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[一言]
ドストエフスキーが”カラマーゾフの兄弟”(未完小説ですが)でなしたことといえば、それはロシア国民の偶像をいくつも小説の中に登場させ、さらには自らの分身を三つに分割し、それを主人公として据えることによって、彼らの中にある理不尽や矛盾というものを浮き彫りにしたということだったと思います。
 夏目漱石先生の”こころ”でなしたことといえば、先生という存在を通じて、金銭と愛に翻弄される人間の心を明確に、かつ写実的に表現してくれたということだったように思います。
 これら二つの小説は全く趣を異とするものです。ドストエフスキーはロシア社会を題材にしています。夏目漱石先生は一人の日本人を題材にしています。
 しかしジャンルは両方とも文学と言われていました。
 僕は文学というものは何かと言うことにずっと悩まされてきました。世間や社会、とにかく僕の知っている世界は文学、文学と言っては夏目漱石やドストエフスキーをごっちゃにして文学にしていました。それだから僕は文学とは夏目漱石やドストエフスキーの書く小説なんだろうと思って、その二人の小説を見比べて文学を浮き彫りにしようとしていました。しかしちっともそれはできませんでした。
 しかし今回のあなたの文章を読み、ようやく自分の間違いに気づきました。
 あなたの言っている意味ではなるほど、現代社会にある大半の小説は文学とは言えないでしょう。人を面白がらせることが目的であるだけの小説では文学とは呼べません。
 文学とはある種の研究でなければなりません。ひいては文学的パラダイムシフトを起こしてこそ、初めて文学と認められてしかるべきであると思います。
 ここで文学という言葉をさも抽象的であいまいな表現として使っていると思われると支障があるので、僕なりの文学の定義を示しておきます。文学とは、小説などの文章媒体における研究行為であります。つまり、ドストエフスキーのように、小説の中に縮小ロシア国を表現し、その様子を写実することは文学であります。逆に、登場人物を百人出したり、という斬新な挑戦をすることはエンターテインメントに当たるわけです。なぜと言ってそれは、おもしろさの追求であり、ひいては新商品開発の行為だからであります。
 あなたの主張に賛同します。ともかくもあなたのおかげで”文学”にかかっていた霧のようなものが晴れたように思います。あなたは素晴らしい小説家です。

[一言]
徹底的に共感できるし納得できるし、文章も良く論運びも丁寧で、素晴らしい文学論だと感じました。
[良い点]
面白かったです。
示唆のある良いエッセイでした。
[一言]
> 最近のアニメは学園モノがほとんどを占めている
枝葉末節を指摘するようで申し訳ないのですが、学園モノブームはもう終わったかと思います。
さらに言えば、個々の作品において「卒業」が大きな意味を持つことも多いでしょう。
この節で示したいのは「学園から学園に移り住むことによって生まれ得る永遠」でしょうから、本質的には何の意味もない指摘かと思いますが、一応。
  • 投稿者: lynx
  • 2017年 02月18日 15時35分
[一言]
>>芸術はそれぞれの個性に基づいているところと、社会・時代の必然的状態が絡み合っているので一概に「こうすべき」とは言えない。

⇨ そうなんですよね……。結局、個々の精神性や知性や教養に担保されたものでしかないんですよね。 だからこそ、不滅といわれるような作品として、古典があるんでしょうけど。
 結局の所、そうした古典だって、当時は低俗な大衆文学だったりした訳で、『その時代を捉えているか』という事なんでしょうけど。 そうなると文学というより、歴史的価値とか文化的意義とか、そーいう問題になるのだろうなぁとか思ったりします。

>>「文学」というジャンルを所与のものとしてみなし、そこで日常の心理を微細に描いたり、やたら深刻ぶったりしてみるという事と、自分達が存在し、生活している立場、居場所を疑わないという事は同一の現象だとおもう。

⇨ 別の方のエッセイですが、文学賞(ファンタジーの賞)について語られたものがあって、私が『時代を捉える事の重要性』をコメントした所、『時代を超えないとダメです!』なんて返しが来たことがあって、うんざりした事があります。
 なんだろう……、『未来は、常にソコにあると信じて疑わない姿勢』というか、『未来という不確かなモノに対する、不安や疑問のなさ』というか……、そうした若々しさというか、能天気さというか、なんというか、日本って凄く平和だし、平和だし、平和だよなーって思った。
 なんだろう、ヤマダ氏のいう『深刻ぶったりしてみる』って、割りとこの姿勢と似ていて、『本当は深刻じゃないのに、そうしたフリをしたり』又は『安全地帯において、他人の不幸に悲嘆してみせる』に近いと思う。
 で、そうした態度における『リアリズム(現実主義)』とか『リアリティ(実感)』って、結局の所、他人毎で、毎日流される不幸なニュースを見る程度には遠いよそ事であって、つまり、娯楽なんだろうなーとは思う。
 だから、いわゆる社会派ぶった作品の、ヒューマニズムに、時に、反吐がでます。 だって、正義を語った時点で、勧善懲悪のエンターテイメントですもん。 でも、文章表現や様式をそれらしくすれば『文学』って言われて、作家も社会派とか言われる。 だから、シリアスに語る作品って、エンタメ以外は余り好きじゃないんです。 
 とか、個人的に、他にも色々考えたりしました。

 面白かったです。


[一言]
素人が創作とか言って気取り始めたら終わりだ、と自らに言い聞かせながら書いています。
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