イチオシレビュー一覧
▽レビューを書く「僕」が間を置いて出会うことになる女性の各存在が、並行世界的なものによるものでないとすれば、〈今〉という時点での〈僕〉が、女性との出会いを果たすそれぞれの「僕」の基盤としてあり、その〈僕〉というのは、決して停止しているわけではなく、小説の最初から最後に至るまでに最低でも百万年という月日が経過しているわけであるが、それがそれぞれの「僕」を存在足らしめているのだ、ということになる。「三本のロウソク」による異次元的な生が、果たして本当に現実的な時間・空間に存在していたのか、それはあるいは既存の記憶による再現でしかないのではないか、という問題は残るものの。
〈僕〉とは何者か。それはあるいは一人格に限らないものなのかもしれない。「僕」はあらゆる時間を生きることができる。多数の人間が「僕」やその志向対象である女性という共通項によって連続的に語られる、というのは、幻想的な試みで面白い。
〈僕〉とは何者か。それはあるいは一人格に限らないものなのかもしれない。「僕」はあらゆる時間を生きることができる。多数の人間が「僕」やその志向対象である女性という共通項によって連続的に語られる、というのは、幻想的な試みで面白い。
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