殺してはいけないのか?」を結論づけるのは不可能とも言えるでしょう。ですがその理由を哲学するのは大事なことですよね。
例えば死刑制度というのも、社会が死刑という名の殺人を容認しているようなものです。死刑と殺人も、等しく他人の生命を剥奪する行為。その二つにはどのような差異があるのか、同じではないのか……。うーん。線引きから難しい問題です。
ちなみに僕は人殺し(死刑は除く)には反対です。理由は物騒になるから、ですね。
[一言]
相棒に、東大名誉教授が優秀な教え子たちを監禁して「なぜ人を殺してはいけないのか?」を問う事件ががありましたね。タイトルは『鮎川教授最後の授業』です。
感想ありがとうございます。
確かに一元化された答えにこだわり過ぎること自体良くなかったかもしれません。
人の考えは十人十色であるのと同じく、社会のあり方なんてまさしく星の数ほどあるのでしょう。
そのすべてに共通する万能の考え方、なんて求める方が愚かでした。お恥ずかしい限りです。
死刑制度が感情論なり善悪論なりで判断するのも良いのですが、少なくとも私の書いた小説の本旨においては明確な答えが出せます。
単純です。社会に不適合だから殺す、この一言に尽きます。
ただこれは、本作の後半で書いた通りかなり恐ろしい考え方だと思います。
人を殺さない理由のアンチテーゼが人を殺しても良い理由になる、と書いてますが、そのままズバリ社会に不適合な人間は社会と完全に関わりを持たないようにするために殺しても良い、と言う考えに繋がります。
ですが、この社会に不適合であるという判断基準はどこにあるのか、という点は全く考慮されていないのが恐ろしいところです。
もちろん連続殺人犯や凶悪犯罪者を生かしてはおけぬ、として処刑するのは正しいのかもしれません。または被害者及びその親族の怨みを晴らすべく処刑するというのも心情的には理解できます。
ですが、自分たちがいつその社会不適合者の烙印を押されるかわからないというのはかなり怖いです。
虐められっ子は社会不適合者なのか? ニートは社会不適合者なのか? 仕事や同僚に合わず日々疲れきって愚痴ってる人は? 飲酒運転者は? 脱税をする人は?
どこまでが死刑の対象者で、どこまでが社会の内側の仲間なのかどんどんわかりづらくなっていきますよね。
きっと仰る通りなんだと思います。煩雑化しすぎた人間社会で人の命の可否を問うような難問を解くのは一朝一夕ではできないのでしょう。
なんだかんだで不特定多数の人が答えるような、「人間の命は尊いから殺すべきでない」とか「あいつは大量殺人犯だ死刑にしろ」というダブルスタンダードな考え方が、最も正解に遠い代わりに、もっとも人間社会にとって適切な答えなのかもしれませんね。
なんともはや、難しいんだか簡単なんだかよくわからない話です……
P,S テレビはほとんど見ないので相棒は見た事ありませんでした。申し訳ない。
ですが軽くネットで調べてみたら、賛否両論で色々な意見があるみたいですね。もし暇だったらゲオか何かでレンタルして見てみたいと思います。
確かに一元化された答えにこだわり過ぎること自体良くなかったかもしれません。
人の考えは十人十色であるのと同じく、社会のあり方なんてまさしく星の数ほどあるのでしょう。
そのすべてに共通する万能の考え方、なんて求める方が愚かでした。お恥ずかしい限りです。
死刑制度が感情論なり善悪論なりで判断するのも良いのですが、少なくとも私の書いた小説の本旨においては明確な答えが出せます。
単純です。社会に不適合だから殺す、この一言に尽きます。
ただこれは、本作の後半で書いた通りかなり恐ろしい考え方だと思います。
人を殺さない理由のアンチテーゼが人を殺しても良い理由になる、と書いてますが、そのままズバリ社会に不適合な人間は社会と完全に関わりを持たないようにするために殺しても良い、と言う考えに繋がります。
ですが、この社会に不適合であるという判断基準はどこにあるのか、という点は全く考慮されていないのが恐ろしいところです。
もちろん連続殺人犯や凶悪犯罪者を生かしてはおけぬ、として処刑するのは正しいのかもしれません。または被害者及びその親族の怨みを晴らすべく処刑するというのも心情的には理解できます。
ですが、自分たちがいつその社会不適合者の烙印を押されるかわからないというのはかなり怖いです。
虐められっ子は社会不適合者なのか? ニートは社会不適合者なのか? 仕事や同僚に合わず日々疲れきって愚痴ってる人は? 飲酒運転者は? 脱税をする人は?
どこまでが死刑の対象者で、どこまでが社会の内側の仲間なのかどんどんわかりづらくなっていきますよね。
きっと仰る通りなんだと思います。煩雑化しすぎた人間社会で人の命の可否を問うような難問を解くのは一朝一夕ではできないのでしょう。
なんだかんだで不特定多数の人が答えるような、「人間の命は尊いから殺すべきでない」とか「あいつは大量殺人犯だ死刑にしろ」というダブルスタンダードな考え方が、最も正解に遠い代わりに、もっとも人間社会にとって適切な答えなのかもしれませんね。
なんともはや、難しいんだか簡単なんだかよくわからない話です……
P,S テレビはほとんど見ないので相棒は見た事ありませんでした。申し訳ない。
ですが軽くネットで調べてみたら、賛否両論で色々な意見があるみたいですね。もし暇だったらゲオか何かでレンタルして見てみたいと思います。
- えろいむえっさいむ
- 2016年 11月15日 17時35分
[良い点]
丁寧に書かれている
[気になる点]
思い→重い
[一言]
過労自殺や、いじめによる自殺が気になります。
あるいは特攻隊や
文学者の自殺。芥川とか太宰とか三島とか川端とかヘミングウェイとか。あと、自爆テロ。
自殺全般が気になる。
なぜ人は自殺をしてしまうのか?
考え中。
まとまったら書きます…
丁寧に書かれている
[気になる点]
思い→重い
[一言]
過労自殺や、いじめによる自殺が気になります。
あるいは特攻隊や
文学者の自殺。芥川とか太宰とか三島とか川端とかヘミングウェイとか。あと、自爆テロ。
自殺全般が気になる。
なぜ人は自殺をしてしまうのか?
考え中。
まとまったら書きます…
- 投稿者: 退会済み
- 2016年 11月13日 17時24分
管理
感想及び誤字報告ありがとうございます。特に誤字報告は、書いてる方は意外と気付かない場合が多いので助かります。お恥ずかしい限りですor2
殺してはいけない理由であるところの本旨からは少しズレますが、確かに自殺も気になる話題です。
他人を殺すのではなく、自分を殺すわけですからね。よく言われますが、自殺をするのは人間だけというのもおかしい話です。
単純に考えれば、生きていくことに希望が持てないだとか、今の自分に嫌気がさしたとかになるのでしょうか?
またテロを肯定するわけではありませんが、自爆テロや神風特攻隊のような、強い意志を持って己の命を投げ捨てる行為も冷静に考えれば不思議なものです。
命あっての物種という言葉もありますし、自分という観測者が死んでしまっては、価値観も何もどうしようもないでしょうに……。
答えは私にもわかりませんが、あえて「人を殺してはいけない理由」の中に書かれている文言を流用すると、これもまた社会という枠組みがある故なのかもしれませんね。
社会の中で役割分担が行われている。つまり社会の中で生きていこうとするのならば、その与えられた役割はこなさなければならないという暗黙の了解が支配することとなります。
こう考えると少しだけ見えてくるものもあるかもしれません。
役割をこなそうとするがゆえに、仕事を抱え込み過ぎて過労死してしまったり。
役割をこなすことを最優先してしまったがために、今の不甲斐ない自分を殺そうを思ってしまったり。
社会を維持するために必要な役割として、特攻隊のような自死を含む手段をとってしまったり。
自爆テロもこの枠組みに入りますよね。自らが公衆の面前でド派手に自爆することで「社会に不満を持っている社会」の人間として「世界に不満を訴える役割」をこなした、とみなすことができますから。
もちろんこれが正しいかどうかは私にも全く分かりません。ですが、これならなんとなく理由の一端くらいには触れているのではないかと愚考します。
人を殺してはいけない社会が、自らの死を望むようになるというのは酷い皮肉ですね。
感想をいただけるまではこの着眼点はありませんでした。なるほど、興味深い案件です。
感想ありがとうございました。拙い文章ですが、読んでいただけて嬉しく思います。
自殺に関する話はとても大切だと思いますが、本作共々深く思い込まないようお願いします。この手の話題は、考えれば考えるほどドツボに嵌ると思いますから……
殺してはいけない理由であるところの本旨からは少しズレますが、確かに自殺も気になる話題です。
他人を殺すのではなく、自分を殺すわけですからね。よく言われますが、自殺をするのは人間だけというのもおかしい話です。
単純に考えれば、生きていくことに希望が持てないだとか、今の自分に嫌気がさしたとかになるのでしょうか?
またテロを肯定するわけではありませんが、自爆テロや神風特攻隊のような、強い意志を持って己の命を投げ捨てる行為も冷静に考えれば不思議なものです。
命あっての物種という言葉もありますし、自分という観測者が死んでしまっては、価値観も何もどうしようもないでしょうに……。
答えは私にもわかりませんが、あえて「人を殺してはいけない理由」の中に書かれている文言を流用すると、これもまた社会という枠組みがある故なのかもしれませんね。
社会の中で役割分担が行われている。つまり社会の中で生きていこうとするのならば、その与えられた役割はこなさなければならないという暗黙の了解が支配することとなります。
こう考えると少しだけ見えてくるものもあるかもしれません。
役割をこなそうとするがゆえに、仕事を抱え込み過ぎて過労死してしまったり。
役割をこなすことを最優先してしまったがために、今の不甲斐ない自分を殺そうを思ってしまったり。
社会を維持するために必要な役割として、特攻隊のような自死を含む手段をとってしまったり。
自爆テロもこの枠組みに入りますよね。自らが公衆の面前でド派手に自爆することで「社会に不満を持っている社会」の人間として「世界に不満を訴える役割」をこなした、とみなすことができますから。
もちろんこれが正しいかどうかは私にも全く分かりません。ですが、これならなんとなく理由の一端くらいには触れているのではないかと愚考します。
人を殺してはいけない社会が、自らの死を望むようになるというのは酷い皮肉ですね。
感想をいただけるまではこの着眼点はありませんでした。なるほど、興味深い案件です。
感想ありがとうございました。拙い文章ですが、読んでいただけて嬉しく思います。
自殺に関する話はとても大切だと思いますが、本作共々深く思い込まないようお願いします。この手の話題は、考えれば考えるほどドツボに嵌ると思いますから……
- えろいむえっさいむ
- 2016年 11月13日 18時07分
感想を書く場合はログインしてください。