イチオシレビュー一覧

▽レビューを書く

心だけはどんな時代をも覆うことなく気高かった。

  • 投稿者: 水菜月   [2018年 12月 12日 18時 42分]
万葉の時代。あの歌詠みの頃。
兄弟も親子も争いの渦の中に置かれ
誰もが裏切りに疑心暗鬼となる、悲しく美しき時。

中大兄皇子という偉大な父を持ち、時代に翻弄される若者がいた。
志貴皇子。第七皇子ゆえ、自由に見えた彼の行末。

彼を慕う豪族の雄高との、わずかに心通わせる時間。
片耳に下がる翡翠の勾玉は
高貴で美しき新緑の色となり、雄高の心を捉えていく。

芽吹いたばかりの早蕨を、私も愛でてみたいものだ。
二人が語り合った山野は
果たして何度、四季を繰り返しているだろう
今もそこに似合った色が漂っているだろうか。

作品が落としていった水紋を
幾つ拾い集めたなら、その思いに辿り着けるだろうか。

二人の心は、時を超えて一つに重なり合う。

実らなかった恋であるほど、美しさを感じてしまうのは世の常だろうか。大切な人への想いを一つずつ積み重ねて過ごしてきた主人公の半生は、ある種の物哀しさを感じさせながらも、私たちの心を惹きつけて離さない。なぜかふわりと、甘い香りが自分の鼻先をかすめて行くような気はしないか。

決して手に入らないとわかっていたはずなのに、追い求めてしまうのはそれが運命の恋だからか。ただひたすらにお互いの心を求めていただけにも関わらず、時代の流れは簡単に二人の繋がりを引き裂いてゆく。美しい耳環とは対照的な仄暗い嵐の海が、全てを飲み込んでしまうのだ。

結ばれなかった二人の想いは、時を経ても色褪せることはない。草木が枯れ果てる厳しい冬が訪れても、季節が巡り春になれば、翡翠色をした命が芽吹き鮮やかに輝きだす。それはきっと、約束の印である耳環と同じように、蕩けるような優しい色合いをしているに違いない。
↑ページトップへ