感想一覧

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[良い点]
読んで結構落ち込みましたが、こういう指摘を目に出来るのは有難い事です。私はこのサイトに小説を投稿してはいますが小説を普段あまり読まず、正直助詞の意味すらわかりません。きっと読んだ人に何じゃこりゃ、と思われているんだろうなぁ。
[一言]
他のエッセイもいくつか読ませて頂きましたが、こういった読み手のプロといいますか、そういう方の考えに触れられるのが嬉しいです。
感想ありがとうございます。

プロだなんておこがましい。ただの本好きのおっさんです。

文法を直ぐに改善するのは、なかなか難しいですよね。

パッと思い付く方法はいくつかあります。
・主語と述語がきちんと対応しているか気を付ける
・長い文を使わずに、接続語で区切る
・プロの文章をたくさん読む

などですが、特に大切なのは自分の文を何度も読み返すことだと思います。

読んでみて違和感はないか、読み手に伝わるものなのかを意識すると良いのではないでしょうか。

僕の駄エッセイを一通り読んで下さったみたいですね。

少しでも参考になったのなら嬉しい限りです。

  • とりあたま
  • 2017年 02月11日 18時29分
[一言]
色々ありがとうございました。
何度も感想欄に書き込むこと自体あまりマナーが良くないことだとも思いますので、これを最後にすると思います。

>「少しずつでもよいから直そう」と思って欲しいだけです。
>言葉足らずで申し訳ないです。

そういう意図であるというならば、僕も大賛成です。
そこが確認できたので、これ以上は特に反論もありません。

あとはとりあたまさんが『「相手に自分の考えを伝えたい」という意欲あるなら、 自分のミスに向き合って改善するべきだ』という、僕も大賛成のご意見に即して、エッセイで『言葉足らずだ』と感じられている点を今後どんどん改善してよりよいエッセイ(意見表明)に変えていってくださるだろうと期待するのみです。

このたびはご不快に感じられたこともあると思われる中、二度にわたって丁重なお返事をいただけたことに御礼申し上げます。
  • 投稿者: 退会済み
  • 男性
  • 2017年 01月23日 22時14分
管理
[一言]
ご返信ありがとうございます。
おっしゃることは読者の立場から当然のことです。

しかしながら、僕の言いたかったことが上手く伝わっていないと感じます。

特に、僕の感想をよんで、僕が↓二つの思想を持っていると感じられたとするならば、それは1作者として絶対に誤解を解かねばなりません。

>無償で読める作品に多くを求めるべきではない、という考え方
>「こうあるべし」と押し付けがましく感じられたのなら

これらの思想を僕は一切有していません。

にもかかわらず、そのようにとりあたまさんが感じられたとするならば、それは僕の文章力不足と、この問題が簡単にどうこういえるはなしではないからということに原因があります。

何度も感想欄に書き込むのは褒められた行為では無いと思いますが、誤解されたままでは今後の僕の創作活動に大きな影響がありますので、大変申し訳ありませんがもう少しだけ書かせてください。




>無償で読める作品に多くを求めるべきではない、という考え方
僕はそのような考え方をしていません。
そういう考え方を否定はしませんが、少なくとも僕の考えとは明確に異なる物であると宣言させていただきます。
そこを誤解されてしまっては、僕の今後の創作活動に大きく差し障りますので、ここは本当に強く主張します。

とあたまさんがそのように感じられたのは、『書店に行って出版された本をご購入されることをお奨めいたします。』という言葉かもしれません。
確かに、これはそうに読めても致し方が無い表現でした。安易な表現を使ってしまったことを反省しています。

ここの文章の意図は、『有料の本だから』ではなく『プロの校正や編集者の力を借りてさらに良い作品になっているはずだから』誤字脱字は無くなっているはずだということです。
まあ、編集にもピンキリありますから、本当に無くなっているかどうかは知りませんが。


>「こうあるべし」と押し付けがましく感じられたのなら
感じていません。
もし、『押しつけがましく(僕が)感じたととりあたまさんが感じた』(←悪文で申し訳ないです)というならそれは僕の書き方がまずかったのでしょう。
繰り返しになりますが、とりあたまさんの主張は読者として極めてまっとうで、正しいことです。
それを押しつけがましいと僕が感じたと理解されるのは、とても困ります。

読者が誤字脱字をなくしてくれということが『押しつけがましい』などという意図は一切ありません。

前回の感想で書きたかったのは、現実論として、一人で校正をやりきるというのは難易度が高いということです。
それが出来ていないと言うことだけをもって、『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』と断言されるのは、悲しいなと思ったということです。
もし、そうであるならば、校正さんの力を借りなければ商業出版できない全ての作家(おそらく、そうでない人は世界中探しても一桁以下)はすべからず『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』ということになるからです。

10万文字、あるいは100万文字一切誤字脱字を出さないというのは『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲』だけで出来ることでは無いんです。
そんなことが出来る人間はこの世にほぼいません。
特に日本語は変換というやっかいな作業があるのでなおさらです。

『それでも小説を書くなら泣き言言わず不可能をやれよ、それが出来ない人は「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠けると判断する』というのは、読者として当然のではあっても、作者としてはそこまでいうなら書籍化を待てば良いのではないかと思えてしまいます。
無料か有料かではなく、書籍版は多数の人のチェックが入った『完全版』だからです。

決して、無償だからガマンしろとか、そんなことは申し上げていません。

繰り返しになりますが、これは作者側の事情にすぎません。
読者が誤字脱字をなくしてほしいと考えることは、当然の要求であり、押しつけがましいなどとは口が裂けても思いません。
でも、現実論として誤字脱字を一切なくせというならば、小説化になろうで長編小説の連載は出来ないんです。
少なくとも、今書いている人の9割以上はそうだと思います。

『誤字脱字をなくしてほしい』というエッセーに、僕はここまで書きません。
でも『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』と断言されるのは、それは本当に作者として涙が出るほど悲しいことなんです。
だって、それは『理想』として誠に正しいことで是非とも実現したいと皆が願っていることであってっも、『現実として不可能』だと解っていて、作者なら常にずっと苦しんでいることだからです。

苦しんで苦しんで、泣きたくなったり恥ずかしくなったりしながら、それでも小説を読んでほしいと思っているのに、なくすことが不可能に近い誤字脱字のためだけに『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』と断言されては、もう断筆するかありません。

『(誤字脱字がある小説は)「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』という表現が無ければ、僕はこんなことは書いていないです。
『作者はもっと誤字脱字に注意すべきだ』というのであれば、『その通りです。僕も気をつけます』としか言うことはありません。
しかし、誤字脱字だけをもって『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』という作家としてのアイデンティティを根本から否定されてしまうと、それは『正しい』けど『悲しい』としかいいようがないんです。

だから、本音は『誤字脱字を見つけたら、そこで読むのをやめるよりも感想欄で教えてくれるとちょっと嬉しいな』となるわけです
  • 投稿者: 退会済み
  • 男性
  • 2017年 01月23日 21時14分
管理
誤解して欲しくないのですが、誤字・脱字や文法のミスを一切するな、ましてやそんな文章を人前に出すなとは思ってないですよ。

本文にも「改善」という言葉を使っています。

「相手に自分の考えを伝えたい」という意欲があるなら、 自分のミスに向き合って改善して欲しいという意図で書いています。

人間だからミスはあって当然です。

ただ、そこから目を背けて放置している人が多いかなと。

「少しずつでもよいから直そう」と思って欲しいだけです。

言葉足らずで申し訳ないです。

  • とりあたま
  • 2017年 01月23日 21時52分
[一言]
【序論】

とりあたまさんは小説をとても愛している方なのだと思います。
だから、
『誤字脱字があるままなんで発表するんだよ、もっと読者のことを考えてくれればたくさん読んでくれるだろうに、もったいない』
という、純粋な好意からこのエッセーを書いてくださったのだと思います。
その行為に、一Web作家として心から敬意を表すると共に、御礼申し上げます。

僕はとりあたまさんのエッセーが上から目線とは全く感じません。
また、読者として当然の要望(あるいは欲求・不満)だと思います。

おっしゃっていることは全面的に正しいと思います。
全く間違っていない。素晴らしいです。僕も強く共感します。
もしそれがかなえば、小説化になろうはまさにWeb小説界の理想の場になります。

ただし、あくまでも『理想論』あるいは『目標論』としてという条件付きだといわざるをません。
書店に並ぶ本とWeb小説において、誤字脱字・文法の正しさを同程度に求めるのは、『理想論』としては正しくても『現実論』としては難しいからです。

現実的に難しい理由は大きく2つあります。

【理想論だという理由その1:校正担当がいないという現実】
多くのWeb小説の作者には『校正』という商業作品において素晴らしい味方になってくださる職業の人が(基本的には)いません。
もし、個人で100万文字の小説を一切誤字脱字なしで書くことが人間に出来るというならば、校正という職業の皆さんは全員失業します。
プロ作家でも、編集・校正と言った人達から様々なダメ出しやミスの指摘をされて、何度も何度も修正してから読者の目に入るのが、商業的に出版された本です。
どんなに有名な先生でも、校正さんから一度たりとも誤字脱字を指摘されたことがないなんていう方はいないはずです。
某作家先生は『私は毎回10カ所程度しか誤字脱字は指摘されないよう細心の注意を払っている。それゆえに校正さんから大変好かれている(大意。10カ所という数字は僕の記憶違いかも)』とおっしゃっていました。

それに対して、『小説化になろう』の作者の大半は自分一人で校正作業を行っています。
自分の書いた文章はいくら読み直しても『思い込み』から逃れるのは難しく、あらゆる誤字脱字を消すのは『理想論』として行うべきだとしても、『現実論』としては困難です。
たぶん、100回読み直しても無理です。

この差は書き手にとって非常に大きいです。非常に大きいと共に非情な現実でもあります。

【理想論だという理由その2:毎日更新】

小説化になろうの長編小説は『毎日更新』が求められます。
ランキングの問題だけでなく、Web小説を読む読者は『毎日――すくなくとも週に1回以上は更新されるから』楽しんでいる人が多いです。
一週間更新できないと、『続きを早く読みたいです』と(好意的にであれ)感想欄に書かれることもあります。
誤字脱字がない文章以上に、毎日更新が期待されているという現実があるのです。
そして、月1回の更新になってしまえば、その読者はたぶん戻ってきてくれません。
『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲』に照らし合わせて、何を選ぶかという問題です。
(もちろん、理想は誤字脱字の無い小説を毎日更新することであるのは百も承知です)

商業誌において、小説を毎日発表しているのは新聞連載をしているごく一部の作家さんくらいで、普通は短編1つなり、文庫本1つなりを書き下ろした後、何日も、何ヶ月ももかけて推敲する時間がありますし、そうしなければなりません。

しかし、そのやり方では『小説化になろう』で求められる毎日更新は不可能です。
先に全てを書いておいて毎日更新する方もいますが、その場合読者の感想を読んでキャラクターの登場シーンを増やすといったようなWeb小説ならではの『読者との近さ』という特徴を捨てることになります。

つまり、作者は一日に4000文字書き、それを一日で校正するということが『小説化になろう』の特に長編小説では求められます。
この環境下で誤字脱字を一切出さず100万文字の長編小説を執筆できる実力があるという人は、かなり特殊な技能を持っている方だと思います。

【エッセーを読んだときの疑問】

『小説化になろう』で商業出版された人気作を読んでみたということですが、それは書店で購入してよまれたのでしょうか?
それとも、商業出版された作品の元になった『小説化になろう』の連載を読まれたのでしょうか?
エッセーを読ませていただいて、そこが少し疑問でした。おそらく後者だと思いますが、前者のようにも読めなくもないですから。

少なくとも僕は前者において誤字脱字を見つけたことは1回しかありません。
それも、作者様は発売日直後に読者から指摘され、すぐさま謝罪の上、第二版(があれば)修正すると断言されていました。

後者だとすれば、それは確かによく見かけます。
その理由はこれまでに述べたとおりであり、たとえ商業出版したときに編集側から指摘されたとしても、全て直すのは時間的な問題もありますし、契約上編集のアドバイスを受けた内容での修正を『小説化になろう』に反映できない可能性もあります。

ですから、『小説化になろう』の人気作を誤字脱字がない状態で読みたいというのならば、是非とも書店に行って出版された本をご購入されることをお奨めいたします。
そこですら誤字脱字を見つけたというならば、作者や編集者は責められてしかるべきでしょう。

これは『お金を取っているから』という問題ではなく、『校正作業の有無』『出版に当たっての修正作業時間の有無』という純粋な作業上の問題です。

【総論】
もちろん、だからWeb小説で『誤字脱字はしかたがないのだ』と居直るのは作家にあるまじき姿勢です。
そういう意味でとりあたまさんのおっしゃっていることは『理想論』、『目標論』としては全面的に正しいです。
もう、ぐうの音も出ない正論です。

が、『現実論』としては校正を手伝ってくれる人間がいない作者に『誤字脱字を一切出すな。それがあったら読まない』というのであれば、それはもう、商業出版された本を読んだ方が良いんじゃないかなと思えてしまいます。

僕は一太郎の校正機能を使い、毎回3回以上読み直し、UPした後も毎日読み直して気になるカ所は修正しています。
それでも、2ヶ月前の誤字脱字を見つけて青くなることはしょっちゅうです。
今日も、もう40回は読み直したプロローグに文法上おかしなところを見つけて直しました。

とりあたまさんのおっしゃるとおり、小説とは『誰でも創作することが可能』である素晴らしい表現です。
そして、インターネットの発展により、創作するだけでなく『誰でも発表することが可能』になりました。

しかし、『校正さんの手助けなく、毎日誤字脱字なしで更新する』となれば、それはごくごく一部の特殊な訓練を積んだ人にしか不可能です。
言い方を変えるならば、とりあたまさんが求めていることは『誰でも創作・発表することが可能』になった小説という分野を、再び『ごくごく一部の特殊な訓練を積んだ人』にしか書くべきではないということになってしまうのです。

だから『理想論』『目的論』としては誠に正しいし、作者はそれを目指すべきであるし、読者はそれを求める権利があるけれども、『現実論』ではないと僕は愚考するわけです。

【余談】

なお、とりあたまさんは『文章力』という言葉をを『誤字脱字などの誤りがない文章を書く力』という意味で使われていますが、これも校正さんがいれば赤ペン対象だと思います。

『文章力』とは『語彙力』『表現力』『テンポの良さ』『構成力』など多岐にわたる能力のことで、『誤字脱字』にかんしては『文章力』ではなく『校正力』あるいは『注意力』などの表現の方がより適切です。

わかりにくいたとえかもしれませんが、将棋や囲碁・チェスで言うならば『文章力』は定石をどれだけしっているか、どれだけ斬新で有効な手を指せるかの能力であって、『誤字脱字』は二歩を打ってしまうようなミスです。読者にとっては読みにくいという同じ現象が起きるかもしれませんが、別の話なんです。
厳密には言葉の意味として正確ではありません。

もちろん、語彙を誤って覚えていれば結果として誤った表現をしてしまう可能性はありますから、広義に考えれば『文章力』に『誤字脱字文法ミスを出さない力』を含むことはありえます。

しかしながら、誤字脱字を減らすべきと言う主張で『文章力』という表現を使われるのは、『誤り』とまではいかなくても『もっと適切な表現があるはず』という意味で、少なくとも僕には違和感を感じます。
ゆえに、このエッセーを出版社の校正さんが見れば同じ指摘をするだろうなと思うわけです。。
しかし、Web公開する個人の文章ではそのような手続きをされないため、違和感が残る表現になってしまったのだと思います。

書籍化されるような長編では、この状況下で『毎日5000文字以上』、『合計10万文字以上』書き続けることが求められます。
時には病気を押して執筆して、『もしかしたら誤字が残っているかもしれないけれど、読者を待たせたくない』という思いでUPすることもあります。

それに対して、『誤字脱字がある=「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』というのは、『正論』だけど。さすがに『言い過ぎ』かなと感じます。
本当にその意欲が無い人は、そもそも小説を書き始めることも、発表することも、完結させることも、出版社からのオファーを受けることも無いからです。

【最後に】

『理想論』として『誤字脱字が無い』ことは当然目指すべき目標ではあっても、『現実論』として難しい。
理想と現実の狭間のどこで折り合いをつけるか。

月に1回の更新でいいというならば、あるいは校正さんを雇うお金があるならば……作者はみんなそう考えています。

僕は校正さんをやとう余裕まではありませんが、Wordや無料のテキストエディタ、あるいは無料のIMEでは誤字脱字が増えてしまうからという理由で、無料公開する小説のために2年に1回数万円だして一太郎とATOKを購入しています。
その程度の熱意や『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲』はあります。
それでも誤字脱字は潰しきれません(ジャストシステムが悪いという意味の言葉ではないので誤解無きように。一太郎もATOKも非常に優れたソフトです)
しかし、さすがにプロの校正さんを雇い、毎日更新を見てもらうほどの金銭的余裕はありません。そもそも毎日更新に付き合ってくれる校正さんもいないでしょう。

……まあ、読者からすればこんなのは『単なる1Web作家の言い訳』と切り捨てられても仕方がない妄言だと思います。
そして、さらにいえば、このような感想を読めば不快感を覚える方もいるだろうと思います。
それを理解した上で、それでも『誤字脱字がある=「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』と言われるのは、一人のWeb作家として『正論』ではあっても『悔しい』と感じ、あえて申し上げあせていただきました。

なお、読者から誤字を指摘されても修正しない、ましてや逆ギレするみたいな反応をする作者は僕も『小説化になろう』から消えていいと思います。これはまさに『「他者に自分の考えを理解して欲しい」という意欲に欠ける』作者ですから。

ただ、まあ一作者としては、『誤字脱字を見つけたら、そこで読むのをやめるよりも感想欄で教えてくれるとちょっと嬉しいな』とか、そんなことは思います。

  • 投稿者: 退会済み
  • 男性
  • 2017年 01月23日 03時16分
管理
感想ありがとうございます。

自分が書いたものに対して、こんなに丁寧な反応を返して下さる方がいらっしゃる。もの凄く嬉しいです。


「理想論」とありましたが、まさにその通りです。ただ、皆がこうあるべきとは思ってはいませんよ。

響く人に伝わればよいなと書いたニッチな文章ですから。どう受け取るかは読む人次第でよいです。ずるい物言いかもしれませんが。


例の書籍化決定の作品ですが、まだ出版はされていません。

無償で読める作品に多くを求めるべきではない、という考え方もあるでしょう。それが悪いとは思いません。

待たされるくらいなら、多少のミスなんか構わないと思う人だっているでしょう。ただ、僕はそう思わないだけです。
どちらの読者に重きを置くかは、作者さんが自分の考えで決めることです。

「こうあるべし」と押し付けがましく感じられたのなら、これは単に僕の力不足です。

正直、こんなに沢山の方々に読んでもらえるとは思っていませんでした。七草さまの感想を頂いて「僕の書いたものに、こんなに真剣に向き合ってもらえるなんて」と感動しています。

これが創作の原動力なのでしょう。だからこそ、言葉をいい加減に扱いたくないですし、人前に文章を出す際には誤りの少ないものにしたい。その労力を厭わないようにしたい。

この返信が、僕の拙い考えを伝えてくれたらよいなと心から願ってます。

  • とりあたま
  • 2017年 01月23日 20時22分
[一言]
うなずきながら、拝読させていただきました。
私も筆者様に同感です。

自分の経験話で恐縮ですが。
私も以前、誤字脱字が非常に多く、文法の誤りがある作品に対して「投稿前に確認はされていますか?」と感想欄に書かせていただいたことがあります。
多少のことなら、私は気にしない質なのですが(なぜなら誤字脱字はどんなに気を付けても、自分もやってしまう時があるから)その作品は目に余るほど多くて、おせっかいとは思いながらも、言わずにはいられませんでした。
もちろん、指摘する側としてはその作品が好みだったので、よりよいものになれば、という思いから言わせていただいたのですが。
まあ、結果として感想は削除されました。
私の指摘は余計なものだったのでしょう。

なろうは誰もが好きに作品を投稿できる場だし、読みやすい文章から本の世界に踏み込んでくる若い世代もいると思います。
それを考えると、書き手としては誤った文法等で誤った知識を与えてはいけないな、と思い、また、活字になれている読者に「この書き手、なってない」と思われないように自分の文章とにらめっこする日々です。

……とまあ、生真面目に語ってみましたが(笑)
ノっている時はこんなマヂメなことは考えずに、ひたすら書きたい展開を追っていますね。そこに正しい文章力が付いてくれば、万々歳なのですが。

誤字脱字や文法の誤りは、読み手の側からすると読みにくい!の一言につきますね。
「頭のつま先」とかの表現を見てしまうと、もう目がその一文に釘付けです。
頭のつま先?どんな軟体動物?タコ?と色んな想像が私の頭の中で駆け巡ります。もう物語どころじゃありません。
そんな風に物語の世界観を邪魔しかねない表現や文法もあるわけですから、やはり文の力は侮れない、文章は見直しましょう、と反面教師の気分です。

長々と駄文のような感想を失礼しました。
  • 投稿者: 由唯
  • 2017年 01月22日 19時07分
感想ありがとうございます。

伝えるスキルを向上させるには、他者の意見を参考にすることが手っ取り早いですよね。

だって、自分の文章がどう読まれているかは、自分自身では決して分かりませんから。

自分の考えに固執していても、成長は難しい。

これは自分自身で経験しなければ、なかなか実感できないかもしれません。

僕もこの姿勢は忘れてしまいがちなので、肝に命じていきたいです。お互い頑張りましょう。
  • とりあたま
  • 2017年 01月22日 19時57分
[一言]
エッセイ読ませていただきました。
言われていることはまさにその通り。
読むのが苦痛になること、自分にも経験があります。

ただ最近小説を書き始めた身としては、言うのは簡単だけど実践するのはなかなか難しいと痛感しております。

とは言え文章力を磨きたいという向上心だけは常に意識して小説を書きたいです。

また現時点では未熟な文体しか使えない作者さんも、書いている内に上達する可能性もあるわけですから、それを感じるのもプロの世界にはない、なろうの楽しみ方の一つなのかも知れませんね。






感想ありがとうございます。

作品を書き上げることは大切ですが、皆様「読んでもらいたい」から書いていると思うんですよね。

その為には、他者にきちんと伝わる文章を書くことが「はじめの一歩」だろうと。

皆様の素晴らしいストーリーが少しでも多くの人に受け入れ、読まれることを願ってます。
  • とりあたま
  • 2017年 01月22日 16時50分
[一言]
納得しますし、たまに不安になりますね。
書きながら不安に成るので、ストーリーが進まなかったりと。頭の良い方には五分で書ける物も、調べて、コネコネして、三十分掛かったりします。「かかる」とかですね、どれだろう、この意味にしたいとか思うんですけどね。
感想ありがとうございます。

大切なことは、「正しい言葉を使おう」という意識を常に持つことだと思います。

漢字や語彙は一朝一夕に身に付くものではありませんが、適当に使っていては現状より改善されることはないでしょう。

変換キーを押すだけで済む時代になって久しいです。

でも、自分で調べて考えたものしか本当の意味で「自分のもの」にはならない。これは普遍だと思います。

勉強でも仕事でも小説の執筆でも、楽して上達することはまずないですよね。大変ですけど。

でも「袋小路 迷路さん」のように、自分で悩んで考えたことは、きっと貴方の力になります。

これからも頑張って下さい。
  • とりあたま
  • 2017年 01月22日 02時57分
[一言]
初めまして。
上から目線だとは思いませんでした。
読まれたいならマトモな文章を。ごもっともなご意見だと思います。

しかし少し気になるところは、誤字脱字てんこ盛り&文法グダグダでも書籍化できることを紹介してしまっている点です。見方を変えれば「アイデアさえ優れていれば読んでもらえる(書籍化できる)」という論が成り立ってしまいそうです。

ラノベ作家は使い捨てとも言われることがありますし、アイデアが優先されるジャンルなのかもしれません。逆に文章力が必要になるのは一般文芸なのかな、と思いました。

ともあれ、助詞のおかしな文章を読むのが辛くなる感覚は、非常に共感しました。
楽しく拝読させていただきました。
ありがとうございました。
  • 投稿者: ホオジロ
  • 23歳~29歳 男性
  • 2017年 01月21日 12時57分
こんな駄文に感想を頂き、ありがとうございます。

例にあげた書籍化作品ですが、レーベルの担当様は正にアイディアを買ったのだと思います。
しかし、これはアイディアが所謂「テンプレ物」とは比較にならないほど卓抜しているからでしょう。

文章と発想。当然前者の方が改善はされやすいですし、他者(編集のプロ)による指導も可能です。
出版前の多大な改稿の手間があるにしても、書籍化に踏み切るだけの魅力があったのだと思います。

しかし、この特殊な例だけに注目して、皆が「アイディア第一」と思うようにはなって欲しくはありません。そのように感じてしまわれたなら、僕の表現力の不足です。

それにしても「読んで頂き、しかも感想まで返ってくる」ことは非常に嬉しいものですね。

僕も「自分の考えがきちんと伝わるか」ということを忘れないで、言葉を使っていこうと改めて思いました。ありがとうございました。










  • とりあたま
  • 2017年 01月21日 18時11分
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